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番外編 京の都は変態だらけ 八犬伝は、いよいよ大団円が近付いた終盤、突如として刊行形態が変になった。第九輯下帙上、中と順調に流れてきたのに、続いて刊行されたのは、第九輯下帙之下甲号、同乙号上套、同中套……。ズルズル引き延ばされる格好になった。どうやら、何かの事情で、エピソードを挿入したのだろう。ソレは天保十年から十一年辺り、大塩の乱が起こされた数年後、まさにトンチンカン大名・水野忠邦が贈賄を繰り返し、権力の中枢へと辿り着いていた。この頃には、既に収賄も行っていたから、一定以上の権勢を誇っていたようだ。虎視眈々と政権掌握の野望を膨らませていた時期だ。天保八年に将軍職を家慶(イエヨシ)に譲った家斉は、江戸城西之丸に在って、「大御所として」強大な影響力を行使、国政を引っかき回していた。天保十二年に家斉は没し、重石の取れた忠邦が、トンチンカンな悪政、天保の改革をスタートさせる。馬琴の友人・渡辺華山が、西洋の学問に通じている廉で捕らえられる事件も起こった(蛮社の獄:天保十年)。幕府は腐敗の度を深め、滅びの坂を、まさに転がり落ちようとしていた。
奇妙な刊行形態となった第九輯下帙之下甲号(天保十年一月刊行)、同乙号上套(同十一年一月刊行)に収められている挿話は、お伽噺のようで、ちょっと他の部分とは雰囲気が違う。絵に描いた虎が実体化し京の都を暴れ回るのだ。我等が色白ムチムチ美少年、犬江親兵衛仁が退治するのだけれども、何やら謎めいて、釈然としない。長くなるが、要約して紹介しよう。
丹波国桑田郡薬師院村に竹林巽(タケバヤシタツミ)という名の浪人が住んでいた。元々九州は豊後、大友家の家臣だった。友人である同僚の妻と不倫し駆け落ち、流れてきたのだ。多少の絵心はあったものの、手に職はなく、貧窮していった。妻が隣家に住む老絵馬師の家政婦として働いた。よく仕えたので気に入られ、夫の巽も店員として雇われた。外面の良い夫婦だったので、身寄りのない老人の養子に迎えられた。家業を継ぐことになった。程なく老絵馬師死んだ。夫婦は本性を現した。働きもせずに過ごし、絵馬屋の営業免許を取り消された。老絵馬師の菩提を弔わず、墓を朽ちるに任せた。巽は急に病を得て、失明した。
……ところで余談だが、この巽夫婦、九州出身であることといい媚びで絵馬屋を嗣いだことといい、しかも自分たちを引き立ててくれた先代を死んだ途端に蔑ろにする点といい女々しい忠邦に何だか似ている。尤も大御所・家斉が死ぬのは此の話が刊行された二年後だが、人の本性はコロコロ変わるもんじゃない、忠邦、大御所の晩年にはソレっぽい雰囲気を漂わせていたかもしれない。……話を戻そう。
巽は、失明を仏罰だと思い当たり、老絵馬師の墓を甲斐甲斐しく掃除し、精進生活に入った。禁酒し、妻と褥を別にした。快復した。そんな或る日、大寺の稚児が訪ねてきた。稚児とは、上級僧侶の身の回りを世話する為に寺に住み込み奉公した、少年である。僧侶は女色を禁じられていたが、男色は何となく許されていたようで、「稚児(チゴ:八犬伝の表記は「行童」)」には、男色の受け手との密かな含意がないでもない。
訪ねてきた美しい稚児は巽に、古代の画伯・巨勢金岡(コセノカナオカ)作という虎の画を見せた。手本にして、虎の絵馬を描くよう注文した。ところで画虎には、瞳を描き入れていなかった。金岡が嘗て描いた仁和寺の画馬は、余りに真に迫っていたため魂が宿り、折々絵から抜けだして徘徊したとの伝説が残っていたりする。そんな金岡だったから、虎を描いたは良いが、実体化すると困るので、ワザと瞳を描き入れなかったというのだ。
