◆伊井暇幻読本・南総里見八犬伝 番外編「変成男子」

 『和漢三才図会』巻第十二支体部「懐妊」条に「変成男子(ヘンジョウナンシ)」の項がある。同項に拠ると、妊娠三カ月のころ妊婦のベッドの下に斧を置いておけば、男児が生まれるらしい。そのとき、刃が下に向くよう繋いでおかなければならない。また、斧を置いていることを、妊婦に知られてはならない。何故に胎児が男の子になるかと言えば、「気類潜(ヒソ)かに感じ造化密(ヒソ)に移る」、剛なる斧を妊婦の身辺に置くことで、その「気」が伝播し剛なる男児が誕生する、と理屈づけしている。……医者が、こんなことを書いていて良いのだろうかと不安になるが、良安が引用した文章には、「鶏で試してみたら、全部オスになった」と動物実験の成功まで紹介している。

 確かに胎児の性は妊娠途中に定まるとはいえ、そんなに簡単に変更が可能なのだろうか。斧をベッドの下に潜ませるだけで男児が出生するなら、こんなに簡単な妊娠制御はない。嘘でも良いから、もっと複雑な方法であって欲しかった。性とは、かくもイーカゲンなものなのであろうか。

 ……イーカゲンなもののようである。『和漢三才図会』巻第十人倫部の「男色(なんしょく)」条に続いて「半男女(ふたなり)」「男変女(男が女に変ず)」「女変男(女が男に変ず)」など八つの小項目が立てられている。このうち「半男女」は『病草紙』にも表された実在の現象であるから、ここでは触れない。男性器と女性器の両性具有であるというだけのことだ。現在でも、そういう人々は存在する。此処で紹介したいのは、「男変女」と「女変男」の二項である。

 男変女 漢の哀帝建平年中に、男子が女子に化し、人の嫁となり一子を生んだ。太明の隆慶二年、李良という名の平民が、貧いために妻を家から出し人に雇われた。二月九日に大いに腹が痛くなり、四月、いつの間にか陰嚢が下腹部に埋まり込んでしまった。そこは陰戸となった。五月になると、月経も始まった。女性らしい容貌となった。そのとき彼/彼女は、二十八歳であった。

 女変男 魏の襄王三年、一人の女子がいた。頭から徐々に男子に変わっていった。妻を娶り、子をもうけた。晋の恵帝元康年中に、周世寧という女子がいた。八歳の時から徐々に男子に変わっていった。十七八歳となって肉体の成長が止まったが、女体としても完成しておらず、男体も完全には出来上がっていなかった。妻を娶ったが、子は出来なかった。(原著者が)考えてみると、歴史書には幾つか同様の例が載せられている。日本にも例はある。奇異雑談という書物に次のような話が掲載されている。下野国(しもつけのくに)足利の学問僧が、男根がとても痒いため頻りに熱湯をかけた。後に男根が縮まってしまい、とうとう陰戸になった。酒造家の嫁となり、二人の子を生んだ。また、越後国の人は、十八歳で出家し丹波国大野原の会下に赴いた。この僧侶は三年後に京都を通過したとき故郷に戻ってみたくなった。暇を請い受け故郷に向かった。途中、近江国(おうみのくに)島郡の枝村に泊まった。天候不順のために二三日留まっていた。ある夜、自分が女性になった夢を見た。朝起きてみると果たして僧侶の男根は縮まり、陰戸となっていた。声も容貌も、女性のソレに変わっていた。宿泊先の主人と媾った。子供も生まれた。十有余年の後、師僧が偶然、この家に宿を求めた。彼/彼女は事情を話した。師僧は奇怪なことだと驚いた。奇異雑談は天文十年に、中村豊前守(ぶぜんのかみ)の息子が書いたもので、これらの記事は執筆より四十年ほど前のことだと記している。則ち、明応年中のことであっただろう。

