■伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「八犬伝の図像学」七・七バランス5

 「花号」末尾に於いて、第二輯口絵「遠泉不救中途渇独木難●大厦傾」に触れた。

此の絵は直接的には(前の)浜路の縁談に纏わるものでありつつ、貝/甲斐で「浜」路姫に、伏姫と縁のある信乃が出会って「玉の輿」に乗るのだが、其れには龍が絡む玉が関わっていることを予言し浜路の物語が彼女の死によっては完結しないことを密かに囁いている、ぐらいの意味が、少なくとも込められている

と述べた。気が向いたので、書く。まず、信乃が乗る女駕籠の上部に「一万度太麻」なるモノが描かれ、字が小さくて判読が難しいが、横に「いせのあまかかつきあけいくかた勢ひあら(?)ひの玉乃輿になのりそ」と歌っている点に注目する。「一万度太麻」は、伊勢神宮が発行する御札で、通算一万回参詣した証だ。毎日参っても三十年ばかりかかる……が、此は個人のみを対象にしたものではない。近世、伊勢講とか言って、村内で旅費を積み立て、伊勢へ集団旅行していた。敬老会の慰安旅行とでも思えば良い。人数×回数、延べ回数でカウントできる。まぁ其れにしたって時間がかかるから、一万度大麻(通常表記)を持つ村は、信心深いとされた。また、「玉乃輿」なる語彙から、此の口絵、如何やら婚姻と関係あるらしい。
 信乃・額蔵/荘介が直接関係する婚姻は、信乃と(前後の)浜路、荘介と城之戸の間に交わされた関係のみだ。信乃は美少年、額蔵が中間奴として描かれていることから、口絵が信乃に比重を掛けていることは明らかだろう。主は信乃、額蔵が従である。ならば、此の口絵、信乃と(前後の)浜路に関係したモノとなる。まず、前の浜路に関わるものとして見れば、権力を笠に着て求婚した陣代・簸上宮六が思い起こされる。彼の弟は社平だった。簸上が「ひかみ/日神」に通じると、前述した。簸上兄弟、「宮」六と「社」平ともに「神社」を思い出させる語彙だ。足して「日神神社」、伊勢神宮を隠喩している。また、此の縁談が成立すれば、武士の列に入れなかった、単なる豪農に過ぎなかった蟇六大塚家にとって、陣代の外戚になることは出世であり、浜路は「玉乃輿」に乗ることになる。即ち、「一万度太麻」は伊勢神宮すなわち簸上宮六を暗示しているに依って、歌は、「玉乃輿にな乗りそ(玉の輿に乗るんじゃない)」、前の浜路・簸上宮六の婚姻に否定的である。
 口絵で信乃は女駕籠に乗っている。駕籠の模様は梅だ。梅柄は挿絵に拠れば、浜路が最終局面、宮六に求婚された為に網乾に斬られ義理の兄・道節に看取られるまで纏っていた着物の柄だ。梅模様は、〈浜路関連〉となる。ならば口絵は、美少女と見まごう信乃が女駕籠に乗り従者として額蔵が随いて行って、宮六の婚姻をブチ壊し、絵の中央に在る如く「亀」篠と「蟇」六を殺害するのであろうか? 違う。話は其の様には流れない。
 だいたい口絵では、死んだ亀と蝦蟇に虫が集っているが、此は五倍二だろう。和漢三才図絵には、軍手(ぬるで/漆科の植物)に五倍二なる虫が着き葉をフリークスたらしめた場合、其のヌルデを五倍二と謂う、とある。軍手五倍二、である。彼は虫だ。則ち口絵は、「亀」篠と「蟇」六の死に、直接には五倍二が関与していることを示している。此の点で口絵は、物語と合致する。
