■蟇田素藤誕生の闇■

 前回、山東京伝の「白藤源太談」を紹介した。何故に筆者が如斯き絵草紙を取り上げたかと云えば、馬琴四知音の一人/殿村篠斎の感想文を読んだからだ{「馬琴評答集(一)」早稲田大学出版部}。
 馬琴と殿村篠斎の間で遣り取りされた評答集を読むと愉快である。篠斎は本居宣長の弟子であるから仏教も嫌いだが、兎に角、些細なことでも理詰めで考える。筆者から見れば馬琴も十分に理屈好きなんだが、篠斎こそ、馬琴をして「理評」と非難せしめた最強屁理屈男なんである。とはいえ、篠斎が馬琴を「理」で批判しまくっているのではない。寧ろ、褒めている。馬琴を褒め殺すつもりかと思う程に、褒めまくっている。如何でも良いよぉな細々した事に対してさえ「妙々」「妙々々」と連発し、感心感服つかまっている。何でも彼でも「妙々」と書いているので、「妙」が無意味な接尾語に思えてくる程だ。いや、もしかしたら篠斎には語尾に「みょぉ」とつける癖があったのかもしれないし、当時松阪の方言だったのかもしれない。「おなか空いたみょぉ、みょぉみょぉ」「ごはん食べるみょぉ」「馬琴ちゃんに、お手紙出すみょぉ」……案外、可愛いかもしれない。閑話休題。

 篠斎の、微に入り細を穿った感想群は、其の自閉した濃密世界に没入すると愉しいが、今回注目する点は、「蟇田源金太{/権頭}素藤」の由来を尋ねた部分だ。馬琴は、名の由来を次のように説明した。

     ◆
解て云古の素藤の姓名ハ業当の強盗たる与冬の夜盗たると
同しからす只上総の故事を取れるのミにて別にふかき意味ハなし
百年前より乞児のうたふ四ツ竹婦しといふものにひかし上総の
い志ミの郡むらの小名をハ金おき村にひき(疋)田源兵衛か惣領
むすこ相撲とりにて志ら藤源太親の遜りの大はんこれを
すまふばくちにみな入れあげて云々とか見るに据りし也此白藤ハ
多力にて国中に相撲の敵手なく且酒を嗜ミ博奕を好ミ
たる行状無頼のわるもの也相撲の遺恨にて博徒にはかられ猪熊
頼元なといふ悪僧等数人源太に酒をもり酔臥させてひそ
かに殺して死骸をかく志ゝを後に其子成長して親の仇を撃つ
よしを作連り少しハありし事なるへけれと四ツ竹ふしにうとふことくにハ
あらさるへし志かれともこの曲子によりてをさ/\世の婦幼に知られ
たり天明中初代の市川門之助か白藤源太に扮志し狂言を
己も見き四ツ竹ふし絶てより四十年にあまれるへけれハ他郷の看
官の思得られなはその見すの事也志かるに彼白藤源太ハ無頼の
博徒なれとも盗賊ならぬに素藤の姓名に屓志ハ昔人を
誣るに似たりなといハるゝ例の理評のあるへけれも志らねとも志かるに
白藤源太と名つけたれは盗賊ならぬ昔人を誣たりとも
いハめ是ハ只上総の事実を取連るのミなれハ彼をもて此と
比興ハ要なし譬ハ石魂録の初編に載る牛淵九郎清
蝿か姓名ハ菅原伝授手習鑑の車ひきの段なる時平の大臣か
梅王桜丸を罵る詞に牛ぶち{打}くらふ{食}青蝿めらといへるを取りし也
古の義ハ文化中姫路侯の小臣加藤恵蔵(号琴梧)かはやく悟りて
予に告て且つ笑ひ且感心のよしをいひにき彼牛淵ハ石魂録当
編の建物なるにかく浮たる事を取りよせてかの姓名にせられしハ
相応しからすなといハるゝ理評あるへけれとも凡稗史に作り設ぬる
人の姓名ハ机の上にて俄頃に思ひ起して禁忌に触れさ
るをえらむまてなれハ一人毎に深意あるへくもあらす白藤ハ
元来上総なる彼源太か相撲の綽号なるを古ゝにハ白を素
に易てモトと読せ又源太の中間に金字をさし入れて現金太
と那しゝハ金置村の余響也名と綽号を転倒志ぬるハ伝奇に
悪方の汚行あるを撰ヒいふと同日の談と見るへし
……………………………
解きて云う、この素藤の姓名は、業当の強盗たる、与冬の夜盗たると同じからず。只、上総の故事を取れるのみにて、別に深き意味はなし。百年前より乞児の歌う四ツ竹節というものに、東上総の夷隅の郡、村の小名をば金置村に、疋田源兵衛が惣領息子、相撲取りにて白藤源太、親の遜りの大半これを相撲博打に皆入れ上げて云々とか、見るに据りしなり。此の白藤は、多力にて、国中に相撲の敵手なく、且つ酒を嗜み博打を好みたる行状無頼の悪者なり。相撲の遺恨にて博徒に謀られ、猪熊頼元などいう悪僧等数人、源太に酒を盛り酔い臥せさせて竊に殺して死骸を隠ししを、其の子成長して親の仇を討つよしを作れり。少しは有りし事なるべけれど、四ツ竹節に歌う如くにはあらざるべし。しかれども此の曲子によりて、をさをさ世の婦幼に知られたり。天明中、初代市川門之助が白藤源太に扮しゝ狂言を、己も見き。四ツ竹節絶えてより四十年に余れるべければ、他郷の看官の思い得られなば其の見ずの事なり。しかるに彼の白藤源太は、無頼の博徒なれども強盗ならぬに、素藤の姓名に引きしは、昔人を誣るに似たりなど云わるゝ例の理評のあるべけれも知らねども、しかるに白藤源太と名付けたれば、盗賊ならぬ昔人を誣たりともいわめ、是は只、上総の事実を取れるのみなれば、彼をもて此と比興は要なし。譬えば、石魂録の初編に載る、牛淵九郎清蝿が姓名は、菅原伝授手習鑑の車引きの段なる、時平の大臣が梅王桜丸を罵る詞に、牛ぶち{打}くらふ{食}青蝿めら、といへるを取りしなり。この義は文化中、姫路侯の小臣加藤恵蔵(号琴梧)が早く悟りて、予に告げて且つ笑い且つ感心のよしを云いにき。彼の牛淵は石魂録当編の立者なるに、斯く浮きたる事を取り寄せて、彼の姓名にせられしは相応しからず、など云わるゝ理評あるべけれども、凡そ稗史に作り設ぬる人の姓名は、机の上にて俄かに思い起こして、禁忌に触れざるを撰むまでなれば、一人毎に深意あるべくもあらず。白藤は元来、上総なる彼の源太が相撲の綽号なるを、此処には白を素に易えてモトと読ませ、又、源太の中間に金字を挿し入れて、現金太と為しゝは、金置村の余響なり。名と綽号を転倒しぬるは、伝奇に悪方の汚行あるを撰びいうと同日の談と見るへし{八犬伝篠斎評九州上帙}。
     ◆

