■伊井暇幻読本・南総里見八犬伝 「かみ」−神々の輪舞シリーズ13−

 

 「セックス健康法」では、犬士の叙任が制度的な官職機能よりもイメージ重視であると述べた。ならば、国司となった信乃/信濃介・毛野/下野介・荘介/長狭介・小文吾/豊後介は、「事実上」ではなくイメージ上で、それらの国に何等かの関係がなければならぬ。ただ、荘介の当たった「長狭」は微妙だ。

 長狭は、「国」とは、ちょっと言い難いのだけれども、「国」と強弁することが全く不可能だとも言えないのだ。八犬伝世界に於いても長狭は安房四郡の一に過ぎない。これでは郡司だ(←制度の体系が違うぞ)。が、古代前期に於いては、後の安房に該当する地域に、「阿波」「長狭」二つの国造が設定されている。この国造を後の国司と解すれば、どうにか荘介も国司の列に入る。

 ところで国造は、下毛野のように後の一国に相当する広大な領域を統括する場合もあれば、阿波(=安房。徳島に当たるアワは粟だったりする)のように狭い領域で設定されることもある。則ち、国造が設けられた時点では、各地の地域統合段階がマチマチだったことが判る。また、このような格差から、チョイと早く目覚めた大和朝廷がワケも分からず膨張し、全国を統合支配するに至っただけの話なんである。因みに、関係なかろうけれども、日本書紀で皇孫・天津彦彦火瓊瓊杵尊が日向・高千穂に天降って笠狭崎に至ったとき、出会った人物の名が事勝国勝長狭であった。長狭の要請で彦火瓊瓊杵は其の地を支配することにした。木花之開耶姫と結ばれる。もうけた子供が彦火火出見尊である。彼が龍宮の女・豊玉姫と結婚して出来た子と、豊玉姫の妹・玉依姫が思いっきり近親相姦して生まれた男が、神日本磐余彦尊、神武天皇である。

 この〈膨張の欲望〉を「性」に重ね合わせる心性が、性交イコール(男による)女性支配、との定式化となり、各地の国造・県主の娘を差し出させて後宮に入れる発想の源となったのだろう。後の「国」は朝廷による支配の都合によって上から整頓されたものとなるが、国造の「国」は、後に成立する「国」よりは、地方の都合で成立した領域たる色彩を濃く残している。内包する所の者に差異はあるが、何連も「国」であろう。

 他の三人が後の行政区画としての国を単位としているのに、荘介だけが、どちらかと言えば、自然発生的な領域、中央の都合で整理・統合された区画ではない単位に従っている。同じ「国」なのに、ダブル・ミーニングである。一般的な語彙であるが故に一般的な定義に拠ると一瞬は思われてしまう信濃介・下野介・豊後介と並んで、異質な長狭介が登場している。同列であるべき犬士の中で、異物が混入しているのだ。こういう場合、如何ように理解すべきか。恐らく、これは荘介だけを別に理解すべきではなく、一律に定義を修正すべきだろう。犬士は同列/同レベルなのだから。即ち、一般的な定義、国を統べる者としての定義を思い起こさせつつも、定義は修正を迫られる。

 介とか守(かみ)、即ち国司に関して、「守」が〈国を守る〉(律令国家として中央の立場から地方を維持する)との字を当てつつ、「かみ」奇しくも神と同じ訓みが当てられている点には、注意して良い。中央官庁、例えば大学寮の責任者も「頭(かみ)」だったりするから、差し当たって「神/かみ」は〈代表者〉ぐらいまで意味を広げられる語彙であったとも思う。しかし国司は、あくまで中央政権が地方に配置して、地方を〈代表させた〉者だ。それに対して国造は、より狭い領域であったとしても、該当地域の事情で生き残り影響力を行使していた者が地方を〈代表する〉存在として中央政府に認定されたと考えられる。両者は性格が、本質として違う。本質として違う者を、一つの者として理解することは可能であろうか。一般的な語彙としての国司、〈天皇の信任を得た地方長官〉ぐらいの表層の/薄い意味を用いつつ、中央の都合で叙任されたのではなく、本来的に其の地の代表者となるべき者がなる、それを示すことが荘介・長狭介の存在意義だろう。