 一方、女駕籠には女性用らしい桜柄の着物が掛かっている。桜柄は、第九回挿絵「戯言を信じて八房敵将の首を献る」でも伏姫が纏っている。第一輯口絵に於いても、この柄物を伏姫は着ている。丁を捲って「白地蔵之図」では少年犬士たちが連なっているが、最後尾の信乃も、(より簡素な物ではあるが)桜柄の着物を纏っている。代四郎犬に跨る信乃が、八房に乗る伏姫とダブらされていることは、八犬伝刊行当時から明らかだった。桜柄は、〈伏姫関連〉らしい。伏姫着用の桜柄が掛かった女駕籠に乗る信乃は、やはり信乃と伏姫のダブりを意味していよう。ならば、「遠泉不救中途渇…」口絵は、信乃の側から見た婚姻を示しているのであろうか? 確かに信乃も「玉乃輿」に乗る。里見五の姫・浜路と結ばれる。婚姻は配偶者同士を同格とする。犬と娶せられ姫君の立場を失った伏姫は、信乃なる男性形になりながらも〈現世の権利〉を回復する…のであろうか。しかし、信乃の「玉乃輿」は、「な乗りそ」と否定さるべきではない。
 残るは、後の浜路だ。甲斐で(後の)浜路と信乃が出会う第六十七回末尾からのエピソードは、(前の)浜路と信乃が再会する話でもある。第二輯口絵を、貝の描かれた帯が囲んでいる点は前述した。貝は甲斐に通じ、浜を連想させる。しかし、口絵左上部にある歌、「いせのあまかかつきあけいくかた勢ひあか(ら?)ひの玉乃輿になのりそ」が簸上宮六と前の浜路との縁談に関わると、前に述べた。飽くまで此の口絵は第二輯、前の浜路が陥った悲劇に関わっていると思われる。が、前後の浜路は、第七輯口絵にある如く、「愀然相照鏡中亦有与吾同憂」の関係にある。馬琴自ら語る様に、後の浜路を「実花」、前の浜路を「虚花」とすれば、前の浜路に関わるモノは即ち後の浜路と無関係ではない。勿論、鏡像は完全に同じではない。分かり易い所では、左右が〈逆〉に映る。前後の浜路を取り巻く状況は、似て非なるモノであって、此の「似て非なる」所が、馬琴が繁用する「隠微」の重要な構成要件である。輪郭が、揺らぎつつダブっている。
 前の浜路の境遇は、如何なものであったか。結城合戦で戦った大塚匠作の娘すなわち犬塚番作の姉すなわち信乃の伯母・亀篠はヤクザの蟇六と婿として大塚家を嗣いでいた。しかし子供が出来ない。豊島一族の煉馬平左衛門尉倍盛朝臣の家老・犬山貞与入道道策と黒白の間に生まれた。初めは正月と名付けられた。道節と母・阿是非を暗殺した科により黒白は罪せられ、正月は養子に出された。体の良い絶縁である。亀篠が引き取り、浜路として育てた。しかし、亀篠は親子の情として浜路を真に愛したとは言えない。打擲したり飢えさせはしなかったようだが、精神的には虐待していたと考えられる。ただ性的欲望によって求める支配者の申し入れによって、浜路を差し出すことにする。縁談を承知しながらも履行できず亀篠・蟇六は、支配者の為に虐殺される。一方、玉の輿より孝の玉、信乃を慕う浜路は自殺を試みて庭に出る。為に網乾左母二郎に連れ去られ、円塚山で致命傷を負う。義理の兄である道節に看取られて死ぬ。
 後の浜路の境遇を復習する。結城合戦で戦った井丹三の家人であり主の最期を地元に伝えて切腹した男の息子・木工作は、甲斐・猿石の外伯父を頼り娘の麻苗と結婚して婿となった。鷲に浚われ甲斐まで飛来した浜路姫を養女として育て始めた。麻苗が死んだため、実は淫奔な夏引を後妻とした。夏引は浜路の乳母であったにも拘わらず、自分の立場を確立した後は、浜路を虐待するに至る。浮気相手・泡雪奈四郎と計り、浜路を支配者・武田家の嫡子に差し出し、性的奉仕をさせようとする。信乃の存在に依り「玉乃輿」を拒んだ木工作は、支配者・奈四郎によって虐殺される。一方、浜路は見知らぬ武士、(偽)眼代・甘利兵衛尭元に連れ去られ、指月院で自分が安房里見の姫君だと知らされた。(偽)甘利は、(前の)浜路の兄・道節であった。浜路姫は後に、信乃と配偶する。
