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■官制から見た八犬伝■
 
 八犬伝に於ける天皇の機能を見ると、犬士の金碗宿祢姓継承勅許、里見家および犬士への官位官職授与、伏姫への神号授与、ヽ大への大禅師号と法衣の授与、がある。
 里見義実が父季基と同じ治部少輔に任ぜられたのは関東公方足利成氏の推挙、大輔への昇進は両上杉管領の推挙によった。何連も義実が望んだものではなく、関東公方・関東管領が勝手に遣ったことだ。成氏の場合、八犬伝表記に於いては、治政の功績に依る。里見季基が兄の春王・安王に殉じたことへの恩賞だったか、それ以上の政治的下心があったかは、定かでない。両上杉管領の場合は、義実の武威・人望を侮り難く思った故の政治的措置であった。即ち、官職で手懐けようとするものであり、官職授与を取り次ぐことで武家を支配しようという関東府/幕府の政策方針を見事に表現していた。里見義成が家督を嗣いだ折、将軍足利義政に申請し免許を受けて安房守に任ぜられた。安房国守護とか幕府のラインではなく朝廷官職の「安房守」を以て、領有を正当化としようという里見家/馬琴の意図が見える。両上杉家を実体としていたであろう関東府をスッ飛ばして幕府に申請しているようだが、幕府ラインを窓口にしている点では、前二例と本質は変わらない。犬士の金碗宿祢姓継承申請も、幕府を窓口として行われた。将軍は宣旨に御教書を添えて犬江親兵衛仁に与えた。但し此処で親兵衛が独り先駆け勅使{代}秋篠広当から官職叙任を伝達されたけれども固辞し、無かった事にしている。里見家が天皇に直接繋がりかけている。
 
 百三十五回に於いて、里見家から犬士の金碗氏宿祢姓継承申請を受けた細川政元が征夷大将軍足利義尚に語る「義成東隅の藩屏として敢千里の遠きを辞せず貢進の礼恁までに淳かるは忠信の致す所也」が注目される。素直に読めば、「藩屏」とは幕府にとってのものであり、「忠信」の対象も征夷大将軍と読めよう。政元の言を採用し、義尚は大御所である父義政の意向を伺う。義政は、「兵乱の後財用足らず公武倶に不如意なるに料ずも幇助を得たる、報ひなくはあるべからず、例の有無は姑閣きて奏聞勿論なるべし」と答える。公武ともに財政が苦しいとき貢物を持ってきたのだから、先例云々は措き、朝廷に取り次いでやれ、と云うのだ。義尚は、朝廷への取り次ぎを認めるとの結論が自分の意思と合致していたのだろう、「再議に及ぶべからず」と即座に行動した。朝廷は此の案件を百官の衆議に掛けた。意見は分かれた。陪臣の改氏を勅許するわけにはいかない。正論である。勅許の対象は、それなりの身分の者でなければならないというのだ。対して、犬士は前治部大輔里見義実の外孫だから由緒ある者だろうし、朝廷財政が窮乏し儀礼が廃れようとしている現状で貢物も返すのか、との現実論も提出された。関白が口を出した。関白は関{あずか}り白{もう}す、との字面通り、天皇の代理者である。大政を委任されていた。
 
 「時に盛衰あり事に用捨あり、八犬陪臣たりといふとも他們が願ひ奉るにあらず、その主里見義成が請稟すを将軍奏聞せられたり、然れば勅許ありとても氏を陪臣に賜ふにあらず、迺義成に賜るを義成受奉りて八犬士に授るときは事に条理ありて超級譖上の傍議なかるべし」
 
 口語訳すれば、「朝廷といえど時に当たっては盛衰し相対的に立場は変動するため、ケース・バイ・ケースで対応しなければならない。八犬士は確かに陪臣であるが、金碗氏宿祢姓継承は彼等の主君であり安房守兼上総介の里見義成が申請し、将軍が取り次いだものだ。よって、勅許を与えたとして、其れは陪臣である犬士に向けたものではない。あくまで勅許は里見義成に与えるものである。義成は、当該案件に限って氏姓の授与を委任されたことになる。勅許を受けた義成が金碗宿祢姓を授けるのだから、何も問題がない」。
 
