◆「酒呑童子枕言葉」(近松門左衛門)あらすじ
十九歳の花山帝は、愛する弘徽殿を喪い失意に暮れている。夜の徒然に堪らず宿直の者を呼ぶが、公卿は遠くに詰めており誰も来ない。すごすご縁に出ると、滝口の武士・平安盛が勅答する。帝は弘徽殿と似た者を連れてくるようにと命じる。安盛は、中納言高房の三の君が似てはいるが、渡部綱が仲人して鳥飼の少将実兼と婚約していると告げる。帝は「然れば主有女ぞかし。降位の後は例も有、在位の身にて正なきこと、上一人の善悪は下万民の鑑ぞや。後代の誹りも恥ずかしく此世の恋さへ叶はぬを、まして冥土の人恋しき、思ひは如何成思ひぞや」と諦めとも未練ともつなぬ言い様。安盛は、婚約の段階だから如何にでもなると唆し、帝に艶書を書かせる。これが上手くいけば、頼光の鎮守府将軍職を取り上げ自分に与えるよう願う。夜も遅いからと、安盛は高房の屋敷に急ぐ。綱は保昌との言い争いから羅生門の鬼の腕を切り、三七日の物忌中。このため婚礼の準備が遅れており、安盛に付け入る隙を与えた。
引き籠もっている綱を保昌が見舞う。八十野吉平治が出てきて、鬼の腕を奪い返されたと告げる。
「主人綱こと羅生門にて鬼神の片腕切取、三七日の物忌に籠もり候へば門外にて拙者承り帳に記し一門他門共に対面仕らず。然るに一昨日、渡辺の伯母久しく会はざる懐かしさ床しい恋しいなんどとて七十に余る身が様々嘆き恨みしを変化の業とは思ひもよらず恩愛捨てがたく門を開き対面せしに忽ち悪鬼と顕れ腕を盗んで天井より、あれ御覧候へ、あの如く破風を蹴破り黒雲に入て失せ候。綱は是を無念に存じ切腹の御暇申か一期の浮沈と籠居の節」
保昌は、鬼の腕を切ったことは名誉ではなく奪い返されても恥ではないので、切腹するなど「ばかざぶらひ」だと言い放ち、帰ろうとする。綱が塀の上に躍り上がり、保昌の太刀を掴んで引き合う。保昌は太刀を抜き帯紐を切って、向かい合う。供を連れた三の君が割って入る。帝からの艶書が届いたので逃げてきた。安盛が頼光の将軍職を危うくしているとも告げる。綱と保昌は仲直りして、三の君を少将の邸に連れて行くことにする。
三の君を邸に入れた綱が、婿の迎えを待っている。少将の雑掌花垣権ノ頭が来る。堤の弥惣と忠時が随行する。戻橋に差し掛かる。
「黒雲道を遮つて雷火電光震動し前後を忘じて立たる所に迎と見へし者共の、或は一角一眼、又は三目八ツ臂の鬼形。枝有角に赤頭、火焔の如く見ゆるもあり。異類異形の鬼神となつて乗物蹴破り姫君を引出さんとする所を南無三宝と堤の弥惣、打物抜いて切はらへ共、雲霧に眼も眩み腕弱り切つても突いても水を切風を切が如くにて踏みもためず欄干に、うんと云て乗り返れば、召具の者共堪り得ず弓手馬手へぞ伏しいける。乳母は是はと取付を二つにさつと引裂いて姫君を引掴み悪風吹かけ炎を降らし虚空にどつと笑ふ声、雲に残りて失にけり」。
(「傾城酒呑童子」吉平治に贈らせるが一条戻橋、懐手で肩で風切る男が姫に抱きつく。悶着するところに、心配になった綱の弟・三田の源八広綱が追いつき男を割木の所へ投げ飛ばす。その割木の陰から十人ばかりの男が現れ姫を奪おうとする。安盛の手下が姫を奪おうと待ち伏せしていた。広綱は刀を抜く、吉平治も抜く。男たちを追い散らす。綱と保昌が駆けつけ、遅いので見に来たと云うが「俄に天地震動し綱保昌が姿は其侭鬼神と成、姫君を掻き抱き飛去らんとする所を南無三宝と吉平治物抜いて切払へは広綱も一世の大事、疵も忘れて打懸くる雲霧に眼眩み腕弱り切ても突いても水を切風を切が如くにて踏みもためず欄干にうんと云ふて乗り返れば鬼神は姫を引つ掴み悪風吹かけ炎を降らし虚空にどつと笑ふ声。雲に残りて失にける」。)
