伊井暇幻読本・番外編「星祀る者」
                〜黒き星シリーズ3/完〜
 

 千葉一族といえば妙見信仰、妙見信仰といえば千葉一族である。千葉一族は千葉に本拠を移したとき、やっぱり妙見菩薩も持って行って、寺に安置した。北斗山金剛授寺、俗名・妙見寺、現在の千葉神社だ。……なんで寺やのに神社やねん、と私に言われても困る。事実が、そうなのだから、仕方がない。ごめんなさい、神社で許して下さい。
 と、無責任な態度をとるのも何だから、端折って解説すると、寺から神社への転換は、明治維新のセイだ。明治政権は廃仏毀釈ってのを遣った。それまで仏教に屈服を強いられていた神道の復讐である。寺は滅亡せねばならなかった。だから、妙見寺は神社に化けたのだ。抑も、仏教は神道を其の宗教世界の中に包摂していたから、何となく変身できちゃうのである。例えば日本仏教では、天照皇太神は実は大日如来が日本に来たときの仮の姿ってことにしてた。本体は仏、神はサブ・レベルの存在。神仏習合、本地垂迹ってヤツだ。即ち、仏理によって日本の神を解釈し直し、再編しちゃったのである。こうした場合、仏教が<本家>、日本神道が<分家>だ。当然、仏と神、似たような性格を持つ同類同士を、くっつけた。で、金剛授寺が神社に化けるとき纏った仮面は、天之御中主、コイツは妙見の変態(/別ヴァージョン)、北極星/北辰の神格化だ。眷属として祀られたのが元中主、経津主、そして日本武尊である。天之御中主が妙見だって理屈は理解できるんだけど、日本武尊が引っぱり出された事は注目に値する。即ち、妙見を祀る寺/神社に、日本武尊が祀られ得る点、即ち両者が無関係ではない、多分、密接な関係にある事が、興味深いのだ。まぁ、日本武尊は後回しにしよう。

 大雑把に上記いくつかの史料を纏めて要約すれば、良文は上野国群馬郡七星山息災寺本尊・妙見菩薩の加護を受けていた。国香だか将門と戦って危難に陥ったとき、まさに妙見菩薩に救われた。良文は息災寺本尊を崇め、弟だか郎党の文次郎さんを派遣した。
 そして、複数の史料に於いて、文次郎さんは、三年もの間、菩薩の御守をしていたことになっており、少なくとも千学集抄、妙見実録千集記では、息災寺から良文も住む武州藤田へと妙見像を持ち帰って、自分の家に安置している。良文家/千葉家の守護神・妙見菩薩を祀る司祭が、文次郎さんなのだ。因みに、上記、他の史料に於いては、同様記述はないものの、必ずしも相矛盾する記述はない。文次郎さんを、妙見の司祭と考えて、まずは不都合がない。
 また、千葉家の特殊な事情を捨て、一般的な仏教説話として読むと、なかなかに<古典的>といぅか<基本を押さえている>といぅか、アリキタリと言っては言葉が悪いが、正統的だ。七星山・妙見の足が泥塗れであった点など、<お約束>って感じだ。昔だって仏様が現れて救ってくれるなぞ、<迷信>とは呼ばなかったろうが、信じがたいことだったのだろう。だから、話の上で、なにがしかの証拠が必要だった。
 仏像の足は泥に塗れている。が、このことは、手入れをしてもらっていない証拠にはなるが、厳密には、良文を助けた証拠にはならない……、なんてイケズは言わないでおこう。これは、<お約束>なのだ。例えば、古代の伝説的武人・坂上田村麻呂なんかも、東国遠征で窮地に陥ったとき、得体の知れない何者かに救われるんだけども、都に帰ってみると、或る地蔵が泥に塗れていた、って話が仏教説話集に残っている。勝軍地蔵菩薩のエピソードだ。八犬伝でも、結城大法会に参列した犬士らに危難を予告するのは、地蔵が化けた僧であった。仏様ぐらい悟りを開いてるんだったら、善い事をしても黙ってりゃ良いのに、法会で僧に与えられた米を首から掛けたまま地蔵に戻ってるんだから、間抜けというか見せたがりといぅか、なかなか御茶目と言わざるを得ないが、仏様は如何やら善い事をしたら、ちょっとした証拠を残しておくもんらしい。
 此処で問題となるのは、良文を助けた仏が何者だったかだ。いや、仏って実は総て同根/同体とも言えるから、抑も「何者だったか」なんて質問はナンセンスなんだけども、また逆に、本来は一体のモノを細密に区切り同時に絡め合わせる事で、過剰な程に複雑な仏裡法則を説明しようとしたのも、また事実であったろう。多分、八面体ぐらいの単純なモノではなく、殆ど球に近い滑らかな多面体、その一面々々が、個々の仏格となろうか。仏は人より<高次元>の存在かもしれない。例えば、三次元の存在である仏を、二次元に生きる人間は、それぞれの面としてしか認識できない、のかもしれない。人は、ややもすれば、個々の仏格を、まずは互いに独立した個体、イメージとしては人間や動物みたいな形をした存在として、認識しがちだった。然る後に、一旦は分断した個々の側面を、再び繋ぎ合わせる作業を通じて、仏裡を説明しようとしてきた、ように感じられる。それは多分、原初の単純な状態を、過剰な迄に複雑化する過程でもあっただろうが、其処ん所に色々と怪しい世界が湧出し派生したとも思われ、人の想像力なるモノに驚嘆を禁じ得ないんだけれども……、今は、そんなことを言おうとしてたんじゃない。話を戻そう。