 白藤源太は相撲取りであった。八犬伝に登場する相撲取りといえば、山林房八と犬田小文吾である。小文吾は旅館経営者の息子であり、房八は輸送業者であった。両者とも農業生産に携わっていない点が重要である。農業は、土地を主たる生産手段とする。武士は農地の領有者であり、郷士は富農と見分けがつかぬ程に農地の所有者であった{「所有」の概念が現在とは違うが}。武士・郷士・農民は、一所懸命の土地に根差し、社会の主たるライン/生産関係を構成していた。輸送業者や、輸送業者をはじめとする移動者の出先・途中拠点を営む旅館業者とは、一線を画していた。逆に言えば、輸送業や旅館業は根無し草、遊侠・侠客たるに相応しい職と目されていたようだ。付け加えると、土地を失った武士/浪人も、同類ではある。

 馬琴は殿村篠斎との評答に於いて、蟇田素藤の名前の由来に就き、「只上総の故事を取れるのミにて別にふかき意味ハなし」と云っている。深い意味はないのだろうが、全く意味がないわけでもなかろう。
 素藤は八犬伝に於いて一廉の悪役であるが、馬琴は素藤の名前の由来を「疋田の白藤源太」であると明言している。白藤が「白=素」の置換に依り、素藤に転じた。また、疋田は「疋=ヒキ=蟇」の置換に依り、蟇田に転じたという。
 前者と後者では、同じチカンでも決定的に違う。前者は同義異音に依る置換であり、後者は同音異義に依る置換である。即ち、前者は内包を変えず、後者は変える。例えば、同じチカンでも、置換と痴漢は意味が違う。犬士同士の置換は起こり得るが、犬士同士で痴漢し合いはしない。現八・信乃は薄暗い部屋で小文吾のストリップを鑑賞したし、現八は単独でも大角の入浴を覗いたが、其れ等は措いといて一般に、置換と痴漢は違うのだ。対して「置換」と「置き換え」は、音こそ全く変わっているが、意味は同じだ。
 何が云いたいかってぇと、白藤→素藤の変換は、単に表記の目眩まし、書き換えに過ぎず内包は変わらない。内包を変えない故に、其の名を帯びる者の物語的本質/キャラクター/内包を、変えない。対して疋田→蟇田は、発話上の聞き分けが困難であるが、其の名を帯びる者の特性/内包が変わっている可能性を秘める。