神鳴り騒ぎに本物の綱保昌が駆けつける。其処へ安盛率いる五百騎が現れ、帝が姫を召すのを妨げ失った咎で綱を捕らえろとの勅を得たと呼ばわり、手向かえすれば首を取り晒すと息巻く。綱は抵抗しようとするが、保昌に止められる。坂田の公時がモッサリと現れる。恐れて安盛は兵の後に隠れる。公時は兵を取っては投げ取っては投げ、安盛を引きずり出す。「綱が討手の勅諚とは、どの王様の勅諚じや。日本の王様の跡ではないはな。たつた今、頼光、禁中で聞いた。大騙りの大強請りめが。此公時は閻魔王の勅諚にて、おのれらが討手に向かふた。地獄で手間のいらぬ様に粉に砕いてやるべしと、首押さへて胴骨をゑいやうんと踏み付け踏み付け苛めば、ア丶痛や苦しや許してたも」。夜食の腹ごなしをするんだと荒ぶる公時を保昌が止める。
 
二段目
「右近といふは姫君と同年にて、殊更中よし手習糸竹の道迄も一つに生ふし立ければ」。三の君を失った高房夫妻は、右近を養女に迎える積もり。安盛が来て、先月廿二日夜に帝は貞観殿北門から忍び出て山科・花山寺で出家したが三の君のことが忘れられない、似ているという右近を高房の養女にして、院に差し出すようにと告げる。また右近には、院が弘徽殿を思い切るため、弘徽殿が恐ろしい嫉妬の霊となって右近を脅かしていると院に申し上げるよう言いくるめる(「傾城」には、この条なし)。
花山院は仏壇に弘徽殿の絵を掛け、悲しみに沈んでいる。中納言義懐と左中弁惟成だけが仕えている。安盛が右近を連れて、寺を訪れる。ただ右近は「若き女の男の中、女の連れも候はでは、うゐうゐしくも頑なにて、却而不興と存ずれば京の御所より女儒か御末か一両人呼び候はん」と申し出る義懐と惟成に、帝は御所から呼ぶと五月蠅いから右近の慰みには近所の里人の女を使うように云う。二人が相談していると、「折り焚く柴付け馬あの山越へて此山がつが八瀬や大原木黒木束ね木柴召されとぞ売りにける」「御所へ柴入る丶朧の清水のおよめ」が目に付く。二人が呼ぶと、御所で見覚えのある二人なので驚き、「是は先如何した謂われ、お借銭かな」。二人に事情を聞いたおよめは、院と右近の仲を取り持つ役を承知する。安盛が右近を連れてくる。男達は、およめに託して和尚の所へと向かう。およめは張り切り「ヲ丶それそれ、跡は儂が請取た。先は閨房の御盃買ふてきませふ。こんな時は、とかく酒。酒は情の露雫、徳利提げて出にけり」。
右近は帝に向かって弘徽殿の絵が「悋気深い、いたずらな仏様じや」と云う。「なふ恐ろしや凄まじや。夢幻に見たとは違ひ、顔ばせは美しく魂は蛇身、見るも怖やと逃げ惑う。法皇驚き、こは何事ぞ子細を申せとの給へば、さればこそ此間ある時は夢に見へ又幻に現はれ弘徽殿が怨霊也、汝君へ召る丶筈、妬ましし腹立や、三の君を取殺し、あら嬉しやと思ひしに、をのれが枕を並べんとや思ひも寄らず叶ふまじ、君に近付女あらば取殺し取殺し日本国の女の種、枯野となして絶やさんと、鬼共蛇共譬へなく追廻さる丶其苦しさ、身に摘まされて御愛しや、三の君の御最期迄思へば御主の仇ぞと安盛が教への通違ひなくなく/泣く泣く語りける」。