 かなり捌けた関白だったらしい。時の関白は数えで三十九歳の鷹司藤原政平であったが、其れは措き、関白の奏聞通りの判断を下した天皇は、義尚に意思を伝えた上で、宣旨を下す。宣旨には「依義成朝臣之奉乞、宜為金碗氏、因賜姓宿祢」とある。あくまで義成を申請の当事者として扱っている。宣旨は幕府を通じて里見家の使者犬江親兵衛に渡される。此の時、親兵衛は花の御所に四脚門から入る。結城敗将などの首級を足利義教が実検した場所である。御所の正門だ。義尚は宣旨に御教書を添えて親兵衛に与えた。本来なら宣旨だけでよい筈だが、御教書に何を書いたのか。義尚は有名な男色家であり、親兵衛はモテモテの美少年だ。逢い引きに誘う艶書だったかもしれない。かもしれないが、恐らく、一応は幕府が窓口だから、「宣旨が下された」とか何とか如何でも良い添え書きに過ぎなかったであろう。一応は御教書を発行して幕府の存在感を示したに過ぎぬだろう。一方、関白の論理は、甚だ重要だ。此処では犬士の金碗宿祢姓継承の勅許を廻る話題だが、官職叙任に就いても適応できよう。
 
 そして、八犬伝に於ける天皇と将軍の立ち位置を見る上で決定的な現象が、里見家および犬士への官位官職授与である。京都幕府時代の武家官職には、幕府の申請により分配される原則があった{応仁の乱以降、幕府を通さず授かる例もなくはない}。八犬伝刊行当時の江戸幕府に於いては、天皇さえも法の下に拘束する禁中並公家諸法度で武家官職は公家とは別物だと規定されてはいるが、官職は官職であって、勝手に申請できるものではなく幕府が一括して買って……いやまぁ、授かるものであった。京都幕府も江戸幕府も原則としては同様であるから、八犬伝刊行当時の読者はワザワザ中世社会に思いを馳せるよりも、熟知せる中世より厳密な現在の江戸幕府制度をこそ、想起しつつ読み進んだであろう。
 八犬伝の官位官職授与に就いては、第百四十九回の犬江親兵衛単独叙任未遂と、第百七十九中回の勅使代秋篠広当による伝達、第百八十回上編で犬士が上洛のうえ辞職する場面を併せ読む必要がある。但し此の部分には意図的か不作為か省略があり、難解だ。何点か確認しつつ読まねばならぬ。
 里見義成は、安房守兼上総介に留任しつつ、正四位上に昇り左近衛少将となる。義通が従五位下右衡門佐だ。そして義実が治部卿に昇進している。治部卿は正四位下相当官である。それでも息子の義成より下位だが、義成は総大将として南関東大戦に勝利したから上位となっても構わない。しかし義実も正四位でなくとも従四位ぐらいにはなったのではないか。
 それというのも、近世武家官職に於いて、四位と五位には絶対的な差があったからだ。八犬伝にとって【特別な存在】であるべき里見義実も、四位{以上}になっていた方がスッキリする。近世では、四位以上の武家のみ使者を上洛させ直接に位記を受け取る。五位以下は、高家が上洛した折、十把一絡げに掴んで江戸に帰り配布する。何連も此れまで述べて来た如く、幕府の推挙に依る。天皇の積極的意思は原則として、介在し得ない。だいたい天皇諱号さえ、幕府が裁許する形を採らなければならなかった近世、武家の官位官職は当然、幕府の統制下にあった。
 勿論、筆者が縷々述べてきた如く、南関東大戦の勝利を以て、安房里見家は幕府の統制下から実質的に離れる。官位官職を天皇の代理である勅使代から直接に伝達されるからだ。しかし馬琴は老獪である。天皇が里見家および犬士の官位官職を定めるに当たって、微妙な書き方をしている。勅使代秋篠広当は、「這御旨は室町殿に仰合さるゝ所也。熊谷生の齎したる御教書もあるなるべし」と云っている。広当の言葉では、天皇の積極性が表れている。一方、諚使熊谷直親は「室町殿の執奏にて定められたる恩賞」と云っており、将軍足利義尚の推挙があったと明かす。