 疋田の白藤源太は、馬琴に拠れば、「四ツ竹節」に登場する放蕩者であった。但し、蟇田素藤ほどの悪人ではない。相撲博奕にかまけ親譲りの身代を潰し、挙げ句の果て悪人どもに謀殺された。息子が仇を討つ。そして上記の如き四ツ竹節の内容に就いて馬琴は、「少しハありし事なるへけれと」と半信半疑だ。
 筆者も半信半疑である。白藤源太に就いて、馬琴の有する情報は独り「四ツ竹節」に拠るものだけであったか、と。我々は既に、白藤源太に就いて、四ツ竹節以外の情報をもっている。山東京伝の「白藤源太談」である。

 「白藤源太談」の特徴は、A】美男の相撲取りであり善玉の白藤源太が、悪玉に変貌するが、実は義弟/波之助を立てるための擬態であり、波之助の死に際して善玉に立ち戻る、B】善玉に恩を享けた善玉狐が変身の術を使って報いる、C】主家の宝剣を奪われた一族が前半には没落し詮議に成功して復活する、などが見られる。BとC、特にC/刀詮議は近世文芸に博く見られるものであって京伝の独創ではない。大事な宝剣を奪われたことで苦難に陥る部分だけ見れば、八犬伝でも村雨を擦り替えられた信乃の例がある。また、歌舞伎等にも展開した義経千本桜だって狐が恩返しをする側面を有するし、狐に限らず、動物の恩返しは他に類例がある。耳嚢では、猫でさえ恩返しをする。八犬伝の政木狐だって、優しくしてくれた河鯉守如の妻に対して恩義を感じ且つ乳母を殺してしまった責任を負って、政木大全を庇護した。Aに就いて見ても、善玉が何かの必要から悪玉の擬態をとり、善玉に立ち返るなんてのは、近世人の御好みであって、八犬伝でも山林房八の例がある。
 こう書くと、筆者が、表面的な共通点のみを論い、以て白藤源太談と八犬伝の関係を強弁しようとしているかと思われようか。些細な共通点を針小棒大に牽強付会するが如きは、筆者の趣味ではない。抑も、単純に上記の如きストーリーの表層のみを論じて、白藤源太談と八犬伝との間に意味のある共通点があるとは、決して云えない。何故なら上に挙げた共通する特徴は、白藤源太談と八犬伝との間のみで見られるものではなく、近世文芸に博く共有されたものだからだ。四つ足で歩いているというだけで、犬と猫を全く同一視する者がいれば、其れは白痴か何かだろう。
 筆者は、共通点と相違点との兼ね合いが気になる。まず第一に、蟇田素藤の名前の由来となった、疋田の白藤源太は、京伝の創作中、善玉である。しかも単純な善玉ではなく、いったんは義弟の為に悪玉を装い、義弟の自死によって善玉に立ち戻る。しかも、彼のキャラクターは【義侠の相撲取り】であった。京伝の白藤源太のキャラクターで思い出される者は、むしろ八犬伝の山林房八である。山林房八は、息子の親兵衛に重ね合わされ、まさに蟇田素藤と対決する。京伝の白藤源太は、逆像となって、八犬伝の山林房八に投影されているが如きだ。
 馬琴は当初、京伝の弟子であったわけだが、色々あって疎遠となり、京伝の弟/京山と仲違いしていた。また、馬琴は、同時代の文壇に相応の注意を払っていた。当然、京伝の「白藤源太談」を知っていた筈だが、全く言及せず、蟇田素藤の名前の由来を専ら、四ツ竹節の白藤源太だと語っている。もちろん、京伝の源太は、素藤の直接的なモデルではあり得ない。しかし強烈な善玉/源太と強烈な悪玉/素藤との対称性、そして、義侠の相撲取り/源太と、素藤と激しく対立する側である義侠の相撲取り/房八との対称性を併せ考えれば、「白藤源太談」と八犬伝の間に何等かの関わりがあるよう思えてくる。
