◆伊井暇幻読本本編・南総里見八犬伝「火の玉! 音楽一家」

 八犬伝中で最も魅力的な女性は誰だろう? それは、音音(オトネ)だ。彼女は、強く賢く可愛い。とても魅力的だ。オバサンだけど。敵の軍勢を向こうに回し薙刀を執って一歩も退かず、般若の如く荒れ狂ったと思えば、恋人と添い遂げて頬を赤らめる純情さを顕し、乳母を務めたおバカな道節や可愛い孫を自慢する、人間らしさもある。躁状態とも言えなくもないが、とても可憐な女性である。躁とは燥、火気の特性であり、おバカな道節も持っている性質であった。
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  「火の玉 音楽一家」の主人公は、音音である。まさに、火気の中の火気、鉄火肌の女性とは、斯くの如き人であろう。まるで丙午(ヒノエウマ)の女性だ。午は十二支のうち、最も火気が旺ずる状態を示す。丙は、「火の兄」すなわち、火気が強力な状態を示す。この音音は文明十(一四七八)年現在で「五十あまり二三」(第四十六回)歳であった。昔の年齢は数え年なので、これは「五十一二年前に生まれた」ということだ。文明十年から五十二年前は、応永三十三(一四二六)年、丙午である。
 音音にも夫がいる。彼は彼で目立つ存在だが、音音にかかっては、ダメ親爺に近い。姥雪世四郎(オバユキヨシロウ)という名前である。名前だけで音音に負けている。雪は火によって溶け消え、四は金気の数であるから、火気に克される。火克金(火は金を溶かす)……いや、世四郎に就いては、別の機会に譲る。こいつは音音らを捨てて何十年も別居していたから、火の玉音楽一家に混ぜてやらないのだ。
 火の玉音楽一家の構成は、以下の如くである。音音、彼女は煉馬家中に其の人ありと言われた犬山道策(イヌヤマドウサク)に仕えていた。双子の息子、尺八(シャクハチ)と力二郎(リキジロウ)は、道節の陪堂(トギ:遊び相手)を務めた。しかし、二人の息子が成長した或る日、突然、煉馬家は滅亡し、主である道策は討ち死にした。関東管領の軍勢に急襲されたのだ。因みに「煉馬」を「練馬」と書かなかったのは、やはり「煉馬」を火気に関係付けたかったからだろう。
  戦いの前日、尺八と力二郎は結婚した。相手は煉馬家中、足軽を父にもつの姉妹・曳手(ヒクテ)と単節(ヒトヨ)であった。夫婦の契りも一夜限り、尺八と力二郎は激戦の中、行方不明となった。音音は馬一匹と、嫁になったばかりの曳手と単節を連れて、山奥深く難を逃れた。戦場から脱出した道節と合流した。一方、行方不明となった尺八、力二郎は、実父・世四郎の家に匿われていた。ただし、この時点で、世四郎と音音の間に交通はない。また、尺八と力二郎は、煉馬家の仇を討とうとする道節に、頼りになる協力者を捜すよう命じられていた。

 彼らは何故「音楽一家」なのか? まず、それぞれの名前を見てみよう。尺八は楽器、曳手は音を必要以上に伸ばす演奏手法だろうし、単節は……これは、ちょっと説明を要する。近世仏教界にあって、「尺八を吹け!」という教義を有っていた一宗派がある。「ふけ宗」という。普化宗と書く。虚無僧(コムソウ)である。彼らが用いた普化尺八、竹の根元から七つ目の節までを切り取って作った笛である。しかし、この普化尺八に先立って使われた尺八に、「一節切(ヒトヨギリ)」という種類があった。これも竹製であるが、節が一つしかない。単節である。

 ところで、この「一節切」尺八が八犬伝中で演奏される場面がある。第三十五回、謎の僧侶が尺八を吹く。傷ついた犬士・犬塚信乃(イヌヅカシノ)を、「房八(フサハチ)」という好漢が、身を挺して救う場面に先立つ一齣だ。そこで犬士・犬田小文吾(イヌタコブンゴ)の口を借りて、馬琴が蘊蓄を垂れている。「近属侠者といはるるものは、一箇印籠、一節切を腰に着ぬは稀なりき。そもはや今は廃りたり(チカゴロヲトコトイハルルモノハ、ヒトツインロウ、ヒトヨギリヲ、コシニツケヌハマレナリキ。ソモハヤイマハ、スタレタリ)」。いきなりに尺八を吹きだす謎の僧侶は、或る予兆であった。「房八」という男が犠牲になるとき、「一節切」という種類の「尺八」が吹かれた。<後に、また同様の悲劇が起こる>のだ。