帝は聞いて怒り狂い、弘徽殿に対し「三世の契り是迄、世々永劫の勘当ぞと絵像を取て投げ給ひ」、右近を閨房に誘って先に入る。右近は絵を仏壇に戻し、「恨みを許し給へとて涙を流し詫びけるが」「不思議や絵像揺るぎ出、身の毛もぞつとたちまちに、地絹を離れ形を現じ、右近とやらん慥に聞け、生き身の無実も辛からずや、咎なき屍に勅勘受、無実に妹背の中絶へし思ひを思ひ知れやとて、懐に飛入と思へば、うんと魂切りて我ならなくに我心、弘徽殿と入替はり、姿は右近のたちばなの昔の契りは忘れじ物、かの驪山宮長生殿のさ丶めごとも、君と我中にあらあらあらかねの七重の鎖は切る丶共、縁は切らじと手を伸ばし、引けば引かる丶御切髻乱れ引れて、よろよろよろ、よろぼひ柳御気力なく、風にもよる丶御有様、天に引立地に引据へ、君が心は飛鳥川、我は三途の波枕、くつる世迄は朽ちせじと三界六道つき巡る足弱車くるくるくる、苦しみ給ふぞ哀れ成」
「大原のおよめは斯く共知らず酒を求めて帰りしが法皇右近は乱れ髪掴み合ひ給ふ体、こりやなんぞ、はや夫婦諍ひか、今からそんな身持で此憂き世帯は持れまい、王様も王様じや、内裏の格が此処へは向ぬ、向ひ隣の聞へも有、男は裸百官(貫)の上に立てば女御様、今で申さばおか様ぞや、夫婦諍ひ所帯の毒、ア丶疎ましやと云ければ、とかく右近は狂気ぞや、よく計らへとの仰」。およめが近付くと、右近は更に狂気して院を引き回す。騒ぎを聞きつけ義懐惟成が駆けつけ、院を保護する。
頼光の代官として綱が安倍清明を連れてくる。清明が天文を考えると、院が死霊に悩まされることが分かった。頼光は禁裏守護のため動けない。「清明は右近に近付、六甲六丁の秘文を唱へ天津金木天津菅麻を千座の置戸に置き足らはして、祓ひ申シ清め申せば、忽ち震ひ口走り、我こそ弘徽殿の亡き魂よ、君に恨みはなけれ共、平の安盛将軍職を望んため右近に教へて無実を言い懸け、三の君の命も我取たると奏せしは跡形もなき偽り、三の君は丹波の国大江山酒呑童子どいふ鬼神の所為、疑ひ晴れて勅勘許し契りを違へ給ふな、さらばさらば、と元の絵像に移りけり」。右近は夢心地のまま、安盛に弘徽殿の悪口を言うよう命じられたと白状する。院は怒り、捕らえて頼光の思うように処分しろと命じる。其処へ安盛が、帝は右近を気に入ったかと様子を伺いに来る。綱が襲いかかり縛り上げて殴る。
 
三段目
(「傾城」のにみにある条は以下。東寺の西口茨木童子が掴む八百両の金札。ひろぎ屋は、若旦那の太四郎は揚屋、父が女郎屋を営み栄えている。如何にも物堅そうな京都浪人加藤兵衛氏綱が往来の女性の顔を覗き込んだりしている。見失った娘を捜している。兵衛は太四郎に、気立ての良い太夫を所望し一両二部を投げ出す。太四郎は、太夫は振ることもあり別の客の所に行って戻らないこともあると、予め念を押し、俵屋のせんよを呼びにやる。せんよが来ると兵衛は居住まいを正し、三月に行方不明となった十五歳の娘・横笛が、女郎屋に売られていないか尋ねる。せんよは泣いて同情するが、心当たりがない。禿が、せんよへの文を持ってくる。その横顔を「よくよく見れば尋ぬる我子の横笛」。せんよが出て行く。ついて出る禿に「コレ禿衆禿衆、ちよつと此処へ借りませう。あいと見返りヤアと丶様かいの」。横笛の話。白髪頭に赤ら顔の浪人らしき親父が加藤兵衛の娘かと話しかけてきた。兵衛と話し合い、頼光の御台所に奉公させることになったからと連れて行くと云えば、横笛も父が承知ならとついていった。ひらぎの長に五十貫で売られた。「ヤア其筈ではない、そふでないと泣ても喚いても聞入ず、長が手に渡りしより間がな隙がな逃てのけふ走つてくれふと心がける素振りを見て、慳貪邪慳な親方が五十貫に買ふて一万両にもするやつじや。其根性を直さぬかと縛つて長押に吊り下けらる丶時も有。