■聖なる一片■

 

 八犬伝に於いて、五十子城は、二度に亘って陥落する。第一次五十子攻略は信乃によって、第二次が毛野によって行われた。共に女装犬士に落とされる。上記の如く、伏姫から女性性を最も色濃く継承した二人によって{のみ}五十子城が攻略/獲得されることには、意味がなくてはならない。

 

 まず五十子城陥落の表面的意味は、第一次が南関東大戦の引き金であり、第二次が南関東大戦に終止符を打つことであることを確認せねばならない。犬士の側からすれば、扇谷上杉定正による豊嶋・煉馬家滅亡やら、結城合戦やら、隠れた動機はあるけれども、定正が五十子城を落とされ剰つさえ自らの命も狙われたことが第一の理由であった。あとは南総を我がものにしようとする領土拡張欲であり、戦いを通じて互いに優位に立とうとする権勢欲であった。毛野による馬加暗殺や籠山縁連殺害なども列挙しているが、要するに定正が面子を潰されたため諸侯に呼びかけ、欲に搦んで諸侯が応じたんである。

 

 毛野による第二次攻略は、南関東大戦に於ける敵総大将の居城を陥落させたものだ。洲崎沖海戦でのトライアンフにより大勢は決したし、海戦陸戦で諸侯の多くを生け捕ったから里見家が事実上勝利しているのだが、言い出しっぺの定正が髪を切られただけで無傷である。しかし余りに大きく歴史を改変するに躊躇いがあったか、有名どころを簡単に殺すわけにゃぁいかない。定正不在の五十子を陥落させて手を打ったのだろう。二回に亘る五十子攻略が、南関東大戦の発端と終結を示すものであることは明らかだ。

 

 また、南関東大戦そのものの意味は、{期限付きではあるが}長尾景春らによって戦乱の渦に巻き込まれた関東から、いや日本から、里見領域を平和な理想世界として分離させる意味がある。それまでも里見の武威により南総の平和は保たれてはいるのだが、{信乃ら当事者の意図する所ではなかったにせよ}第一次五十子攻略は定正を挑発し敢えて戦乱を呼び、勝利を収めて南総の平和な状態を確立する。戦国時代なんだから、実際に交戦していなくとも潜在的な戦争状態にあったと見るべきであろう。言い換えれば南関東大戦は、里見領域を戦国時代から隔離しちゃったんである。現実世界からの遊離とも言える。

 

 では五十子攻略の本意は何か。縷々述べて来た如く、信乃・毛野は共に伏姫の女性性を最も色濃く継承し且つ対称的な存在である。二人とも賢女であるが、信乃は文科/ヒューマニティ系、毛野は理科系だ。毛野は、いざとなれば数万の敵兵を焼き殺してしまう。毛野だって人の心裡を鋭く読むが、真が偽か、次に如何なる戦術をとってくるか、との合理的な面の推論に優れている。敵対者/悪玉の心裡を推し量ることに優れている。信乃の方が甘チャンなのだ。しかし、ヒューマニティー/人間理解に就いて、例えば、善玉である河鯉孝嗣の説得に失敗している{}。孝嗣は却って馬鹿野郎・道節に服した。また南関東大戦で信乃がとった火猪の計は、「於是再以るに、初犬阪が献りし八百八人の一策は只水戦の為のみならず。這里にも亦この時に於て風火の資助を借るにあらずは、連り建て多かる戦車を、誰かよく一時に除ん」。{百六十五回下}とあることから、毛野の八百八人の計に対比すべきものだと判る。

 ちなみに元々信乃は牛を欲していたのだが、「こゝをもて匹夫の勇士を野豬武者といふならずや。這を思ひ那を思へば、今宵の所要牛にも勝れり」{百六十五回下}と喜ぶ。火猪を八百八人の計と対比したとき、海軍司令官として奮戦する道節が「野豬武者」に思えてくるから面白い。

 

 信乃・毛野二人の五十子攻略は、何故か同じ形をとる。信乃は、定正の下僕・外道二に命じて城門を開けさせる。定正が雑兵に身を窶して逃げてきたから開けろと云わせるのだ。二十人の小勢で忍び込んだ信乃は火の力も借りて制圧に成功する。毛野は小森但一郎高宗ら二十人に命じ、音音が紛れ込んだ本物の敗残兵に続いて城内に侵入させ火の力も借りて城門を開けさせる。毛野は三千の兵を率いて突入し、守備頭人・箕田馭蘭二を射落とし、難なく落城させる。

 対称的な二人が、(途中まで)ほぼ同一の手段を用いて、五十子を落城させる。但し、信乃は領民に仁を示すが、陰で定正の室・蟹目上と忠臣・河鯉守如が自殺していた。対して毛野による第二次攻略では、先に入った音音と人質になっていた妙真・曳手・単節が、自殺しようとしていた嫡子・朝寧の室である貌姑姫と定正の継母・河堀殿を保護した。更なる悲劇は回避された。蟹目上と守如の死は、義に拠るとはいえ、隠匿の罪があったから止むを得ないと、馬琴は説明している。しかし貌姑姫と河堀殿には、何の罪もない。彼女らを死なせれば、義兵の名分が立たないとの配慮であったか。だいたい二十人ばかりで攻め入った信乃に、城の攻略と蟹目前らの保護を同時にせよと云うのは無理だ。対して第二次攻略では、火の玉女・音音を筆頭に計四人も烈女が顔を揃えている。信乃に不足していたのは三千の兵ではなく、恐らく四人の女性だ。同じく女装犬士である信乃・毛野の違いは、女性性の濃さにある。詰まる所、第一次第二次攻略とも、五十子は【女たちの城】もしくは【女たちの聖域】なのだ。そして結果としては、第一次より第二次攻略の方が、【仁】性が高い。