 前の浜路が育てられた大塚家と、後の浜路が養女となった四六城家を比較する。大塚匠作は結城合戦で戦い、幼君の為に華々しい最期を遂げた。信乃の伯母・亀篠が嗣ぎ蟇六を婿に迎えた。四六城木工作は、結城合戦で戦い地元に悲報を伝えるマラソンの挙げ句自殺した者の息子だが、外伯父の娘の婿となった。蟇六と木工作は、対照である。軸は「結城合戦」であり、「婿」だ。前後の浜路は供に、「養女」である。前の浜路は実母の罪で養女に出された。後の浜路は、不慮の事故に依ってである。対称的だ。前後の浜路は共に、支配者への「玉乃輿」を求められ、結果として養父を惨殺される。但し養父両者の殺された経緯・理由は、対称的だ。では、奈四郎と浮気する夏引と蟇六以外には身を許したとは書いていない亀篠も、対称的であろうか? 筆者は否定的だ。本文に明示はないものの、亀篠は網乾とイケナイ事をしたと疑っている。理由は後述する。
 前後の浜路が互いに鏡像であるとして、挿絵に何か示されているだろうか。「顔が似ている」と言う気はない。此の時代の挿絵は、画家それぞれの好みの顔はあるようだが、あまり個体差を際立たせるものではない。類型的であり、種類が限られる。若い女性なら互いに似通うものだ。が、着物の模様は描き分けている。第七十一回挿絵「鼠璞非璞兎絲非絲其名同而其物異也」タイトルからして前後の浜路が似て非なる物だと言っているが、似ているのだ、着物の柄が。場面は、兵士らに信乃が取り囲まれ将に捕らえられようとしている。出来介が信乃の小刀を突き付けている。木工作殺害容疑で信乃が捕まる場面だ。横で浜路が慌てている。此の柄物は、第六十八回挿絵「有花不語春寄声有水無意蟾蜍遺環」にも、やや似た柄物を(後の)浜路は着ている。但し、第六十八回と第七十一回の柄物は、違いもある。それも其の筈、前者は渓斎英泉、後者は柳川重宜の筆に依る。多少の異同は仕方がない。そして両者は、特に前者すなわち(前の)花路が(後の)浜路に憑依して、自分に操を立てようとする信乃の意思を翻そうと口説いている場面、〈後の浜路口説き〉ともいえるが、此処で(後の)浜路が着ている柄物は、第二十五回挿絵、所謂「浜路口説き」の其れと同一と言って良い。また、(前の)浜路は途中、違う柄物に着替えるが、第二十七回挿絵「山前の黒夜四凶挑戦す」第二十八回「名刀美女の存亡忠義節操の環会」すなわち最期の時には、やはり「浜路口説き」の時に着ていた柄物だ。重要な場面での両者の柄物が一致している点は、見逃すべきではないだろう。
 また第六十八回挿絵には、もう一つ、興味深い点がある。夏引の着物の柄だ。小振りな花があしらわれている。小さくて判りづらいが、これは恐らく第二十一回挿絵「額蔵を将て亀篠犬塚が宿所に到る」で亀篠が着ている着物と同じだ。第二十三回挿絵「艶曲を催して蟇六権家を管待す」では拡大され、同一であることが判然とする。第二十六回「自殺を示して蟇六浜路を賺す」でも着ている。亀篠の、お気に入りだったのか。一方、夏引は、第六十八回でしか、此の柄物を着ていない。まさに、前後の浜路が合致する場面に於いて、夏引は亀篠の柄物を身に纏う。前後の浜路を虐待した継母、夏引と亀篠が物語上、共通の機能を持たされていることが解る。
