本編「準犬士・政木大全」
嘗て海には、海の民がいた。全国を一統に支配する権力以前、各地の海には、自立した小権力が存在していた。また、陸上を主な基盤としつつ、強力な水軍を擁する者達もいた。例えば、海国・安房の里見家などだ。八犬伝では、海に強い大名として、三浦氏が登場している。此の三浦氏の支族が何時の間にやら里見家の重臣になっていたりする。正木一族だ。「正木家譜」(紀州家の重臣として存続した正木庶流の系図)に拠ると、正木氏の祖・時綱は、桓武平氏良文流・三浦義同の孫となっている。同系図には義同の末子とする説も紹介されいるが、何連にせよ、三浦支族だ。大多喜に拠った正木宗家は歴代、天皇の食膳を掌る官職・大膳を名乗った。因みに「お狸様?」で、「本朝月令」が引用した「高橋氏文」に拠って、洲崎明神の配偶たる安房大神は「大膳職祭神」であると紹介したが……、まぁ、話を進めよう。
重臣とは謂っても正木一族、里見にとって<格下の盟友>って感じだ。他領にも知られた、有力な氏族であった。が、或る時、正木大膳家は断絶の危機に見舞われた。主筋の里見は正木大膳家が断絶することを惜しみ、急遽、二男坊だかを跡継ぎとして派遣、家名を嗣がせた。正木大膳家は、実質上、里見の分家となる。勿論、温情とかではなく多分、強大になった正木家の兵力・人材などが散逸することを恐れたが故の緊急措置であったろう。
話は逸れるけれども、正木一族のうち、勝浦に拠った分家から、重要人物が輩出する。勝浦が本多忠勝のために落とされた時、一人の姫君が脱出した。三十メートルの絶壁を、布サラシ一本に縋って降りたという。此の雄々しい姫君が、否定する史料もあるようだけれども、家康の側室・万だ。現代風かつ上品に云えば、お万子様、まるで<観音様>だけれども、万、頼宣・頼房を産んだ。御三家のうち、紀州・水戸の藩祖である。
紀州家は八代将軍・吉宗を出した。御三家とは別に、吉宗を源とする血のプールが新たに作られた。御三卿である。こりゃまぁ単に、或るとき全権を掌握したグループが自らの権益を維持する為に採った政治的な方策に過ぎないかもしれないが、見方を変えれば、なかなか興味深い事例だ。八代までに、幕府創設者・家康の<血>は徐々に薄まる。当たり前だ。薄まった血を、更に分岐して如何する? 吉宗を家康そのものへの先祖返り、若しくは同様の聖なる存在と考えて初めて、新たなる分岐が許されるだろう。勿論、家康以外の先行事例として、三代・家光がいる。家光から別れた家から五代・綱吉、六代・家宣が宗家を襲った。
三代と八代は特別だったようだ。嘘の三八……あ、いや、まぁ、とにかく、八代以降、徳川宗家は吉宗の血脈によってリレーされる。御三家筆頭であり歴代、大納言に補任された尾張・名古屋藩は、時々話ぐらいはあったようだが、結局、将軍位は嗣がなかった。勿論、吉宗の将軍に継承は、周到な計画性による準備と俊敏に行動した家臣団の活躍に依るのであるが、人材に恵まれ獲得でき期待通りの動きをしてもらえた事自体、吉宗の幸運であるし、何より、偶々バカがライバルだったってぇのは、如何考えても巡り合わせ、ラッキーだ。何かの(広い意味での)加護があったのかもしれない。因みに、ごろつき老中・松平越中褌担ぎ定信は、吉宗の孫に当たる。
ウジャウジャ云ってきたけれども、兎に角、万、此の里見絡みの女性が、十八世紀以降十九世紀半ばまで、日本を支配した血の源であるのだ。蛇足すれば、万は、熱心な日蓮宗の信者だったらしい。閑話休題。
海族・三浦の氏族として海国・安房の里見家と密接な関係にあった正木家の祖は、八犬伝に於いて、政木大全として登場する。大全は、まぁ色々あって、ポッと出のクセして、里見家に城主格で迎えられる。破格の厚遇であるが、能力もあった。仕えることになり、彼は国内を巡検する。此の巡検に関する記述が、彼の性格を如実に規定している。彼は持ち前の観察眼を発揮、国府台城の弱点を指摘した。馬琴はワザワザ「信乃・毛野も気付かなかったことだが」と言い添えている。智恵自慢の二人と較べられているのだから大全、やはり大した奴だ。