 しかし、何故に「長狭」か。分からない、といぅか考えるべきことか疑問に思っている。荘介の母は蜑崎十郎輝武の従姉妹である。即ち十一郎照文と荘介は又従兄弟(はとこ)となる。荘介の娘は十一郎の孫と結婚する。抑も十郎輝武は、荘介の母の従兄弟であって「原(もと)彼処(伊豆国)の豪民」(第二十回)であったが、如何いう事情か「原東条の郷士」として登場している(第十回)。いつの間にか引っ越しちゃっているのである。

 

 蜑崎十郎輝武は、里見義実が挙兵した折に馳せ参じ、杉倉木曽介氏元の手に属いたようだ。平館城主・麻呂小五郎信時の首を取る手柄を立てた。が、富山に籠もった伏姫を訪ねようとして、川に流され死んだ。「輝武」の名に相応しい武人としての生涯であったが、頭は悪そうだ。因みに息子の十一郎照文は、丶大と共に犬士探索に従事したり京への使者になる一方、結城法会の際には結城の悪臣に襲われ苦戦(第百二十七回)、親兵衛と京に上った折には海賊がらみで危機に頻する(第百三十四回)。父と違って、「照文」、文官の印象が強い。やはり八犬伝は名詮自性の世界なのだ。閑話休題。

 

 ことほどさように蜑崎家と関係の深い荘介であるから、十郎が郷士となった「東条(長狭郡)」に縁があるのかもしれない。が、上述の如きまで広げねば繋がりを見出せず、「縁」が強いモノだとは思えない。また、八犬士は叙任直後に官職を辞す。官職や前官をもつ場合は官職名で呼び合うのが近世の習慣だけれども、「犬塚信濃犬阪下野犬村大学犬川長狭荘介犬田豊後犬山帯刀犬飼現八兵衛等両御使に拝見して受領の歓びを稟すものから是より後も謙遜して守介尉頭は各省て敢唱ず就中忠与義任は後々までも猶只道節荘介とのみ喚せて官名を称する事なし」(第百七十九回中)との態度をとった。則ち、八犬士は、それぞれの資質に相反しない官職を受けてはいたが、道節と荘介は、ピッタリ嵌る官職を受けたワケではない、事が知れる。言い換えれば、八人中六人は、それぞれの資質に嵌る官職を得たが、道節と荘介だけには、適用すべき官職が存在しなかった、とも解される。即ち、犬塚信乃を「信濃」、犬阪毛野を「下野」と呼ぶには、本質として違和感がないのだが、道節を帯刀先生、荘介を長狭介と呼ぶには、何やら抵抗がありそうだ。故に、道節と荘介に関しては、官職は、他の六犬士と違って、本質に関わるものではない。本質に関わらないから、「深く考える必要」は、ない。よって、前述した如き「柔和なる義成が猛々しき道節を愛する場面」は無し、である。……ちぇっ。

 此等の事どもから、荘介が「長狭介」である理由は、名詮自性の世界たる八犬伝に於いて、本人の資質と全く無関係な官職を宛うワケにはいかないために、中近世の国名ではないものの安房国中の地名である「長狭」を持って来た、ぐらいだろう。里見の臣下である犬士が、まさか安房国司を名乗るワケにはいかないからだ。また、国司の単位に国造レベルの領域を持ってきた事は端なくも、八犬伝が、天皇を上位の存在だと一応は認めつつ、十五六世紀には片田舎に過ぎなかった関東地方に理想郷を現出させる〈周辺優位論〉を採っていることを裏書きする。腐敗し堕落した都が活力を失う一方、野蛮なる周辺が力を蓄えて立場が逆転するに至る。京都の公家が惰弱となって、東国の武士に権が移った。しかし太平に馴れた幕府の武士はやがて官僚化し実力を失って、周辺地域の武士を対抗勢力として成長するに任せ、遂には倒幕へと流される。東風西漸、西風東漸、である。周辺優位論は、八犬伝から数十年後、明治期日本史学の重要な言説の一つとなっている。まぁ、明治って時代を映すマッチョ系史学に過ぎない。殆ど、稗史と言って良い。