 共通の機能があるならば、夏引の様に亀篠も淫奔すれば良いのに、と御心配なさるムキもいようか(いないよ)。実は第二十四回挿絵「苦肉乃計蟇六神宮河に没す」で、土太郎・蟇六・信乃の三人が水中で格闘する場面、信乃のプリティーな尻に蹌踉めきそうになった方もいようか(いないよ)。独り舟上に残り、村雨を自分の刀とすり替える網乾左母二郎が着ている柄物は、やはり亀篠の物だ。此の直前、亀篠は、蟇六と一緒ではなく単独で、仲間に引き入れるため網乾と密会し、浜路の婿にすると約束している。密会した後、網乾が亀篠の着物を纏っている。此のとき以外に網乾が此の柄物を着ている時は、なさそうだ。密会した男女が互いに着衣を取り替えるとは、如何様な状況を想定できようか。和歌に通じた馬琴なら、二人の関係が肉体的であると考えただろう。そして馬琴が挿絵を指揮したと考えるならば、此の挿絵は読者にコッソリ、亀篠が網乾とイケナイ事をしたと伝えているよう思われる。少なくとも、亀篠が淫奔していないというアリバイは、崩れている。挿絵は「文外の文」、本文に書いていないことまで示しているようだ。そして此の柄物を第二十六回「自殺を示して蟇六浜路を賺す」でも亀篠は着ている。取り返しているのだ。が、さて、実際に亀篠と網乾が衣を替えた・取り返した、と考えているのではない。いくら蟇六でも、同じ舟に乗った網乾が妻の着衣を身に纏っていたら事の次第を勘付くだろう。挿絵の着衣は、第一義的には読者に見せる為のものであり、登場人物同士で見せ合う為のものではない。神宮河に於ける挿絵でのみ網乾が亀篠の着衣を纏っているは、本文/作中の事実関係では描かれていない密やかな事実を、象徴的に示すため、敢えて描いたものだろう。

 ところで、「いせのあまかかつきあけいくかた勢ひあか(ら?)ひの玉乃輿になのりそ」を、もう一度見よう。大麻に付属した教訓歌の趣だ。しかし、教訓が目的の歌でも、少し捻れば、或る昔話を思い出させる。
 四国八十八カ所・第八十六番志度寺は、一人の女性を祀っている。本尊は十一面観音、山号は補陀落山だ。藤原不比等が、太政大臣だった父の菩提を弔うため中国から宝珠を贈らせた。しかし運ぶ船が、志度の辺で海中に没した。宝珠は龍に奪われた。不比等は宝珠を取り返そうと志度に赴いた。一人の海女を妻とした。子が生まれた。藤原房前である。海女は海に潜り、龍から玉を奪い返した。が、龍に追われ捕まる直前、乳房の下を切り開き玉を隠した。肢体を食い破られて海から上がった。不比等に玉を渡す。不比等は房前を跡継ぎにすると約束する。海女は息絶えた。不比等は海女を祀り、房前は五輪塔を建てた。五輪塔は今でも残っている。
 藤原不比等は当時の権勢家であった。海女は単に性欲処理の現地妻にされたに過ぎない。そういう時代だったのである。しかし、生んだ子供が跡継ぎとなれば、話は別だ。嫡妻であるから、玉の輿に乗ったことになる。玉の輿に乗るため、海女は我が身を犠牲にして龍から玉を奪い返さなければならなかった。玉の輿には乗ったが、我が身を殺すこととなった。近世の合理的で現実的な民衆なら、「何の為の玉の輿だ?」と突っ込むだろう。「玉乃輿になのりそ(玉の輿に乗るものではない)」である。命あっての物種、死んでは何にもならぬではないか。無理をせず地道に生きよ、との教訓歌にも聞こえる。が、同時に、志度海女の話が現在まで語り継がれている事実から、民衆が海女に深い同情と共感を寄せていることも分かる。我が子を世に出すために身を劈いた海女……。両義的だが、そういうものだろう。やや飛躍のきらいもあろうが、まぁ、海女→玉乃輿とくれば龍ってなもんで、八犬伝に於いては、里見義実の安房渡海、政木狐の最期、の二回のみしか姿を現さない「龍」の存在を思い出させる。