で、大全に関し、国内巡検に、も一つ興味深い記述がある。上総国雑色村(現在は大原町造式)で狐の化石と対面するのだ。対面は、約束されたものであった。話は三年前に遡る。
武蔵・上野を通りかかった親兵衛は、茶店に入った。茶店の老婆が、苦々しげに、忠義の士・河鯉孝嗣が無実の罪で処刑されそうだと語る。我等が犬士・親兵衛が、哀れな青年の為に大活躍するかというと、此のガキ、何もしない。注目すべきは、茶店の老婆だ。
此の老婆、実は狐だった。が、そんじょ其処等の狐ではない。既に数百の齢を重ね、将に狐の最終形態・竜狐とならんとする、妖獣であった。彼女は仲間の狐を動員して酷吏を化かし、孝嗣を刑場から救い出した。彼女が姿を消している間に、孝嗣と親兵衛は出会う。獄に繋がれ暫く禁欲を強いられていた孝嗣は、誘惑しようと狸寝入りする親兵衛の白い胸元にフラフラと手を伸ばし……、契りを結んだ二人の前に再び狐たる老婆が現れた。老婆は孝嗣との因縁を語った。
彼女は、嘗て孝嗣の乳母であった。孝嗣の母は、動物好きの善い人だった。狐に情けをかけた。狐は恩に報いるため「政木」なる女性に化け、孝嗣の乳母となった。忠なる哉、忠。信なる哉、信。義経千本桜ではないが、狐は親子の情愛深い動物だ。政木狐は、世話をするうち、孝嗣を深く愛するようになった。此の場合の愛は、一体感と類義である。彼女は、油断した。孝嗣に添い寝したときであったが、油断して正体を顕わしてしまった。目覚めた孝嗣は、「政木が狗児(ワンワン)になっちゃったよぉ」と騒いだ。鶴の恩返しでも、正体がバレたら別離を迎える定めだ。政木狐は、孝嗣と別れねばならなかった。彼女は一旦、庭の植え込みに隠れた。自分を探し惑う幼い孝嗣を見つめ、涙した。夜となり、闇に紛れ去る政木狐。彼女は何度、振り返ったろうか。それとも振り切るように、敢えて疾走したろうか。とにかく、二人は別離した。
孝嗣との因縁を語り終え、政木狐は付け加えた。「自分は功徳を積んだ為、龍狐として昇天する。命数は三年で尽きるが、石となって雑色村に墜ちるであろう」。言い残して、白竜と変じ、姿を消した。三年後、雑色村・金光寺を偶然に訪れた孝嗣の正に眼前へ、竜狐の化石が降ってきた。約束は、果たされた。なかなか印象深いエピソードである。犬士に纏わる挿話に対し、質・量ともにヒケをとらない。
房総志料には、
一、雑色村に医王山金光寺と云台家の貧刹あり。相伝、広常が男の菩提院也と。山足をうがち室とし広常が石塔とて無銘の五輪を置。高さ一尺許。其体甚古質。土人瘧を治するに苔蘇を剥て冷水に投じ呑しむ。後人祝る者、五輪の小なるを訝る。然ども此比の俗墓上の雑誌に五輪を建るは唯一遍に功徳とのみ心得、會て不朽に意なし。又鎌倉応神廟の傍頼朝の墓上に置所の塔、其他名家の墓上の塔にも倶に無銘にして大ならず。是俗、古俗をしるべし
一、雑色村の人語りしは金光寺は古金剛院と云真言派の修験の住し所と。むかし堂上に大日の像を安ぜしが何の比にや隣村大井十王堂の僧奪去ると。意に金剛院は広常が祈願所なるべし。寺となりしは国初以後のことと見へたり。又大日は真言家に信ずるなれば、さもありぬべし。旧号を襲ざるものは真言派ならざれば也。或後世愚昧の僧剛と光と方音近ければ金光寺と号せるにや
一、同じ人の説に古金光寺に狐塚と称せし所有。今其地分明ならず。相伝鎌倉の比狐霊を祀ると。故に土俗相伝て狐塚金光寺と称す。後人狐塚の号俚なるを悪み代るに今の号を以てすと。又寺宝に野狐の媚珠一顆ありしが今は失すと。旧伝康治帝即位の後妖狐宮女玉藻と化し枕席に近て後顕て下毛野那須野に走る。帝三浦上総の両介に命じ狩しむ。是亦みつべし。玉藻がこと素怪談採るに足ざるも姑広常が身上にちなみ後人仮託せるなれば拠あるに似たり
