本編「猫にゃんにゃんにゃん」

       ―――海の記憶シリーズ1―――

 兎園小説なる変な本がある。馬琴も加わっていた好事家グループが例会で互いに発表し合った奇譚を纏めたものだ。だから俄には信じられないような話も収録されている。けれども、少なくとも、<そぉいぅ噂があるのは事実だろう>ぐらいの信憑性がある。「小説」といっても、フィクションではないのだ。「小人の説」。同書の別集下巻には赤岩庚申山の項目がある。此処での記述は、八犬伝第五十九?六十回に於ける説明と、ほぼ同一だ。地名では嘘八百を並べる馬琴も、少なくとも主観的には、事実に忠実な設定を行っていると言えよう。いや、逆だ。馬琴の構想に偶々庚申山が合致したのではなく、寧ろ、実際の庚申山が八犬伝の構想に影響を与えたのではないか。八犬伝に於ける、「庚申山」のディテール描写は、兎園小説、即ち馬琴の主観的<事実>を撫ぞったものだ。勿論、怪しい点もありはする。大角が庵を結んで籠もった「璧返(タマガエシ)」なる地名だ。私は関東の土地勘がないけれども、角川や平凡社の地名辞典にも載っていない、架空の地名である可能性が高い。細部まで事実と同様に書かれた庚申山関連情報のうち、此の点こそが、確かではない。だとすれば、即ち、<庚申山は事実通りで八犬伝の(部分的)構想/設定と齟齬しない>もしくは<庚申山の事実から馬琴は八犬伝の構想を得た>そしてまた<「璧返」は如何しても馬琴が此処で用いたかった地名である>と考えられる。

 荒芽山の危難を脱した現八は、行徳で親兵衛が「神隠し」に遭ったと知る。ウロウロするうち京まで上って三年を無為に過ごす。武術師範をしていたんだけれども、まぁ、単なる<時間潰し>だろう。時満ちて京を発ち、東国へ帰る。親兵衛らは西国にいる場合だって考えられるんだけども、「犬士って皆、東国出身だから、東国にいるに違いない」と、現八は推理した。考え無しと言えば、考え無しだが、まぁ世の中、結果論、正解だったから咎めるには当たらない。とにかく現八は、東へ向かった。そしてまた、現八の考えに拠ると、神隠しに遭った親兵衛は、名だたる霊山に居る可能性が高い。これは興味深い点で、神隠しは、神による行為だから、神がいそうな山が怪しい、というのだろう。「犬士は皆、東国出身だから……」といぅより、論理的な思考である。まぁ、結果的に間違っていたから、現八って、<考えるより考えない方が上手くいく>、いや、バカとまでは言わないが、ソレに類するキャラクターなのかもしれない。閑話休題。
 現八は荒芽山の旧跡を訪ねた。感慨に一頻り耽って、こう考える。「上野よりして武蔵相模へ赴くは是順路なれども、去々歳の秋下総まではやゆきたればおなじ路なり。此度は下野に赴きて二荒山にも登るべく、なほ陸奥の尽処までも足に信して索あるかん」。二荒山、これも霊山として有名だったらしい。二荒山を目指して現八は歩き、下野州真壁郡網苧で休憩する。茶屋の老翁が語る赤岩庚申山の説明は、兎園小説と、ほぼ同様である。「二荒山と相距ること西のかた七里にして」とか何とか、八犬伝の記述の方が簡略ではあるが、ほぼ同様である。