 第一次攻略に於いては、善意からとはいえ謀略を廻らした蟹目前が、敵兵を招き入れた責任をとって、雄々しく自殺する。彼女は、生前の伏姫と同系列、即ちファロスを持つ女性であった。蟹目前が死なねばならぬ理由は、隠匿も然ることながら、恐らく信乃が来たからだ。また技術上の問題として、蟹目前が生き長らえたら、扇谷上杉定正が再び暗愚に堕した時、身の振り方に困る。善なる侭で退場するには、第一次攻略がチャンスであった。

 

 兵を男性性が強調された形とすれば、非戦闘員は男性性が弱い。第二次攻略では、逃げ散った扇谷兵の代わりに、貌姑姫と河堀殿を心配して、恐る恐るでも戻ってくるのは女房と料理人たちだ。男性性の高い者が逃げ惑い、低い者が踏み止まる。例えば大塩平八郎の乱で慌て惑った愚劣な幕臣たちの醜態が彷彿とする。声高に喧伝されていた武威は空虚であり、五十子では何かの逆転が起きている。美少女毛野に征服された五十子に、男性原理は無用である。ファロスもつ雄々しき女性・蟹目前は、既にない。活躍すべきは、せいぜい武装し男性性を纏った、音音ぐらいに限られる。そもそも五十子は、男どもに蹂躙され支配さるべき場所ではない。五十子は、【女たちの聖域】として設定されていたに違いないのだから。だからこそ、信乃と毛野にのみ攻略されたし、信乃と毛野は五十子を【獲得】せねばならなかったのだ。

 

 まず信乃による第一次攻略を振り返る。五十子攻略で、嘗て見せたことがないほどの仁気を見せた酷薄なる美女・信乃であった。彼女は何によって転向したか。そう言えば、此処んところ信乃は道節と同棲している。負の平衡/復讐を望んで猛り狂う道節/ファロスを受け止めた挙げ句、トンチンカンな理由を取って付け俄か復讐者となった信乃は、自らを貫く道節のファロスを変換した。信乃の復讐はファロスではなく、【仁】によって果たされた。幼い頃、「睾丸{ふぐり}なし」と呼ばれた信乃は、まさにファロス/男性原理を半ば隠し、仁愛にもとづいて五十子の領民を賑わせ、「正の平衡」を導いた。信乃は何時、ファロスを隠したのか。恐らく浜路と再会したときだ。浜路の愛が復活したと感じたとき、信乃はファロスを半ば隠匿したのではないか。中世寺院などでは稚児のファロスを三角巾で覆い隠し以て女性化せしめた上で犯す作法があったが、まさに愛の極致に於いて信乃にファロスを隠匿せしめた浜路。……まさか元々女装時の信乃に惚れた同性愛者ではなかった筈だけれども、とにかく理念上で信乃のファロス隠しは、浜路による。

 

 五十子は、五十子である。伏姫の母だ。伏姫は、自らの王国に侵入した弟・素盞鳴を武装して出迎える天照皇太神の如くに、雄々しい。いや現代に於ける論説の如く天照が元男神だったとは、馬琴の脳裏になかっただろう。しかし、女子にして男子、男子にして女子とまでは感じたかもしれない。対して伏姫の母・五十子は、英雄的な活動を見せない。泣いてばかりいる伏姫を心配し洲崎詣でを行うことで役行者の加護を得て重大な転機を招来するが、ほかには此といった行動がない。ただ伏姫の身を案じ、心配して心配して心配して、ついには死に至る。ただ、それだけの登場人物だ。弱く優しい母親である。母は強し、と云うが、其れは子への没入度合いが強いとの意味かも知れない。男性性に対立するが如き、徹底した母性。いや、より精確に云えば、母性のうち男性性と対立する部分のみを強調し尽くした女性が、伏姫の母・五十子であった。闘って敵を打ち倒すのではなく、ただ自らを投げ出そうとする。焼野の雉子、である。なんと対称的な母娘であったことか。犬夷評判記は伏姫を「丈夫に勝る」と云う。心にファロスを持つ、即ち、まるで金碗八郎の如き過剰な男性性を有する伏姫は、玉梓が転生した八房と夫婦になる。また犬夷評判記稿料で馬琴は次のように云っている。

 

 大輔の薄命伏姫の枉死と一対也。金碗八郎が義死と五十子方乃憂死と又一対也。凡此主従男女は造悪の事なし。これ善果乃人たるへきにかくなり果たることのもとを玉梓か祟といハずは何をもて勧懲とセん。玉梓か祟ハよしさねの彼を赦さんとし赦し得ず只一言乃失より出たり。これ又大なる愆にあらず。そのたゝり却大なるは何そや。玉梓淫乱無智乃毒婦たる故也。その悪報犬となりかハりしより終に八士を現す。これ金碗父子伏姫母子乃功徳によれり玉梓か祟乃なすところにあらす。是則作者乃真面目也。よりて筆もてそのよしをことわらず。看官をして暁しめんと也。{犬夷評判記第二編稿料}

 

 目立たない割に、五十子は非常に重要な人物である。ファロスもつ伏姫の英雄的行為により、淫婦・玉梓の後身である八房は菩提心を発した。玉梓は成仏/浄化する。同時に八犬士の霊気が発生する。八方に散り肉体を得る。第十二回で牛飼童/役行者が語った通り、伏姫と八房が相感した。では何故に如斯き不可思議が発生したのかといえば、金碗大輔の薄命と金碗八郎・伏姫の切腹、そして五十子の憂死の功徳が原因なのだ。