 確かに生後、性別が変わることもあろう。しかし、ある日突然、腹が痛くなって、二カ月後には男根が下腹部に引っ込んでしまったなどということがあろうか。いや、陰嚢を下腹部に押し込む術はあろうが、それが女陰となることがあろうか。いやまぁへこんでいるのだから性行為ぐらいは出来るかもしれず、それを以て女陰と呼ぶことは可能であるし、かなりキツそうではあるから案外に良いかもしれないが、そんなことは如何でも良い、子供まで生むことが出来ようか。いや、それどころではなく、男性が女性になる夢を見て、一夜明けると本当に女性になっていた、などということが許されて良いものであろうか。それで子供を二人も生むとは、世の中を舐めきっているのではないか。

 いや、それはそれで不可抗力だから仕方がない。前夜まで男性僧侶だった人間を、急に女陰が出来たからといって「婬」した家の主人、お前は一体、何を考えておるのか。その僧侶(尼僧?)は己の身に降り懸かった不可解に戸惑いオロオロとしていたのではないのか? そんな可哀想な人間の弱みに付け込んで婬するとは何事か。卑怯者め。お前こそ男の風上にもおけぬ女の腐ったヤツではないか。だいたい彼/彼女は僧侶もしくは尼僧であろうが。仏道に入った者を婬するとは何事か。畜生道に陥るぞ。……いや、そんな事を言おうとしたんじゃなかった。

 性とは絶対的なものではないが、ここまでイーカゲンで良いのであろうか。ちょっと心配になってくる。でもまぁ、許される許されないは別にして、実際にイーカゲンだから仕方がない。客観的事実として如何という話をしているのではないから、イーカゲンならイーカゲンで、誰も困りはしない。そもそも八犬伝が如何ような心的背景を持っているかを追求するのが本シリーズの目的である。心的背景こそ、問題であるのだ。だから、前近代の情報空間の中では、女として男に愛されたら、肉体が女性のソレに変化しないまでも、子供まで生んじゃうのである。

 再び『和漢三才図会』 巻第十人倫部である。「男色」の条に曰く。五雑組(ママ)という書物は、伊訓に頑童に関する戒めがあることから、男色の起源を古代に求めている。晋の時代に至って大いに盛んとなり、都の男どもは売春までしていた。少なくとも唐や宋の時代には行われていたのだろう。都では、小唱と呼ばれる男(の子?)が、上流の男どもの酒席に侍っていた。禁じられたにも拘わらず、流行していた。……中略……(男色は)皆、凶に結果する。男色というものを、天が妬むからである。天が妬むほどであるから、女性の妬みは推して知るべきであろう。また、こういう話もある。宋の宣和六年、果物を売る男が娘を生んだ。また、大明の周文襄が姑蘇にいたとき、彼に男が子供を生んだと言う者があった。周は、その報告に対して何も言わなかった。後になって、諸門子に目を向けて言った。「みな、男色を慎んだ方が良い。男性同性愛が異性愛よりも盛んになっているが、そのため自然と男が子供を生むようになってしまったのだ」。これらの話を考えてみると、男色の甚だしいものは女色に勝るようだ。しかし、長続きはしない。喩えば、筍はうまいが、十日もすれば固い竹となり、食べることが出来なくなるようなものだ。韓非の説難は、衛の美少年・弥子瑕(ビシカ)の話を載せている。弥子瑕は主君の寵愛を受けていたが、ある日、主君と果物園で遊んだ。食べた桃が甘かったので、余りの半分を主君に渡した。主君は喜んで食べた。「私を愛してくれているのだな。せっかく美味しい桃を口にしたのに、惜しまず私に与えてくれるのだから」。時が移り、弥子瑕の美貌は衰えた。主君の寵愛を失った弥子瑕は、換わって罪を与えられた。罪状は、主君に食べかけの桃を献じた非礼である(引用終わり)。

 この条は後にも使用する予定があるため、ほぼ全文を引用してしまったが、此処で関係があるのは、<男色が女色より盛んになると、男が子供を生むようになる>という周文襄の奇怪な論理である。前近代においては、少なくとも文物/想像世界の中では、生物の生殖というものが、かくもイーカゲンな論理を許容していたのである。実際には、男が子供を生むなぞ椿事以外の何ものでもなかったろうが、<絶対に不可能とは言い切れない>ぐらいには、許容されていたと思われるのだ。しかも男性同性愛者ですら、子供を産めるのである。こういう論理が罷り通る世界において、女性同性愛者ならば、より容易に異性の必要なく子供を産めることだろう。もしかしたら、例えば女性は、セックスなどせずに可愛がっている犬の子供を生むことさえ、出来るかもしれないのだ。