柱を横に渡して足に石を括り付、木馬とやらに乗せられ、夏の夜は裸にして植込に括り付、蚊に責めらる丶時も有、食を止められ撲ち叩きは常のこと、泉水へ身を投げて死なふかと思へ共、せめてと丶様に爰にゐると知らせたく、不繁昌な女郎衆は儂同前の責め苛み、小陰へ寄つてはとかく命が大事じや、地獄へ堕ちたと思やと朋輩衆の情にて一日一日暮らせしが抓り叩かれ小刀針、身内に明所はござらぬ」。手形のときに見ると、親父は北白川の広文。兵衛は頼光に訴え出ようと考える。遣手が来て、また油を売るかと横笛を叱る。太四郎からの文を、せんよに届けただけだという横笛の太股を捻り上げ遣手は、太四郎の妻おゆらと悶着を起こさせる気かと再び叱る。兵衛は手が出せない。近日中に横笛が太夫として出されると知った兵衛は、頼光に訴え出るには日数がかかるため、親子の情に訴え、長と談判しようと考える。太四郎は、おゆらにせんよとの仲を暴かれ責められている。おゆらが京にいるとき既に妊娠していると知って、太四郎は離 縁を言い渡すが、おゆらは太四郎の父は納得の上で嫁に取ったと告げる。親長が入ってきて太四郎に、せんよを妻にしろと云う。既に俵屋から八百両で請け出す相談をしてきた。実は、京の住吉屋のゆらと名を取った娘を嫁に取ったのは、もともと女郎として働かせるため。六〆匁の礼金も払っている。親長は、おゆらに子を下ろして女郎屋で働き八百両を稼げと言い渡す。おゆらは伏し沈み泣く。太四郎は外聞が悪いから、子は産ませて引き取り、おゆらは京に帰すよう提案する。親長は「此様な手練をせねば分限者にはなられぬ」「人のおれそれ世の中の義理順義を知るが最後、貧乏神が乗りうつる」。兵衛は聞いていて、談判は無理だと諦め、店を出る。)。
頼光の決断所には多くの人が訴え出ている。みな行方不明の捜索願。頼光は幼君守護のため出張れなかったが、遂に酒呑童子退治に乗り出す。門の所で「粟田口の貧者加藤兵衛」が呼び止め、当春賀茂の鎮花に行ったまま行衛知れずとなった娘が、近江鏡山の女郎屋に売られているので取り返したいと訴え出る。頼光は北白河の庄屋年寄に、広文を尋ねだし娘を兵衛に渡させるよう命じる。
広文を妻は責める。娘は横笛と入れ替わると云うが広文は「おことも十人並慣れど彼の娘は百人にも千人にも優れて似てもつかず」。娘は刀を取って死のうとする。広文は慌てて押し止め「やれ、見目形劣りしとは、おことが替る心ざしを推量しての偽りよ。愛をしさは尽きせねど、思へば罪も逃る丶為、代はつて人を助けよや」。加藤が白河の庄屋年寄と共に来る。一行は近江路へ(この条「傾城」になし)。
横笛は既に自害し、虫の息。広文は娘と共に自害しようとする。兵衛は「強いもせず止めはせぬ」。母は命乞い。横笛が「必あの子を助けてたべ」。広文が娘を刺そうとすると兵衛が押し止め、養女にして横笛と名付けると云う。夫婦は嬉し泣き。そして「七十に余る広文」は切腹、自分が常陸介安盛の執権だったと語り、頼光の将軍職を横取りしようと企む安盛を「誠なき誉れは譏りのもと。偽りの栄花は一時に衰ふ」と諫言したため勘当されたと明かし、安盛は流罪となったが自分も罪を犯してしまったと後悔する。また妻も乳母として引き取ってくれと頼み、平家の先祖余五将軍平惟茂が信州戸隠山で紅葉狩をしたとき「かの山の鬼神女と変し酒をす丶め酔の中に取らんとせしに八幡大菩薩、武内の神を御使にて枕上に給はりし宝剣、是を以て惟茂、忽ち鬼神を滅ぼし給ふ、是を譲り申なり、頼光に捧げられば酒天童子を討んこと神力疑ひ有べからず、其時は御辺、御恩賞の所領を安堵し我娘、四天王より婿を取、世に立てたべ加藤殿」。