 金碗八郎は、私欲で里見義実に従ったのではないことを証明するため、神余光弘と義実の二君に義理を立てるため切腹した。伏姫は、犬と性交していないことを証明するため自殺した。二人は共に、自らの潔白を証明するため、不必要な切腹をして果てる。金碗大輔は、八房殺害に成功したものの伏姫まで傷つけてしまった罪により罰を願い、実は義実が勝手に決めていた許嫁・伏姫が自殺したため追善の意味もあって出家し、自ら八犬士を集める苦行の旅に出た。薄命である。そして五十子は、伏姫を心配して死んでしまった。

 一般に功徳と呼べるのは大輔/丶大の出家行脚だけのような気もするが、其れは措き、八郎と伏姫は道義の過剰な発露、華麗なる蛮行によって自らの禍を里見家の福に転じた。かなりの力業であるが、まぁ解らなくもない。自らの命で得た債権を里見家に譲渡したのだ。大輔/丶大は、彼の心象に於いては【八房犬に奪われた主君の娘を奪還する】ため、奪われたものを奪い返すため、富山に分け入り八房犬の殺害のみ果たし伏姫の奪還に失敗した挙げ句、伏姫が死んでしまったため出家行脚する。此処までの三人は、積極的な行為者だ。一方、五十子は、ただ只管に娘・伏姫を思い想って憂い死にした。心配するだけなら誰にでも出来る。しかし五十子は、肉体まで衰弱し命を磨り減らしてしまった。五十子の思いは、文字通り全身全霊を懸けたものであった。功徳というより、最悪の悲劇に落ち込んでいった五十子の善性そのものが、里見家に福を呼び込んだことになる。此処で浜路が五十子の淡い投影であると気付く。正の平衡をこそ導く者である。元々浜路は、女性性を色濃くもつ信乃と配偶するほどであった。女性同士の関係性の中に於いても女役に配置されるべき、【女の中の女】である。現代では肯否両論あるとは思うが、此は或る時代、此の邦に於いて、【母】という言葉に込めた善なるものの典型なのではないか。五十子こそ、【聖母】である。

 

 

 信乃と毛野は対称的であるが、共にファロスもつ伏姫から発したため、五十子攻略では【男子にして女子、女子にして男子】の枠から出ていない。生前の伏姫の枠内に収まっている。しかし五十子は、伏姫と対称の位置にある。対称軸が二本となり、世界が広がった。宇宙の外にある宇宙が現れた。序盤に、チラと悲しげな顔を見せて消えていった五十子の存在が、第一次攻略で急激に膨張し始める。此処までの大冒険のフィールドは、世界の半分、陰である半分に過ぎなかったのだ。個々人の裡にある宇宙が弾け、それまで外部であった宇宙が発見された。一対一で殺し合い奪い合うのではなく、より複雑な論理で動く世界が舞台となった。

 情けは人の為ならず。実際の所、信乃による五十子攻略は、扇谷家が貯め込んだ兵粮を領民のため奪い返したのだから軍事上の効果もあった。城の建造物も修理が必要となっただろう。扇谷家の軍事力を弱めたことは間違いない。また其れ以上に、信乃の撫恤は、扇谷家に対する領民のロイヤリティーを低下させたと思しい。財徴収時には抵抗力として現象するであろうし、扇谷家の領国統治が弱体化する端緒ともなろう。扇谷家にとってはマイナスだ。復讐は、キッチリ果たされている。

 八犬伝中ここ迄の復讐は、ぶつかり合い殺し合い、邪魔だてする者を切り捨てればよかった。対面し刃を交え合った敵を、とにかく殺せばよかった。信乃の仇は飽くまで上杉家もしくは扇谷上杉定正なる個人もしくは家であった。しかし信乃による五十子攻略は、定正に負の力を向け城兵を皆殺しにしたり城を殊更に毀ち去るのではなく、いや却って城兵は温存し城も出来るだけ保全すなわち直接の加害は最小限に留めた上で、第三者である領民に正の力/食料を与えることで果たされる。一対一の連鎖し続ける復讐ではなく、第三者を巻き込む形で達成するのだ。一対一の復讐は所詮、目の前の相手だけ見詰める、個々人の認知裡レベル、小宇宙での話だ。既に浜路復活によって、より広い大宇宙の存在が明らかになっている。少なくとも浜路復活の当事者である信乃は、より社会化した復讐を為さねばならない。

 

 里見義実も義軍を起こし仁政を行うが、彼の場合は、単に旗揚げであって、復讐ではない。元々領民に仁気を及ぼそうとしたのだから、話が違う。が、此処で問題となるのは金碗八郎の去就である。彼の当初目的は、神余光弘の仇討ちだ。領民のことなんて恐らく、全く考えていなかった。その八郎が、仇討ちというより不義の支配者を憎み領民に仁気を及ぼそうとした里見義実と、結合した。戦いが終わると八郎の目的は消滅した。安房国/ソープランドに於いて、行為後の萎えたファロスに存在意義はない。負の平衡は、命を奪い合い人口を減少させ続ける連鎖を起こしこそすれ、何も産み出さない。【産み出す者】すなわち【聖母】五十子とは逆の論理だ。八郎の悲劇は、負の平衡そのものに殉じたところにある。ファロスもつ伏姫も同様だ。八郎は腹に私欲を蔵していないことを、伏姫は子宮に犬の子を胎していないことを、証明するために、切腹しなくてはならなかった。与え合う、回復し合う、正の連鎖ではないことを証明するために、何も受け取っていないことを証明するために、死ななくてはならなかったのだ。