 いま一人の音楽一家は、力二郎である。「力二郎」の何処が音楽なのか? 実は分からない。もしかしたら、尺八そのものか楽曲に関係する人名とも推せるが、未詳である。ただ、「二」は、火気に配当される数であることだけは、確かだ。また、馬琴は、「尺八」と「力二」を変形させると、「八房」の二字になると言っている。種明かしは、「八」は、そのまま、「力二」が「方」に変形し、「尺」と合体して「房」となる。強引である。この強引なナゾナゾのために、彼は「力二郎」と名付けられたのかもしれない。音楽一家を完成させるために、独り音楽とは、少なくとも他の家族ほど直接的な関係を持たされなかった鬼っ子、それが力二郎だったのかもしれない。この「八房」を逆転させると、「房八」になる。房八とは、犬士を助けるために犠牲となった侠者の名であった。そして後に、「尺八」と「力二」郎は、やはり、犬士らを救うため、命を投げ出すのである。悲劇は繰り返された。ちなみに、「尺八」には、いつも犬田小文吾が関係する。この点に関しては別稿で論ずる。

 また、音音、曳手、単節は、後に里見家と敵対する関東管領家にスパイとして潜り込むが、そのときの変名が、それぞれ、樋引(ヒビキ)、臥間(フスマ)、叫子(ヨビコ)である。ヒビキは「響」であり、ヨビコは笛の一種であり、音楽一家らしい変名となっている。問題は、フスマだが……、これに就いても未詳である。
 ただ、馬琴は、火神ぢゃなかった歌人でもあった。八犬伝中でも古歌を引用したり、自作の歌を挿入したりしている。『万葉集』中、柿本人麻呂(カキノモトノヒトマロ)作として、次の歌がある。「ふすま道を ひくての山に妹を置きて 山道を行けば 生けりともなし」(フスマジヲ、ヒクテノヤマニ、イモヲオキテ、ヤマジヲイケバ、イケリトモナシ)。妻との死別を歌ったとされている。巻二の二一二である。
 何やら牽強付会めくが、有名な歌に用いられた句が、その後の歌作の見本となったりする場合がある。その結果、二つの言葉が結び付き、縁語とか枕詞になったりする。ヒクテ→フスマは、上記の歌を媒介とすれば、繋がりをもつ。もしかしたら、この歌をテーマにした楽曲でもあるかもしれぬ。「力二郎」ともども、諸賢の御教示を乞う。
 話を、音楽一家のドラマに戻そう。尺八、力二郎と落ち合った世四郎は或る日、犬塚信乃、犬田小文吾、犬飼現八の三犬士と出会う。尺八と力二郎は、三犬士らこそ道節に紹介すべき勇士だと感じた。尺八と力二郎は、道節に、こう言われていた。「勇士を見つけたら、心を通じ合って協力者にしろ」。尺八と力二郎は、敵の大軍に追われる三犬士を助けようと決意した。身を挺して三犬士を救うことが、彼らの信用を得る道だと考えたからだ。二人は、火のように烈しい性格をしていたようだ。
 三犬士は、無実の罪で処刑されようとしていた犬川荘助を刑場から奪い取った。大軍に追われる四犬士は、行く手を大河に阻まれた。そこに世四郎が、助け船を出した。乗り込んだ四犬士の背後で、鬨の声が上がった。尺八と力二郎が、敵の追撃を遮ろうとしていた。四犬士は世四郎に、船を戻すように頼んだ。見知らぬ若者二人を、自分たちの犠牲には出来ない。しかし、二人の父親である世四郎は、船を進めた。対岸に着き、四犬士を降ろした世四郎は、再び船を川の中へと戻した。船底の栓を抜いた。船は沈んでいく。世四郎は、息子たちを死地に赴かせた以上、生きていられないと言い残し、水中に姿を消した。対岸の戦闘は終わっていた。尺八と力二郎は、逃げたか、討たれたか? 四犬士は、世四郎に託された書状を懐にして、音音の元へと走った。
 音音と世四郎は、ともに道策に仕えた仲だった。若かりし頃、二人は恋に落ちた。こう書くと、別に何でもないようだが、これは「密通」という犯罪に当たる。勝手に恋なんかしちゃイケナイのである。道策は、穏便に済ませようと、世四郎を密かに追放し、音音の罪は問わなかった。
  音音は、かつては愛した世四郎を、今や憎んでいた。何十年もの間、世四郎は便りも寄越さず、道策に帰参を願うこともしなかった。そのうちに主家は滅んでしまった。にも拘わらず、小指だに動かさずノウノウと生きている世四郎を、義の面からも、愛情の面からも、許すことは出来なかった。音音は知らなかったのだ。世四郎が密かに道節と通じて、協力していたことを。知る筈がない。道節が秘密にしていたのだから。