 赤岩庚申山は、八犬伝にもある如く「是則奥の院なり。……その窟の形たる、中宮は□にて左は△右のかたは○かりける。便是天地人の三才を象るものか。その窟口の広きこと、おのおの八九尺なるべし。所謂稚日霊尊・素盞鳴・猿田日子と共に三神、●(シンニョウに貌)古鎮座の旧蹟ならんか。この窟口の神前に石猿三隻並びたり。その形状、非礼勿視、非礼勿言、非礼勿聴の三箴にして、亦是自然の活石なり。庚申山と名づけしは、蓋これに依れるのみ。神祇官の記に云、庚申の日に、件の三神を奉拝すといへり」。庚申山は、庚申信仰と関係があるとの謂だ。
 悪左府・藤原頼長の日記「台記」久安元年三月十五日条に「庚申守三尸……」とあり、古くから<庚申待ち>が行われていたことが分かる。いや、もっと古くから記録にはあろうが、別に庚申信仰自体の考究を目的としているワケではないし、藤原頼長を引っぱり出すために、台記を引いただけのことだが、簡単に言うと、庚申待ちは道教の行事。人の体内には「三尸」(三匹の精霊)がいて、悪事を監視している。庚申の日になると、人の悪事を天帝に密告しに昇る。密告させないために、人は庚申の日には寝ずに、「三尸」が天に昇らないよう監視する。そして、庚申(カノエサル)の字面からか、猿が庚申信仰に紛れ込んだ。密告、見て聴いて言われたら、敵わない。人は自分の悪事を、見て欲しくないし、言って欲しくないし、聴いて欲しくない。ミザル、イワザル、キカザル、所謂、三猿の像へと結果する。庚申山には、やはり、「三猿」の像がなければならない。

 八人目の犬士・大角登場譚は、色んな意味で興味深い。何たって、最後に登場する犬士だ。最初に登場する犬士・信乃の挿話と同様に、馬琴は重視していたに違いない。八犬士登場のエピソードは、それぞれ差(シナ)あり、粗密がある。大角の話は充実している方だろう。最初に登場する信乃と同様に、八犬伝全体の構想に関わりそうで、油断できない。例えば、両者には、極めて重要な共通点がある。<猫>だ。此の「猫」こそ、八犬伝の基層に関わる、重要なイコンなのだ、とイキナリ言うと、大袈裟に聞こえるだろうか。番作の死と引き続く信乃の苦難は、猫の紀二六が原因と言える。まぁ、紀二六には悪気がなかっただろうけれども、その存在自体、信乃の不幸の原因たり得た。一方、大角に就いては、不幸の原因が、偽一角こと野猫(ヤマネコ)である点に異論はなかろう。

猫は、悪役に相応しいか? 私は子猫なんか見ると、可愛くって可愛くって構いたくなる方だ。まぁ、犬ほど好きではないが、子猫に「にゃむぅ」と甘えられると、変な話だが、ヤニ下がってしまう。いや、私自身の嗜好は関係ない。より客観的に語ろう。馬琴と同時代、江戸町奉行も勤めた根岸鎮衛が書き残した著聞集「耳嚢」には、幾らか猫に纏わる奇譚が載せられている。
 まず、巻二には、「猫の人に化し事」として以下の如き噂が載せられている。母に化けた猫を退治したが、母の姿になったため、自殺しようとした武士、友人の助言により様子を見ると、夜になって母の遺体は徐々に猫の姿となった。八犬伝でも、偽・一角の野猫は、殺されて暫くしてから漸く正体を現し始めるが、其の設定が馬琴の創作でなく、当時の通説であったことが分かる。が、同じく巻二「猫の人に付し事」には、概略次の様な話を載す。駒込辺に住む同心の母に猫が取り付いた話。鰯売りに全部買うから負けるよう言うが、断られる。怒った母は、「面は猫と成り耳元までさけて、振上し手の有さま怖しといわんかた無ければ」。昼寝していた息子が見ると、全く猫の姿だった。斬り殺すと、母に相違なかった。息子は自殺した。……猫が人に擦り替わる事と、憑依することは違うってことだ。猫とは、左様に恐ろしいモノであったらしい。また、巻四「猫物を言ふ事」には、タイトル通り喋る猫が登場する。猫が言うには、「猫の物を言ふ事我等に不限、拾年余も生き候へば都て物は申ものにて、夫より拾四、五年も過候へば神変を得候事也。併右之年数命を保候猫無之……中略……狐と交りて生れし猫は、其年功なくとも物言ふ事也」。猫は十四五年も年を経ればドレだって喋るようになる。ただ、そこまで長生きの猫がいないから、人にバレなかっただけだ。ただし、猫と狐が交配して生まれた猫(?)は元々人語を話すことが出来る。猫が狐と同様に<妖しい>もしくは<霊的な>存在であったと知れる。耳嚢中、狐は悪さもするけれど、一休禅師の信仰心を確かめたモノ(弥次郎狐)とか、なかなかレベルが高い動物として扱われている。って、レベルが高い動物なのに、何故に悪戯をするか? といぅ疑問には、狐本人に答えて貰おう。
「老狐名言の事」
右の弥次郎狐なるか、又は外の老狐なりけるや。人に古き事などを語りて人の為をなしけることなど咄しけるに、或人彼老狐に向ひて、「畜類ながらも斯まで理にさとくして、吉凶・危福を兼て悟りて人に告る程の術あれば、げにも名獣ともいふべきに、いかなれば人をたぶらかし欺きなどする事、合点ゆかざる事」と申ければ、彼老狐答へて、「人をたぶらかしなどの悪業を為す事、狐たる物不残さには非らず。か丶るいたづら事をなすは、人間の多き内にもいたづら不届をなすもの有が如し」と言ひて笑ひけるとなり。