巽は、人間離れした雰囲気の稚児を、寺に安置されている寅童子(所謂十二神将の一)の化身だと気付くが、素直に注文を受けた。稚児は、決まって巽の妻が不在の折に訪ねてきて、絵の手ほどきをした。巽は腕を上げた。そうこうするうち、妻が稚児の存在に気付いた。
妻は巽が稚児を引き込んでイケナイ事をしていると決めつけた。「犯ったの? 姦ったんでしょ。ヤったに違いない!」。こんな妄想に取り憑かれること自体、変態性欲の発露だと思うのだが、巽の妻、夫が自分と同衾しなくなったのは、稚児に精を搾り取られているからだと思い込んだ。嫉妬に狂った。巽を厳しく責め、小刀を執って襲いかかった。丁度そこへ通りかかった知人が飛び込み、仲裁した。巽は、妻を宥めるためか、再び枕を並べるようにした。酒を飲み、生臭物を口にし、酒を飲んだ。爛れたセックスに溺れた。精進を破り、再び堕落した生活を送るようになった。一方、妻は夫婦家喧嘩を仲裁してくれた知人に、巽と稚児を二度と会わせない手だてを相談した。知人は稚児を銃殺するよう提案、妻の躊躇いを無視して、準備を進めた。或る日、稚児が訪ねてきて、穢れた巽に、注文の取り消しを通告した。返すこと言葉なく項垂れる巽。稚児が出ていく。木陰に潜んでいた知人が銃撃する。頽れる稚児、と思いきや、血塗れになって倒れたのは、巽の妻であった。厳密な態度を採るならば此の稚児と妻の入れ替わりの部分、馬琴の表記は言葉足らずだが、まぁ良い、話を進めよう。目の前で妻を撃ち殺された巽が飛び出して、知人を撲殺した。激情に駆られて知人を殺した巽だが、我に返って逐電。画家と称して京に上ったが、稚児に教わって上達した筈の技は何故だか失われており、落書きすら描けぬようになっていた。稚児から預かった虎の画幅を売ろうと考えた。時に先代将軍・義政は東山・慈照寺銀閣に隠居していたが、民から重税を絞り上げ、その金で珍器奇物を買い集めていた。巽は、骨董商に仲介を頼んだ。首尾良く、管領・細川政元に取り次いでもらうことになった。
因みに此の頃、主命によって犬江親兵衛仁(イヌエシンベエマサシ)が京を訪れていたが、政元に気に入られ抑留されていた。政元は、こう考えたのだ。「他は武勇と表裏にて女にして見まほしき美少年なるものをモシ●(ニンベンに尚)我臥房の友と做さば恩愛是より濃にして年闌ずとも我股肱の家臣にならまく願ふべし。我は愛宕の行者にあなれば敢女色に親しまず男色も亦今までは然ばかり懸念せざりしかども只是他が与ならば多年の行法空になるとも惜むに足らず悔もせじ。艶簡をや遣らん媒酌をもて思ふ心を知せんか。否、それよりもうちつけに口説てこそ……」(仁って武勇に似合わず女にしたいくらい別嬪さんなんだよなぁ。一発ヤっちゃったら、俺に首っ丈になるんだがなぁ。アッチから俺の忠実な家来になりたがるに違いない。今までオカルトに凝って女色を遠ざけてきたし、男色だって今回ほど切ない気持ちになったことはない。ああっ、仁をヤれたら、今まで精進したことが無に帰しても構わない。ああっ、ああああっ。ラブレターで告白しちゃおうかなぁ、それとも誰か間に立てて3Pぢゃなかった媒酌にして……、いやいや此処は一発、直接に口説くってのが……)。<男の身勝手>全開である。欲望の暗い炎を燃やしつつ政元は仁を軟禁した。因みに、仁にベッタリの花咲か爺さん・代四郎は、別の宿所に泊まるのだけれど、同僚の紀二六に向かって「聞いてくれ、政元って有名な男色家なんだああっ! へ、変態なんだぞ。