とある。房総志料は、批判的ではあるけれども、金光寺の「狐塚」が玉藻前伝説を関わっているとの「旧伝」を紹介している。また、同寺には嘗て「野狐の媚珠」が有ったとも書いている。対して八犬伝では、同寺の狐塚は、善なる政木狐の遺跡であって玉藻前との関係は強く否定されているし、野狐の媚珠も出てこない。即ち、八犬伝は、房総志料に依拠しつつ、其処から意識的に距離を開けている、と云える。馬琴個人の発想に依るのか、はたまた別ルートの情報があったかを想定させる。何連が正解かは即断できないけれども、取り敢えずは、馬琴が八犬伝世界の構築に都合良く、房総志料の情報を捻じ曲げた、と考える。ってなぁ、房総志料を馬琴が読んでいたのは疑いようのない事実であるから、同書の記述が八犬伝に直接反映されていないこと自体、馬琴の積極性の証左である。別ルートの情報があったとて、ソレを選択したのは、馬琴の意思だ。馬琴の琴線に触れたが故に選択されたのならば、結局、<別ルートの情報>と<馬琴の発想>とは、似たよぉなもんだ。情報は、無限に存在し得る。何を選択し繋ぎ合わせるかは、<発想>に依る。
政木、史実では「正木」と繁く表記される安房の戦国武将は、八犬伝通りに大田木(大多喜)に宗家が在った。雑色村は、東南東に約十キロ離れているに過ぎない。平広常関連の遺跡に大全を結び付けたのは、第一義には、地の利故であったろう。勿論、前提として、大全は狐と関連付けられねばならぬ理由があったのだろう。狐と関連付けなければならない所に、偶々都合良く、大瀧の比較的近くに<狐関連>の寺があった。
……とは実は云いたくない。凡俗に天才の発想を窺うことは不可能だが、若しかしたら馬琴ほどともなれば、蓄積したきた情報が、一時に或る完成したイメージを構築してしまうものかもしれない。ドチラを先に考えたとか後から付け足したとかではなく、思い付いたイメージが既に、構成する個々の情報が互いに響き合うような形で完成されていたのかもしれない、と夢想する。考えて、こんな緻密な話を書こうとしたら、それこそ発狂してしまうだろう。天才の、天才たる所以だ。しかし、其の天才の<自動手記>は、考えてないからって論理から外れるものぢゃぁない。外れたら単なる落書きだ。人の心を撃つとは、即ち、共通のココロ、心の論理を前提としている。多くの人々の心に響くとなれば、尚更だ。天才を言い換えれば、<自然の小児>ともなるか。自然の小児は無心であるが故に、人々の心を確実に射抜くのだ。脱線である。
大瀧の比較的近く、偶々、狐に縁ある寺があった。しかし、構築したい世界に必要な情報そのままではない。ならば、如何するか。決まっている。捻じ曲げりゃぁ良い。小説なんて、どうせ、嘘っぱちだ。現実ではない。……現実は、イデア世界の<不完全な写し絵>だ。イデアを優先させれば、実は、現実の方が<嘘っぱち>となる。夢こそが真(マコト)。冗談だけどもね……。
そんなこんなで、其処等辺の事情が、金光寺住持と正木大全の会話に表れているようにも思う。大全が狐竜の供養を頼むと住持は、妖狐退治で知られる広常の供養塔があるので、敵役の狐は祀れないと答える。大全は、妖狐退治の説話自体が、封神演義などフィクションをモトにしたものであり、信ずるには足らない、政木狐は妖狐ではなく「霊狐」であるから、憚りがあろう筈がない、と反論する。住持は納得する。「猫にゃんにゃんにゃん」に於いて、耳嚢の<狐にも善玉と悪戯者がいる>って論理を紹介した。狐には、九尾の妖狐もいりゃぁ善玉の霊狐もいるのだ。かなり合理的な態度と云える。まぁ近代以降の「合理性」なら、<狐には善玉も悪戯者もいない>と云う所だろうが……。まぁ、合理的だが大全、ちょっと強引な論理を採用している。
強弁をしてまで大全は、狐と関連付けられねばならなかった。現八・大角に「天縁約束あるものならば犬士の隊に入るべきに」(第九十四回)、義成には「今よりして犬士等と倶に当家の股肱たるべし」(第百七十八回下)と評価され、即ち<準犬士>として扱われる政木大全孝嗣である。彼は、何故に<準犬士>たり得たのか?