 さて、千葉一族、そしてツイデに若しかしたら平将門が、妙見/北辰菩薩を尊崇していたことが分かった。では、抑も妙見菩薩とは何者なのか? 実はまだ、筆者は、よく分かってない。先学は、北斗七星や北極星を神格化した仏、とか仰ってるけれども、それだけでは何のことやら分からない。で、仏様の事は御経を読むしかない。

 白宝口抄(妙見法)に「七仏所説神呪経云我北辰菩薩名曰妙見今欲説神呪擁護国土所作甚奇特故名妙見処於閻浮提衆星中最勝神仙中之仙菩薩之大将光因諸菩薩広済諸群生有大神呪名胡捺波宿曜問答云北極者北辰也北辰者妙見也妙見者尊星王也且妙見衆星尊故北辰猶百川之宗臣海」、とりあえず、「北辰」即ち北極星のことだと確認できる。北極星を象徴する神格なのだ。が、実は此の「白宝口抄」、お坊さんの参考書で、とても合理的な書き方をしている。仏説には異論が多くあるが、その主立ったものを併記している。だから、上記の如く、一方で妙見イコール北辰と云ってみたり、また一方では「妙見神呪経云北斗輔星者妙見輔相也或伝云付星此尊星王也故北斗尊星王同体也仍現妙見時蓮華上置七星持之現七星時名輔星也」なんても云っている。妙見イコール北斗イコール輔星だ。三者一体。ところで、「輔星」なんて耳慣れない名称が登場したが、此の星の立場は微妙だ。

 馬琴の参考書、和漢三才図会で「北斗」は「七星」だ。が、北斗の項目には、あの柄杓もしくは匙のような形の七星を説明した後、此の「輔星」にも言及している。狭義では「北斗」は「七星」だが、広義では「輔星」をも含むって書き方だ。この不思議な星座、「北斗」に就いては、少し考える必要がある。
 中華帝国は昔から、建前として<文民統制>を維持していた。文官が武官を支配するのだ。だから高級文官/官僚となるには、武官と比べ極めて厳しい試験を潜り抜けねばならなかった。科挙である。この科挙には、変な問題も出された。北斗を指差し「星は幾つある?」とやるのだ。「七つ」だったら不合格。正解は、「八つ」だ。北斗は匙もしくは柄杓の形をしているが、柄の先端から二つ目、武曲星と呼ぶけど、此の星の脇に、ちいたなちいたなおぽちたま、がある。輔星と謂う。視力検査だったか、それとも一般常識問題だったか私には判断できないが、とにかく、そういうイヂワルな問題も出たらしい。因みに北斗は柄の先から、破軍、武曲、(輔、)廉貞、文曲、禄存、巨門、貪狼星だ。
 さて、「仏説北斗七星延命経」に北斗の図がある。此処では七星と輔星を分けている。「北斗七星」は皆、女の子として描かれている。勺を手にした愛らしい女の子が仲睦まじく七人、並んでいる図だ。輔星のみ男性として描かれている。輔星は恭しく武曲に敬礼している。女王様と下僕のようだ。