仁ぼっちゃんって可愛いから、あああっ、如何しよう如何しよう、政元が仁ぼっちゃんを監禁したのは、犯そうとするために違いない! あああっ、絶対そうだ、そうに決まっている!」みたいに騒ぎ悶える。どうやら、代四郎も巽の妻と同様に、何だか変な妄想に取り憑かれているらしい。その妄想が、偶々事実と符合した部分を有しているに過ぎない。もとより都市は、必然として退廃する。代四郎、良い年をして、都市特有の退廃した空気に毒されたのか? 政元は上記の如く身勝手な妄想に取り憑かれてはいたが、仁に欲望を無理矢理押し付けたりはしなかったのだし。まぁ、確かに男色趣味の人は江戸時代にも居ただろうし、そういう暴行事件もしくは強制猥褻もあったであろう。薩摩屋敷の近くを通る丁稚達が、隼人たちに無理に嗜まされたとの話も残っているようだし、不良グループの抗争で性的陵辱を互いに繰り広げたという話もある。仁だって別の場面では、ゴロツキに強姦されそうになった。しかし、巽といい、政元といい、少なくとも読者の前では、イケナイ事はしていない。男と女が一つ屋根に入れば<絶対ヤる>、男と少年が一つ屋根に入れば<絶対ヤる>などと考える方が、邪推というものだ。そんなだったら、女と女が一つ屋根に入れば<絶対ヤる>と決めつけなければ、女性に対して失礼に当たる。江戸期に於いて、女性は単に欲望を受け入れさせられる存在ではなく、チャンと性の主体として行動していたのだ(→無駄話)。まぁ、とにかく、都(会)というのは、必然として退廃するものだ。……あれ? いや、そんなことを云おうとしてたんじゃなかった。話を戻そう。要約を続ける。
政元は一応の知性は有していたが、トンチンカンな所がある。虎の画幅を見た政元は、瞳を描き入れるよう巽に命じた。金岡の伝説、瞳を入れたら虎が実体化するとの言い伝えは、未完成の絵を高く売りつけようとする詐術に過ぎないと、キメ付けるのだ。
……また<キメ付け>だ。一連の事件の中で、状況を暗転させるのは、決まって、この<キメ付け>だ。賢こぶって相手の総体を理解している錯覚に陥る、この愚行が物語を暗転させまくるのだ。巽の妻だって、妙なキメ付けさえしなかったら、幸せになっていたかもしれない。
さて、画虎の点晴を命じられた巽は、恐る恐る画虎に瞳を描き込む。拙くなっていた筈なのに、何故だか此の時ばかりは、巧く描けた。点晴された画虎は、まるで生きているようだった。一陣の風が吹き込んできた。画幅が揺れた。と、見る間に、画虎が実体化、巽を食い殺し、生首をくわえて飛び出していった。警備の兵は蹴散らされ逃げ惑い、何等、有効に機能しなかった。翌日、巽の首が洛外で発見された。刑の作法に則り、晒されていた。
画虎実体化の責任を追及された政元は、「妙な絵を持ってきたヤツが悪い」とばかりに、骨董商を死罪に行った。理不尽である。馬琴は此処で「苛政は虎より酷しとぞいふなる、古人の格言思べし」と論評を加えている。でもまぁ、此の論評は、馬琴も自らフォローしているけれども、適切とは言い難い。実は、此の「骨董商」悪徳商人だったのだから、理不尽に殺されたからといって、読者は余り同情しないのだ。でも、此処で「苛政は虎より酷しとぞいふなる、古人の格言思べし」と云いたかったからこそ、馬琴は云ったのだろう。まぁ、云いたかったんだから、「適切」でなくとも、仕方がない。