 さて、八犬伝はリフレインの小説だとは既に述べた。また今回、前後の浜路の関係から、リフレインと言っても同様の話を繰り返すだけではなく、鏡像の如く対称的なものを含むことが理解せられた。更に、信乃と伏姫が桜柄の着物で繋がっていると想定した。実は、第一輯口絵には、より刺激的な論点が隠されている。先に挙げた、伏姫の絵だ。一丁捲って信乃、一丁遡って左側には玉梓が描かれている。伏姫の向かって左寄り足下には敵将の首を銜えた八房、玉梓の右側足下には山下柵左衛門尉定包が控えている。構図は鏡像の如く左右対称である。伏姫は雄々しく八房の手綱を握り、玉梓は立てた琴に手を掛け嫋々しくシナをつくっている。対照的である。伏姫が纏う着物の柄は前述の如く、桜だ。玉梓の着物も似た桜柄だ。が、玉梓の着物は、ちょうど伏姫の着物に薄墨をかけた印象である。反転を表現しているのか、単に色を重ねているのか。とにかく、柄は似ていて色が違う。これも、対称である。更に、八房には名前の由来となった八つの斑がある。白に黒だ。定包の着物にあしらわれている模様は、牡丹だ。どうも白牡丹らしい。八房の斑が犬士らに分与されたことは、信乃にとっては孝玉の〈容器〉代四郎犬が四肢のみ白い即ち大きな一つの房/斑をもつ犬であったことからも窺えよう。……此は、馬琴の遊びか?
 口絵には描かれた人物らへの賛もしくは評と思われる詩文や歌が描き込まれている。玉梓・定包の口絵に寄せた詩は、「周公恐懼流言日、王莽謙恭下士時、若使當年身便死、至今眞僞有誰知。白居易読史詩」である。チョイと口語訳すると、「聖人君子の誉れ高い周公でさえ天下に野心ありと根も葉もないことを世に誣いられ、デマの恐ろしさを知った。逆に、漢を滅ぼして典型的な簒奪者と後ろ指さ差される王莽は、世人が見かけだけで判断し思いたい様にしか他者を理解しないことを逆手にとり、聖人君子と思わせる為、遣ること為すこと周公の真似をした。一角の人物には謙譲し恭しく腰を低くした。このため当時、王莽は君子だと皆がもてはやした。人望を集め、裏では皇帝を毒殺しておいて、皆が自分を皇帝に推すときまで待ち、天子となった。しかし、もしも王莽が天下を簒奪するまで生きていなかったら、彼の真意を後世の私たちは決して知ることがなく、彼を君子と賞賛していることだろう」。「赤き衣の男」で、大海女……大海人皇子が後漢の嘉例を真似たのか兵に赤衣を着せて攻撃、天智の正統な後継者であり甥の大友皇子を死に至らしめた、日本書紀の記事を紹介した。明らかに、大海人皇子は自らを火気と規定し、大友皇子を金気と決め付けて攻めた。五行呪術、火克金、である。此のヒントとなったのは恐らく王莽の新が滅び後漢が興った故事に拠る。易姓革命だ。王莽が滅ぶ原因となった農民叛乱で、蜂起者たちは眉を赤く塗った。赤眉の乱である。
 白居易読史の詩は、直接的には、次の如き事どもを示しているのだろう。定包は玉梓を通じて実質的な権力を握った上で、自分を暗殺しようとした洲崎無垢三・杣木朴平を騙して主君・神余光弘を殺させた挙げ句、神余家臣団が自分を主君の座に据えるよう誘導した。確かに、此の流れは、王莽の簒奪に庶いといえば庶い。ただ、疑問も残る。詩の結句「至今眞僞有誰知」がドス黒い光を放って、我々を不安にする。論語読みの論語知らず、表面だけ取り繕っていた王莽が、帝位を簒奪する前に死んでいれば確かに「善い人だった」ともなろうが、定包の場合、そうは言ってもらえなかっただろう。この疑問を、八犬伝の裏面から漏れてくる黒い光が強調する。それは何か? (お粗末様)
  
  
  

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