 しかし、「北斗七星念誦儀軌」(南天竺国三蔵金剛智訳)では、「爾時如来為来世薄福一切衆生故。説真言教法。時一切日月星宿皆悉雲集前後囲繞。異口同音白言唯願如来而為我等説於神呪于時。世尊説八星呪言。●(口ヘンに奄)颯●(足に多)而曩野伴惹密惹野染普他摩娑●(口ヘンに縛)(二合)弭曩●(口ヘンに羅)乞山(二合)娑●(口ヘンに縛)都莎呵其印明出金剛頂経七星品仏告貪狼破軍等言若有善男子善女人受持是神呪擁護否。于時八女白世尊言若有人毎日誦此神呪。決定罪業皆悉除滅成就一切願求設復有人若能毎日誦此神呪一百八遍即得自身一切眷属擁護。若能誦五百遍大威神力五百由旬内。普皆囲繞一切魔王及緒魔衆一切障者無量悪鬼不敢親近常当擁護。北斗八女一切日月星宿緒天龍薬叉能作障難者一時断壊若人欲供養者先発抜濟再心於清浄寂静之処以香華飲食供養持念神呪結印契如是供養時八女及一切眷属現身随意奉仕成就無量願求惹位即得何況世間少少官位栄耀若求寿命削定業籍還付生籍若諸国王王子大臣後宮等於自宮中作曼荼羅如法護摩礼拝供養。北斗八女大歓喜故久居勝位恒常安楽百官上下和穆不行非法人民熾盛稼穡豊饒国土安寧無有災難不現異怪疫病死亡不起境内怨敵群賊自然退散故以是法甚為秘密不信者及無智人中勿妄宣伝無智人不分明心故不得法意生疑謗雖無智人金剛生金剛子等常誦持仏眼母明者富宣伝金剛子雖無智不生疑謗故成就法行者雖楽世間楽深廻向無上正等菩提」とある。「北斗」を「八女」と表現しているように見える。八人目の「北斗」は何者なのか? 輔星か? それとも……。

 同じく白宝口抄の「北斗法第二」には、「寛信法務云唐本北斗曼荼羅北斗七星之中一星下地是文曲星為採薬顕向終南山也漢武帝会宴之所也云々伝受集等有之北斗念誦儀軌云(金剛智)若有人欲供養者先発抜済心於清浄之処以香花飲食供養持念神呪結印契如是供時八女及一切眷属現身随意奉仕成就無量此軌八女是北斗七星加妙見云八女歟七星必加輔星故也又北斗延命経皆女形也依繁不引之又鳥羽院御宇此事有勅問御室令申給云真言颯●(足に多)歯曩者此翻七女仍可女形歟云々」とある。此処では明快に、<八女>=<北斗>+<妙見>、<妙見>=<輔星>となっている。故に、<八女>=<北斗七星>+<輔星>だ。

 ところで読本初回「番外編 変成男子(ヘンジョウナンシ)」の末尾に、「女メが一人 交じる北斗の 七つ星 童女添いて 具足するらむ」と下手な句を付した。実は、この時、八犬士を北斗七星+輔星(の精)と考えており、「童女(ワラワメ:少女)」=毛野と比定していた。毛野って、ちょっと特別っていぅか、八犬士は互いに姻戚関係を結ぶけれども、毛野だけ其の連環から外れているし、信乃も道節も誰も、七人が戦場へ赴く対関東管領軍戦で、美少年だったからかもしれないが、一人だけ義成に侍っている。とにかく彼は、ちょっぴり孤独な美少年なのだ。だからこそ、他の七人を北斗七星、毛野を輔星だと考えた。本当は、「本編 変成男子」で此のネタは使おうと取っておいたんだけれども、毛野の事が書きたくなったので前出しした。
 が、此処に来て、自信がなくなった。必ずしも毛野が、輔星だとは思えなくなったのだ。……と言ぅか、厳密な形での比定そのものが、無意味に思えてきた。実は白宝口抄には、「宿曜問答云北極者北辰也北辰者妙見也妙見者尊星王也且妙見衆星尊故北辰猶百川之宗臣海」ともある。更に、「本命供次第云以北斗七星為北辰或北斗中以文曲星為北辰」ともある。もう、北斗七星だか輔星だか北極星だか、区別がグチャグチャなんである。言ってみれば、北極星と北斗七星と輔星、とりあえずは、九つでワン・セットと考えておく方が良い。また、「口云妙見者武曲星傍輔星是也此輔星為諸星母出生北斗等故道場観以北斗七星為眷属也」(白宝口抄妙見法)。この場合、「輔星」は北斗だけでなく、総ての星を生んだ、<母なる星>である。伏姫にこそ相応しく思えもする。少なくとも現段階では、手持ちの情報が少なすぎる。一定の留保を設けておこう。即ち、<八犬士、若しくは八犬士と伏姫を、差し当たっては集合として考える>。可能であれば、将来、各人個別の厳密な比定を行おう。今回は、毛野に就いてのみ、しかも、一定の幅を持たせて比定するしか出来ない。