だいたい、実体化した画虎、<悪役>との印象が薄い。巨大で槍も刀も通じない虎が暴れ回るのだから、さぞ京の市民は酷い目に遭っただろうと思いたくなるのだけれども、そんなことはないのである。死んだのは巽と、実体化したときに取り押さえようとした雑兵、または政元の命令で捕縛に向かった狩人、風聞では市民も犠牲になったとされるが確かではない。傷付いたのは、上記の如く虎を捕縛しようとした者達と、若干の悪役だけなのだ。また、この事件に乗じて里見家に敵対し仁を陥れようとした悪役二人が、美しいお姫様を浚って京から脱出しようとするが、その悪役を傷つけ、お姫様を救うのは、実は此の虎だったりする。抑も此の虎は寅童子という仏様が化けた稚児が、巽に預けた絵から実体化したモノだ。ソレだけで、<悪役>ではない気がする。
さて、骨董商を死刑にした政元だったが、もとより、そんなことで責任逃れは出来ない。室町幕府での発言力も低下し、如何しても虎を退治しなければならない仕儀に追い込まれた。しかし、今まで政元の権勢に媚びて、好き放題にのさばっていた者達は、殆どが有効に機能しなかった。怪我をしていたり、虎退治から逃げ回ったり。唯一頼りになる親しい男(秋篠将曹)は、朝廷の警護役であるから、虎退治に出動出来なかった。失望し孤立感に打ちひしがれる政元に、救いの手を差し伸べたのは、仁であった。というか、監禁され貞操の危機に瀕していた仁は、虎退治と引き替えに、安房への帰国を願ったのだ。
政元は悩んだ。何せ、まだ想いを遂げていなかったのである。此処で仁を手放したら、二度とチャンスはないだろう。政元は、本気だったのだ。仁を引き留めるためなら、大事に育ててきた養女を娶らせ、跡継ぎにしても良いとまで考えていたのだ。同性愛のみならず、近親相姦までしようとしていたのだ! といぅワケではなかろうが、政元は政元なりに、仁を本気で愛していたのだ。しかし、愛とは、人によって器も激しさも形質も異なる。政元の最大限の愛とは、自らの保身と天秤に掛けて、重いモノではなかった。浜路の信乃への愛、雛衣の大角への愛などとは質・量ともに異なる。いや、もしかしたら、一人目の夫の仇を討つため小文吾を付け狙った船虫の愛よりも、小さく弱いモノであった。
遂に、政元は仁の申し出を受け入れた。詳細は略するが、仁は首尾良く虎を退治した。二本の矢で虎の目を射抜き、赤松の大木に縫い付けたのだ。虎は消滅、代わって画幅の中に像が現れた。画虎の瞳は、描かれぬままの状態であった。仁は抑留を離れ、目出度く安房への帰途に就いた。ちょっとした邪魔はあるが、まぁ順調に旅を続けた。が、途中で馬が死んでしまった。仁は騎馬で旅をしていたのだ。他の犬士は主に徒歩で旅をしていたのに……、上京の折は海路をとった。一人だけ軟弱である。って、ソレは冗談で、仁は、お馬さんが好きな少年なのだ。その「走帆」と名付けた馬は、下心のある政元からプレゼントされたのだが、虎退治でも仁と行動を共にし、功績のあった名馬である。仁は丁重に馬を葬った。大きな布でくるんで埋めた。
仁は此の時、蘊蓄を垂れる。「我聞唐山古昔の制度に狗を埋るに蔽蓋を以し、馬を埋るに蔽帷を以すといへり。この事礼記の檀弓に載てあり」(百六十六回)。因みに、礼記檀弓下第四に、仁の引用箇所があるが、此処は平八郎が自著『剳記』の中で、孔子が仁に篤く且つ細かい配慮が出来る人物だと評する為に引用した部分でもある。また、礼記の当該箇所の直前が、有名な条「孔子過泰山側、有婦人哭於墓者而哀、夫子式而聴之、使子路問之曰子之哭也、一以重有憂者、而曰然、昔者吾舅死於虎、吾夫又死焉、今吾子又死焉、夫子曰何為不去也、曰無苛政、夫子曰小子識之、苛政猛於虎也(孔子が泰山の側を通りかかったとき、一人の婦人が墓の前で泣いていた。深い哀れを誘う声だった。孔子は車中で弔問の礼をとり、弟子の子路を遣わして婦人に問わしめた。その泣き方は、まるで度重なる不幸に翻弄されているように聞こえます。