■伊井暇幻読本・南総里見八犬伝 「かぐや姫」−神々の輪舞シリーズ19−
御伽噺の「かぐや姫」を御存知ない方は、まずおられまい。「竹取物語」である。我が邦に於ける、文章で書かれた物語小説としては現存最古級のものだ。ストーリーは簡単だ。
昔々或る所に子供のいない老夫婦が住んでいて、竹の中から女の子を授かった。女の子は美しく成長し、数多の男から求愛された。そのうち四人の貴公子に姫は難題を吹っ掛けて、ことごとく失敗させた。帝さえも姫に求愛したが見事にふられ、不老不死の薬を贈られたのみであった。姫は実のところ、月の世界の高貴な女性であった。迎えが来て、姫は月の世界に帰った。帝は月に最も近い、即ち最も高い山(富士山)の頂で、姫から贈られた不老不死の薬を焼かせた。姫に会えぬ身の生き長らえるは無益だと感じたのだ。
流布している絵本などでは、姫が月世界に帰る場面で話を終えるものもあるようだが、「不老不死」の薬ってのが怪し過ぎるか、帝の嘆きが甚だ濃厚なロマンスだから、子供向け絵本にそぐわないと判断されたか、だろう。が、このような省略は水滸伝を七十回で切るようなもので、あまり感心しない。富士山の条も、竹取物語の重要部分と思えるのだ。
補陀落信仰に就いて語ったとき、それが中国道教の蓬莱信仰とダブるって話をした。不老不死の仙人が棲む桃源郷だ。中国皇帝の命を受けた方士・徐福が多くの少年少女を率い、不老不死の薬を求めて海へと乗り出した伝承は、椿説弓張月にも登場する。この徐福伝説が補陀落に擬せられた熊野にも残っていることは、既に述べた。そして、徐福伝説は、富士山にも残っている。また、竹取物語に拠れば、富士山は不老不死の薬を焼いたから、「不死山/富士山」と呼ばれるようになったのだと、眉唾な主張をしている。確かに巨大で優美な山容は人々に畏敬の念を起こさせる。仙境と思いたくなる気持ちは、解らぬでもない。徐福伝説が先か竹取物語が先かは判らぬが、何連にせよ、富士山は〈不老不死〉なる概念と密接に関わっている。
このような富士山だから、当然、信仰の対象となった。神社で言えば、富士浅間神社だ。祭神は木花之開耶姫(このはなのさくやひめ)である。後には他の神も一緒に祀られるようになった。ところで、木花之開耶姫に関する日本書紀の記述は興味深い。巻二第九段である。天照の養子・正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊が、高皇産霊尊の娘・●(キヘンに孝の子が丁)幡千千姫と結婚し天津彦彦火瓊瓊杵尊を生んだ。祖母・天照は、天津彦彦火瓊瓊杵尊に葦原中国を統治させようと考え、降臨させることにした。しかし、葦原中国には既に王がいた。素盞鳴の系統・大己貴である。武神を先発させ、国を譲らせた。対抗勢力を潰滅した後、徐に、天津彦彦火瓊瓊杵尊を降ろした。但し、この時、降ろす作業に当たったのは、母方祖父の高皇産霊尊である。天孫たる天津彦彦火瓊瓊杵尊は、日向の高千穂に降り立った。
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于時高皇産霊尊以真床追衾覆於皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊使降之皇孫乃離天磐座(天磐座此云阿麻能以簸矩羅)且排分天八重雲稜威之道別而天降於日向襲之高千穂峯矣既而皇孫遊行之状也者則自●(キヘンに患)日二上天浮橋立於浮渚平処(立於浮渚平処此云羽企爾磨梨陀毘邏而陀陀志)而膂宍之空国自頓丘覓国行去(頓丘此云毘陀烏覓国此云矩弐磨儀行去此云騰褒屡)到於吾田長屋笠狭之碕矣其地有一人自号事勝国勝長狭皇孫問曰国在耶以不対曰此焉有国請任意遊之故皇