 と、此処から世界が朦朧としてくる。伏姫の子宮に、可愛い犬の赤ちゃんはいなかった。伏姫は満足する。しかし、八犬士は生まれた。犬との霊的な相姦/相感は既に果たされていたのだ。美熟女・玉梓は、美少女・伏姫と婚姻し、霊的に性交することに成功した。ファロスもつ雄々しき伏姫は、逃げることなくガップリと四つに組んだ。里見家に負の平衡を求める玉梓怨霊を食い止めようとしたのだ。しかし伏姫を犬の妻の地位に引きずり下ろした時点で、玉梓の復讐は成ったとも云える。尤も玉梓自身も犬になっているから世話はない。負の連鎖は自らの「後身」すなわち子孫や眷属にも及ぶのだ。伏姫や玉梓の思惑とは裏腹に、伏姫と玉梓の間に八犬士が生じてしまった。

 また、八房は玉梓そのものではない。八房が伏姫と配偶するよう玉梓怨霊が影響を及ぼしたのだ。八房の心には、玉梓の怨霊/記憶は、欠落している。せいぜい八房の細胞には玉梓の記憶が潜んでいる可能性はあるが、八房の意識にはない。八房そのものは、単に、凶暴だが主人に対してだけは子犬のままの忠実な和犬に過ぎない。八房は、自分が置かれた状況自体が伏姫への呵責となっていることに、恐らく気付いていない。別に仕込んだわけでもないだろうに、伏姫の為に芋や果物を採ってきて捧げる毎日を過ごす。ファロスもつ伏姫は、八房を殺すことまで考えるが、仁に外れるからと思い直す。自らの心の平安を保つためのようだが、八房に法華経を読み聞かせる毎日だった。木果への返礼か、仏果を八房に与えようとする行為でもある。馬の耳に念仏、と謂うが、犬の耳になら念仏も通じるらしい。八房は菩提心を起こすに至った。

 伏姫や玉梓の意思とは関係なく、八房の存在は、正の平衡へと方向転換した。八犬士霊気奔出の場面だ。後に八犬士は、里見家のため関東連合軍を打ち破る。仇なす積もりの玉梓が、里見家に与えた者こそ八犬士ともいえる。負が正に変じ、禍が福に転ずる。此の【伏姫の意思とは関係なく負から正へ変換】した、まさに其のとき、五十子が死んだと伝えられる。娘の伏姫を心配して憂い死にしたのだ。伏姫に、心配という形で愛を与えることしかできぬ五十子は、愛を与え、与えすぎて、自らの命まで消耗し尽くしてしまった。負から正への転換は、五十子の憂死に深く関わっていることが解る。

 

 女装犬士・信乃による第一次五十子攻略は、伏姫の再生を宣言するものだ。一週間ほど前、十一二歳まで退行した伏姫が目撃されていた。此の時点で八房は、義母もしくは乳母もしくは母である玉面嬢と義絶する。伏姫は更に退行したらしく、五十子の胎内を再び潜り、母・五十子から聖なる資質、慈愛を生前より強く与えられる。この場面で主人公は信乃だが、他に五犬士が来会している。一カ月後、親兵衛が「仁」の玉を持って登場する。犬士と伏姫は、連動している。どうやら伏姫の裡に、慈愛/仏性/「仁」が確立したようだ。但し未だ観音の大悲には至らない。元々仁気の親兵衛は別として、七犬士のうち六人しか五十子を通過していない。まだ毛野が「仁」を手にしていない。まだ八分の七しか伏姫観音は完成していないのだ。

 ちなみに伏姫観音が完成していないうち蟇田素藤が里見家に仇為す。玉面嬢の仕業だ。緊急措置として、既に「仁」の面で完成している伏姫の一部分、親兵衛が一足先に分娩された。伏姫/太陽神の再誕は、二度に分けて行われるのだ。親兵衛の再登場は、時系列を重視すれば、伏姫/太陽神再誕の開始時点だ。頭が出てきたところぐらいか{逆子なら足}。故に、親兵衛再登場の場面では、田税逸時/田力雄しか登場していない。もう一人の重要な登場人物は、分娩の最終段階で現れる手筈だ。

 

 五十子こそ観音か。確かに現代では、観音は、慈母の如く、とにかく一方的に甘やかしてくれる、都合の良い仏だと考えている方もおられるかもしれない。しかし、少なくとも前近代日本に於いて、仏様たちは、ただ優しいだけではない。真言宗の本尊は大日如来だが、必要に応じて不動明王となる。不動明王を本尊とした呪法には敵を殺す力があるとされた。他の仏だって同じだ。観音菩薩だって、特に優しそうな顔をしちゃいるが、再三紹介してきた如意輪七星曼陀羅を用いる秘法は、侵略軍を壊滅させるためのものである。慈母なんて、表向きの顔に過ぎない。此の時、如意輪観音は、恐ろしい鬼子母神の形相を見せ、輪宝剣を振り回す。言い換えるならば、優しいときに観音と呼び、殺気立ったときは鬼子母神と呼ぶのだ。如意輪観音は、漏れなく鬼子母神の形相を隠し持っている。逆に言えば、鬼子母神は観音の一部であり、観音へと昇華する資質を有している。残念ながら五十子は、観音の欠くべからざる部分ではあるが、其の侭では観音にはなれない。観音は、優しいだけの存在ではないのだから。

 

 第一次「五十子」攻略で、美女信乃は、かなり酷薄だったくせに、いきなり「仁」を標榜する。復讐という「負の平衡」を希求する方向性から、正の平衡への転換を宣言するのだ。

