試論「海の記憶」
ポタラカPotalakaぽたぁらかぁ。ポタラカ、何と気持ちの良い響きであろうか。ぽたらか、それは愛。補陀落、それは慈しみ。ポタラカ、それは抱擁。Potalaka、それは諦め、そして死……。南の海の、海の底、其処に補陀落は在った。
補陀落が日本に幾つも在ったと述べたが、信仰上は那智が最重要として、政治的な話になると別だ。政治的に最も重要な<聖地>、何だか変な日本語だが、近世に於いては、忘れてならない場所が他にある。日光だ。日光も、補陀落だ。抑も日光、中世以前の表記は「二荒」である。近世では、街道といい奉行といい東照宮といい、「日光」だから、此方が一般的表記だろう。にも拘わらず馬琴が「二荒」と表記したのは、考証好きの為せる業か単なる古いモノ好きか……。「二荒」は「フタラ」、補陀落に由来する。
補陀落は山であり、海底である。この矛盾を孕む立地は、蓬莱を思い出させる。元々補陀落は観音の所在であるが、大唐西域記では、南印度の実在する土地だ。台記などでは、「南」としか書いていない。古代から中世初頭、発心集といい台記といい、補陀落を目指す者は南に向かった。そして、後は耶蘇会宣教師が報告している如く、海底にこそ補陀落は在った。<補陀落の本場>熊野は那智の補陀洛山寺では、住持は代々補陀落渡海を行う定めだった。海に沈んだのである。近世前期までは続いた慣例らしい。(理念としての観音在所)→(南印度の南端)→(南海の彼方)→(海底)と、補陀落は徐々に移動していった。このうち「南海の彼方」以後は日本独自の展開のようだ。また、「海底」は、蓬莱との混淆を想定させる。中国の「補陀迦山伝」は、仏教と道教を差別化する為に両者を対置したが、此の事は、はしなくも両者の親近性を露呈している。暗に、混淆の可能性を認めてしまっているのだ。
「日本ちゃちゃちゃっ」に於いて、八犬伝と、日本武尊の愛妃・弟橘姫に関連があると述べた。弟橘姫は、相模?安房の海底に沈んだ。此の事自体は、道教や仏教以前の、強いて言えば原始的神道呪術の痕跡を垣間見せているのだろう。事実は変わらない、しかし、解釈は変わる。蓬莱を知り、補陀落を知った、我々の祖先、いや、馬琴は、弟橘姫に、如何ような解釈を下したであろうか……。
「猫にゃんにゃんにゃん」に於いて、大角登場譚に「璧返」なる地名を、馬琴が捏造したと述べた。捏造は、何等かの積極的意思を伴う。やはり、如何しても「璧返」なる字面を使いたかったのだろう。「璧返」は、北へ向かう信の玉/現八を関東に返し、体内に礼の玉を蔵した雛衣は大角に玉を返した。また、大角が犬士の群に入ったことで、八つの玉が安房に戻ることが、ほぼ決定した。璧返は、まさに、最後の犬士が潜むに相応しい地名である。
さて、八犬伝を主宰する役行者が何者かと云えば、変なオジサンである。神変大菩薩とか偉そうに名乗っているが、妖しい術を駆使する、危険な存在だ。彼は、新たな教義を建てた宗教理論家ではなく、宗教/オカルトを実践した、呪術者の相貌を持つ。信仰の人というよりは、彼自身が信仰の対象であった。教義/論理によって心の魔を払うのではなく、<物理的なパワー>をこそ求めた。彼の後継者たちを、修験者と呼ぶ。
観音様ほど有名な仏はおるまいから、皆さん御存知だとは思うけれども、話の都合で、其の性格を聊か述べてみよう。まず、重要な特徴として上げられるのは、<変態>である。観音様といえば、変態だ。いっぱい変態ある! 変態(バリアント)が、いっぱいあるのだ。
法華経なる経典がある。日本に於いては、根本聖典として扱われてきた。「南無妙法蓮華経」とは即ち、此に対する信仰だ。現在では偽経の疑いが濃厚だけれども、まぁ、文学として仲々に面白いから、価値はある。とにかく過去に於いては信じられていたのだから、無視は出来ない。法華経は全部で<八巻>だ。伏姫は、結局たる八巻を信奉していた。此の八巻には、もしかしたら日本で最も愛読されたかもしれぬ章が含まれている。「観世音菩薩普門品第二十五」だ。「普門」とは普(アマネ)き門、全方位に開いている口のことである。梵語で、サマンタ・ムカ、観世音菩薩の別名だ。即ち、「観世音菩薩」と「普門」は重複なのだが、細かい事を言うのは止そう。