 此処では、仮に、妙見イコール北辰/北極星とする。そう考えると、白宝口抄北斗第三に云う、「口云……中略……北方水曜……中略……黒帝之子也火羅図云一名北辰一名兎星一名滴流星或云辰星歳形水精也云々……中略……又云神形如黒蛇有四足而食蟹又云其神如人着青衣帯猿冠手執文巻梵天七曜経云梵本云形如学生況童子着青衣乗青●(馬に聰のツクリ)馬天衣珠宝装水星之像也火羅図註云……中略……其神形如女人頭戴猿冠二手執紙筆着黒衣……中略……水曜者北方作業即水精也彼体総顕煩悩煩悩如水是顕示貪愛行相誠似水故云神形如黒蛇也蛇水精也北方前五識作業故表彼戴猿冠猿散乱物故也持紙筆記煩悩異熟記功徳之仏果義也」が、深い含蓄を以て、迫ってくる筈だ。水曜とは、<九曜>のうち、水を象徴する神だ。西洋で謂うウンディーヌ、水の女神だ。他に日、月、火、木、金の各曜と、二つの隠然たる星がある。「九曜」、そう、「月星」と並び、千葉氏の紋所に用いられている、あの九曜だ。仏教に包摂された、前近代ホロスコープである。で、此のホロスコープは、五行説に拠って理論づけられている。だから、水曜は、其の名の如く、水気の精である。そして、彼もしくは彼女は、「学生」「童子」即ち若い男性もしくは(美)少年かもしれないし、「形如女人」女性かもしれない。<男性であり女性でもある存在>だ。女性として描かれることが多いようだが、其れは多分、水→陰→女性という連想によって、裏打ちされている。また、彼女/彼は「戴猿冠」、お猿さんの冠を被っている。「持紙筆」、何となく賢そうだ。そして、「食蟹」、蟹を食べる。「乗亀」、亀を乗り物にしている。
 ……逃げるのは、止めよう。水曜、此は、犬阪毛野だ。毛野の玉は「智」である。智は、水の徳だ。九曜は八犬士+誰かだ。誰かとは多分、伏姫だろう。そして、水曜である毛野は「蟹目上」が飼っている「猿」を助ける。毛野は、猿と親近性がある。其の褒美として、「亀」次団太を助ける。亀とも親近性がありそうだ。元より亀は、玄武は、水なる方位/北方を象徴する。次団太は八犬伝世界の北方、越の国の住人だ。彼の周囲には、魚類、水棲動物が多い。こりゃぁ、やっぱり<北>だからだろう。北は水気の方位なんだから。しかし、同じ水棲動物でも、<蟹目上>は、毛野と接触した結果、自害へと追い込まれる。毛野は犬士であるから、当然、読者にアカラサマな非難を向けられるべき真似はしない。馬加一家を全滅させたときにも、妻と娘は、自ら手を下さずに<葬った>。水気は陰、陰は殺を好む。殺し始めたら、半端じゃ済まない。だから一見、蟹目上自害の直接的責任は、毛野にない。が、やはり、蟹目上にとって、毛野との接触は、不幸であった。蟹は、水曜に食われる。そして、彼は水曜であるが故に、妙見菩薩とも関わりがある。妙見は、北辰だ。北は水気の方角だ。更にまた、「小野僧正抄云問云北斗七星者即妙見菩薩大集具説云々今私記文者仙人語也 答北斗是文殊師利菩薩異名也豈不審耶云々」「秘密抄云北斗法以八字文殊為本尊云々私云醍醐伝云北斗●●●以八字文殊為中尊又破諸宿曜真言即八字文殊言也云々」(白宝口抄北斗法二)、北斗とは、文殊菩薩であり、就中、<八字文殊>と同体なのだ。「八」、とても怪しい。勿論、この「八字」に変えられる八童子のうち二人には「尼」の字が含まれ、この「尼」、単なる梵語の音訳だと思うのだが、女性を表す字句だと誤解すれば、女装の麗人・信乃、毛野を含む八犬士と、思いたくなる気持ちも、分からんでもない。実際に、ソレと図像ぐらいしか根拠を挙げぬまま、八犬士と文殊八字曼陀羅の連関を断定してしまう論だってある。且つはまた、北辰/北斗を媒介にすれば、「口云妙見菩薩者於一切善悪諸法皆悉知見妙体是知見諸法宝相亦慈悲至極是悲生眼体也又此妙見菩薩観音也。観音疏云妙眼妙眼是妙見同義也観音現種々形利益衆生時顕妙見義也然者観音垂跡也」(白宝口抄)、伏姫の正体、観世音菩薩に迄リンクが可能だ。伏姫は、言わずと知れた、八犬士の母だ。八犬士は皆、<元を辿れば>伏姫なのだ。故に、伏姫は「本地」、毛野が妙見であれば、伏姫は観世音でなければならず、実際に、そうだ。だいたい、三人寄れば文殊の智恵、智の菩薩たる文殊が毛野であれば、これ程つきづきしいことはない。しかも、文殊、我が邦に於ける男色の祖・弘法大師空海またの名を佐伯のマオ(真魚)ちゃんに、男色の悦びを教えたとされる仏様だから、其の点でも何となく、毛野なら似合う。……って、コレは冗談。
 論理で此処までは確定できた。が、決め手に欠ける。信乃だって女装しているし賢いし、水気の剣を持っているし、荘介あたりとの関係も甚だ怪しいので、毛野と置換したって別に構わないではないか? ……御尤もである。しかし、「猿」「蟹」「亀」が三匹で、毛野を指差している。って、蟹の指って……、まぁ良い。よって、毛野の方が、蓋然性は高い。……が、所詮は蓋然性の問題、逆転も可能だ。
 などと云っているが、ごめんなさい、今回は(?)、筆者の独り相撲であった。証拠を今まで隠していたのだ。もう、御存知のコトと思うが、筆者は性格が悪い。ふっふっふっ。
 千学集抄などで、良文/千葉一族と妙見菩薩の関係を引いた。思い出していただきたい。毛野は、千葉一族に連なる者だ。本当(?)の名字は、粟飯原であった。そして、千葉関連妙見説話で、司祭役として、「三年」もの間、妙見菩薩の御守をした「文次郎」さんを紹介した。彼は三年、妙見菩薩を守った。逆に言えば、妙見菩薩は、文次郎さんに三年間、乱れた世を避け山奥で守られていた。毛野は、粟飯原家の庶子として母の胎内に宿った。懐胎三年にして漸く、上野ではないものの、相模の山奥で生まれた。二つのエピソードは、厭になるほど似ている。別に、……厭じゃないけど。そして、此処で、毛野と妙見、両者の連関を更に強める事実が存在する。文次郎さんだ。彼のフルネームを今こそ明かそう。平姓粟飯原文次郎常時、である。粟飯原、毛野の実家だ。彼の実家は、千葉一族に於いて、妙見の初代司祭を務めた家柄だ。だから、同じ女装癖のある犬士でも、大塚あらため犬塚信乃が妙見/水曜/文殊では、具合が悪い。やはり、妙見は、毛野でなければならないのだ。