 ファロスもつ伏姫の女性性を、信乃と毛野は最も色濃く継承している。信乃が急に「仁」を標榜することは、同時に伏姫も「仁」の性質を帯びたことを意味する。「継承」と謂うと、何だか既に関係が切れているようだが、伏姫と犬士もしくは里見家は、連動している疑いがある。伏姫の擁護対象は、犬士と里見家に限られていた。伏姫は強力ではあるが、所詮は里見家専属守護神だった。せいぜい氏神にしかなれない。

 特に、第一次五十子攻略まで、作中に登場する伏姫もしくは伏姫の霊は、英雄的だ。巨犬に雄々しく跨って手束さんに玉を授けたり、悪漢/楫九郎を吊し上げ事もあろうに股裂きして虐殺したりする。伏姫が慈母かもしれないと気付くのは、第一次五十子攻略後に親兵衛が再登場し富山で養育された経緯を語る場面だ。此の後も、美少女・浜路姫を掠奪しようとする妙椿と美熟女同士キャットファイティング、猪を使って関東連合軍を壊滅させたりと、軍神の如く振る舞う。素藤攻略時には、まだ十一二歳レベルだった伏姫神霊は、敵兵の生首を弄び、幼児性ゆえの残虐さを見せている。しかし一方、南関東大戦時には親兵衛を通じ、敵兵の命まで救い始める。四十八時間以内に用いれば、死人が甦るって秘薬だ。京都では、惜しみつつも自白させるため徳用にまで与えている。南関東大戦に至っては、敵も味方も数を厭わず秘薬を振る舞うことにした。薬籠の薬は、いくら使っても減ることがない{第百六十九回}。蘇生薬を敵に使うことを、伏姫が認めていることを示している。此の辺りまでに、伏姫は犬士もしくは里見家の母から、普く開かれた万物の母たる観音菩薩として、ほぼ完成したようだ。

 親兵衛が敵味方無く蘇生させ始めた頃、血に塗れた復讐の天使「女子にして男子」毛野は、敵総大将・扇谷定正の居城である五十子に向かう。武装し男性性を纏った「女子にして男子」音音が少し先を走っていた。毛野による第二次五十子攻略により、南関東大戦が終息したとみてよい。では第二次五十子攻略とは、如何な戦いであったか。

 

 毛野は対牛楼での大虐殺をはじめ、とにかく殺戮が似合う血に飢えた美少女/復讐鬼だが、第二次五十子攻略を成功させると、まず河鯉守如の墓を造り供養した。既に自らの復讐を完遂しているから仏心も起ころうものだ。そして五十子に在城中、南関東大戦の犠牲者を弔う法会を提案する。元々の腹案だったが、五十子から提案する。とにかく五十子は、殺伐たる水気の女装犬士二人を、慈愛に満ちた女に変えた。特に孝の犬士・信乃が五十子陥落後に仁を標榜した後、仁の犬士・親兵衛が伏姫の秘薬を携えて帰還する。此の作中事実は興味深い。それまで只、殺し殺され復讐を繰り返してきた物語は、敵にさえ慈愛を施すよう変わるのだ。

 信乃・毛野は最も色濃く伏姫の女性性を注入された犬士として設定されていた。犬夷評判記稿料の語る通りだ。しかし生前、伏姫が表現した女性性には、欠如したものがあった。五十子が体現した、深い深い慈愛である。神霊になっても、妙真の手から親兵衛を奪い、楫九郎を虐殺する姿は、鬼子母神そのものだ。信乃・毛野の五十子入城は、伏姫が再び五十子の胎内を潜ったことを意味している。欠落させていた慈愛を獲得し、観音として完成する為に。何故、二度も五十子を攻略せねばならないのか。伏姫の女性性は信乃・毛野に分与されているのだから、一人だけでは不十分であって完全な再生とはならない。また毛野は、河鯉守如と孝嗣を憚って、第一次攻略時には、わざと城に近付かなかった。まだ時が満ちていなかったのだ。二度の攻略は、伏姫による胎内潜りの開始と終了を意味しているのだから。

 毎度お馴染み「五行大義」には、「陰主在戌、陽気下蔵、陰気自在於上、故曰陰主……中略……大義在亥、万物於此懐任、陰気含陽、故曰大義」{五行大義巻第五第二十論諸神}とあり、終盤に八犬士の八が陰の数であると語られるが、戌は「陰主」であるから八と相性が良い……ことは、さて措き、亥は懐妊の時である。十二支の最後に列する亥は、子の直前であり、子が陽の最初であるから、一つ前の亥で既に陽を裡に含み【懐妊】していなければならない、との理屈である。信乃と対比すべき毛野が、八百八人の計を用いて関東連合艦隊を屠り去り、間髪を入れず五十子を攻略していたとき、信乃は同じく火猪を用いて山内上杉顕定・足利成氏らを打ち破った。毛野の五十子攻略は、太陽神・伏姫再誕の完了を示すが、平行して行われた対戦車作戦で、妊娠を象徴する猪が用いられるのは、なかなかに相応しい。そうでなくとも猪/亥は、十二支のスタート地点の直前で、陽が啓ける瞬間へ繋ぐ瞬間だ。南関東大戦が、比喩として、夜明け直前だとも意味していよう。勿論、軍神であり太陽神の眷属たる摩利支天そのものにも存在意義がある。

 