 将軍の推挙だけが武家の叙任・昇進を可能にするとの制度は、官位官職配分権を独占し、以て武家を統制し忠誠心を期待するものである。近世には大名が申請し将軍が裁許して朝廷から官位官職が与えられると、老中やら何やらかにやらに礼金とか太刀とか馬とか渡して挨拶せねばならない。まぁ家格以上の官位官職を望まなければ、それぞれ十両程度包めば良いのだから、大名にとってはハシタ金だろうけども、とにかく幕府に礼をせねばならなかった{朝廷には、より大量の金を献上した}。即ち、あくまで幕府があってこそ武家に官位官職が与えられることを思い知らされる形となっていた。
 其れ故に、犬士らが上洛したとき、まず将軍と面会しようとした。「拝任の贄」を差し出している。しかし、義尚が急な体調不良に陥り会えず、「東山殿へ詣て東西を献するも尠からず。其帰路に管領政長及評定衆の諸邸をうち巡りて献残の人情を齎するも亦差あり」。結局、将軍より先に天皇と謁見することになった。犬士たちは十日余り暇に過ごしたが、其の間、朝廷内では新たな議論が持ち上がっていた。秋篠広当の奏聞に天皇が感動し、伏姫に神号をヽ大に大禅師号を授与する運びとなった。
 注目すべき点は、馬琴が犬士一行を先に将軍義尚と面会させるよう設定しつつも、義尚を急に体調不良として、天皇との謁見を先回しにしたことだ。事実であれば、あり得る予定変更に過ぎない。しかし、馬琴は、筆先で如何にでもなる面会の順番を、敢えて操作している。則ち、犬士らは先に将軍と面会すべきだが、馬琴は先に天皇と会わせたかったのだ。予定は、あり得べき体裁に沿って作られた筈だ。先に将軍へ礼を云う体裁を採るべきだと、馬琴は考えた。
 八犬伝刊行当時の常識として、武家への官職授与は、将軍の専権事項であって、天皇は【自動販売機】に過ぎない。将軍の裁許によって大名が朝廷に金を入れたら自動的に官位官職が授与された。また、名目上は天皇を頂点とする武家官職の問題は新井白石や荻生徂徠が危惧していたものだ。馬琴も描写に当たって慎重を期しただろう。
 馬琴は、将軍への挨拶を優先するポーズをとりつつも、実際には天皇を先に回した。本来の順番を逆転させたことになる。かなり積極的な意図のもと、馬琴が天皇を優先したことが解る。老獪な馬琴は、里見家・犬士の叙任が幕府制度に適応した将軍主導と見せかけつつも、天皇主導であったと隠微に示そうとしているのだろう。
 更に、画虎を退治し安房へ向かう犬江親兵衛を勅使秋篠広当が追い掛け、無人の薬師堂に引っ張り込んだ。「室町殿(義尚)則奏聞ありしかば、叡感特に浅からず、■ニンベンに尚/那親兵衛微りせば都下の良賤いかにして今この安堵の思ひを做さんや宜く勧賞あるべし、と仰出さるゝによりて公卿猛可に詮議あり、臨時の除目を行はれて則和殿に従六位上を授け給はり兵衛尉に成さるゝ者也、この義皇京へ召復して仰渡さるべけれども、他は政元に抑留せられて久しく在京したりしに今又召んは不便の至り也、早く御使を遣されて中途に恩勅を伝ふべし、と義尚公の執奏によりて軈て其義に儘せられ」{第百四十九回}た。
 天皇が将軍との相談なく、京の人々の生活を守ったとの理由で親兵衛の顕彰を独断で決し、朝廷内で検討を加えている。将軍義尚も事後に「執奏」をしたが、親兵衛を呼び付けるのではなく勅使を以て伝達せよとの、些末な技術論の面で助言をしたに過ぎない。親兵衛叙任そのものは、天皇の発案により朝廷のみで決定している。天皇の独断叙任そのものに就いては黙認している。此の瞬間、親兵衛は名目上も幕府の統制下から離れた。そして、親兵衛は里見家を君主と認め忠節を尽くしているから、親兵衛が将軍の統制下から離れるためには当然、里見家も将軍の統制下から離れていなければならない。しかも天皇は、里見家を通じないまま、直接に叙任しようとしている。第百三十五回で問題になった、犬士が陪臣だ何だとの点は、スッ飛ばされている。
 但し、親兵衛に固辞され叙任は実現しない。親兵衛の論理は、主君の許しを受けていないことと、他犬士からの抜け駆けになる、の二点であった。則ち、天皇からの直接叙任を否定したのは受け手の親兵衛であって、将軍ではない。将軍は、親兵衛への叙任そのものには関与しようとしてはいない。只、勅使を送るよう勧めるのみだ。将軍は、親兵衛を統制下に置くつもりはない。
 