(この条に続き「傾城」では、合間に太夫・白妙に惚れた吉助が名刀を持っている話、白妙が病死する話、広文が商人の養子にやった息子こそ吉助であったこと、白妙を見舞ったことを咎められ横笛が全裸で縛り上げられ打擲され、大根を押し付けられ、何処に入れる積もりかと泣き喚く横笛に、親長は思い入れたっぷりして、やがて口に押し込もうとする、そこへ吉助が割って入り打擲を受ける話あり。親長が、娘を横笛と呼ぶからは奉公させる、さもなくば千貫を払えと迫る。そこへ坂田公時を先頭に、定光・末武・綱・保昌が山伏姿で駆け込み、長父子を捕らえよと云う。吉助と兵衛が父子を踏みつけ縛る。頼光は元々悪徳な此の店を摘発しようとしていたが、大江山征伐のため後回しにしていた。首尾良く酒呑童子を討ち、帰り道に公時らを派遣した。また、此方では広文の本名が八郎権頭秀国とある。一応は五段構成。享保三年十月二十五日、竹本座上演)。
 
四段目
「頼光は山伏姿に出立て兜に替わる兜巾を着、鎧にあらぬ篠懸や、兵具を入し笈を負ひ、さも行体の姿なれ共、其主々は頼光保昌定光末武綱公時」。ちなみに保昌は上総あまがみ生、定光は信濃国碓氷、末武は遠江国浜名、綱は武蔵の三田、公時は「伊豆の国とは申せ共、生所も知らず宿もなき山姥が子なれば産所も山、産屋も山」と云われている。大江山を目指して行くが迷ってしまう。
「萱生ひ茂る気陰を見れば若やか成上臈の血潮に染みたる小袖を持、細谷河に打ひたし涙と共に洗ふ体、公時見付てヤア化けたり化けたり甘いことするなと飛んでか丶れば、なふ情なや更々変化の者ならず都がたより此所の酒天童子に捕はれ明日をも知らぬ憂き身の中、跡に残りし妹をも又此比連れ来る、悲しきかなや雲の上、人我らしき数も知られぬ娘子を童子が常の楽に腕を抜き股を抜き酒と名付て血を搾り銚子に入て我々に酌をさせての酒盛、今日は人の酌取れば明日は我身も誰人に酌を取られんと物思ひ憂きも辛いも止めたり、可愛いや不憫や妹とも、夕べの寝酒に引裂かれ今の命も覚束なく血を濯ぎ捨て死骸をもせめて清めん心ざし、哀れみ給へ客僧と、袖に縋りて泣ゐたり」。頼光は身分を明かす。喜び帰る娘の見え隠れする後ろ姿を追っていく。今まで迷っていたのに、一町ばかりで着く。羽黒修験を名乗り、宿を乞う。
酒呑童子は「面色は薄紅梅、眸下がつて象の如く、頭禿に眉繁り大格子の唐綾紅の袴着流して脇息に横折れて悠々と玉の様成上郎達腰打手を撫でさすり枕に立テし鉄の棒桀紂のまなざし」。頼光らを城に入れた酒呑童子は、酒を持参していると聞いて喜び、酒宴となる。
「夫々銚子御盃早ふ早ふと申ける。眷属の悪鬼邪鬼躍り出て上郎達を掴み寄せ掴み寄せ鵜飼鷹の餌を打つ如く腕を抜き股を削ぎ血をさらさらと絞り出す。雫長柄の銚子に注ぎ盃添へてぞ出しにける」。
「山家の濁醪亭主の役と童子一つさらりと干し頼光に差しければ縁に連れて珍しき御酒宴に連なると押し戴いてちょうど受けつ丶と干して公時にこそ差されけれ。待かねたりと頂戴し続けて三杯ついと干し、しゆふうと云ひて頭を撫でハツハ天晴れ御酒で候よ、加賀に菊酒南都にかすり井、湯殿山の妻隠、羽黒山の隣知らず、熊野山のほいほい酒、あまた名酒はたべ申たが、なふ、か様な酒は今日初め、各一つと回しける。それそれ肴と云ければ、今切たると覚しき女の腕脚俎に盛並べてぞ出しける」
「それ調じて参らせよ。承ると立所を、頼光押さへて、か丶る佳肴を迚のこと某調味いたさんと指添へ抜いて肉四五寸ずつと切て口に入、醍醐醍醐と褒め給へば、我も我もと四天王、押し切押し切舌打して、よふお肴とぞ褒めにける」