無尽意菩薩白仏言世尊観世音菩薩云何遊此娑婆世界……中略……仏告無尽意菩薩……中略……若有国土衆生応以仏身得度者観世音菩薩即現仏身而為説法応以辟支仏身而為説法応以声聞身得度者則現声聞身而為説法応梵王身得度者則現梵王身而為説法……帝釈……自在天……大自在天……天大将軍……毘沙門……小王……長者……居士……宰官……婆羅門……比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷……長者居士宰官婆羅門婦女……童男・童女……天・竜・夜叉・乾●(モンガマエに達)婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩●(目に侯)羅伽……執金剛神……是観世音菩薩成就如是功徳以種種形遊諸国土度脱衆生賛……
観世音変態の特徴は上記の表現に求められる。「若有国土衆生応以仏身得度者観世音菩薩即現仏身而為説法(若シ国土衆生ノ以テ仏身ニ応ジ得度スベキ者アレバ観世音菩薩ハ即チ仏身ニ現ジ説法ヲ為ス)……」、迷える衆生が受け入れ易い形に変化し救済を施す。最も効果的な説法を試みるのだ。仏でも天/神でも、竜など八部衆/精霊でも比丘ら宗教者でも、長者や宰官など権威ある者にでも、救済を求める者に対し説得力のある形を採る。変化の形態が上記の如く三十三種。三十三、其れは「観世音菩薩」を暗示する数字なのだ。まぁ、多分、単なる<数合わせ>であり、<とにかく何にでもなる>って言いたいだけなのだろうけども。則ち、観音は何処にでも現れるだけでなく、何にでも変態するのだ。すごい変態ぶりである。
また、この変態菩薩には、海神の性格もある。三蔵法師「大唐西域記」にある如く、印度南浜の補陀落(もしくは其の麓)は、島国(僧伽羅国)への窓口であった。上と同じく「観世音菩薩普門品第二十五」に、以下の記述がある。
若為大水所漂称其名号即得浅処若有百千万億衆生為求金銀瑠璃車渠馬脳珊瑚琥珀真珠等宝入於大海仮令黒風吹其船舫飄堕羅刹鬼国其中若有乃至一人称観世音菩薩名者是諸人等皆得解脱羅刹之難以是因縁名観世音
此の記述から観音は、元来は何者だったか知らないが、遅くとも法華経成立時までには、<航海者を守護する者>即ち<海神>の性格を持つに至っていた。「結果WholeRight」でチラと中国に於ける「補陀落」、小白華山に就いて触れたが、抑も此の山が補陀落に擬せられた所以は、海難に遭った日本人僧侶が観音に助けられたってオハナシがあるからだ。また、日本に於いても、古くは風土記に、海で遭難した者を観音が救助する話が載せられている。全国には「観音崎」なんて地名があり、観音が海神として解釈されたことを微かに伝えている。一方、八犬伝で重要な機能を有する洲崎明神は、海神でもある。観音は女性に擬せられることがある。ともに<海の女神>とも言い得る。両者の混淆は、容易であろう。また、洲崎明神と弟橘姫の間に無視できぬ関係があると、「日本ちゃちゃちゃっ」で断じた。いや、別に二人が同性愛関係にあると、強いて主張したいワケではない。勿論、否定もしないが……。
更に云えば、観音、異教に於ける(水の)女神が起源だとも云い、其れ故か、日本近世では女性っぽい像となる場合が多い。また、<全方位に開いた門>なる渾名は、ちょっと語弊があるけれども、<誰でも入る/入れることが可能>、イメージは売笑女性/男性にまで拡がり得る。
そんなこんなで、とにかく、観世音といえば、<三十三>なのだ。因みに私は、西暦一九九九年五月現在、三十三歳である。関係ないけど。えぇっと、だから、原則として、観音信仰の巡礼は三十三箇所となる。那智山青岸渡寺を一番とする西国三十三箇所をはじめ、坂東なんかが有名だ。江戸期には全国的なものが九十二ルートあったらしい。近代以降に新しく設定されたものもある。下野など、一国単位で設定されたものも多い。甲斐三十三箇所には、指月院ならぬ「心月院」なんてのもある。<日本で観音信仰が広く根付いていた証左>である(「火にして水なる者」参照)。
最古の三十三箇所は「西国」だが、近世では関八州を巡る「坂東三十三箇所」だってメジャーだったろう。鎌倉杉本寺をスタートした巡礼は、江戸浅草寺(十三番)などを通って北上、補陀落浄土に比定された日光・中善寺(十八番)、正に璧返の近くだろうが、其処で折り返し房総半島を急速に南下、千葉寺(二十九番)に立ち寄って三十三番打ち止め、もう一つの補陀落浄土へと辿り着く。行程約千三百キロ。日本の長さの半分ほどか。西国巡礼より三百キロばかり余計だ。