 親兵衛の幼名大八は「代八」であり、八犬士を代表して、玉面嬢と対決した。また、八犬士を代表して上洛し、玉面嬢の後身たる画虎を退治した。画虎退治譚と南関東大戦は、連動している。男色管領細川政元に抑留された親兵衛は、玉面嬢の後身たる画虎の出現により安房へ還るヨスガを得た。南関東大戦の洲崎沖トライアンフは、玉面嬢の遺した甕襲玉により決した。京都では親兵衛が、関東では七犬士が、共に理不尽と戦い、共に玉面嬢絡みで勝利を得ている。二つの事件はパラレルであり、無関係ではない。そして、親兵衛は画虎退治により従六位上に叙せられ官職を与えるとの宣下を受けた。南関東大戦を勝利に導き民衆の生活を守った功績を以て、他七犬士も同じく従六位に叙せられ官職を得た。親兵衛と七犬士の叙任理由は、京と南総の差はあれ、共に人々の生活を守り安堵させた点である。
 ならば、親兵衛に対する叙爵宣下と他七犬士への宣下は、パラレルでなければならない。天皇独断による親兵衛の叙任と、将軍が関与した南関東大戦後の里見家および犬士叙任では、何連が馬琴の描きたい形か。第百八十回上編では、義尚を急に病欠させてまで馬琴は、犬士と天皇を先に会わせた。馬琴の真意は、天皇を優先することにある。故に、里見家および犬士への官位官職授与に当たって、将軍との面会予定を優先する仕草{だけ}を見せ「幕府」なるものの面子を立てつつ、実は天皇を優先していたことが、明らかとなる。隠微な表記のため解り難い部分もあろうが、将軍執奏を経ない親兵衛への直接叙任は、里見家および犬士が幕府統制下から離脱していることを、明らかに示している。また、天皇から親兵衛へ直接に叙任宣下が送られることは、本来なら、他七犬士も里見家を経ずして天皇と直接に繋がるべきことを示唆している。
 里見家は、徳川将軍家の虚花である。そして、八犬伝は、里見家および犬士叙任に於いて、犬士の分は里見家から配当する体裁を採った。里見家を徳川幕府に置き換えれば、制度通りの形である。が、馬琴の真に描きたい形が犬士への直接叙任であったならば、其れは、武家官職を横合いから一元管理している徳川幕府の在り方に疑問をもっていたことを意味する。
 但し、此処は微妙な点である。親兵衛の云う如く「人の臣たる者は只其君を以天とす」との論理が存在する。しかし大団円に於いて八犬士は、徳の薄れた里見家を見棄てて、まさに【天】に帰するが如く、消え去る。実のところ、里見家は犬士にとって、必ずしも【天】とは限らない。真の【天】と齟齬せぬ裡に於いてのみ、犬士にとって、里見家は「天」なのだ。大団円の犬士消失という重大な作中事実に沿わない以上、親兵衛の言葉は、馬琴の真意をカモフラージュしているに過ぎない。親兵衛らしい、子供じみた隠蔽工作だ。また、里見家が徳川将軍家の虚花である以上、犬士を置き換えれば、傘下の大名ともなろう。傘下の大名は、徳川家の臣下であるが、官位官職を天皇から授かっている以上は王臣でもある、と言えそうだ。如斯き意識は、まさに新井白石や荻生徂徠が危惧し、後述する如く、実際に外様大名松浦清が真情として吐露した所の者に外ならない。
 
 また、犬士らが上洛したとき、秋篠将曹広当の奏聞によって、伏姫に神号と勅額が、丶大に大禅師号と法衣が授けられた。幕府は全く関与していない。まず、数十年前まで生きていた、大名家の姫君を神に祭り上げることが近世に於いて可能かと云えば、可能だ。但し、地域の自由な信仰としてのみ、可能であっただろう。既に八犬伝中盤から、伏姫は「伏姫神」とされていた。作中では実際に神威を示していたが、里見家関係者が私的に神と崇めていただけだ。悪く云えば、淫祀である。其れが晴れて神号を勅許され、勅額を賜った。天照……ではなく、東照大権現号勅許ぐらいの大事件ではないか。
 また、神号を得た伏姫を祀る者が、丶大法師である点も見逃せない。神社に神宮寺がある如く、完全に神仏習合である。馬琴の時代には、当然の感覚であった。だからこそ、神号勅許された伏姫の正体が、観音菩薩でも構わないのだ。維新期以降盛んになる狂信的神仏分離思想を、八犬伝には感じられない。
 また、丶大に天皇が独自の判断で大禅師号と法衣を与える場面は、いわゆる紫衣事件を思い出させる。後水尾帝が高僧に与えた紫衣を幕府が慶安四年に剥奪した事件で、大徳寺住持の沢庵禅師まで処罰されている。中世まで各宗寺院は、天皇や貴族および武家と、或いは対立し或いは密接に結びつき、大きな勢力を誇っていた。特定大寺院の住職を朝廷が勝手に任免することは、穏当ではない。寺院の集める信仰は、取りも直さず各階層を結集する力であった。戦国田舎大名の一人であった家康も、御多聞に洩れず、一向一揆には手を焼いた。幕府側としては、有力大寺院の住職人事に容喙する必要があった。そこで後水尾帝が発した高僧人事を強引に否定したのだ。但し、此の事件は尾を引く。
 絶望し激怒した後水尾帝は突如として譲位、男子がいなかったため徳川秀忠の孫に当たる興子に皇位を押し付けた。明正女帝である。後手に回った幕府は譲位および明正即位を認めざるを得なかった。即位に介入できなかった幕府は即ち、天皇人事の完全掌握に失敗したのである。実のところ、レベルの低いドタバタ劇としか思えないが、政治的影響は甚大だ。朝廷側とすれば、幕府の介入なき譲位・即位の先例が出来た。尤も、先例が出来たとはいえ、朝廷が幕府から自由になったわけではない。そもそも朝廷には財源がないから、古儀復活とか何とか偉そうに理想論を並べたところで、経費は幕府に御強請りせねばならなかった。
 