 ……なるほど、狐には善玉もいるらしい。実は狸にもいるけど、猫にも当然、善いヤツはいる。耳嚢巻十「猫忠死の事」である。
 安永・天明の頃なるよし、大坂農人橋に河内屋惣兵衛といへる町人ありしが、壱人の娘容儀も宜、父母も寵愛大方ならず、然るに惣兵衛方に年久敷飼置る猫あり、ぶち猫のよし。彼娘も寵愛はなしぬれど、右の娘に附まとひ片時も不立離、常住坐臥、厠の往来等も附まとふ故後々は、「彼娘は猫の見入たるなるべし」と近辺にも申成し、縁組等を世話いたし候ても、「猫の見入し娘なり」とて断るも多かりければ、両親も物うき事におもひ、暫く放れ候場所へ追放しても間なく立帰りける。「猫はおそろしきもの也。殊に親の代より数年飼置けるものなれど、打殺し捨るにしかじ」と内談極ければ、彼猫行衛なくなりし故、「さればこそ」と、皆家祈祷其外魔よけの札等をもらひいと慎みけるに、或夜惣兵衛の夢に彼猫枕元に来りうづくまり居ける故、「爾は何故身を退、又来りけるや」と尋ければ、猫の曰、「我等娘子を見入たるとて殺されんとある故、身をかくし候。能く考へても見給へ、我等此家先代より養はれて凡四拾年程厚恩を蒙りたるに、何ぞ主人の為めあしき事なすべきや。我等娘子の側を放れざるは、此家に年を経し妖鼠あり、彼れ娘子を見入て近付んとする故我等防ぎの為めに聊も不離附守る也。勿論鼠を可制は猫の当前ながら、中々右鼠我壱人の制に及びがたし。通途の猫は弐、三疋にても制する事なりがたし。爰に一つの法あり。島の内河内屋市兵衛方に虎猫の一物あり。是を借て我等と倶に制せば事成べし」と申て、行方不知なりぬ。妻なる者も同じ夢見しと夫婦語り合て驚きけれ共、「夢を強て可用にもあらず」と其日は暮ぬるに、其夜も彼猫来りて、「疑ひ給ふ事なかれ。彼猫さへ借給はば災除くべし」と語ると見し故、彼島の内へ至り、料理茶屋体の市兵衛方へ立寄見しに、庭の辺椽頬に抜群のとら猫有りける故、亭主に逢ひて密に口留めして右の事物語ければ、「右猫は年久敷飼置しが、一物なるや其事は不知」。せちに需ければ承知にて貸しける故、あけの日右猫を取に遣しけるが、彼もぶち猫より通じありしや、いなまずして来りければ、色々馳走などなしけるに、かの班猫も何地よりか帰りて虎猫と寄合たる様子、人間の友達咄合が如し。さて其夜も又々亭主夫婦が夢に彼のぶち猫来り申けるは、「明後日彼鼠を可制。日暮れば我と虎猫を二階へ上置給へ」と約束しける故、其意に任せ翌々日は両猫に馳走の食を与へ、さて夜に入二階へ上置しに、夜四つ頃にも可有之哉、二階の騒動すさまじく暫しが間は震動などする如く成りしが、九つにも至る頃少し静まりける故、誰彼と論じて、亭主先に立上りしに、猫にもまさる大鼠の咽ぶえへぶち猫喰ひ付たりしが、鼠に脳を掻破られ、鼠と倶に死ぬ。彼島の内の虎猫も鼠の脊にまさりけるが、気力疲れたるや厩に死に至らんとせしを、色々療養して虎猫は助かりける故、厚く礼を述て市兵衛方へ帰しぬ。ぶち猫は其忠心を感じて厚く葬、一基の主となしぬを、在番中聞しと、大御番勤し某物語りぬ。