 

 さて、そうなると、荘介を除く国司、信乃・毛野・小文吾は、信濃・下野・豊後と密接な関係にあらねばならない。国のカミである彼らは、それぞれの国霊そのものか、其れを祀る者である。素直に解釈すれば、国造に近いが、国造は地元に在って国霊を祀る。地元を離れて君に侍るは、采女である。ならば信乃・毛野・小文吾は、容色を以て侍り、肉体を差し出すことによって当該国が君主の藩塀たることを保証する存在、ってことになる。場合によっては、セックス健康法のインストラクターとして、アンナことやソンナことやコンナこと、此処には書けない様な事どもで、君に奉仕するのであろうか。

 信乃・毛野が性的魅力を有することは論を俟たない。小文吾は、如何か。ソレはソレで結構なモノではないだろうか。現在でも、デブ専なる嗜好者がいる。……いやいや、そうではなくって、今は知らず、前近代の相撲人は、なかなか結構な同性愛嗜好の一分野であった。大坂・谷町に住む豪商たちは、競って相撲人と親密になった。化粧回しやら何やら色々と相撲人に贈り、パトロンを気取った。タニマチである。後には相撲人のパトロン一般をタニマチと呼ぶようになった。相撲人は酒宴に呼ばれ、タニマチの機嫌を取る側面もあった。男芸者とも呼ばれた。

 小文吾には、安宿の薄暗い一室でストリップを演じ、義兄弟にムッチリムチムチの白桃を凝視させた前科がある。「帯引解て、衣を退け、背向になりて示すにぞ、文五兵衛は行燈の、灯口を其方に向たりける。当下信乃・見八は、目を斜にしてこれを見るに、肥膏づきたる肌膚の、白きは雪をも欺くべし。背に灸の迹もなく、臀に黒き痣あり。現その形牡丹に似たり」(第三十三回)。雪より白いムッチリ滑らかな膚、なる表現には、美しい/欲望の対象たるべき肉体への賞賛/崇拝が看て取れる。いやまぁ、相撲ファンが総て顕然とした同性愛嗜好者であると断ずる者ではないが、このような表現を読むと、対象へのエロス(性的欲望とまでは言わず、一体になりたいとの欲望の謂いであるが、性的欲望へとハッテンする場合もある)の存在を感じる。

 

 〈義兄弟〉なる概念も、甚だエロティックである。如何にとなれば、「京の都は変態だらけ」(オマケ)で紹介した近世女性同性愛者は、「姉妹分」と呼ばれていた。本当の姉妹であれば、ただ姉妹であるだけで一体化しようけれども、元が他人であるならば積極的な「一体化の欲望(エロス)」がなければならぬ。近代女学校に於ける〈S(Sister)の関係〉も、惟へば同性愛関係であった。「義兄弟」も同様であろう。小文吾は現八と義兄弟であって、弟、稚児系であった。一方、同じ義兄弟でも信乃・荘介は、何連を兄/念者と定めなかった。

 兄・弟の関係を此処で少し考えてみるに、前には兄/念者・弟/稚児としたが、それで良いのだろうか。猿は人に極めて近い存在だと言われるが、猿は同性にあって支配・被支配の関係を、マウンティング行為によって確認するやに聞く。支配者側が相手に、猿のクセにドッグ・スタイル、後取りで、交尾の真似事をする。猿は未だに、性的受動が能動の劣位にあると思いこんでいるらしい。恐らく、未だに性差別主義の段階にあるのだろう。だとすれば、無抵抗の相手に屈辱を与える行為が、マウンティング(攀じ登り)行為である。第三十四回、相撲で負けた房八が小文吾に因縁をつける場面が思い出される。