「童子驚き我好む酒肴、客僧達にもてなさば斟酌あらんと思ひしに、かへつて賞味し給ふは心得難しと云ひければ、頼光聞もあへず我らが行のならひ慈悲とて給はる物なれば心に染まねど辞退せず殊にか様の酒肴本来空の人間空に二つの味ひなし御不審有なと答へらる。童子興を冷まし、いや其悟は無の見也、人の血を吸肉を服すること、仏の教に有や否や、只今止まり給はずは次第次第に増長し童子が如く鬼神と成、悔やみ嘆き給共、其時は甲斐あらじ、我らが人を服すること、能こと丶覚すかや、面白からんと覚すかや、今は止めても止め難き鬼畜の身こそ悲しけれ、出々童子が因果物語語つて聞せん、我はもと越後の生れ五歳で父に離れ十一歳にて母に後れ父母孝養の為にとて叔父叔母が介抱にて山寺へ上せしに、なふ善にも悪にも因縁有、余りに母の寵愛深く十歳迄懐に抱かれ明くれ乳房を飲みたる故、乳房の味忘れかね五穀は口に苦き故、夜に入ば山寺の師匠同宿法師の閨に忍んで乳房を吸う、初の程は笑はれしが後には人も怖じ恐れ終に其処を追出され、比叡山に上りしに三千坊の乳房を夜な夜な吸ふて廻りしに終に生血を吸出し乳味は忘れて血潮を好む、鬼児也と伝教法師、我立杣を追出され、播磨の書写に上つても一山の血を吸ひ、それより肉喰出て心も自然と猛々敷、人の屍に喰ひ付ば口も裂けて牙を生ず、終に播磨を追出され、高野に上れば弘法大師、阿字の利剣に追つ払ひ一日足を溜めさせず、吉野葛城多武の峰、多くの人を取喰らひ、いつの間にか我心、誠の鬼と成し故、姿天然鬼形と成、常は人に似たれ共、酒に酔ゑば顕る丶我正体を見給はば、いかに功成客僧達も、よもや近付給ふまじ、天人天上の歓楽も一度は尽くると聞物を、上見ぬ鷲の鬼神の身も一度は尽きん其後は、悪道に堕在して如何成苦患を受べきと、覚めて悔やむに甲斐ぞなき、現世にてさへ都には、源の頼光と云武勇の達者、きやつが郎等渡部の綱は羅生門にて我眷属茨木童子が片腕切取程の功の武者、末武定光公時保昌きやつばらが難しさに我は都へ行ことなし、此者共を防がん為、かく城郭は構へしが神通自在の頼光も是迄はよも来たらじ、よしきやつばらが来る共、此世の敵は防ぐべし、悪業積もりし未来の敵、何をもつて防ぐべき、浅ましの鬼畜の身、去によつてかたがたも真似にも悪になれ給ふなと、御意見は申ぞや、釈迦に経やと笑はれん、本国に帰り給はば我取殺せし幾千人の後世弔ふでたべ客僧と、しほしほとして語りしは恐ろしくも又哀れ也」
「人々目と目を合せ気のたるむを幸と安倍の清明が加持の酒、人間には不老不死、鬼畜には大毒の神変鬼毒の酒、笈の中より取出し有難き御教へ血酒を止めて食べつけた御酒に致さんと各引受け飲む有様、童子羨み堪りかね、面々計の酒盛それは胴欲さあらば童子が御合ひぞと大盃を差し出す、御口に合はんはいさ知らずと、ちょうど注げば引傾け引受け引受け三献し、是はいか成名酒ぞや天の甘露もかくやらん、はや心魂に浸み渡りことなふ酔ふて候と、いふも理、清明が加持の毒酒早舌の根も廻りかね、なふ御山ぶ、世に酒程の楽しみなし、酒に酔ふて世を見れば万事は水の浮き草、兵も似我蜂世の人は飛び虫と、劉伯倫が金言、善悪なければ因果もなし、血も吸たくは吸ふたがよし、人喰ひ度は喰へ喰へと、心変れば詞迄、目前変はるぞ浅ましき」