 或る家に飼われていた猫が、主人の娘から一時も離れない。娘が猫に見入られたと思った家中の者は、件の猫を殺そうとする。猫は何処かへ行くが暫くして主人の夢枕に立つ。自分が娘から離れなかったのは、娘に見入ろうとする老鼠から守るためだったと打ち明け、鼠を倒すため虎猫の一物を借りてくるように頼む。一旦は疑うものの、主人は虎猫を借りてくる。件の猫は、虎猫は協力して老鼠を倒すが、壮烈に討ち死する。

 さて、上記の如く、当時の江戸では、猫が人間の為に命を捨ててまで尽くす、って話もあった。猫と、猫を猫可愛がりする飼い主の、強い心の紐帯を感じさせる。人間側のオメデタイ誤解に過ぎぬが、ソレはソレとして、猫は、愛されてもいたのだ。にも拘わらず、八犬伝で猫は悪役だ。重要な場面、最初の犬士・信乃と最期の犬士・大角が登場するエピソードで悪役として描かれるのだから、無視は出来ない。いや、化け猫が悪役なのは当たり前として、信乃の挿話に出てくる紀二六なんて、単なる飼い猫で、存在自体を悪とするには、役不足か。<悪役>と捉えること自体に無理があるかもしれない。が、筆者には、馬琴が猫そのものを悪役に設定した、と思えてならないのだ。

「仏神に猫を禁じ給ふといふ事」(耳嚢巻二)
猫は妖獣ともいわん、可愛す物にもあらねど、宇宙に生をうくるもの仏神の禁じ給ふといふ事疑しく思ひけるが、仏神禁じ給はざる事明らかなる故、爰に記し置ぬ。日光御宮御普請に付、彼御山に三年立交りてありしに、右御所御荘厳は世に称するの通、結構いわん方なし。誠に日本の名巧の工みを尽しける。さるによりて和漢の鳥獣の御彫物いづれも無ものはなし。支配なるもの申けるは、「数万の御彫物に猫斗は見へざるは妖獣ゆへ禁じけるやと申ぬるが、或日御宮内所々見廻りて、奧院入口の御門脇蟇股内の御彫物は猫にてありけるにぞ、猫を禁ずるの妄言疑ひを晴らしける」と也。