いったい何があったというのですか。婦人は答えた。仰る通りです。以前、舅を虎に殺されました。次に夫を虎に殺されました。そして今度は、子供を虎に殺されてしまったのです。孔子は重ねて問うた。何故そんな危険な土地から離れないのですか。婦人は答えた。此処で行われている政治は、酷くはありませんから。孔子は弟子達に云った。お前達、よく覚えておくが良い。苛政とは、民衆にとって、虎よりも酷い者だと)」。馬琴が、悪徳骨董商の刑死に当たって唐突に持ち出した「苛政は虎より酷しとぞいふなる、古人の格言思べし」の典拠である。
仁が安房へと向かっているとき、京では、ちょっとした事件が起こっていた。虎の画幅は当初の予定通り、足利義政の所蔵となっていた。……代金は一体だれに払ったのだろうかと思うが、若しかしたら、ちゃっかりタダでせしめたのかもしれない。好事家/珍しモン好きの義政は、この画幅を座右に掛けて喜んでいた。其処にフラリと禅宗の高僧・一休宗純が現れた。一休は、近世に於いても有名な坊様で、何種類か伝記も刊行されたようだ。その中での一休さんは、頓知が利くといぅか人を舐めきっているといぅか、奔放といぅか天衣無縫といぅか、まぁとにかく変なヤツだ。「衆道狂い(男色が好きで好きで堪らない)」と暴露され、少年にラブレターを送ったり得意の頓知でウマく思いを遂げたりしている。また、能の大成者・世阿弥のパトロン&愛人だった室町幕府三代将軍・足利義満に、絵の虎を捕らえよと命じられ、「だったら此の場で虎を絵から追い出してみろ」と切り返したって逸話も残っている。天皇の落胤だとも伝えられている。その一休さんが突如として義政を訪ね、云いたい放題に諫言する。「虎が暴れ回ったのは結局、お前のセイだ!」と。抑も虎の画幅が持ち込まれたのは、義政が珍器奇物を好み金に糸目を付けずに買い漁っていたからだ。そうでなきゃ、悪徳商人が跳梁し、怪しげな物を売りにも来なかった。そんな放蕩ばかりして、政を顧みないから、世が乱れているのだ。亡国である。亡国は、妖怪の跳梁によって、予言される。今回の画虎は、まさしく天の警告であった。「民の怨と鬼神の怒りの、やうやくに相蘊りて那妖艶の行童に変り、又無瞳の画虎と見れて、世を箴め人を驚したりけるを……」(百五十回)。
ならば一休さんは、画虎が実体化して暴れたことを肯定しているのかと云えば、聊か歯切れが悪い。続けて、こんな事を言っている。「一切衆生の眼あるも、多くは瞳なきが如し。こゝをもて、書を看れども文義を悟らず、是を名づけて文盲と云。甚しきに至ては、一字不通の無筆あり……中略……是等は眼ありながら、眼の用を做さざる者にて、よく思へば皆瞳子なし。豈只這画虎のみならんや……中略……譬ば、本性奸佞にて、且邪智ある者、或は亦庸才なるも、憖に漢学して眼其用を做すときは、心高慢り己に惚て、博に誇り俗を欺き、利を尋ね名を鬻ぎて、反て身を修め心を正しくし、家を成し、道を行ふ、真の学問には疎にて、只世俗を非とし賤しめて、身は是魔界に在るを思はず、甚だしきに至りては、乱を起して刑せられ、衆と争ふて兵せらる。かくの如き白物の、悪名を貽すが如きは、瞳子なかりし這虎の、眼に点して遂に那禍事を惹出せしと、亦年を同くして論ずべし。……中略……眼目の資助は人によるべし」