 八犬伝なる<箱庭>は、遂に宇宙まで<借景>にしてしまった。前に「日本ちゃちゃちゃっシリーズ」で、八犬伝に於ける「安房」が、実は日本を象徴すると述べた。そう、安房は、日本を象った箱庭だったのだ。箱庭は、虚空に浮かんでいるのではない。背景が必要だ。その背景こそ、宇宙、前近代のコスモロジーだ。
 馬琴の跡を夢中で追っていたら、自分でも気付かぬうちに、トンデモナイ場所まで来てしまった。この先、如何なるか不安だが、まぁ、来てしまった以上は、仕方がない。辿り着くか、行き倒れるか、そんなもん、分からない。

 寒空を見上げると、こんなオトギバナシを思い出す。

属星祭秘法云(義浄)昔劫初未顕日月星宿位人有光飛行自在減末人有貪欲身●●滅世暗本地菩薩憶念過去発弘願為饒益一切有情変化日月五星二十八宿遍照四方黒暗野(白宝口抄北斗法二)

遙か昔、人々は輝き、自由に空を飛翔していた。
やがて時が移り、人々は貪婪な欲望を抱くようになった。
人々が輝かなくなると、世界は暗くなった。
ボサツは昔を思い出し、「再び世界が光に包まれますように」と願った。
ボサツは太陽に月に星に、変化した。
世界は再び光に包まれた。
(お粗末様)

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