 根岸鎮衛は十八世紀後半から十九世紀前半の人で、寛政・文化頃、十八年に亘り江戸町奉行を務めた。まさに馬琴と同時代、江戸市中の情報を一手に集める職に在った。上記「仏神に猫を禁じ給ふといふ事」は、示唆的だ。則ち、猫が「妖獣」と言われていたこと、しかし其れを「妄言」だと疑う態度が、両立していた事が知れる。また、「妄言」だと考える一派も、其の証拠として、東照宮の彫刻を挙げているのだから、必ずしも<合理的>ではなかった。「宇宙に生をうくるもの仏神の禁じ給ふといふ事疑しく思ひける」って考え方自体、宗教っぽい。まぁ、宗教の中でも<良心的>な部類だとは思うが、殊、この小話が背景としている論理は、思考不足だ。東照宮の彫刻に猫があったとて、猫の立場を正当化するとは限らない。「妖獣」だからこそ、彫刻に描かれているとも想定できるからだ。

 ところで、此処まで「悪役」って言葉を安易に遣ってきたが、抑も、八犬伝に於ける<悪役>とは、如何な存在であろうか。いきなり大問題に突入してしまったが、簡単に言えば、八犬伝に於ける悪とは、<無秩序>である。濫りなる欲望を逞しうして、他者の人権を甚だ害しようとする、そんな存在が、<悪>のレッテルを貼られている。秩序/平和を乱す者、此こそが、八犬伝に於ける悪玉である、と、取り敢えずは言っておこう。
 最初の犬士と、最後の犬士が登場する二つのエピソードで、共に悪玉側の存在として猫が登場する以上、猫は、無秩序を表徴していなければならない。そう言えば、現実世界に於いても、猫が無秩序を象徴する具体例がある。多くの人が御存知の筈だ。
 嘗て筆者は「東照宮の牡丹と犬と梅」に於いて、東照宮と八犬伝の間に端倪すべからざる関係があると、妄想を打ち明けた。東照宮と言えば彫刻、彫刻といえば左甚五郎、左甚五郎といえば、「三猿」と「眠り猫」だ。三猿は措いといて、眠り猫、あの、とっても長閑な寝顔で眠る愛らしい猫(の彫刻)だ。眠り猫が平和/秩序を象徴しているとは、よく言われる。何故に平和/秩序を象徴していると言い得るかってぇと、ちょうど裏に小鳥が舞い飛ぶ姿が彫られているからだ。小鳥を飼った方は御存知であろうが、猫は、捕食を目的とせぬ場合でも、殆ど本能的に、小鳥を襲う。小鳥を飼っていたが故に猫が嫌いになった人もいたりするけれども、とにかく、猫がいると、小鳥は心休まることがない。小鳥が楽しげに舞い飛ぶ彫刻は、何の恐れもない平和な世の中を象徴していると、解釈できるのだ。此の場合、平和とは、文字通り表裏一体として、猫が眠っている状態である。ならば、猫が目覚めたら如何なるか? 小鳥は恐怖に支配され逃げ惑わなければならない。猫が、無秩序/戦乱の状態を示していることになる。他ならぬ東照宮・家康が、元和偃武、戦国の世を終わらせ、泰平の世を実現したが故に、偉大だと評価されたことを思い起こせば、上記の解釈に十分な説得力が認められよう。
だいたい東照宮、変な神社だ。神社って、素木か丹塗りと相場が決まっている。真っ白に塗りたくった神社なんて、珍しい。また、<もう一つの東照宮>久能山も、特殊な配色だ。真っ黒に極彩色の彫刻が彫り込まれている。何連もド派手この上ない。此を、三河の田舎大名が成金趣味を爆発させた、と考えても良いのだが、多分、何か意味があつたのだろう。特異な論理が秘められていると、筆者は疑っている。……疑っているが、まぁ、ソレは措いといて、話を進めよう。……と思ったが、お約束の制限行数である。それでは、皆さん、御機嫌良ぉ。

お粗末様。
 

←PrevNext→
      犬の曠野表紙旧版・犬の曠野表紙