即ち一休さんは、虎の実体化を政権の腐敗・退廃のためだとして責任を追及しつつも、虎そのものに対しては否定的なのだ。また、従来、八犬伝読みの先人たちは、この画虎実体化事件を、大塩平八郎の乱に重ねて見てきた。是認すべき解釈であろう。確かに大塩の乱の首謀者、平八郎の、高慢だとか何だとか、特殊なパーソナリティー故に起こされたものだとも、当時は説明されていた。甚だしきに至っては、いや、それは平八郎に対する幕府の判決文だが、養子の嫁にと引き取った娘を姦したとか、事件そのものとは全く関係のない人格批判を行っていたりする。因みに、平八郎が養子の許嫁を姦したなどということはなく、単に平八郎への心証を悪くするための誹謗中傷であると、当時に於いてさえ論証されていたりするようだから、却って幕府のヒステリックな狼狽ぶりを示していよう。だが、まだ幕府の権力は強大だった。少なくとも公刊の場で、あからさまな批判は慎むべきものだった。コレは則ち、幕府に敵対する者を批判しなければならないことをも意味する。敵に敵対しない者は即ち敵であるという、幼稚でヒステリックな心性が陥り易いトンチンカンを幕府が有していたならば、もしくは有していると目されていたならば、庶民は保身のために、幕府に敵する者にこそ敵対する態度を見せねばならない。それは心の真実を表現したものではない。処世術といぅヤツだ。
とはいえ、私は馬琴が保身のために、心にもなく虎の実体化に、<下手に学問して慢心した者が、智恵を付けて今まで見えなかったモノが見えだしたため不磨をもつに至り、暴動を起こした>との隠喩を付したと断言したいワケではない。まぁ、その気持ちは嘘ではなかっただろう。ただ、一休さんの会話文中、虎を聖なるものと規定して権力の腐敗・退廃を責める部分と、虎への否定的な評価の部分は、文章表記上かなり接続がギコチない。義政への批判が飽くまで本筋であり虎への否定的評価は<取って付けた>印象が拭えないのだけれども、まぁ、其処までは追及できない。義挙であろうが暴動であろうが、多くの人々が命を落とし傷付き焼け出されたとしたら、その行為を肯定評価することは出来ない。馬琴が、例えば一休さんの如き仏教者にシンパを抱いていたならば、禅宗を排撃した平八郎より一休さんの立場に近かったなら、尚更だ。
上記要約で、仁を除いて、キーパーソンは三人いる。巽の配偶者、細川政元、そして一休宗純だ。巽は重要な機能を果たすが、彼の転機は、駆け落ちも再び堕落して稚児に見放されるのも、配偶者の存在に依る。鍵となるのは、配偶者の方である。このキーパーソン、考えてみれば皆、変態だ。一休さんは、まぁ八犬伝中ではオイタをせずに澄ましているが、要約の中に滑り込ませた如く、変態和尚だった(ことに少なくとも近世ではなっていた)。政元が愛宕信仰、即ちダキニ法の熱心な行者であったことは、どうやら事実であったようだから女色を注意深く避けた事も本当だろう。男色に耽っていたとしても、不自然ではない。
しかしまぁ、モノは考えようである。一休さんも政元も、仏教の禁忌故に女色を自ら禁じ以て男色に流れたと考えられなくもない。いや、一休さんの場合は、女性とのラブレター交換や、人妻や若い娘に言い寄った話も残ってはいるが、子供の頃からソンナだったとは聞いていない。三つ子の魂百までと云うではないか、子供の頃、セクシャリティーの確立期に、女色を禁じる環境の中で育ったために男色へと流れたとするならば、そりゃぁやっぱり、環境のセイだろう。また、外法もしくはダキニ法は「仏教ではない」と云う方もおられようが、素人から見れば、仏教の内だ。
