伊井暇幻読本・南総里見八犬伝 「ご案内」

 本シリーズは「伊井暇幻訳・南総里見八犬伝」準備のため執筆しました。八犬伝中の、気になる語句、現象について妄想を膨らませつつ、解釈しようというものです。初回は「変成男子(へんじょうだんし)番外編」であります。
 ここでは暫く、『和漢三才図会略』(正徳三年、寺島良安:以下『和漢三才図会』)を使って遊びます。『和漢三才図会』は江戸時代中期に、大阪の医家が和漢の書物を引いて編んだ百科事典です。正徳二年に記した「自序」で著者は、医者である以上は診断/治療のため森羅万象に通じていなければならず、そのため三十有余年を費やして研究を続けた、と言っています。そんなことをしていたら、本業の医家は疎かになるんじゃないかと心配ですが、この寺島良安、学問の世界では名を成した人のようです。林大学頭(ハヤシダイガクノカミ)藤原信篤が同書に序文を寄せています。林家は、徳川家康のブレーンだった羅山(ラザン)以来、幕府の顧問を務めた家系です。その私塾は、寛政期、幕府の学問所/官学となります。また、良庵の肩書きは法橋、即ち八段階ある僧位(僧侶の位階)のうち三番目に当たる身分を有する名士でもありました。この法橋までの三位階を「僧綱(そうごう)」と言いまして、言うなれば僧侶界の貴族に当たります。肩書きだけは、なかなか偉いのです。
 『和漢三才図会』は江戸期後半、権威ある知の集積、拠り所として扱われたようです。『南総里見八犬伝』にも引用されています。もちろん現代の百科全書と違って、妖怪変化に類するものが紹介されていたり、怪しい話も満載されておりまして、すべてをすべて信ずるにわけにもまいりませんが。しかし、そこはそれ、考えようであります。言はば、現代の科学的知識の集積たる百科事典と、文学上の空想百科事典が一冊になっているだけのことであります。客観的事実と空想が渾然と混じりあっているだけのことなのです。即ち、人々が世界を如何に認識していたか、という情報を満載しているワケです。「事実として如何であるか」などというのではなく、「如何に考え感じてきたか」を紹介しているワケです。ですから、空想の入り込む余地がない身近なモノについては、比較的淡々と事実のみ記していますが、いやそれとて少し油断したら怪しいことも書いてますけど、遠い国々についての記述に至っては、「体に穴が開いていて其処に棒を通して運んでもらう人々」とか「その国の男は頭が犬で体は人間。女は普通の人間」とか、信じがたいことどもを紹介しています。
 本シリーズでネタ本といたしましたのは、和漢三才図会刊行委員会編集(東京美術社 昭和四十五年三月三十一日初版 昭和五十年九月二十日第四版)本です。原本を謄写した二巻本で、表記は漢文です。もし、本シリーズについて参照、確認される方は、口語訳された東洋文庫版(平凡社)が便利かと思います。
 また、本シリーズでは、語句解釈に「五行説」を多用します。この五行説は前近代日本において一種のパラダイムであった理論体系です。仏教や道教、日本古来の神祇と結びつき、文化の理解の上で重要な要素となっています。簡単に言えば、世界を構成する要素を「木」「火」「土」「金」「水」の五つと考え、それらの結合や反発によって森羅万象が起こるという、考え方です。この考え方が、世界の物質/現象を「陰」と「陽」に分けて考える「陰陽説(おんみょうせつ)」と結び付き、「陰陽五行説」として展開しました。こういった世界観は中国で生まれたものですが、早くから日本にも輸入され、『日本書紀』などの古い歴史書にも色濃く反映されています。反映というより、もしかしたら、『日本書紀』少なくとも同神代は、この陰陽五行説に即するよう事実を捏造して書かれた部分が多いのかも知れません。また、この陰陽五行説は、前近代の知識人だけでなく、庶民にも広がっていました。暦や祭り、各種の年中行事を理論づけていたのが、陰陽五行説だからです。
 この五行説が意識と肉体に浸透していた前近代の日本人が、南総里見八犬伝を読んだ場合、現代人とは違った印象を受けたことでしょう。例えば、主人公たちが苦境に立たされ路頭に迷ったとき、逃げ込むのは決まって「白屋(クサノヤ)」です。五行説は物質のみならず人の家系すら五気に分類するのですが、主人公らが拠る里見家は源氏、すなわち「金気」の氏族なのです。この「金気」には、色で言えば「白」を配当します。ですから八犬伝で主人公たちが「白屋」に入ると、決まって物語が好転するのです。
 もう一つ例を挙げますと、八犬伝の冒頭で、主人公の一人が敗北して戦場から脱出しますが、追手と遭遇し蹴散らす場所が、「ヒノキ林」なのです。地名とも考えられませんし、「雑木林」でも「松林」でも、何なら「お花畑」でも良い筈なのに、「ヒノキ林」なのです。妙なのは、漢字で書くと「桧林」ぐらいになる筈なのですが、「火退林」という酷い宛字を使っている点です。名詮自性、名が本体の性質を如実に表現している、という考え方に立つ南総里見八犬伝ですので、宛字はかなり多いのですが、これは酷すぎます。五行説では、「木生火(木気は火気を生じる)」とされており、「桧」は「火の木」、擦り合わせて火を起こす木とされています。桧を擦り合わせて火を生ずることは、八犬伝中にも書かれてあることです。しかし、馬琴は、この火を生ずる筈の桧の林を、逆に「火が退(の)く林」と表記しました。此処に馬琴の意思を感じます。主人公が「金気」の氏族と、前に申しました。そして五行説では「火克金(火は金を打ち破る)」とされています。金気の氏族を打ち破り、追って来たのは火気でしょう。その火を退けると約束された場所で、果たして金気の氏族は追手の撃退に成功するのです。
 南総里見八犬伝は冒頭に於いて、かくの如く五行説をコード体系であると宣言しているのです。そして、今回ネタにした『和漢三才図会』も、前近代の学問書である以上、陰陽五行説の呪縛のもとに成立しているのであります。
 前置きが長くなってしまいましたが、以下、伊井暇幻なる妄想に暫くお付き合いいただきます。

                                                   

←PrevNext→
      犬の曠野表紙旧版・犬の曠野表紙