犬士と大全を結び付けるためには、補助線が必要となる。毎度お馴染み弟橘姫だ。「日本チャチャチャッ」で、弟橘姫・伏姫・洲崎明神の三者を関連付けた。洲崎明神は西暦で謂うところの一九四五年頃まで、沖を航海する船から通行料を徴収していた。沖行く船にパラパラッと小舟を漕ぎ寄せ、料金を要求していた。有り体に言えば、海賊行為だ。まぁ、如此行為は安房洲崎明神に限らないけれども。海賊行為の背景は、少なくとも近海を洲崎明神が支配しているとの信仰だ。間違いなく彼女は、海神である。また、中世、環東京湾・洲崎神社ネットワークとでもいうモノが在ったと仄めかす論者だっていて、なかなかソソルんだけれども此処では措く。安房洲崎神社は、如何やら中世末期迄に嘗ての勢力を喪ったが、海賊行為の存続は一定程度、海の民への影響力が近代まで続いていた事を示している。また海は、イザナギ・イザナミから素戔鳴尊に支配権が譲渡されようとした場所でもある。抑も、イザナギ・イザナミ、「ナギ」と「ナミ」なんだから、<生命の始源>たる海と無関係とは思えない。……なんて事は、此処では如何でも良い。兎に角、此処で重要な点は、弟橘姫が洲崎明神と習合される可能性があるってことだ。
政木大全の出自は当然、安房・里見家を語る場合に抜かせぬ大きな存在、正木大膳であろう。正木家は、八代将軍・吉宗や其の孫・松平定信の祖先でもある万の実家だ。正木大膳もしくは政木大全は、八犬伝に於いて重要人物たるべき資格を十分に有している。が、彼を八犬伝世界に取り込み、しかも、準犬士として扱う為には、或る操作が必要であった。幾ら歴史上重要な人物だったからといって、其の儘では、犬士の向こうを張る役柄は、与えられない。理由は、捏造されねばならなかった。
政木大全は元々、河鯉孝嗣であった。寝顔の愛らしさに魅惑されたか白くムッチリした胸元自体の色香に迷ったか、手を伸ばした結果、孝嗣は親兵衛と契りを結ぶ。契りを結んだ、即ち、準犬士に変態する正に其の時、彼は政木大全を名乗るのだ。父祖伝来の苗字を捨てて「政木」と名乗ったのは、政木狐への恩に依る。此は即ち、政木狐の養子となったに等しい。ならば、「政木」こそが、<準犬士>の表徴でなければならない。また、
犬士と大全の親近性は、他ならぬ孝嗣が幼い頃、添い寝する政木狐を見て「狗児(ワンワン)」(第百十六回)だと思った点、犬と狐の類似とも無関係ではないだろう。狐一般が犬に似ているか如何かは別として、政木狐は「狗児」に似ている。
さて、政木狐の正体は、忍岡城内に棲む「番の狐」であった。同地の鎮守は、「妻恋稲荷」であった。近世に於いて、お稲荷さんの使ってやぁ、白狐だ。即ち政木狐は、<妻恋稲荷の使たる狐>であろう。
馬琴の住んでいた近所に、神田明神がある。「永享記」なんかでは、道灌が安房洲崎明神を勧請した神社だ。そのまた近所に、妻恋稲荷は在る。此の妻恋稲荷は「関東惣社」を名乗り、広大な境内を有した神社だ。近世には、七福神を初夢に見るため枕に敷く一枚刷を、特権的に販売したらしい。現在では、ラブ・ホテルに取り囲まれ、狂おしく愛欲を貪る男女を見守っている。前にも云った通り、妻恋稲荷、稲荷は稲荷なんだが、日本武尊と弟橘姫を祀っている。……ってなぁ実は精確でない。同社は、当地に来た日本武尊が余りにも弟橘姫を偲び哀しむので、住民が憐れんで建てた。即ち、弟橘姫を祀ったのではなく、弟橘姫を喪った日本武尊の哀しみ自体を鎮めようとした神社だ。縁起を信ずるならば、祭祀の対象は、日本武尊の、弟橘姫への想い、そのものである。
翻って、洲崎明神は、弟橘姫と習合される可能性を秘めていた。別に史実として宗教の話をしてるんぢゃぁない、八犬伝世界の話をしているのだけれども、弟橘姫と決して無関係ではない洲崎明神は、安房観音霊場第三十番・養老寺を別当とする如く、観音・伏姫と密接な関係にある。弟橘姫を媒介として初めて、洲崎明神と妻恋稲荷は繋がる。弟橘姫が潜んでいる洲崎明神を主とすれば、弟橘姫への想いを祀った妻恋稲荷は従、眷属の地位に甘んじなければならない。此のリンクは同時に、伏姫から発し政木狐を経て大全へと結ぶ、運命の糸でもある。此れが故に大全は、極めて高い資質を有ち「天縁約束あるものならば犬士の隊に入るべき」とまで評価されながら、準犬士の地位に留まらなければならない。逆に言えば、大全が準犬士として扱われるのは、政木狐すなわち妻恋稲荷と「天縁約束」があったためだ。
「妻恋稲荷」が、大全を差別化していると、今回は述べた。「妻恋」に就いては、上記、縷々説明した通りだ。が、「稲荷」に関しては、触れられなかった。簡単に言えば、此の「稲荷」は背後で、北斗妙見や観音など、多彩なイコンと繋がっているのだけれども、説明には膨大な論証が必要だ。予定の行数は、既に尽きつつある。稿を改めなければならない。お粗末様。