一休さんと政元は、その環境になければ、男色家にならなかったかもしれない。しかし、巽の配偶者だけは、別だ。彼女は、女性である。挿し絵を見ると、ボーイッシュで、けっこう可愛いかったりするが、その容姿を以て巽と不倫、元の夫を裏切って九州から駆け落ちしてきた<好色女>である。そんな彼女が、夫と見知らぬ少年が一つ屋根で過ごし事を以て、<ヤったんだろう!>とキメ付ける。かなり不自然である。そりゃぁ、「稚児」には、僧侶の<性的対象(desired)>なニュアンスも確かにある。しかし、だからといって、キメ付けるか? 普通。夫が斯道を嗜んだ<前科>があれば、また別だが、そんな設定には、八犬伝は触れていない。まぁ、九州薩摩の男色は(事実か否かは措いといて)有名だったし、鍋島家中の山本といぅ侍(致仕済み)は『葉隠(聞書)』と銘打った男色の教科書みたいな本を云い残してたりもするが、九州の人間を男色家とキメ付ける<常識>でもあったのか? そんなら巽の出身地・豊後を後に名前とする小文吾は、男色家なのか? ……まぁその疑いは皆無ではないが。
巽の妻、夫との爛れたセックスに溺れるだけでは飽き足らず、夫と男の子のセックスを妄想したのだ。一休さんや政元より、変態だ。二人は、まぁ性欲の存在を前提とするならば、<仕方無しに>男色に走ったとも弁護し得る。しかし、巽の配偶者には、そんな必要はない。<好きで>オトコとオトコのセックスを妄想したのだ。これを変態と云わずして、何をか変態と云う。
……此処で疑問が涌く。巽の配偶者が女性であるとの前提に立てば、確かに変態だ。では、男性であるとの前提に立てば? ……やっぱり変態である。しかし、変態は変態でも、両者の質は相違する。巽の配偶者が男性であれば、唐突に夫が男色を犯したとキメつけるトンチンカンは、不自然ではなくなるのだ。男性なら、男性である巽とのセックスに溺れていたなら、他の男性と巽が仲良く一つ屋根で過ごせば、<ヤったんでしょ!>と激しく嫉妬しキメ付けることは、不自然でなくなるのだ。そういえば、巽の配偶者、当時の女性としては、何だか妙な名前だったが……。そうそう、巽の配偶者の名前は、「於兎子」だった。「オトコ」である。だから、オトコとオトコのセックスは、当たり前、自分が日常で、やってることなのだ。だから,夫と稚児の間に性交渉があったと疑うことは、正当なのである。
「●●子」といぅ女性名は、前近代には主に貴人に使われ、庶民や下級武士の女性名に、決して使われなかったとは云わないが、少なくともフィクションの中で使ったら不自然な印象を与えかねない。ベテラン作家・馬琴が、そんな失敗をする筈もない。何かの必要があって、名付けたに違いない。「於兎(オト)」でも立派に女性名として通用する筈なのに、わざわざ「於兎子」と付けた以上は、やはり「オトコ」と読ませたかったからだろう。但し、作中では、あくまで女性として描かれている。だから、オトコは完全なオトコではないが、オトコの形質を有するモノと考えられる。巽はオトコを妻としていた、だから他でもない「稚児」、性的な対象との含意を有つ種の男性が訪れる。配偶者であるオトコが、関係を邪推する。<男色>を媒介に、一連の事実は、イメージ上の連鎖をする。とりあえずは、そういうことにしておこう。
しかし、それだけでは不十分だ。単純すぎる。相手は馬琴だ。もう一歩だけ妄想を進めよう。於兎子は、オトコである。但し、やはり、女性である。即ち、於兎子は、或る男性をモデルにしていると、私は疑っている。そして、だからこそ、於兎子は稚児と誤認され殺された。いや、ソレは誤認ではなく、両者は共通した何かだった。彼女は、稚児でもあったのだ。そして更に彼女は、怨念を消去された八百比丘尼でもある。同時に、仁の気が最高潮に達することを約束する存在でもあるのだ。この説明には、少々行数を要する。残念ながら、此処ではできない。またの機会、「虎、トラ、寅」まで、ご機嫌よう。
(お粗末様)