 とにかく第一次五十子攻略で初出の犬士・信乃が慈愛に目覚める一方で南関東大戦を引き起こし、次いで仁の犬士・親兵衛が帰還し、最も冷酷な犬士・毛野が二度目の五十子攻略を成功させ、南関東大戦は里見側の勝利に終わる。南関東大戦は、(集団としての)犬士もしくは伏姫が、大悲なる性格を獲得するための過程として位置付けられる。第一次攻略で信乃、大角、荘介、現八、小文吾、道節と六人が「仁」を強調する。第一次攻略では敢えて五十子に近付かなかった毛野が、南関東大戦に於いて単独で五十子を攻略した。七人が五十子に入城したが、親兵衛だけは寄り付かない。元々「仁」の犬士だから、五十子に入城/通過する必要がなかったのだろう。

 

 此処で筆者の関心に惹き付けて、第一次から第二次五十子攻略までの話を、やや詳しく要約する。第一次五十子攻略で信乃が仁を強調する。一方、蟇田素藤が上総館山を奪い里見家と戦う。里見側の田税戸賀九郎逸時/田力雄が活躍すると、富山で親兵衛が再登場、八犬士の集合が確定する。伏姫切腹の段には柏田・梭織とアカラサマに天照皇太神の磐戸隠れ神話を示唆する名前の女房二人が登場し伏姫が太陽神であることが明らかになっていたけれども、親兵衛により太陽神の復活が読者に告げられるのだ。同時に親兵衛は、伏姫が既に【母】としての性質を獲得しつつあることを伝える。親兵衛は上総館山に赴き、浜路姫の身代わりとして掠奪された里見義通を奪い返しに行く。親兵衛が一旦は素藤を生け捕りにして落着させるが、此の仁気溢れる裁定が禍根を遺し、蟇田素藤は再び里見家と対立する。乱世に於ける【仁】の限界が明らかになる。実際のところ、乱世に於いては、愛の絶対化たる五十子でさえ、目の前の現実を何ら変えられなかった。彼女は、自らの死によってのみ、現実に影響を与えたのだ。

 さて色々あって親兵衛は、責任を取る形で素藤の館山城を急襲、素藤の黒幕である元母親だった玉面嬢・妙椿を退治する。一方、七犬士と丶大は結城合戦の戦没者を弔う法会を行うが、悪僧・徳用に怨まれ襲われる。親兵衛が合流して切り抜ける。この後、親兵衛は単独で京都へ修学旅行に出かけ、男色家の幕府管領・細川政元に抑留される。親兵衛は、既に菩提心を起こしたと思しい玉面嬢/画虎を消去して、漸く安房に帰る許しを得た。その頃、南関東大戦が勃発し、里見義成は【仁戦】の理念を掲げ、敵の武将を生け捕りにすることこそ大功だと訓示する。第一次五十子攻略で信乃の強調する仁気に独り反発した道節が、此処でも慈愛に満ちた戦争なんて想像つかないとアカラサマに反対するが、押し切られてしまった。結局、道節は定正を殺せない。しかし第一次五十子攻略に関わりながらも自ら隔離し入城しなかった毛野は、義成の訓示を然り気なく完全無視、海戦で敵の大軍を皆殺しにする火計を提案し、採用された。毛野は独り、仁から距離を置いた。

 防禦使として各方面に展開した四犬士は、最小限の殺戮で戦果を挙げ、主立った敵将を次々に生け捕る。血に飢えた美少女・毛野を軍師とした里見側は、数で圧倒しようとする関東連合艦隊を焼き払い、勝利を確実なものとした。道節は毛野直属の海軍司令官としてドタバタ暴れるが、目立った活躍は見せない。大角も重要だが地味な役どころである。聖母・五十子の胎内を通過した者は殺生から遠ざかる。犬士の枠に限れば、海戦は毛野の独壇場である。枠の外では【女子にして男子】、武装し男性性を纏った音音が大活躍する。京都への修学旅行から帰ってきた親兵衛も戦場に現れ、里見義通を救う。此奴は元々のキャラクターから敵を生け捕る方が得意だから、義成の訓示の場面には登場していないけれども、殺生はしない。如意輪七星曼陀羅に於ける鬼子母神を演じ切り、大量の敵兵を屠った後に漸く、毛野は五十子を攻略し入城する。

 

 元々毛野は血に飢えた復讐鬼だし、如意輪七星曼陀羅の鬼子母神だから仕方ないとも云えるが、しかし残虐な美少女の侭、富山の仙境に至るは不自然に過ぎる。何処かで毛野は、優しく愛らしい美少女に変身しなければならない。やや小柄だが天然の媚びを含んだ褐色の膚を纏い引き締まった太股でダンスの巧い色っぽい美少女に変身していなければならないのだ。ついでに云えば低めの伸びやかな声で歌も巧い濃眉美少女が、筆者最近のフェヴァリットである。

 元々仁の権化・親兵衛以外の犬士は、仁/慈愛を身に付けるため、五十子の胎内を潜らねばならないのだ。しかし戦争は慈愛だけでは出来ない、との理解が馬琴にはあったのだろう。仁戦を標榜する南関東大戦に於いても綺麗事だけでは不自然に過ぎるし、そして洲崎沖で大量の生け贄を捧げるためにも、汚れ役は必要だった。だからこそ第一次攻略で、毛野は五十子に入城できない。毛野はまだ、其の美しい手を血に塗れさせねばならない。洲崎沖で関東連合艦隊を屠り去る仕事が残っている。

 

 毛野は、伏姫の女性性を半分だけ継承している。半分と云っても、もう一人の女装犬士・信乃より濃い部分だ。毛野は傀儡女/売笑婦として登場し、小文吾の胸で愛を囁き、男装してさえ男に言い寄られる。毛野は、とてつもなく美しく魅力的な汚れ役なのだ。