 小文吾が栞崎という並松原に通りかかった時、誰かに背後から呼び止められる。探し回っていた房八であった。房八は相撲の遺恨を此処で晴らすと言う。負けてから一生涯相撲を取らない誓いを立て、「親の異見を外にして、けふまで惜し額髪、剃落したる青冶郎」と頬かむりを取り、剃った月額を見せる。房八にとっては、「武士ならば弓箭を棄て発心入道せしこころ」。しかも、小文吾の妹・沼藺を離縁したと言う。小文吾は、そんな房八を大人げないとあしらいつつ、今日は忙しいので、また今度、と立ち去ろうとする。房八は刀を抜こうとする。小文吾は、素早く房八の腕を押さえて抜かせず、説得を試みる。父・文五兵衛に喧嘩を固く諌められ、紙縒で刀を封印されていた。抜くわけには、いかない。房八は聞く耳を持たず挑発を繰り返す。小文吾は俯いて我慢する。とうとう房八は無抵抗の小文吾を蹴据え、土足で肩を踏む。小文吾は片膝を突いて、房八の足を手で受け止める。それでも小文吾は、喧嘩をするわけにはいかない。「人をも身をも恨の涙見せじと汗に紛らしてふり落す●(カミガシラに兵)の乱髪顔を背けてついゐたり」。小文吾は涙を流して屈辱に耐える。

 此処で興味深いのは、房八が良い歳をして額髪/前髪を剃っていなかった点だ。如何やら前髪は、不良といぅか突っ張り野郎の象徴的な髪型だったらしい。本来としては前髪立て、未成年男性であることを示す髪型である。よって不良が好んだのは、「子供っぽくて可愛い」からではなく、大人ならば当然義務づけられていた生産活動もしくは一定の社会的分業を果たさずフラフラしながらゴロも捲き徒党を組んで良い気になること、一種のモラトリアムを主張したのであろう。が、この風俗は、「好色一代男」に拠れば、色子、男を相手に売春する男性の風俗でもある。江戸・芳町で盛んだった男性同性愛売春でも、主力商品は未成年/少年であった。成人していない少年は、謂はば未だ男性になっていない、即ち男性ではない、別の性であった可能性がある(無責任随筆「週に一度は……」参照)。共食いはタブーだが、別の種であれば食べちゃうに抵抗はない。同性に崇拝されたい/愛されたい、との意思表示、其れが額髪であった。また同様に、社会常識の根底にある性の領域、〈男は姦られる存在ではない〉を真っ向から否定するとは、常識を根底から覆そうとする所作だ。過剰なまでに「男」を演じつつ、「男」ではないと主張する。前髪は、其れを云いたがっているのだ。しかも房八は、白面優美、信乃と瓜二つだ。そして、殊更に直前まで額髪を残していたと言われると、能動的性・男になったばかりだと意識させられる。少年から男になる瞬間とは恐らく、男方向へ向かうベクトルが最大となる点だ。一方の小文吾は、此奴も良い歳なんだが、挿絵を見ると前髪を残している。受動を甘んずるべき少年/小文吾が、能動ベクトル最大の房八に攀じ登られ即ちマウンティングされ、屈辱を与えられ涙する。そういう場面なのだ、第三十四回は。

 

 では、信乃・荘介は如何であろうか。まず、二人の本格的な接触は、行水の場面から始まる(第二十回)。美少女と見まごうばかりの信乃に対し、十二歳、性の芽生えがあっても良い年頃の荘介は、行水するよう提案する。信乃は惜しげもなく白い肌を晒す。恐らく信乃は未だ目覚めていなかったのだろう。乙女の無頓着な行為・仕草に、オジサンは目の遣り場に困ることもある。……いや、何でもない。此処は、信乃の痣に荘介が気づき、二人の間に因縁めいた関係があると察する場面だ。まぁ、一応の必然性を持っている。でも、だからって行水でなくたって良いだろう、別に。信乃の痣は腕にあるのだから、何も全裸になる必要なんてないのだ。小文吾の様に尻に痣があるのだったら仕方ないけども、腕なんだから剣術の稽古でも何でも、袖が捲り上がる場面を設定すれば、事が済む。やはり馬琴、何か下心があったに違いない。此処では信乃が受動的立場、荘介が能動の側に居る。〈見る側〉と〈見られる側〉だ。見ることは、所有/支配への欲動を秘めた行為である。