 もちろん周文襄は、<お前らが変なことしてるから、男が子供を生むなんて変なことが起こるんだ>と喩え話を以て、風紀を糺そうとしているのかもしれない。しかし少なくとも『五雑組』もしくは『和漢三才図会』の著者は、そうは捉えていない。文字通り、<男色が盛んになれば、男が子供を生むようになる>という意味で、この論理を借用している。確かに、皆で頑張れば、人類は単性で生殖するよう進化するかもしれぬ。何せ、『日本書紀』を読んでも、原初の神は男だけで何代か続いているのである。もっともこの世代は、男性同性愛による生殖ではなく、分裂生殖だったかもしれないが。閑話休題。

 これは、セクシャリティーの揺らぎ、などという生やさしい問題ではない。極めてイーカゲンである。少なくとも肉体が男性のモノであるか女性のソレであるかは、便宜上のことに過ぎなく思えてくる。このような世界では逆に、いや、それ故に、精神面での男性性もしくは女性性が、セクシャリティーを強固に規定し得るよう思われる。

 馬琴の著した奇書『傾城水滸伝』は、『水滸伝』の主要登場人物の多くを女性に置き換えた、翻案作品である。任侠、暴力、酒、博打など、極めて男性性の色濃い『水滸伝』の登場人物を、女性に置き換えてしまったのだ。その代わり、登場する女性たちは、善玉も悪玉も、雄々しく猛々しい。
 もちろん『傾城水滸伝』では、登場人物を女性に置き換えた故のズラしは多々ある。冒頭近くで本家の『水滸伝』同様、悪徳官僚(本家の高毬に当たる女性・亀菊)が帝に気に入られ出世の糸口をつかむ部分がある。本家『水滸伝』では確か、帝らの遊ぶ毬が高毬の胸先に飛んできて、これを高毬が見事な技で蹴り返した。この蹴鞠が、『傾城水滸伝』では、羽根つきに置き換えられた。法皇らの遊ぶ羽根付きの羽根が逸れて、偶々通りかかった亀菊の目の前に飛んできた。亀菊は高度な技で打ち返した。亀菊は法皇の寵愛を受けるようになり、実権を掌握するに至った。そのまんまといえば、そのまんまである。
 この蹴鞠から羽根つきへの変換には理由がある。丈の長い女性用和服を着ている筈の登場人物が咄嗟に、脚を高く激しく上げる蹴鞠の技を披露するのは不自然だからだ。設定の変なところに凝る馬琴らしい配慮である。これに類して不自然さを極力感じさせないよう配慮しながら、全編、『水滸伝』を引き写している。
  『南総里見八犬伝』では、『水滸伝』を範にとったと書きながら、それは表面上の装飾に過ぎず、まるころ違った独自の世界を構築して見せた嘘吐き馬琴、じゃなかった、隠微たることを望む馬琴も、『傾城水滸伝』では、骨の髄まで『水滸伝』の翻案に徹したよう感じられる。ただ、登場人物を女性にしただけで、まったく同じ筋書きを、読者に提供してしまった。そして、読者は、性の逆転が起こっているにも拘わらず、『水滸伝』と同じ興奮を、手にすることが出来る。肉体の性と暴力は関連している筈なのに、女性の肉体を持った登場人物たちは、<男勝り>の精神を獲得しただけで、暴力を含め、極めて濃厚な男性性を発散させるようになる。男のように酒を飲み、男のように戦い、男のように策謀を巡らせ、男のように侠を尊重する。精神の性こそ重要であり、肉体/外見の性は衣に過ぎないように思えてくる。肉体は、浮き世にて纏う衣に過ぎない、のかもしれぬ。何せ、この世界は上記のように、セクシャリティーが甚だイーカゲンなのである。

 このイーカゲンが、実は『南総里見八犬伝』の重要な仕掛けとなっていることには、まだ触れられない。

   女(め)が一人 交じる北斗の 七つ星
     童女(わらわめ)添いて 具足するらむ

 歌の意(ココロ)を知らんとすれば「変成男子 本編」を待ち給え。

(お粗末様)
 

                                                   

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