 毛野に汚れ役の部分があるとすれば、馬琴は伏姫にも密かに同様の要素を設定していたことになる。信乃は伏姫の分身として、解り易い。素の侭で振り袖を着れば、伏姫になる。気品と学識を備えた自制できる賢女だからだ。信乃は、美しく澄んだ泉のような……恐らくは井戸だ。井丹三の孫だってのは、伊達じゃない。信乃の結局は、井戸の修復によって成された。毛野は、荒れ狂い人々の命を飲み込んでいく、奔流だ。対牛楼からドンブラコッコと流れていった過去もある。自制しつつも華麗なる蛮行、不必要な切腹をする伏姫は、逆巻き迸る流れを心の奥底に隠している。伏姫は、信乃にも毛野にもなる……其れが馬琴の女性理解であったか。

 

 ただ伏姫の女性性には、五十子の慈愛が欠如していた。だからこそ犬士に於いても、最も伏姫の女性性を色濃く継承した二人は五十子を【獲得】しなければならなかったし、伏姫本人も、富山に仁の犬士・親兵衛を拉致監禁せねばならなかった。白地蔵口絵に於いて、最も幼く描かれる犬士は、小文吾だ。何故なら悌の犬士だからである。悌は年少者が年長者に対する時の徳目だ。だからこそ里見家の末娘・弟姫と配偶する。かなり年齢がアンバランスとなる。最年少者は、小文吾であった方がスッキリする。また、本来なら父の房八が犬士になるべき年代なのに、敢えて一世代を棒に振って、やや不自然な年齢設定の親兵衛が犬士となる。既に色気づいている筈の里見家長女・静峯姫と配偶し、長らくオアズケを喰わせる非道を為してまで、馬琴は親兵衛を幼く設定した。

 親兵衛が幼くければならぬ要素は、八犬伝中では、細川政元・枝独鈷素手吉から少年愛を注がれる場面と、富山に拉致監禁され伏姫に養育される部分だけだろう。浜路姫と恋愛を疑われる場面なぞ、信乃との置換法則を暗示し蟇田素藤討伐を正当化するためでもあろうが、やや苦しい。また政元・素手吉の性妄想だって、ロリコンじゃぁあるまいし、やはり苦しい。

 犬士となるべき房八を通り過ぎ、房八の息子である親兵衛が犬士となる。親兵衛には房八の霊が憑依しているとも考えられるのだが、こんな無理をしなければならなかった理由の一つが、伏姫による親兵衛拉致監禁事件の必要性ではなかったか。

 

 伏姫による拉致監禁こそ、親兵衛が幼く設定された裏事情ではなかったか。伏姫は、仁を必要としたのだ。自らの腹に刃を突き立て子宮を抉る狂気の行動は、英邁かもしれないが、仁慈ではない。ただ只管に自らの命を削って愛を注ぎ尽くす五十子とは、対極にある。少なくとも大悲の菩薩たる観音としては、伏姫、仁慈が不足していたのではないか。犬士の根底には伏姫から分与された雄々しい男魂がある。しかし八行は、役行者に与えられた玉ゆえの資質ではないか。伏姫が親兵衛を拉致監禁した理由は、養育だけではない。親兵衛と共にあることで、仁なる資質を吸収していたのだ。また親兵衛の母として生活することで却って仁慈を生じ、親兵衛に仁気を補充していたのではないか。観音として完成するために……吉祥天女や弁才天、そして鬼子母神のレベルから、菩薩位へと昇化するために。まぁ稗史叙述の技術面から見れば、単に太陽神復活を演出するために、親兵衛は一旦は身を隠す必要があった。隠れなければ、「再登場」が出来ない。

 

 伏姫は大悲の菩薩として完成する前に、遣らねばならぬことがある。南関東大戦である。一抹の凶気を残しておかねば乗り切れない。凶を残した部分、其れが、毛野だ。祖国防衛を完遂し、漸く伏姫は安心して、大悲の菩薩として完成する。毛野も五十子に入城し漸く、血に塗れた全身を清めることができた。熱いシャワーが褐色の滑らかな膚に弾ける、小振りだが形良く盛り上がった乳房、引き締まった腰から続く脚線が僅かに柔らかさを帯び始めている……。

 

 また余りに複雑になるので、同一過程の別側面を以下に記す。第一次五十子攻略に於いて、蟹目前の自死は、道節らと共謀していないと主張するものであった。実は蟹目前の主張は孝嗣によって語られるのだが、解りにくい書き方になっている。

 「出処不定の坐撃師を討手に憑みたりしより還て敵の便宜となりて君は危窮に及ばせ給ひ剰城を攻破られては孰の路にも我君に向奉る面はなし。切ては君に先たちて死して我這赤き心を後にぞ知せまつらん」{九十三回}。

 前半、定正殺害未遂事件と五十子落城が自分の責任だと認める、そして後半で、「赤き心」即ち、扇谷上杉家の厄難を自分は望んでいなかったことを示すための自殺であると宣言している。故に、蟹目前の自殺は、道節との共謀がなかったことを主張しつつ不用意であったことを詫びるものだったと理解する。単なる自罰ではなく、赤き心を見せるためであった。厄難への責任は認めながらも、故意ではないと主張し且つ責任をとろうというのだ。……毛野との同性愛的交流さえバレていない筈なのに、余りにも性急な蟹目前の死であった。八犬伝で無実を主張し自殺する者は、何人目であろうか。九十五回で早くも定正は「然るにても蟹目前は我愆を諫難て人手を借て縁連を誅せんと謀りたる、我妻ながら才あり智あり、我及ばざる処なりしに那伝聞の錯誤より忽地刃に伏たるは、他が薄命のみならず、亦我一大不幸也」{九十五回}と話している。蟹目前自殺の原因を「伝聞の錯誤」即ち、毛野が五十子攻略に共謀していたとの疑いであったことが判る。蟹目前の自殺は、無実を主張するものだ。