孫就而留住時彼国有美人名鹿葦津姫(亦名神吾田津姫亦名木花之開耶姫)皇孫問此美人曰汝誰之子耶鯛曰妾是天神娶大山祇神所生児也皇孫因而幸之即一夜而有娠皇孫未信之曰雖復天神何能一夜之間令人有娠乎汝所懐者必非我子歟故鹿葦津姫忿恨乃作無戸室入居其内而誓之曰妾所娠若非天孫之胤必当●(フルトリ三つの下に火)如実天孫之胤火不能害即放火焼室始起烟未生出之児号火闌降命(是隼人等始祖也火闌降此云褒能須素里)次避熱而居生出之児号彦火火出見尊次出生之児火明命(是尾張連等始祖也)凡三子矣久之天津彦彦火瓊瓊杵尊崩因葬筑紫日向可愛(此云埃)之山陵
……(中略)……
一書曰……(中略)……後遊幸海浜見一美人皇孫問曰汝是誰之子耶対曰妾是大山祇神之子名神吾田鹿葦津姫亦名木花開耶姫因白亦吾姉磐長姫在皇孫曰吾欲以汝為妻如之何対曰妾父大山祇神在請以垂問皇孫因謂大山祇神曰吾見汝之女子欲以為妻於是大山祇乃使二女持百机飲食奉進時皇孫謂姉為醜不御而罷妹有国色引而幸之則一夜有身故磐長姫大慚而詛之曰仮使天孫不斥妾而御者生児永寿有如盤石之常存今既不然唯弟独見御故其生児必如木花之移落一云磐長姫恥恨而唾泣之曰顕見蒼生者如木花之俄遷転当衰去矣此世人短折之縁也是後神吾田葦津姫見皇孫曰妾孕天孫之子不可私以生也皇孫曰雖復天神之子如何一夜使人娠乎……後略
◆
木花之開耶姫の性質で重要なものは次の四点だろう。@美人A一日にして娠んだB娠み燃え盛る産屋で「火」を名に取り込んだ三人の子を生んだが二男が彦火火出見尊/山彦/神武の父であったC天津彦彦火瓊瓊杵尊が彼女を選んだため人間の命が有限のものとなった。
@は、天津彦彦火瓊瓊杵尊が彼女を選んだ理由。Aは彼女が人外の者であることを示している。論者によっては、一日にして娠んだことを以て、尺八・力二郎の子を一夜の契りで受精した曳手・単節と関係づけようというトンチンカンな飛躍をする説もあるが、何でも思いつきを云えば良いというものではない。木花之開耶姫の場合は、一夜にして出生直前の状態にまでなったのだ。そうでなければ疑われる意味がない。対して曳手・単節の場合は、一夜の契りのみで受精はしたが、その後、他の男の精を欲しがることなく操を立てた、ってのを強調しているに過ぎない。Bは重要だが、此処では述べない。Cが本稿に関わっている。上記引用一書に拠れば、磐長姫の呪詛に依るとのことだが、天津彦彦火瓊瓊杵尊が木花之開耶姫を選択したことが原因となっている。
個人的な経験による妄想に過ぎないが、磐長姫、けっこう善い女だったのではないか。ちょっと我が儘だけど愛らしい妹を深く愛してもいた。其処に、まぁ毛色の違った優男が来て、父の大山祇と婚姻の話をしている。やはり、ときめくだろう。父は二人の娘に、給仕をしろと命じた。優男を前に、磐長姫はドキドキ・イソイソ・テキパキと膳部を並べたに違いない。姉だけあって、こういう実務には長けている。木花之開耶姫は、オドオドして姉に一々問い合わせながら並べる。海辺/浜路で遊んでばかりいたから、イザというとき役に立たない。
しかし、初めて恋した優男は、自分を「ブスだな」と決め付け、まぁそぉだったかもしれないが人の好みは千差万別ほかの者にすればブスではなかったかもしれないのに、最悪の侮辱を与え、妹だけを選んだ。「妹だけ」と敢えて書いたのは、日本書紀の表記からすれば、もしかしたら姉妹二人ともに求婚しても大山祇は許したかもしれぬからだ。磐長姫も、自分が妹より優越しているとは思っていなかった。自分一人だけを愛することを強要する気はなかった…のではないか。