 伝教大師最澄も禅師と呼ばれたが、現在では禅宗に限って名乗っている。丶大も禅僧であるからこそ、恐らく馬琴は「大禅師」号を採用したのだろう。此だけ高い尊称を授かるに当たり、天皇から墨染めの衣を与えられるだろうか。まず以て、ゝ大が天皇から賜った「法衣」は紫衣であったろう。「法衣」表記は、馬琴の自粛ではないか。
 
 里見家および犬士に対する官位官職授与、そして伏姫への神号とゝ大への大禅師号授与を、極めて簡単に見た。犬士への金碗宿祢姓継承勅許でも、里見家と天皇は接触するが、此方は、いはば【お試し】であり、本番ではない。軽く触り合った程度だ。が、実のところ既に、里見家と天皇の関係が簡単に語られていた。元々姓の授与は、官位官職を賜う前提である。犬士に官職を与えるならば、事前に姓を与えていなければならない{例えば、「そんなもんは無い」という向きには、藤原朝臣姓を名乗ることが許された。恐らく現実の官位官職叙任の場面で源平は、天皇に結び付くため敬遠されたのだろう}。また、朝臣姓が蔓延っているため、何やら他の姓は偉くないように感ずる方もおられようが、宿祢姓も官位官職を与えられ得る立派な姓なんである。筆者は既に、犬士が「金碗」を継ぐ理由の一つとして、彼等の母である伏姫が金碗八郎孝吉の転化があると断じている。八犬伝の構想が白紙の段階なら、豊臣秀吉が徳川家康ら重臣たちに豊臣姓を与えたり、幕府が大外様大名にまで徳川の旧姓である松平姓を与えたりした如く、源朝臣里見姓を犬士に与えることもあり得たと思う。馬琴は自らを源姓だとも考えていた。にも関わらず、寡聞な筆者にとって八犬伝でしか御目に掛かれない金碗宿祢姓なんて特殊な姓が持ち出されるのは、やはり金碗家こそ犬士の実家であるとの強い主張だと思える。
 そして、姓の継承勅許という体裁を持ち出し犬士を天皇に結びつけること自体、天皇こそ現世の基準点であるとの宣言と見るべきであろう。且つはまた、天皇は直接に姓を授与するのではなく、里見家を通じ、まるで幕府が武家に官位官職を配当する如く、犬士に姓を授与する。また、天皇は直接に犬士親兵衛へ官位官職を授けようとし、将軍義尚も黙認している。犬士が天皇と直接に繋がり得るなら、里見家も天皇と直接に繋がろう。即ち里見家および犬士は、幕府の統制下から独立している。第百七十九中回に明記されている如く、官位官職も里見義成が犬士に配当する体裁を、八犬伝は採用している。里見家が徳川将軍家の虚花であると断じてきた筆者にとって、犬士は幕府傘下の大名にも見える。やがて里見家の仁徳が衰えると、犬士たちは里見家を見棄て、【天に帰する】が如く消えていく。
 結局、馬琴は、新井白石と同様に、足利幕府は天に見離されたゆえ滅びるべくして滅んだと見ており、大名も天皇の臣下に列すると考えている。そして、馬琴は、白石とは違って、徳川将軍家も天にとっては永遠の寵児ではあり得ず、徳を喪えば滅びると、容赦なく予言しているのだ。
{お粗末様}

 
 
 

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