 

 此の自殺から解るように、蟹目前は、ファロスもつ伏姫と同系列だ。生年も近い。「五十子」を守ってきた女性だ。そして伏姫/天照皇太神の亜流なればこそ、第一次五十子攻略で、天叢雲剣/村雨によって象徴される素盞嗚尊/信乃の侵入によって、姿を消さなければならない。伏姫の淡い投影である蟹目前が死なねばならぬ本当の理由は、此処にあるのではないか。即ち、信乃の五十子攻略は、伏姫が五十子の胎内を再び潜ることを示すのだが、太陽神が母の胎内に戻るとは、磐戸隠れに等しい{日本神話の太陽神は父の単為生殖により生まれるが}。但し八犬伝に於いては、太陽神/伏姫は、磐戸に隠れている間でも、里見家や犬士を擁護する。故に五十子の胎内に戻っても、擁護は止むことがない。しかし、信乃の五十子攻略が、伏姫の胎内回帰である事を示すため、磐戸隠れを模倣する神楽として、蟹目前は死なねばならなかったのだろう。同系列であり、より強力な伏姫{の現世への写し絵たる信乃}が登場すれば、虚花/蟹目前は消え去らねばならない。

 また、女装犬士であり伏姫の女性性を濃く受け継いだ信乃が、即ち天照皇太神の系譜を引く信乃が、素盞嗚尊を象徴する天叢雲剣/村雨を持っているのは何故か。元々伏姫は雄々しいファロスもつ女性であった。剣が男性性の象徴でありファロスならば、しかも凶暴極まりない男性性の極致たる素盞嗚尊のファロスであるならば、美女・信乃が村雨を持つ意味は当然、素盞嗚尊を裡に秘めた美女【男子にして女子/ファロスもつ女性】の強調である。後に素盞嗚尊によって天叢雲剣は天照皇太神に献上され皇家に伝わったことから解るように、磐戸隠れを経た天照皇太神の完成形は、嘗て自分を打ち倒したほどの最凶ファロス/素盞嗚尊を、剣という制御可能な形に変えて携えている。最凶を裡に秘めた天照皇太神は、最強である。対して磐戸隠れ以前の天照皇太神や生前の伏姫と同様に不完全な女神であり且つ矮小な蟹目前は、美女・信乃の裡にある素盞嗚尊としての要素に感応し、此の世から身を隠す。蟹目前は、生前の伏姫の如く、過剰な反応を示して不必要な自殺をする。矮小なる反復、磐戸神楽である。

 

 ところで、蟹目前の悲劇は、美少女・毛野を見初めたことに起因する。ファロスもつ美熟女・蟹目前が、とびきり美少女の毛野を見逃す筈はない。何たって夫は、あの情けない定正だ。天満宮で逃げた愛猿を保護してくれた毛野と見つめ合った蟹目前は、此の猿の如く敏捷な美少女の裸体を妄想したのではないか。華奢に見えるが、着物の下に隠された引き締まった肢体を、抱き締めたとき柔らかな筋肉が蠢く感触を、妄想したかも知れない。特に蟹目前の関心は、女性性の根元たる部位に向けられている。態度からして毛野は、処女ではなかろう。「きゃははっ」甲高い笑いを上げる毛野に構わず、蟹目前は大きく脚を広げさせ女性性の根元たる部位を凝視する。

 

 猿を助ける美少女・毛野は、初登場時、女田楽であり女傀儡であった。此等の職業は、猿女君を発祥とする。猿女君は、天鈿女を祖とする。天鈿女は、打楽器のプリミティブな響きに身を律動させストリップ、女性性の根元たる部位を晒し、磐戸隠れした隠れビアンの天照皇太神を誘き出した。

 

 既に親兵衛の再登場が、太陽神/伏姫の出産であった。しかし分娩にだって時間はかかる。親兵衛の再登場時には、田力雄を隠喩する田力逸時しか登場しなかった。より重要な登場人物、天鈿女が出てきていなかった。太陽神/伏姫再誕の完了を示す第二次五十子攻略で漸く、巨大強力な猿田彦さえ手玉に取る天界最高のストリッパー、天鈿女/毛野が登場するのだ。

 伏姫が胎内潜りを終えた第二次五十子攻略では、女性原理が花開く。五十子の慈愛をタップリ浴びて、最凶ファロスを裡に秘めたまま、より優しく美しくなった伏姫であった。毛野/天鈿女は、胸をはだけ女陰を曝して踊り狂う、犠牲の血に塗れた巫女だ。が、彼女も鬼子母神としての仮面を外し、五十子の慈愛を浴びて、犠牲の血を洗い流す。

 

 則ち、【女たちの戦場】第二次五十子攻略は、毛野を総大将として行われるが、妙真・曳手・単節は敵の女を救い、音音は女たちを守るため長刀を振るう。里見側による攻略ではあるが、ファロスに対する女達の防衛戦争の様相をも呈している。【女たちの聖域】に男どもは無用だ。但し男性原理は表に出ないものの、女性性の裡に既に取り込まれている。且つ、第一次攻略で伏姫が五十子の子宮に回帰することも、蟹目前の自死により、磐戸隠れの小さな反覆であることを隠喩している。

 五十子は、伏姫が欠落させていた女性性の一部分、男性性とは全く相容れない、最も貴重で聖なる部分であった。最後に残った一片がパズルに嵌め込まれ、伏姫は初めて普く開かれた万物の母/観音として完成するのである。(お粗末様)

 

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