◆「闘う和尚」
宮城県に残る「しっぺい太郎」の話(「桃太郎・舌きり雀・花さか爺―日本の昔ばなし(U)―」岩波文庫)は、何だか懐かしく微笑ましい。いや別に筆者は宮城の産ではない。しかし、何となく幼い頃に何処かで聞いた覚えがある雰囲気なのだ。
御存知の向きも多かろうが、掻い摘んで言えば、或る村で若い女性を人身御供に出さねばならぬと悲嘆に暮れている、廻国の和尚が通りかかって話を聞き、自分が人身御供となって悪神と対決すると言う。蛮勇極まりないが、流石に和尚、蛮勇だけでは終わらない。まず悪神の様子を探れば近江長浜の「しっぺい太郎」を恐れていることが分かった。和尚は長浜を訪ね村に「しっぺい太郎」を連れ帰った。「しっぺい太郎」と共に人身御供の櫃に入り待っていると、悪神が現れた。和尚は白刃を執って「しっぺい太郎」と共に、悪神と闘い打ち倒した。「しっぺい太郎」は早太郎などとも呼ばれる英雄犬である。
此の話を筆者の関心に引きつけて要約すれば、【廻国の和尚が英雄犬を探し出し共に悪神と闘う】となる。何処かで聞いたストーリーだ。博く絵本やら紙芝居やら何やらで聞いた話ではないか。そして、此の和尚、如何したって丶大とダブる。抑も丶大は、真言・天台修験、禅宗、法華宗などの影を纏い、殆ど無宗派の信濃善光寺みたいな僧侶だが、行動パターンは禅宗のイメージが強い。
ところで「しっぺい太郎」は、黄表紙や歌舞伎脚本などでは「竹箆太郎」と書いたりするが、「竹箆」とは座禅でグラついたときなんかに首筋に打ち付けられるアレだ。あの竹箆で打たれて死ぬ人間は余り居ないと思うのだが、理念としては、あれに打たれたら死ぬのではないかとも思う。妄念が生じた時に竹箆で打たれる。打たれることで妄念から醒める。此れは、感覚的時間の断絶を意味する。いや勿論、客観的な時間は絶えず刻々と過ぎており【連続】していると実用上は見做さねばならないのだが、感覚としては【断絶】している。其の者の【生(せい)の時間】が「断絶」するならば、其れは、【小さな死】に外ならない。
此れを文物で例すれば、雨月物語の青頭巾がある。青頭巾を被った僧侶は前非を悔い、【人間】として【悟り】に至ろうと煩悶した挙げ句、悟ろうとの妄執に絡め取られ、死して尚も、生ける如く形を留めていた。主人公の僧侶が引導を渡して漸く、青頭巾の僧侶は形も失い【完全な死】に至った。妄執という連続性が存するうちは、完全なる死に至れなかったのだ。此の現象を全く逆転すれば、【生物としての生命は保っていても意識としての時間が断絶すれば一旦は死ぬ】となる。いやなに、小難しく聞こえるかもしれないが、俗にも、改心して新たな一歩を踏み出すことを、「生まれ変わって生きていく」と言う。生まれ変わるためには、いったん死ななくてはならない。意識として断絶せねばならぬのだ。
そう考えると、「竹箆太郎」が、まぁ近代には「悉平太郎」とも書くようになったようだが、黄表紙とか歌舞伎脚本では「竹箆太郎」もしくは「しっぺい太郎」なんだから、禅の「竹箆」を思い浮かべるべきだろうし、それ故に、悪しき連続性を断つ者の謂いだ。昔話では表現上、解り易くするために、悪神は生物としての生命を断たれたのだろうけれども、悪神/理不尽なる者/妄執する者を無化することが、「竹箆太郎」本来の機能であったろう。まぁ勿論、悪神を無化する一手段としては、其の生物としての生命を奪うことも選択肢にあるから、命を奪っても意味は通じる。無化の最も解り易い形を、昔話が選択しただけの話だろう。則ち、「竹箆太郎」とは、悪神の、悪神としての連続性を断ち無化してしまう、選ばれた戦士であると知れる。
此処で八犬伝に立ち返れば、「しっぺい太郎」に於ける和尚が智慧の利剣たる犬と共に闘う組み合わせは、伏姫の名前の由来「人に従い犬に従う」との象徴的な言葉を思い出させる。「人間的」に「悟り」を求めると、例えば【人】を突き詰め純化しようとした青頭巾の僧侶は、却って妄執の塊となってしまう。「人に従い犬に従う」相反するベクトルを裡に秘めつつも均衡させることが、弁証法的昇華となって、より深い悟りへの道となる。
