「逆転の復讐」で述べた如く第九十五回に於いて、道節は可憐だが、第九十四回の名場面、毛野・道節と河鯉孝嗣との対峙も、かなり印象深い。何たって、あの馬鹿野郎・道節が珍しく格好良いのである。父を自殺に追い込んだ毛野を詰る孝嗣、愁然と併して理路整然と釈明する毛野。理に於いては納得するも孝嗣は悔しさに溺れ、退こうとはしない。犬士らと刃を交えて討ち死にする覚悟だ。毛野は孝嗣を掻き口説く。

 

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……嗚呼痛しいかな守如叟、忠勇智計儔稀にて主君の与に奸党を芟除んと欲したる。その籌策可といへども原是機変に出たれば仇に知らるゝ魔障あり、夫君を愛して乱を怕れその■クサカンムリに壁の土が子/を未然に査してよく奸佞を除くものは則是忠臣なり、しかれども謨る所正理にあらず機変を旨とせし故にその籌策成るに及びて反て君を危くしてその身を殺す■クサカンムリに緇の旁/害あり、蟹目前の賢なるも倶に死然を得ざりしは是隠慝の祟ならずや、蓋天道は善に福して必淫に禍す、淫は密策隠慝なり、君の惑ひを醒し難て已ことを得ず做す事すら行ふ所機変なれば衆魔の祟を争何はせん、然るを況狡児世才を負み智術を旨とし密策隠慝せざることなく一旦その利ありといへども機変の所以に事の破れに至らざるもの孰かあらん、那楊震が四知の誡守らば後悔なかるべき、その理は恁地なれども蟹目前と老叟の如きは機変の破れありながら事一毫も私慾なく苦節孤忠の所行なれば香しき名は身後に遺らん、然ばにや死するも福あり生りといへども恥多き、その禍鬼の来路を推せば定正主の招く所只利を好みて飽ことなければその身の慾に相■リッシンベンにハコガマエに夾/ふ佞人をのみ親愛して賢妻忠臣の諫を聴かず武毛信越の四个国を有ちながら纔に一百許人なる敵に追れ城を陥され士卒咸離散して賢妻忠臣刃に伏しぬ、みづから非薄を省て持資親子を用ひずば管領は只名のみにてその家是より衰ん、和殿この理をよく悟らば這里にて戦■ガツヘンにルマタ/すべからず、存命て主君に仕へ諫めて主君の惑ひを覚さば忠孝両ながら全るべし……」

 

此の口吻からして心象としては、毛野が涙を浮かべて孝嗣の胸に縋り付いている。孝嗣は「こは未曾有の好意なれども従ひがたき所あり」と覚悟を翻さない。毛野の言葉を理解はしているが、敵と出逢って一矢も放たず別れたら疑われると言い返す。此も言い訳だ。孝嗣の本意は父と蟹目前に殉ずることだが、理で押してくる毛野に対し、かりそめの理を以て返したに過ぎない。

「違うのっ、聴いて、だから、あの……」。更に言い募ろうとする毛野を押しのけ道節が前に出る。「……和郎死たくばみづから死ね、我太刀は讐を撃ち又世の邪魔を征するのみ、縦冤家の家臣なりとも孝烈忠義の後生を撃ん刃は持ざりき、和郎よく這意を会得して犬阪が意見に就ば目今拿らする東西こそあれ」と分捕った仁田山晋五の馬を与える。仲間の馬を取り返せば少しは功となるとの配慮。また、射落とした定正の兜を晒す場所を教え、取り返す便宜を与える。孝嗣は漸く納得する。抑も孝嗣は忠孝のため、討ち死にするの何のと駄々を捏ねていたのだ。忠は理屈ではない。故に毛野の最高度の理屈だって通じる筈がないのだ。こうした情態の孝嗣を説得するには、やはり理屈の通じない漢/道節が適任だ。既に不要となった馬と兜を与えることで、孝嗣の忠義を少しく満たしてやる。漸く納得したものの孝嗣だって男の子だ、タダでは引き下がれない。

 

「やをれ犬山道節忠与、君夫人の仇、父の怨、且我君の会稽の恥は異日の戦ひに雪んと欲する孝嗣が誓の征箭は恁こそと、名告かけつゝ■弓に票/と射る見的狂はず道節が背後に柆たる椿樗の節に発矢と射入たる本事に感ずる毛野道節、憶ず倶に見かへりて、遖射たり微■玄に少/の弓勢この樹は則忠与們が廟字に象る是狗椿、節は則是道節、当意即■玄に少/歌人の風流に優る進止こゝろを得たり、快邁ねといへば孝嗣鞍■戸のなか迥の旁/に揖をしたる告別……」。

 

勿論、孝嗣が狗椿の節を射ることで犬山道節を討ったことに替えることは、結果として道節が兜を射落としたことで定正を討ち取ったことに替えることと、対応している。筆者としては悔しいが、此の一場面を以て、道節に毛野と配偶する資格を認めねばならない。馬鹿野郎のくせして道節、確かに漢である。

 

……いや、道節のことなんて、如何でも良い。道節が恰好よく振る舞うために、信乃・毛野が引き立て役にされたなんぞ、信条としては、断じて認めたくない。そうでなくとも道節は、ラストで毛野と一つになる。此れ以上、良い目を見せてたまるもんか。

 

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