 四犬士は音音のもとへと走った。しかし、道に迷ったり色々あって、到着が遅れた。その間に、音音の家では、ちょっとした事件が起こっていた。もちろん、音音は、この時点では、世四郎が川の中に沈んだことを知らなかったのだが、その世四郎が、音音の家を訪ねたのだ。音音は世四郎を憎んでいるから、家に入れない。当然である。ケンもホロロに追い返した。其の後に、犬士の一人が漸く、音音の家に辿り着いた。
 話を聞いた音音は、真実を知った。世四郎は、自分が若い頃に愛したときのまま、義に篤い世四郎だった。自分を裏切ったのでもなく、主家を裏切ったのでもなかった。そして、同時に知った。愛する世四郎は、既に水中に没したことを。生きていた息子たちも、再び戦闘の中へ飛び込んで、消息が分からなくなったことをも。音音は、先ほど訪ねて来た世四郎が、幽霊であったと察し、邪慳に追い返したことを悔やんだ。
 消息が分からなくなっていた尺八と力二郎が、ひょっこり音音の前に姿を現した。音音は喜んだ。二人の嫁も喜んだ。この喜びの中で、世四郎のことなんか、殆ど忘れられてしまった。可哀想な世四郎……。しかし、ふと思い出してしまった。気丈な音音は、さっき訪ねてきた世四郎の幽霊は、狐か狸が化かしたのだと考えた。そう思い込んだら、音音は許さない。狐狸の正体を暴こうと考えた。尺八と力二郎は、放っておくように言うが、音音が聞く筈もなかった。何せ、鉄火の女である。何故か尺八と力二郎は慌てて、何処かへと姿を隠した。入れ替わりに姿を見せたのは、世四郎であった。
 世四郎は本物で、尺八と力二郎が幽霊だったのだ。世四郎は水中に没んだが生きて岸に打ち上げられた。二人の息子が討ち死にし、首を晒されているのを知り、奪い返した。そのまま、音音のもとへと急ぎ来たのだ。再び三人の女性は悲しみに沈んだ。世四郎なんて生きてなくても良かったみたいだ。可哀想な世四郎……。
 悲しみの中、道節が姿を現した。道節は、世四郎が犬山家に帰参することを許した。同時に、音音と結婚することを命じた。二人は正式に結婚していなかったのだ。何せ密通なんだから。世四郎と音音は抵抗した。照れちゃったのである。もう五十を超えている二人は、照れちゃったのである。道節は、それが道策の遺志であり、尺八と力二郎の願いでもあったと、強引に二人をくっつけた。いきなり、襖を開けて四犬士が奧から登場した。高砂を歌いながら。
 こういう芝居がかった場面には、和楽が似合う。理知と思いやり、それは甚だ人工的な感情だが、それ故に、人工的な、芝居がかった、強引な、話の展開が、とても清々しく心地よい。頬を染めた音音は、さりげなく隣に座った世四郎の膝に手を伸ばした。ビクリと手を引いた世四郎は、しかし、シッカリと音音の手を握り返した。本来ならば、数十年前に行われていた祝言である。
 子供が出来ている以上、それは初夜ではないかもしれないが、二人が初夜を迎える前に、風雲は急を告げた。道節を捕らえようとする関東管領家の軍勢が、家を取り囲んだ。道節ら犬士を無事に落とすために、殿軍を申し出たのは、音音と世四郎だった。二人の嫁を馬に乗せ、小分吾に託した。結ばれたその日に、手を携えて死のうと決意した二人。群がる敵兵を、まずは矢を射かけて足止めし、矢が尽きれば打物取って応戦した。二人の心は石とも鉄とも言えるほど堅かったが体は生身、次々に湧き出す敵兵に、腕は疲れ刃も鈍ってきていた。嫁も犬士も、逃げおおせた。頷き合って、二人は家に火をかけた。まるで祝福するかのように燃えさかる紅蓮の炎、その中で抱き合う二人……。文明十年七月七日、七夕の出来事であった。
 ……しかし、炎の女・音音が、炎に巻かれて死ぬ筈がない。実際、二人は五年後、再び登場する。神となった伏姫が二人を、猛火の中から助け出していたのだ。お話だから、何だってアリだ。馬に乗せて送り出した嫁は、捕まりそうになった。馬を撃ち殺された。しかし、その馬に尺八と力二郎の幽霊が憑り付いた。馬は午、火気である。火気に、火気の者たちが憑り付いたのだから、結果が如何なるかというと、甦る。死んだ馬が甦って走りだし、そのまま難を逃れたのだ。……だから、理念として筋が通っていたら、何でもアリなんだってば! 二人の嫁・曳手と単節は、やがて一人ずつ子供を産んだ。尺八、力二郎との、一夜の契りで出来た子だ。子供は、尺八、力二郎と名付けられた。一家で今度は、犬江親兵衛仁(イヌエシンベイマサシ)に仕えた。仁は「仁」の玉を持つ。「仁」は木徳である。木生火(木は火を生じる)。故に、火扶木(火は木を扶タスける)。