と、なれば、「人に従い犬に従う」を名詮自性、名前の裡に元々内在させている「伏姫」が、実は観音菩薩の権現であったことは、極めて自然だ。伏姫は個として完成している。一方、父の定めた許嫁・金碗大輔は、人でしかないから【半人前】だ。「犬」が足りない。では如何したら、大輔は一人前になれるのか。答えは簡単、「犬」を足せば良い。其の「犬」とは勿論、八房だ。富山石窟前の八房射殺は、八房の原罪を断ずるものでもあるが、幾重ものストーリーが階層を成す八犬伝で、此の場面を串刺せば、八房・大輔の二個体の一方が消滅することの意味は、何連か一方が物語上まったく無化するのではなく、合体し一つになることだ。此れを大輔に【八房なる犬の要素を加える】ものだと解するか、それとも【本来として伏姫の夫である八房が人の姿を得て配偶者としての資格を完全とする】ものと考えるかは、ひとまず措いて、とにかく大輔と八房は、此処で【一つになる】。肉体としては大輔の其れであるが、スピリチュアルな存在としては大輔と八房の混淆体となる。里見義実が大輔の首元へ竹箆(しっぺい)ならぬ利剣を振り下ろし髻を断つ。人でしかなかった大輔は、其の単純なる存在としての連続性を断たれ、【犬(丶大)】を名として与えられることにより、「人に従い犬に従う」存在すなわち伏姫と同格となり、配偶者としての資格を完きものとする。大輔にとって、八房との合一儀礼である。
と、まぁ如斯く考えねば、辻褄が合わない。丶大が単に大輔/人の侭ならば、如何考えたって犬士の【父】たり得ない。しかし馬琴は丶大を、犬士の父として遇している。伏姫と八房の気が相感して八犬士が生じたにも拘わらず、丶大が犬士たちの父親ならば、丶大には本来として犬士の父たる八房の要素が包含されていると考える外はない。伏姫自決の場面で、大輔は其れ迄の存在とは断絶し、八房と合一して、新たな存在/丶大となる。丶大は此処で「人に従い犬に従う」伏姫の配偶者としての時間を刻み始めるのだ。
「しっぺい太郎」に話を戻すと、江戸文芸中、(そんなに知られてはいないだろうが比較的)有名な「竹箆太郎」といえば、鶴屋南北「独道中五十三駅」(文政十年初演)に登場するものだろう。まぁこの作品を読んだ人でも「え、妖怪と闘う雄々しい竹箆太郎なんか出てきたっけ?」と首をひねるかもしれない。私が読んだのは三一書房版「鶴屋南北全集十二」であったが、確かに登場する。この作品は、西から東へと東海道五十三次を跳ばし跳ばしに紹介しながら、弥次郎兵衛・北八の珍道中と平行して(東海道中膝栗毛のパクリでもある)、幾つかの事件が絡まり合い解決したり、しなかったり、ついでに八人の亡者が地獄で、まさに【死霊の盆踊り】を繰り広げるという、奇作である。
竹箆太郎は、非常に重要な役割を果たす。作中いくつかの事件のうち、丹波国由留木家の問題に絡む。此処で竹箆太郎が「丹波」に関わっていることは、記憶しておかねばならぬ。由留木は戯曲では幾度も取り上げられている、お馴染みの家だ。此処では、当主の証拠、九重印と妖刀が悪人に奪われたり、重の井姫に横恋慕した悪人が人身御供に決まったと偽り姫を掠奪しようとしたりする。で、妖刀の行方を知る人物、ご用聞きもしていた鶉権兵衛を二人の大工、牡丹獅子の八と小二四の八が競って追いかける。権兵衛は水瓶に毒を入れ身を隠す。追ってきた二人は水を飲み苦しみ悶える。権兵衛が姿を現し、抵抗できない二人を轟々と音を立てて流れる用水路に蹴落とす。場所は三島宿千貫樋であった。
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権兵衛「ハ丶丶丶丶もろひやつだ。こ丶はさいわひ千ぐわんどひ。伊豆のうみへながる丶この川。死がいもこのま丶跡ばらやめずして、うまひうまひ」
トこのいぜんより、しつぺい太郎の犬出て権兵衛の足にくらひつく。