彼女が恨んだ理由は「唯弟独見」である。実は木花之開耶姫は磐長姫の「弟」、即ち少年であって、天津彦彦火瓊瓊杵尊は女性たる磐長を排して、美少年を姦することを望んだのだ。女性にとっては、最悪の屈辱だろう。通常なら、いくら美しくても少年よりはブス女の方がマシと云う筈なのに、天津彦彦火瓊瓊杵尊は少年を選んだのだ。磐長の「ブス」さ加減は、人外のレベルだと認定されたことになる。しかし磐長、大山祇の娘だけあって育ちが良い。世間知らずだったのだ。異性愛しか存在しないと思っているからこそ、片思いの相手が弟に懸想したことを、屈辱と感じるのだ。天津彦彦火瓊瓊杵尊は単に、ゲイだったに過ぎない。女性は総て、彼の性的対象から外される。この「性的対象から外される」ことが、ブスの認定であって、実は磐長、美人で器量よしだったかもしれない。単に、天津彦彦火瓊瓊杵尊が変態だっただけのことだ。ゲイ一般を「変態」と云うべきではないが、天津彦彦火瓊瓊杵尊の如く人を傷つけて気にせぬアホタレ田楽は、変態と表現してもカマ野郎と蔑んでも、構わないと思っている。天津彦彦火瓊瓊杵尊は、最低のカマ野郎だ。
冗談である。「弟」は男性のyoungerハラカラのみを指すのではなく、単に同じ血脈の年下、ぐらいの意味しかない。日本では、兄弟姉妹、男女の別なく親を同じうすれば、「はらから」の一語で表現される。そのうち年下が「弟」だ。よって、木花之開耶姫は、やはり女性だったのだろう。ただし、天津彦彦火瓊瓊杵尊は、女性を妻としたけれども、そのことは、彼が「最低のカマ野郎」であることと背反しない。やっぱり、奴は最低だ。
話を戻そう。「唯弟独見」は、ただ妹ひとりだけと見(まみ)えた、だから、磐長としたら、愛らしい妹を見守りながら天津彦彦火瓊瓊杵尊と三人で睦まじく暮らすことも選択肢の一つだったことが知れる。この場合、愛する妹と別れずに済み、恋する天津彦彦火瓊瓊杵尊に寄り添うことが出来る。欲張りと云えばソォなんだが、別に人のココロを超えたものではない。是認する。しかし天津彦彦火瓊瓊杵尊の選択は、自分を屈辱の裡に排除すると同時に、愛する妹と引き離すものだった。磐長は、総てを失った。もしかしたら磐長の木花之開耶に対する愛は姉妹としてのソレを超え性愛の域に達する程に劇しいものだったかもしれないが、それにしても人のココロの範疇だ。呪詛して当然、天津彦彦火瓊瓊杵尊なんて死ねば良いのだ。まぁ天津彦彦火瓊瓊杵尊みたいな最低野郎が死ぬのは別に構わないけど、そのために人間一般が死すべき存在になったのだから、迷惑な話だ。いったい全体、何処のバカが、こんな最低野郎を代表にして、選択させたんだ。
……余りにも磐長姫が哀れだったので贅言を弄した。言いたかったのは、木花之開耶姫(と天津彦彦火瓊瓊杵尊との婚姻)が、人命の有限性を来した原因となっている点だ。そんな彼女を、不老不死の山たる富士山に祀っているのだ。「駿河国一宮冨士大宮郷本宮正一位冨士浅間大神記」には「前略……浅間大神(斗)御名(波)白(低)大和(乃)纏向日代(能)宮(乃)御世日本武尊火(乃)賊衆(袁)平賜(志)時木花開耶命(袁)以今(乃)山宮(爾)祭(世)賜(比)……後略」とあり、日本武尊が火攻めを草薙剣で払った時に、木花之開耶姫を大神として祀ったことにしている。が、理由は分からない。不死の山と人名の有限性を象徴する姫、相対立する概念を一つにしている以上、其処には何等かの積極的な意思がなければならない。
例えば、不老不死なる現象は、死すべき存在・人間には実現できぬことだと実は皆、知っていた。概念としては存在し、望んで止まぬ者はいたであろうが、許されることではない。「不老不死の山」は否定されねばならぬ。