坂東三十三箇所は、十三世紀ごろに成立したらしい。鎌倉幕府があった時代だ。だから鎌倉から出発する点は、何となく納得できる。観音巡礼なのだから、ほぼ中間の十八番に、古来より補陀落に比定されていた日光/二荒山を設定、璧返ぢゃなかった折り返すのは、当たり前と言えば当たり前だ。そして、御丁寧にも、最後に再び補陀落を設定している。三十三番、安房館山の那古寺である。
那古寺は、伏姫が籠もった富山から役行者ゆかりの洲崎神社に向かう行程の、ほぼ中間点だったりもする。そして、安房にも一国単位の観音巡礼があった。<安房三十四箇所>である。出発点は、此の那古寺だ。行基菩薩が海中から出現した柳の霊木を千手観音像に刻み安置した事が、縁起となっている。また、「那古」七郎は小文吾と親兵衛の祖先でもある。
那古寺を後にした巡礼は、「房総第一の仏地」(百八十勝回中編)鋸山の日本寺(八番)で弟橘姫が入水した海を眺望し、富山に登って福満寺(十二番)に詣で、延命寺(二十四番)を経由、最西端の観音寺(三十番)で折り返し、三十三番・観音院で打ち止めかと思ったら更に北上して、何故だか「三十四番」大山寺(滝本堂)まで行かねばならない。大山寺が、安房観音霊場の結局なのだ。
因みに、観音霊場は、原則としては三十三箇所なんだけれども、三十四箇所ってぇのもあり得た。実は、有名な秩父の観音霊場も「三十四箇所」である。ソレといぅのは、中世以降、「百箇所参り」ってのが行われるようになった。キリの良い数字は、何だか安定感があって、落ち着くんだろう。が、「三十三箇所」を三つ回っても、九十九にしかならない。そんで、「三十四箇所」に設定し直したりしたらしい。三十三箇所を二つ、三十四箇所を一つ回れば、百になる。安房の場合は、観音院までの三十三箇所だったのが、勢力の強い大山寺が割り込む形で、三十四箇所になったとも云う。三十三が原則、三十四は変態(バリアント)なんだけど許されるようだ。
言葉遊びをしよう。前近代、神仏は習合された。仏を日本の神々の本地/正体と規定した、本地垂迹説が行われた。仏教を主、神道を従とした、混淆だ。仏のうち観音は、水の女神を起源としているかもしれず、少なくとも日本に於いては海神の相貌を強く持っている。ならば、観音と習合された神は、やはり海神たる性格を有す、筈だ。また、別当寺ってのもある。別当寺は神社に付く。神社に付いて、管理を行ったりする。この場合、別当寺の仏は、管理する社の神と、密接な関係がある。習合されるのだ。本地仏である。別当寺の仏こそ、社にいます神の正体だ。
観音霊場である安房三十四箇所には、幾つか気になる寺がある。三十番の観音寺も、其の一つだ。近世の朱印で五石ほどか、小刹で、今や住持は数カ寺と掛け持ちだ。昼間は保育園になっている。が、八犬伝を読む上では、無視できぬ大きな存在だ。此の寺は、幾らかの民家によって隔てられているのみ、ほぼ海に直面している。或る山の麓に在るが、境内の崖には怪しい石窟がある。役行者が修行した場所らしい。涸れずに湧き出る泉も嘗て在ったと云う。房総志料に拠れば、泉は「独鈷水」と呼ばれていた。また、同寺は隣接する神社の別当寺だった。隣接する神社とは、安房一宮、洲崎明神である。因みに、同寺は養老寺と俗称されていた。
洲崎明神、太陽神の眷属であり太陽復活を祈る者でもある彼女は、仏教の下では観音となる。また、行基菩薩が弟橘姫を観音の権化と感得して刻んだ十一面観音を祀った寺が、三浦半島にはある。観音寺(横須賀市)の船守観音である。洲崎の女神と弟橘姫が共に、観音であることは興味深い。弟橘姫は海神の求めに応じて波間に沈んだ。観音が観音に欲情して掠奪したのだ。コレは同性愛なんて甘っちょろいものではない。自分で自分をRape/掠奪したのである。……なんてことはなくて、行基菩薩は弟橘姫の入水に<補陀落渡海>を見たのだろう。