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 史記という本がある。中国の漢代、司馬遷(シバセン)という人が書いた。「本紀」という部で歴代皇帝の事績を論じ、「列伝」という部で歴史の中で特筆すべき個人の生き様を描いた。この書き方を「紀伝体」と謂う。後の史書の筆法として多く採用された。歴史を、人間を中心とした、ストーリーとして描く手法である。ただ、これら「本紀」「列伝」だけでは史書として不十分だ。ストーリーは、筆者が、その拠って立つ場所を示すことで、他者に対し、明確化する。ストーリーは、ややもすれば掴み所のないアヤフヤなもの、いわばソフト面の記述である。ハードたる制度もしくは拠って立つ哲学に関する記述があって、初めて意味を限定出来る。そのため、史記には「八書」という部がある。「八書」は、「礼」や「楽」や天文学、これらは古代に於いて重要な政治哲学だったが、その哲学および制度を論じた部分である。所謂、文化史に相当する。
 「楽書」に云う、「知楽則幾於礼矣(ガクヲシレバスナワチレイニチカシ)」。「楽(音楽)」は、「礼」と親近性がある、との謂いだ。まぁ、この「楽書」は、司馬遷の筆には依らず、『礼記』の「楽記」を引き写したモノだとの指摘もあるが、ここらで『史記』を登場させたい私の理由があるので、『史記』から引いた。
 上に「楽(音楽)」は「礼」と親近であるなどとサラリと書いたが、此処が重要だったりする。「礼」とは結局するところ、自分ではない、多様雑多な種類の他者と、円滑にコミュニケーションをとるために用いられた、ある共通の約束に基づいた、言動を制御する規則、である。政治には、<象徴>が必要だったりするが、それは<儀式>によっても出現し得る。これを、<儀礼>と言う。礼に則った言動によって構築される空間は、なにがしかの理念を象徴している。パンクが理念であれば、モヒカンもスキン・ヘッドも、彼らなりの礼儀正しい姿であろう。そして、パンクにはパンクの音楽がある(らしい)。音楽は、人々を纏める役割も果たす場合がある。現代でも<儀礼>には、その目的にあった音楽が流される。音楽に包まれるとき人々は、音の皮膜の中で、一纏めにされる。また、表皮によって隔絶された他者との奥深い闇黒が、ソレまでも存在していた大気が単にチョット振動しているだけのことで、埋められるような錯覚に陥る。礼が理知により外側から儀礼を支えるものならば、音楽は人が感情によって儀礼(が目指す象徴)との一体化を自ら求めるように組み立てられたモノであろう。此処に於いて、礼と音楽は、結託する。
 「礼」は五行説に於いて、火気に配当される徳であった。ならば、音楽も、火気に配当されよう。音そのものは、五行説に於いて、分類されている。木には角、火には徴、土には宮、金には商、水には羽音が配当される。音階による分類だ。だが、音全体としては、火気に分類されて然るべきだ。また、五行のうち、物質ではないのは火気のみだ。それは立ち昇り、広がり、そして燃え続けない限り、消える。音楽の性質とも共通している。此処では、音楽を火気に配当できると断言する。そして、断言は出来ないが、この音楽は、「忠」とも重なる気がしてならない。忠は、理知に拠る徳ではない。感情によって達成される徳目かもしれない。合理的な思考を無視して、人々の感情を一点に集中し、行使する。それが、「忠」の意味だろう。これは、音楽の性格にもつながりそうだ。八犬士の中で、最も感情的な犬山道節が「忠」の玉を持ち、ある一家、「火の玉 音楽一家」の強力なサポートを得る、このことは、緻密な計算と、イメージの飛躍によって構成された、馬琴一流の世界観であったに違いない。
 八犬伝の中で、サラマンダー道節は、最も<人間的>に描かれている。これは、最も<おバカ>であるという意味だ。<感情的>とも言える。馬琴は、明らかに、道節を<困ったちゃん>として描いている。そして、道節は「忠」の玉を持っている。何故に、「忠」が「困ったちゃん」なのか? とても単純な理屈なのだが、もう、行数は尽きた。この点に関しては、少し待っていただきたい。また、別の機会に語ることになるだろう。

(お粗末様)
 
 
 

                                                   

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