また例えば、生命がリレーされる限り、〈人〉は〈永遠〉の存在となる。〈個〉としては死ぬが、〈種〉としては、一定幅の平均年齢で存在し続ける。不老不死と言い得る。木花は毎年散り毎年咲く。その間に木は死んでいるか? 形を変え時を待ち、木は再び花を開かせる。循環は、決して断たれていない。此れを「死」と言うべきか? 此の様に言い換えることで、「不老不死」は〈個〉から〈種〉へと話題を擦り替える。
何連にせよ、木花之開耶姫が富士山に祀られている事実は、〈個としての不老不死〉を否定している。少なくとも国家権力としては否定せねばならぬ概念だ。もしくは天皇に独占すべき特権である。別に不老不死を唱える者が出現すれば、民衆の絶大な支持を得て、一大勢力となるだろう。八犬伝の主宰神・役行者が「(続日本紀・文武天皇三年五月)丁丑役君小角流于伊豆嶋初小角住於葛木山以呪術称外従五位下韓国連広足師焉後害其能讒以妖惑故配遠処世相伝云小角能役使鬼神汲水採薪若不用令即以呪縛之」と、迫害された記録もある。不老不死と有限なる個の命、対立概念を一つにする必要があったのだろう。
しかし、人の命を限る木花之開耶姫の存在にも関わらず、富士山は、不死の山たることを止めなかった。人々が其れを望んだからだろう。八犬伝が書かれた幕末期に至っても、不老不死なる概念が登場する。いやさ、現代に於いても、クローン技術を「不老不死」と重ね合わせる言説もある。不老不死の夢を見続けるとは、それだけ、人が死すべき存在であるという前提が、絶対的なものとして人の前に立ちはだかっているからだろう。
さて、本題に入ろう。「かぐや姫」伝説は、冒頭に掲げた「竹取物語」系だけではない。以下の如きモノもある。
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「本朝神社考」(富士山)
本朝文粋第十二載……(中略)……承和年中従山峰落来珠玉玉有小孔蓋是仙簾之貫珠也又貞観十七年十一月十五日吏民仍旧致祭日加午大甚美晴仰観山峰有白衣美女二人双舞山嶺上去巓一尺余土人共見古老伝云山名富士取郡名也山有神名浅間大神……(中略)……縁起云孝安九十二年六月富士山涌出初雲霞飛来如穀聚無嶮阻後頂上五盤石出其落下跡作渓壑取郡名而曰富士山形似合蓮華絶頂八葉層々到第八層中央有大窪窪底湛池水色如藍染物飲之味甘酸治諸疾池傍小穴形似初月穴中或燃出黒烟雨土沙或白雲金光映徹現鬼神形赤黒色承和三年季春垂玉簾雨玉四方貞観五年秋白衣神女出現双立舞遊時火炎揚有円光即祭之号火御子古老伝云昔大綱里有老翁嬢共居翁愛鷹嬢飼犬後住乗馬里作箕為業竹節中得一女其長一寸余奇之裹綿養之経十六月漸長成能行歩容貌端厳言語和雅于時天子詔諸国撰美女令献之采女使者至駿河国富士郡乗馬里宿老翁宅終夜有光使者怪問曰何故道夜燃火哉答曰我女之光彩也使者窺之其女甚美也於是謂云天子求女汝誠当矣女不従使者奏事于時女語父母曰親子之愛養育之恩誠重誠深雖然我久不可住今我登山去母云思慕如何女云常来相見乃上富士山入巌崛已而天子来於此幸乗馬里翁曰其事天子大歎遂与翁登山休於第五層脱玉冠留此処漸進陟絶頂臨巌崛女出迎微笑曰願天子住此因共入崛中玉冠所在積石以為陵云延暦二十四年託曰我号浅間大神平城天皇大銅元年立社祭之改乗馬里号一斎京所謂翁者愛鷹明神也嬢者飼犬明神也(愛鷹山今云蘆高山)二柱共住新山宮(前略……或曰浅間大明神本地大日如来愛鷹大明神本地毘沙門又曰不動明王智證作理智一門記皆是浮屠氏之誇謾而世人多信之余所不取也且又以竹中之女為桓武天皇之時事以使者為坂上田村丸是等大謬説也余観万葉集既載竹姫之事又竹取物語賀久夜比売不云其時世国史桓武葬山城国柏原陵然則何得入富士崛中耶)
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「本朝神社考」は、徳川家康はじめ四代・家綱まで歴代将軍のブレーンだった、林羅山の著作である。後世、林家は大学頭として幕府学問所を任されることになる。近世、林羅山は、正統派の学問的権威であった。