権兵衛「アイタ丶丶丶丶このちく生めちく生め」
ト刃物なきゆへ手にてくらわせる。わんわんわん。ト友を呼び、これにて山犬二疋ほどかけきたり、権兵衛めがけくひつく。権兵衛あちこちにげ廻り、石などひろいうち付る。この内、壱疋のいぬ、権兵衛のすそをくわへひく。これにて権兵衛あをむけにたをれる。これにて三疋のいぬ、権兵衛の上へのつ懸りトド権兵衛をくひころす。権兵衛くるしむ。これにてこの前へ一めんに黒幕をふり落す(第一段目第五幕千貫樋の場)。
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ちなみに、上に引いた千貫樋の場面に続いて、死霊が盆踊りをするのだが、拙稿には関係ないので省く。さて、悪党を倒した竹箆太郎ではあるが、これで妖刀の行方も解らなくなった。何だか竹箆太郎、話をややこしくしただけのような気がする。実は今回使った本は、第二段目序幕までしかなく、結末は解らない。とはいえ第二段目序幕で鈴ケ森まで来ているから、もう品川と日本橋だけだ。なんで鈴ヶ森かってぇと、処刑された筈の御尋ね者、前髪立った美少年・白井権八が生き返り、女装して姿を消す場面が必要だったからだろう。この場面で既に九重印は取り戻せ解決したことが伝えられるので、残るは妖刀だけだ。恐らく御都合主義的に妖刀も発見されるのだろうけれども、話をややこしくした(だけの)竹箆太郎が、汚名返上の活躍をするよう期待したい。
だいだい竹箆太郎、登場したときから変だ。宴会で皆が大津絵を題材に思い思いの扮装をしたとき、弥次郎兵衛は慶政と名乗って座頭に扮した。慶政は、或は空想上の大名家「由留木家」ゆかり、重の井(此の場合は腰元)と不倫した伊達与作の兄・与八郎が姿を窶した座頭を思い出させる向きもあるかもしれないが、本作中では(東海道中膝栗毛にも登場する)弥次郎兵衛が正体だ。弥次郎兵衛こと慶政が、大津絵の座頭に扮したとき連れたのが、「竹箆太郎」である。もぉそれだけで「竹箆太郎」は、ドタバタ喜劇のボケ役だと確定したようなものだ、嗚呼……。
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慶政「蝉丸さまの流をくみ座頭が杖をつくほうし、あんまけんびき慶政が御りようじながら御屋敷へ来る道すがらくるひよる犬は丹波の竹箆太郎」(しかし犬は、別の人に従いて何処かへ行ってしまう)
慶政「ヤアおれも大事なあの犬をにがしちやア築地へ帰られねへ跡おつかけて、おふそうじやア」(と追っていく。そうこうするうち弥次郎兵衛の仕える若君が殺され家も絶え放浪の身となる)
慶政は件のはだか身。跡よりまへまくの犬ふんどしのさきをくわへ出て来る。
慶政「シツシツこの畜生め。もふおのれに用はなひは。まだ大津絵の趣向だと思つておるか。コリヤ何ぼちく生でもおれがすがたをみて、ちつとは気の毒だと思へ。弥次郎兵衛とも言わる丶さむらゐが若殿の切腹から、その侭屋敷をとうとう欠落、夕べ草津でおいはぎにあゐ身ぐるみ取られてまつ裸、柔弱非力の某ゆへ命を的の盗人には、おれはちつともかな」犬「わんわんわん」
慶政「それゆへ、あんなやつには、おれはちつともかまわん」犬「わん」
慶政「とはいうもの丶銭はなし、行先とても定まらず、コリヤ一トし」犬「わん」(一思案)
慶政「せにやならぬ」犬「わん」
慶政「ハテ間のよゐちく生め」犬を蹴倒す。犬は逃げる。
◆
そう、座頭に扮した弥次郎兵衛は、犬を連れていなければならなかった。登場した場面でも、犬は飼い犬ではなく、来る途中に「くるひよる(狂い寄る)」犬でなくてはならなかった。守貞漫稿にも「座頭のふんどしに犬わんわんつけァびつくりし杖をばふり上る」なる構図が大津絵を代表する十のテーマのうちにあると記す。現在でも、座頭は大津絵の重要なテーマとなっている。ココロは僧形だけに「(犬に襲われても)けがない(毛が無い)」ぐらいだろう。流石「竹箆太郎」は忠実に自らの使命を全うする。ちゃんと弥次郎兵衛の褌を、臭いだろうに噛んでやっている。
