◆「嵯峨物語」抄要約
紀中納言康直の息子・松寿丸は十三歳となり学問を身に付けるため僧都の寺に預けられる。そんな松寿丸を、嵯峨野の奥に閑居する世捨て人の一条郎が見そめる。
「あなたの松のかげにゑんにやさしき児の秋山のもみぢまだ若葉がちなるぬい物したるしやうぞくなるが、いと若き法師あまたつれて花をおらんとて、いつくしき手して前なる枝をたはめ給ひけるに、ふるともしらぬ花の雪の御額にちりか丶りければ、志賀の山ごへならねど是も花のふぶきははらひもあへずと立帰うちゑみたるけはひ、云ばかりなく物にもにぬ、是らはかやうの人のいたるべき所にもあらぬにと」
一条郎が稚児の跡をつければ、寺に入っていく。一条郎も追っていく。僧都が歓待し、松寿丸に詩を詠むように命じる。
思いを募らせた一条郎は、再び寺を訪れ律師に胸の裡を打ち明ける。同情した律師が、一条郎の思いを遂げさせるようにと、松寿丸を説得するが、松寿丸は返事もしない。一条郎は寺に泊まり込み、独り悶々と夜を明かす。翌日も律師は、一条郎のために松寿丸を口説く。漸く、やや打ち解けた返事が来る。一条郎が舞い上がり期待に胸を膨らませいるところに、松寿丸の実家から使いが来る。「父危篤、すぐ帰れ」。松寿丸が急ぎ帰ってくるのを待っていたかのように、父中納言は一言遺言して死ぬ。父に替わって参内した松寿丸を帝は憐れみ、加冠して中将康則とした。
「一たび君王にま見へ給ひしより、すべてゑいりよにかなひしかば、常におましちかくなれまつはし給ひて、あかぬなごりをおほしめし給ふゆへ、中納言おわしける所は西の京なりけるを内近き所なんよろしく侍んとて一条室町にとの作してうつらせ給ひける。君の御いとをしみかたへに人なきばかりなれば諸家の大臣の君達もうらやましきことになん思給へりける。中将はまげてそれともおもひたまはず。我古の人のつかへし道をもてかくあるものにあるならば、まことに忠孝の身ともい丶つべし、なにせんは、うつろひやすき色をもつてかりのゑいりよをむさぶらんは、君をた丶し父をあらはす道にあらず、君不見や漢の董賢が幸せられし鄭崇諫て不可とす、衛の弥子瑕が行を以後の世を見つべしと、まのあたり史の文には見へぬるものをと弥増につ丶しみ給ければ、君もその心ざしを恥、人もその徳になつきてあふぎ奉侍り」
さて悶々としている一条郎は、つてを得て中将に逢いたいと言付ける。「そのうちに」との返事を貰って待ち続ける。
「中将は、しばらくのいとまもあらばとおぼしわすれずおぼしけるが、八月廿三日夜、月出るまはとて出た丶せ給ふ」
一条の家に行くと静まり返っている。もう寝たかと思ったところに、「わらはべの行かふ程あかり障子に見へて、いとかすかなり」。やっぱり稚児趣味かと思ったか如何か、おとないすれば「いとあてなるおのこ出て、これは問べきほどにもあらぬに、いづくよりぞ、といふに、さる御かたのしのびて入らせ給ふぞ、さうなとがめそ、といふを一条もしやときもつぶれて立いでつ丶見るに、まかふべき程にもあらねば、やがて案内して入ぬ」。二人は少しの酒で気分を盛り上げ、枕を並べて夜を明かす。「名のみなる秋の夜にてことぞともなく明すぎぬ。しののめのいとほのぐらきに帰り給ふ。西山一夜送君帰、夢入白雲深所飛といふも、これらのことにや」。……後略
 
◆「幻夢物語」抄要約