此処では「かぐや姫」、月へなんて帰っていない。しかも、帝とも別れていない。姫は富士山の頂へと姿を消し、追って行った帝と共に暮らすのだ。帝が皇位を捨てて駆け落ちしちゃったのである。最大のスキャンダルだ。同じく羅山の「神社考詳節」では、若干異なった話が紹介されている。
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「神社考詳節」(富士 浅間)
前略……貞観五年秋有白衣神女現双立而舞有火炎円光号曰火御子縁起云昔大綱里有老翁老婆翁愛鷹婆飼犬作箕為業割竹節得一女長一寸六分怪而育之長成甚美時桓武延暦年中田村丸過此宿翁家夜有光怪問之翁答云我女子有光彩号賀久夜姫田村馳奏帝聞而使人採之女謂父母曰我久不可居此而親愛養育之恩又不可忘也即登山入岩穴翁亦登絶頂脱玉冠留此処云云
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此方では帝が穴に入ったとは書いていないが、「玉冠」なる表記は帝ぐらいにしか使わないので、或いは落丁かもしれぬ。「玉冠」を無視すれば、翁が姫を追って岩穴に入ったことになるからだ。翁が帝もしくは上皇とか類似の者でなければ、この表記は成立しない。恐らく、帝が岩穴に入ったとの話が正解だろう。そして、田村丸って言やぁ、勝軍地蔵説話も遺している伝説的武人で征夷大将軍、坂上田村麻呂だろうから、帝は桓武天皇となる。「本朝神社考」引用箇所末尾で林羅山は「んなワケぁねぇだろ」と否定しているが。まぁ実際、桓武でも文武でも良いんだが。
かぐや姫その人に関する描写は、両者に於いて共通する所がある。即ち、体が発光している点だ。そして「本朝神社考」では「竹節中得一女其長一寸余奇之裹綿養之経十六月漸長成能行歩容貌端厳言語和雅」、「神社考詳節」では「割竹節得一女長一寸六分」とある。前者で「一寸余」が後者で「一寸六分」になっている所が似ている、などと言う積もりはない。前者で姫が歩行し始める迄に要した時間は十六カ月、後者で発見時に於ける姫の身長が一寸六分である点が、似ている。全然違うやん、と言う勿れ。モノも単位も違うのは承知の上だ。かたや十六月、かたや一寸六分すなわち十六分である点に注目したい。共にニハチの「十六」が問題となっている、と見たいのだ。富士の裾野は、末広がり。美しく八の字を描いている。「八」が重要な意味をもつ数として、立ち上がる。ただ、「八」が生の儘でないのは、歩行する迄の期間が八カ月なら、そりゃ珍しくもないし、発見時の身長が八寸もあったら、姫の特異性を強調できない。因みに「竹取物語」では、成長するまでに三カ月、発見時の身長は三寸であった。それはそれで、何か意味があったのだろう。
また、「冨士山縁起状」では、「前略……山中四十里道中踏上故凡夫肉身忽昇八葉等覚峰妙覚毘頂上拝大日覚王大俗凡夫速即身成仏事霊仏霊社参詣雖多即身即仏利生立処蒙事不過冨士参詣抑此山惣体外院金大日内院胎大日両部不二一体也八葉九尊者第一嶽天照大神本地地蔵薩陲第二嶽熊野権現本地阿弥陀如来第三嶽伊豆権現本地観世音第四崗白山権現本地釈迦如来第五崗日吉山王本地弥勒仏第六嶽鹿嶋金山大明神本地薬師如来第七嶽三嶋大明神本地宝勝尊第八嶽筥根権現本地大聖文殊御堂五所権現本地五大力菩薩中宮観音弥勒二尊也」とあって、富士山が八嶽で構成されているとの意識が看て取れる。
さて、お約束の制限行数だ。「竹取物語」とは異なった「かぐや姫」伝説が、近世の正統派学問的権威によって紹介されていたことを述べた。次回は、隣接する物語を提出することになろう。やや駆け足だったが、今回は、これまで。お粗末様。