 が、事は単純ではない。二人は互いに兄であり弟なのだ。「則額蔵を兄とし、信乃は再拝して、みづから弟と称しつつ、共に歓びを竭しけり。さはれ額蔵は上坐にをらず。信乃又頻にすすむれば、額蔵頭をうち掉て、年の多少はとまれかくまれ、その才をもていへば、おん身こそわが兄なれ。莫逆をもて兄弟たり。長少の座は定むべからず」。二人は、立場を固定せずに、義兄弟の契りを結ぶ。

 

 性交の極致を「小さな死」と表現したのは、ジョルジュ・バタイユであったか。しかし東亜細亜世界でも同様だろう。日本では「死ぬぅ」とか「往くぅ」だし、笑話では「相果てる(武家言葉の「死ぬ」)」ってのもある。中国では、「我死了」だ。人間の根元的感覚が、洋の東西で左右される筈もない。

 将に相果てる瞬間に在るのは、苦悩・苦痛に違いない。アノ瞬間の喘ぎ・叫び・表情は、正に苦痛のソレと判別し難い。本質が違っていても、表層の相似によって、苦痛の表現と性交の表現は、庶い。例えば、荘介、第四十二回に於いて、無実の罪で拷問される。緊縛され痛ぶられ喘ぎ呻く荘介は、性愛で責め立てられた時にも、同じ表情で喘ぎ呻くだろう。特に、或る特定の趣味の方には、堪らぬ場面に違いない。世の中には色んな人がおり、人口の数だけセクシャリティーが、いや一個の人間も固定的ではないから、人口の数層倍のセクシャリティーが存在するが、最大公約数的な広範囲に広がりを有するレベルのセクシャリティーもある。

 特に八犬伝のような、読者の想像力を刺激しっぱなしのテキスト・メディアに於いては、読者に知識・経験を総動員して読む癖がついてしまっている。荘介に関する容貌の詳細な記述はない。読者は好みの少年が責め立てられ喘ぎ呻く様子を妄想すれば良い。テキストの完成は、読者の脳中に於いて初めて為される。映像メディアであれば、ストーリーが好くてもキャスティングが外れていれば、如何んともし難い。読者の想像力に依存する部分を残すことも、テキスト・メディアの優位性の一つだ。また、為す術なく磔刑に処せられようとする荘介、処刑直前、猛々しい男どもに奪い返される荘介は、相対的に男性性が低下している。女性側に傾いているのだ。責められ喘ぎ呻き、奪われる荘介、当時の一般読者にとって、其れは受動の位置に荘介が居るといぅことだ。

 即ち荘介は女性性を比較的多く持ち合わせていることになるのだが、だったら何故に女装をしないのか。信乃も毛野も女装して初出する。それは恐らく比較の問題で、信乃・毛野よりは女性性が少ないからだろう。日本書紀では、女神を「陰神」と表記する。女性とは「陰」であるから、荘介は陰性を有するけれども信乃・毛野ほどではないのだ。陰で甚だしいものを太陰、軽いものを少陰と謂う。太陰とは水気であり、少陰は金気だ。金気の徳は義であり、荘介の玉は義である。一方、孝は〈親に従う〉との側面を持つが、〈従う〉とは器の形に逆らわず広がる、水の性質に通じる。信乃が女装して登場することは、信乃が水気の犬士であることを示している。

 それでは水気たる信乃の甚だしき陰性は、如何に表現されているか、次回に見る。今回は、これまで。

(お粗末様)

 

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