伏姫は、名前から考えれば、<里見家に襲いかかる呪いを一身に引き受け自らを里見家から追放することで浄化する機能>を持たされている。いや、<我が身を切り裂くことで漸く呪いを浄化する端緒となる>と、言い換えようか。彼女の正体は観音であった。また、伏姫は三歳まで何かに取り憑かれた如く笑わず、洲崎参拝で初めて笑った、みたいな書き方を八犬伝はしている。まるで朝夷巡島記の阿三郎みたいだ。阿三郎、後の朝夷三郎は、海を巡る冒険者となる。このような、海、就中、南海に対する憧れは、琉球まで舞台を広げた椿説弓張月にも窺える。
役行者の数珠によって、伏姫の憑き物は落ちたのだろうか? 本文の表記からすれば、<逆>でも良い。憑き物が落ちたのではなく、洲崎参拝によって、役行者に玉の数珠を与えられることによって、<何かに取り憑かれた>と考えても、別に構いはしない。元々呪われた存在であり、不幸な最期は予め定まっていたのだ。それは、彼女が「伏姫」と名付けられた時点で決定した、運命である。運命は変わらない。が、現象は変わらなくとも、意味合いは変わり得る。彼女自身の運命は変わらなくとも、其の禍を後に福へと変換する力が、彼女に与えられた、と考えたい。弟橘姫が取り憑いたとすれば、伏姫が得た力とは、<愛しき者を守ろうとする勇気>であったかもしれない。愛する日本武尊の為に我が身を波間に沈めた弟橘姫が洲崎を経由して、伏姫となり、富山で観音に戻る。この様に読んでくると、富山が<フサン>に見えてくる。フサン、補陀落山だ。また、古来、蓬莱に比定されてきた富士山、役行者の縁地ともダブってくる。始皇の命で蓬莱を探し回った徐福は、補陀落信仰と無関係ではない熊野新宮の近くに今も眠っている。其処が、即ち蓬莱だ。<海の彼方にある仙境>蓬莱と、海神たる観音の浄土・補陀落は、嘗て人々の心で二重写しになっていた。両者は共に海中にあり、且つ天空に聳えていた。海であり山である此の霊地は、里見の本貫・下野に於いては、日光に比定されていた。そして多分、洲崎や富山も無縁ではない。何たって<観音の在処>だ。補陀落出張所ぐらいの資格は十分にある。
近代、柳田国男は、折口信夫は、黒潮に着目し、日本人の祖先が南海から来たと喝破した。黒潮は、補陀落渡海のメッカ、土佐室戸や紀伊熊野を過ぎり、安房へと流れ行く。房総志料にも、「房総負海の砂民の習俗尽く南紀の人にならへり」「洲崎の人かたりしは洲崎と紀州の難地と相対すと。先年、彼土の海人陸を離る丶事数十許里にして風力甚捷北風に放たる。陸を顧に洲崎の山打綿の如見ゆ。又南に当りて霞の如き高き山みゆ。何れの地といふ事しらず。時に浪華の賈舶進み近く。幸にして相ともに浦賀海に至り郷に帰ぬ。此時賈舶のかたりしは霞の如くみへしは紀州の難地洲崎と海面相距る事やうやく百里に不充と」とある如く、近世、既に紀伊と安房の海は密接に繋がっていた。両点間の延長線上に多分、補陀落はある。補陀落信仰の一側面は、<海への憧憬>だ。朝夷巡島記で椿説弓張月で、馬琴は、海の彼方への憧れを隠してはいない。一方、八犬伝では、海の存在は目立たない。しかし、騙されてはならぬ。八犬伝に於いては<海の彼方>ではなく、海そのものが重要なのだ。「日本ちゃちゃちゃっ」で、海上法会が特別な意義をもつと述べた。また、西国へ使いに出された田税逸時らは途中、船から海上へ降ろされた。海神を鎮めるためだ。海に神が居るとは、言い換えれば、<海が意思をもつ>ことを示している。勿論、赤岩庚申山には木霊がおり山の神がいる。八犬伝は、万物に精霊が宿る、<八百万の神の国>なのだ。海も単なる<地理的状況>に留まらない、特別な意味をもつモノとなる。
江戸から見ると南の海、安房洲崎沖には弟橘姫が沈んでいる。彼女は観音と習合された。観音は、地蔵菩薩と同様に、屡々信仰者の身代わりとなって犠牲を引き受ける。里見一族への呪いを一身に集めた挙げ句に自らを追放した誰かさんみたいだ。また、多分、弟橘姫は観音を本地仏とする洲崎明神とも親(チカ)しい存在であろう。そして、八犬伝世界に於ける観音の示現が、八犬伝世界を懐胎した他ならぬ伏姫であった。大悲もて人々を、いや、全てを包み込む観音は、全てを呑み込む海そのものだ。八犬伝の母は、此の、海なる者ではなかったか。馬琴は幼少時、海の近くに住んでいた。三つ子の魂百まで、ではないが、幼少時の記憶は<絶対>である。其の絶対性を裏書きするは、ヒトに刻み込まれた太古の記憶かもしれない。馬琴を衝き動して八犬伝を書かしめたモノは、此の<海の記憶>ではなかったか……。
お粗末様