「眷属共も喉鳴らし此処へも少し少しとて、合子茶碗を指出し飲むより早く酔乱れ足もひよろひよろ見へければ、ヤア大事の酒をおのれ原が云はれぬこと、わが秘蔵の后へ一つ飲ませてもらひたし、是へ是へと呼びければ、痛はしや三の君、面痩せてたよたよと人々を見るよりも、はつと古郷の懐かしさ、浮かむ涙に頼光も、それぞと交はす目遣いを、童子見とがめ目をも離さず打まもり、鉄棒をつ取つ丶立あがり、ヤアわぬしは源の頼光よな、次は茨木童子に手負ほせたる渡部の綱、定光末武保昌公時、いぶせふ候お立あれ、心許すな眷属共と、鉄杖横たへ歩みの板、どうどうどうと突き鳴らし、両眼くはつと見出し、犇めき喚く勢ひは、身の毛もよだつ計也」
「頼光少しも騒がず、からからと笑ひ、日本無双の兵共に我々が似たるとや、弱者に似たるより先は嬉し丶、去ながら慈悲忍辱を修行して、有情非情を助けんと大願立し山伏が、多くの人を殺し殺生罪を事とする、大悪人の頼光四天王に似たるとは聞も忌まはし勿体なし、されば世尊は雪山童子の古、四句の文に身を変え鬼神の餌食と成てこそ正覚を成じ給ふなれ、博学多才の童子より一句半偈の文なり共、授けて命を召れよや、露塵程も惜しからじと思ひ切つたる顔に、目を塞いでぞ合掌有。鬼神に横道なしとかや、易々謀かられ面を和らげヲ丶殊勝也聞へたり、誠にきやつらが是迄は、よも来らじと思へ共、常に心に懸かる上、少しは持たせの御酒機嫌、よしなき事を申たり、打解け給へ人々よ、赤きは酒の咎ぞかし、鬼とな思し召されそよ、我もそなたの御姿、うち見には恐ろしげなれど馴れてつぼいは山伏なふ、夜も更けぬお休みあれ、我も微睡まん、いざさらは明日対面対面と荒海の障子押し開けて奥に入れば眷属共、神変鬼毒の酒に酔ひ前後も知らぬ高鼾」
「頼光悦喜限りなく神通自在の変化として明日対面とは浅ましや、今宵の中は過ごさじもの、心静かに用意せよと悠々として入り給ふ。虎の尾を踏み龍の髭、鰐の口より恐ろしき、鬼一口の毒の酒、是より毒の心みを鬼とは名付初めつらん」
 
五段目
既に更け行木の間の星破軍の巡り時分は良しと人々は密かに出立給ひける。大将は大内の宿直の料に縅されし乱転鎖の畳み具足笈に畳み込め給ふを綿上取て引立草摺長にぞ召れける。桃園の相伝白龍と云つし星兜、重代の御佩刀加藤兵衛が奉る紅葉狩の宝剣上差しの鏑に添へて悪鬼調伏御身堅めの守りにとてぞ帯せらる。
保昌は藤原氏紫糸の腹巻、笈の内の狭ければ弓小手計をさいたりけり。綱は好む大荒目、例の鬼切差しこはらし、弓襷をこそ掛けたりけれ。公時は白糸威白銀の鋲綴ぢしたる腹巻き、白絹にて鉢巻し篠懸の袖ちぎつて捨て是も小手はさ丶ざりけり。末武は洗革、定光は藤縄目、皆頼光の御物好き、小札小札を蝶番に縅させて笈に畳み込みたれば、嵩低に肌軽く着心良げに出立つたる。金物の音に目や醒めん鎧づきすな足音すな、逃げ道有もいぶかし丶きやつが寝屋はあの岩窟、出合ふ所は一所ぞや道を変えて責入と鉄の廻廊銅の渡殿、岩石の反り橋を思ひ思ひに忍び込む、弥猛心ぞ類なき。痛はしや三の君、人々の懐かしさ、そつと起き出ちらと見るより走り寄り、ゆかしの都人やとて声も立ず泣き給ふ」
「綱保昌一所に落合、童子に捕られし京田舎の人民数知らずとは申せ共、先は御一人御存命こそ珍重なれ、都へ御供仕るは只今のこと悦び給へと囁けば、姫君夢かと計にて猶も涙は止まらず。物洗ひし道引の女、討手の人とや告げたりけん、こ丶かしこの岩が根の狭間より若き女の声々に我は北面何がしが娘、自らは何の朝臣か一人姫、京の何町何通あるひは大和河内の者、伊賀伊勢若狭播磨潟丹後の国と云ふも有。面々の国里親を名乗身を名乗り、我をも助け賜せ、なふ我も古郷へ返してたべと、鎧に縋り袖を引手を合せ嘆く体、地獄に堕せし罪人、地蔵菩薩の錫杖に取付嘆くもかくやらん、目も当てられず不憫なり」