京大原の四王院に住む僧・幻夢は、二人の僧に付き添われ雪宿りをしている稚児に一目惚れする。聞けば下野日光山の寺の者で戒壇を受けに来たのだという。ひとしきり連歌の応答をした後、稚児たちは寺を出て行く。稚児を忘れられず勤めの時にも幻夢の眼前に面影がチラつく。追っていくが既に稚児は下野に下ったという。幻夢も下野に向かう。三月二十五日酉刻、日光山に着くが、時間も遅く無人の堂で一夜を過ごすことにする。入れば、「年二八ばかりなる児のねりぎぬの縫ものしたる小袖に精好の大口きて萌黄おとしの胴丸、草ずりながにきなし、上にはしろねり引かづき金作の太刀はきてた丶れたり」。幻夢は天魔鬼神かと疑いよく見れば、探し求めていた稚児の花松丸。幻夢は誘われるまま花松丸の住むという竹林房へ。語り合い連歌の応答、終わって、花松丸は腰に差した笛を幻夢に与える。花松丸は太刀を手にしたかと見ると、姿を消す。幻夢が、やはり天魔だったかと思ううち、夜が明ける。八十歳ばかりの老僧が現れる。幻夢が、花松丸の消息を尋ねると、老僧は泣きながら語り始める。花松丸は下野の御家人・大胡左近将監家詮の子。七歳のとき、父は同国住人・小野寺右兵衛尉親任と争い殺された。復讐を誓う花松丸に、老僧らは仏道に入ったのだからと思い止まらせようと努めてきた。今月十日、花の盛りに花松丸は、一族に会い連歌でもして来ようと里に下りた。
「翌日の辰の時ばかり花松丸がわらは、よにあはただしくはしり来て侍るほどに、何事にかと尋ければ、なみだをはらはらとこぼし申けるは、花松丸殿、昨夜御かたき小野寺殿の館に忍入給ひ、たやすく敵うち取、館をもやきはらひ御身もうち死し給ひて候と、ふしまろびなげきぬ」。
幻夢は七日間の追善を追え、考える。「さては愛着恋慕の思ひによりて死たる人にあひ、小蝶の夢のものがたりをしけるはかなさよ。つらつらこれをあんずるに、この世の無常はがんぜんの事也。よりより日吉山王根本中堂の薬師如来に道心をいのり後生一大事をこそ申侍りしに花松どのを見そめしより愚癡にかへりし事こそくちおしけれ、そのうへ小児を愛する事、法花安楽行品に不親近ときらはれ、恵心の僧都は往生要集に正法念経をひき給ひ衆合の地ごくのことはざと見えたり、あに生死流転の根元にあらずや、か丶るうきめに逢事、これしかしながら神明仏陀の方便なり、仏種は縁より起ると、かつはよろこび、かつはなげき、すなはちいとまをこひて、これよりすぐに高野山にのぼり奥の院のかたわらに住し」悩んだ末に、浄土宗の教えに従うことにした。
翌年の三月十日、花松丸の一周忌に、幻夢は奥の院に詣でて、ひたすら念仏を唱える。そこに二十歳ばかりの僧が来て、深く祈っている。事情を聞くと若い僧は下野国住人・小野寺右兵衛尉親任の子・小太郎親次十九歳と名乗る。親の仇を討ち相手を見ると「年二八ばかりなるちごで世にうつくしきかほばせ、あまりにいたましきありさまなり、あはれなるかな弓馬の家にむまれずば」と出家し、父と稚児の菩提を弔っているという。二人は語り合い「今より後はたがひに師範となりて称名念仏し西方往生の時も上品のはちすうてなに契をむすび、おんじ七宝樹の本にいたり申さんとてかたらひける。多生曠劫の宿縁にや大原の幻夢は七十七、下野の入道は六十歳にて端座合掌し十念成就して虚空より花ふり音楽雲にきこゑ弥陀三尊来迎し給ひ光明あまねく十方世界を照らしてすみやかに往生の素懐をとげけるとぞ。されば仏の方便、神明の利生、今にはじめずと申なから、幻夢ひとへに日吉山王中堂薬師如来への道心をいのりしによりて、二人のほつしんまことにありがたき事也。彼花松丸殿は文殊の再誕と申伝たり。衆生済度の御ためにかりに身を現じ給ひけるやと有がたくおぼへ侍り」……後略
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