また、別の場面では、重の井姫が隠れていると思しき葛籠を、追っ手が捜索しようとしたとき、旅人に連れられた竹箆太郎が通りかかる。追っ手が旅人に加勢を頼む。させじと奴の逸平は闘う姿勢。しかし竹箆太郎は追っ手に襲いかかる。逃げる雑兵たちを竹箆太郎は追っていく。が、肝心の追っ手の隊長は残したまま。隊長は逸平と睨み合う。
役に立っているのか、いないのか、甚だ心許ない竹箆太郎ではあるが、憎めないキャラクターのようだ。ただ、鉄道の営業キロで見ても、東海道本線三島から京都まで三百九十二・九キロ、京都から丹波亀岡まで二十・二、足すことの四百十三・一キロ、百里を超える距離を竹箆太郎は駆け抜けて事件に絡んでくる。失われたテキストに於いて、江戸でも活躍するとなれば、これに百二十キロを足さねばならない。誰に連れられているでもなく、五百キロ以上を駆けるだけで、神懸かっている。
神懸かった犬となれば、四国産の私にしてみれば、やはり犬神を思い出す。犬神伝承を語るに竹箆太郎の名を冠する文芸もある。戯曲の「竹箆太郎怪談記」である。「歌舞伎台帳集成十五」から紹介しよう
(▼→)。
「竹箆太郎怪談記」は大まかに云えば、化け猫の話だ(←大まか過ぎ)。土佐国主で長岡を拠点とする土岐式部太夫の一周忌法要から話は始まる。因みに、土岐は東海や関東にいた氏族で、土佐長岡は長曽我部氏だろう。全く架空の設定であるが、土佐名物の【犬神】を登場させるためだろう。
式部太夫には息子がいたが、後妻の計略で亡き者にされた(筈だった)。式部太夫が気付いて後妻を手討ちにした。式部太夫の息子は忠臣によって密かに助けられ、寺小姓になっていた。一周忌法要の会場となる寺(真言禅兼学)だが、住職が突飛である。
◆
禅性院「なんのい胴切るの胴切らぬと云ふて茹蓮では有まいし良ふ思ふても御覧じ、愚僧じやて人じやて丶仏に成事やら成らぬ事やら知りもせいでイヤ尻もせいでとは、小性の傍で差し合じやハ丶丶丶丶丶」
金治郎・喜十郎・弁弥・山三郎(寺小姓)「何をおつしやり升るやら」
……中略……
禅性院「イヤ面倒な替りに、夫、そこにおる様な夜食が叶ひ升る。此四国には弘法大師と云ふ軍者が建置れた寺じやによつて、あんな物も不自由のない様にして置れ升たてや。爰を思へば真言の祖師はきつい好で赦した物か。達磨大師は九年の座禅に尻が腐つたに依て我身に倦んじ果て丶若衆も止められたと見へ升てや」
……中略……
橋立「御出家、近比未練な、卑怯にござるぞや」。
禅性院「未練などと丶は衆道の愛着に溺れて返さぬかとの疑ひか、御両人。出家・侍と申、寵愛は寵愛、若殿と知つて居て手もちよと触へられる物じやござらぬ。今渡しては金治郎が為にならぬ」。
……中略……
橋立・岡園「改めてお預ケ申升た」。
禅性院「気遣ひ被成な。おれは猶しも寺中の坊主に夜這もさしやせぬ。石垣の崩れる気遣ひはないぞや」。
◆
住職は式部太夫の息子・金治郎ら寺小姓を指して「尻をする」者だと規定し、僧侶たちにとっては「夜食」だとまで云って嬲る。いや「嬲」は女性一人に男二人が懸かることだから、此の場合は【男男男】ぐらいの字が適当だろう(JISにはない)。また寺小姓が置かれている理由を、弘法大師空海に求めている。空海が、僧侶に性の不自由があってはならぬと、寺小姓を置いたのだ。また、空海が若気が死ぬほど好きだったため真言宗では若気を許しているが、禅宗では始祖の達磨大師が九年間座禅し続けたため尻が腐って若気できなくなったものだから宗派内の男色を禁じた、と云っている。達磨大師は少林寺で九年間、面壁座禅したため足も手も萎えてしまったとの俗説は確かにあり、為に人形の達磨さんには手足がない。此の俗説に乗って、尻も【使い物にならなくなった】と断じて、禅宗では男色を行わないと云っているのだ。が、禅宗にも容色を以て誇る喝食がいたことは既に語った。とか云っているうちに、制限行数である。次回は、竹箆太郎を巻き込んだドタバタ劇の続きを語ろう。(お粗末様)