「やれ音高し今度の討手は万民を助けん為の叡慮なれば、たとへ此処にし死したる者は骸骨にても古郷へ送る。まして長らへ有者は一人も残らず本国へ返すべし。鬼神を退治し声をかくるを合図に人里へ走り出、頼光が下知ぞ近辺の民百姓下り合へと触れ回れ、それ迄随分鳴りを静め神明仏陀を祈り申せと有ければ、皆わつと嬉し泣き、ただ神仏を頼まんと伊勢天照如来様、南無釈迦太神宮、南無春日大菩薩、南無阿弥陀大明神と心も漫ろに泣き忍ぶは藪に蚊の鳴く如く也」
「サア是迄は仕込ふだりと童子が寝屋を見上ぐれば松柏茂つて奥暗く鉄石を扉とし幾千人が力にも及ぶかたなき大盤石。いくらもいくらも寝屋の扉に持たせかけ山も動く高鼾、天にこたえて凄まじく」
「天の岩倉天の戸の手力雄の御手にも適ひつべうはなかりけり。大将を始とし南無八幡大菩薩諸天善神力を合せ給へとて押せ共引け共動かばこそ、鬼神を欺く勢ひも詮方尽きて立たる所に、木の間に月の漏る丶かと和光晶々たる中よりも角髪結ふたる神童一人伸びらか成御声にて我は汝が氏の神石清水よりの御使によつて酒呑童子に千筋の縛しめ掛け置たり。恐れなく退治せよ、又此扉もたやすく開き与ふる也、正八幡の氏子貢がん為、住吉熊野五十鈴川賀茂春日の御神、面々が頂きに影向成ぞただ頼めと、の給ふ御声の内よりも岩屋の扉はらはらと微塵に砕けのきければ神使は忽ち一前の黄金の幣と榊葉に葉隠れしてぞ失せ給ふ」
「頼光神力肝にこたへ運に乗じて心も勇み岩屋の内を見給へば宵の形に引換え其丈二丈余足手は年経る熊の如く角は深山の枯木に似て赤き髪逆様に炎の燃ゆるに異ならず眉はあく迄生茂り牙噛み鳴らし足手を伸ばし豊かに伏したる有様は身の毛も立てて凄まじし」
「頼光弥勇みをなし、いざ取包んで討べきぞ、音ばし立なとの給ふに公時の問ひやう者、大声上て、ヤア鬼殿今が最期ぞ、鬼の念仏聞たいと呼ばはる声に目を醒まし、むつくと起きて牙を噛み、情なし客僧、鬼神に横道なきものを小賢しくも謀りし、と月日の様成眼を怒らし掴み裂かんと突つ立しが神風さつと御注連縄、蜘の巣がく如くにて、童子が五体に纏はれ、か丶れば足も手も締め付けられ、かつはと転び、どうど伏し、網にか丶りし小鳥の羽た丶き苦しむ風情也」
「童子は怒り歯噛みをなし、エ丶口惜し丶口惜し丶、たとえば千筋万筋の鉄の鎖に繋がれても物の数とは思はね共、僅かに細き注連縄に五体を締めて動かせぬ如何に頼光四天王宵に斯くと知つたらば一つ一つに掴み裂き明日の餌食となさんもの鬼畜の身の浅ましくも誠の山伏と心許し懺悔咄しに弱味を見られ神の縛に懸かりしこと童子が一期の不覚ぞや眷属共が起き合ぬか掴み裂け引裂けと喚き叫ぶ其声は百連の雷眼の光は稲妻と山河草木震動して数多の眷属、茨木童子を頭として石熊童子婆羅門童子焦熱童子なんど云、宗徒の眷属大石投げかけ枯木を打ち付け土石を降らして防ぎしを、此処に追つ詰め彼処に追つ立、引組み引組み切伏せ切伏せ刹那が間に一鬼も残らず討れにけり」
「童子身を揉み怒る所を渡部公時つ丶と入、弓手馬手より組み付を掻い掴み引寄せて膝の下に伏せんとす。残る人々隙間なく切付け切付け頼光は後に回り南無八幡と鬼神の元首水もたまらず打落す。此首虚空に舞ひ上がり頼光を目掛け火焔を吹、矢を射る如く飛下がり甲の天辺にがんじと喰ひ付き両眼くはつと見開きて悪鬼は亡び失せてげり」
「一国他国の民百姓取られし人々安穏に送り届けて五畿内より源平の武士馳せ集まり頼光の御供して朝参院参御振舞ひ京近国の悦びたる賑はひたるに酒樽に、太平の御代こそ目出度けれ」
←Back