 四ツ竹節の白藤源太は放蕩者であった。京伝の源太は善玉であった。八犬伝の素藤は悪玉であった。馬琴は素藤の名前の由来を四ツ竹節の源太だと云っているし、差し当たっては、京伝の源太と八犬伝の素藤は、無関係だと考えねばならない。京伝の源太と素藤の対称性は、偶然の産物だ、と考えねばならない。しかし、其の素藤と激しく対立し真逆の位置にある房八と、京伝の源太が似通っているから、話がヤヤコシくなる。悪玉の擬態をとる善玉、近世文芸の常套ともいえる物語パーツを馬琴が採用したとて、何の不思議もない。よって、京伝の源太と房八が甚だ似通っていること自体は、偶然と考えても良い。しかし、それぞれ単独では偶然として片付け得る事象も、此れだけ鮮烈な対称性をもって重なれば、偶然とは思えなくなる。背景には、馬琴と疎遠もしくは対立していた京伝との関係、京伝の弟であり「花角力白藤源太」を書いた京山との敵対関係があろうか。二つの対称性は、偶然を装った故意である可能性が生じる。実際、面白い面白くないは別として、京伝の「白藤源太談」は粗雑に過ぎる。八犬伝の方が、複雑で壮大、物語性は高い。京伝も取り上げた「四ツ竹節の疋田村白藤源太」を引き、京伝の解釈を逆転し更に深めた馬琴の、見下したが如き傲岸な風貌が浮かびはしないか。馬琴が認めているように、四ツ竹節の白藤源太と蟇田素藤の関係に「別にふかき意味ハな」いだろうが、京伝の白藤源太と素藤との間には、山林房八を経由した、深く暗い意味がありはしないか。
 もしも京伝の白藤源太談が、八犬伝執筆経験を経た時点の馬琴の批評に晒されるとすれば、決定的な【欠点】がある{馬琴意外の者には「欠点」でないかもしれないが}。勧懲正しからざる点だ。
 但し例えば、悪おかん兵太の報われぬ悲劇は、問題にならない。八犬伝でも、ありがちだ。荘介の母も無念の裡に死んだ。報われても良い者が生前報われるとは限らない。八犬伝でも善人が次々に奪われ虐げられ、殺される。実は馬琴がサディスティックな愉悦を以て執筆したのではないかと疑いたくなるほどに、清く正しく美しい善人たちが不遇に陥る。実のところ八犬伝でも、「勧懲」のうち「勧」は必ずしも、明らかではない。総ての善人に、物語明文上で現世の利益が与えられるわけでは、決してない。寧ろ、現世の利益が与えられる善人なぞ、極一部に限られるのだ。一般に、不遇の善人たちに対する報い/対価は、単に、馬琴が読者に期待するシンパシィ/同情・敬意・親近感ぐらいのものである。まぁ恐らく創造物の登場人物にとって、読者のシンパシィが最高の誉れではあろうけれども。馬琴が描く「善」が、まだしも広い共感を以て認められた時代にあっては、まぁ、此の程度の対価で、「勧善」であったのだろう。
 一方で八犬伝に於ける馬琴は、悪人が罪を得ぬまま逃げおおせることを決して許さない。懲悪は貫徹されねばならないのだ。京伝の白藤源太談では、例えば少なくとも、俵秀国に悪報が無い点は{馬琴の視点に立てば}許し難い欠陥だろう。秀国の立ち位置は或る面で、八犬伝に於ける細川政元に庶い。政元ほど悪行を書かれてはいないが、好奇心から八幡不知の蛇神を刺激した点は、政元が竹林巽に画虎点睛を強いて都を混乱の極みに陥れた条に相当する。八犬伝贔屓の筆者からすれば、白藤源太談は実のところ単に、【龍と蛇とのイガミ合い】を因縁めかして書いているだけのように感じるのだ。若しくは、眼前の権威/俵秀国を現実の前提として無批判に肯定しきる態度しか見えない。現実の権威にヒネ媚びて擦り寄ることと他者を侮り貶めることしか能のない或る種の退嬰感性、と云うか現代に置き換えれば【テレビ感覚】ほどの文字列が適当であろうけれども、京伝の白藤源太談には、人間表層の娯楽に迎合する態度しか感じられないのだ。「だからこそ面白い」とするムキもあろうが、筆者は採らない。馬琴も同様であろう。
 支配が貫徹していたかは甚だ疑問であるが、八犬伝は室町幕府治世下の物語だ。また、実際には管領未就任の細川政元ではあるが、八犬伝では幕府内で管領として最大の権勢を振るっていた。八犬伝に於ける細川政元は、色白ポチャ系未成年男子に獣欲を滾らせる変態ではあるけれども、当時日本の最大権門であったのだ。其れにさえ疑問符を突き付け否定の所作を披露する者こそ、馬琴である。勧懲のためならば、権門勢家にさえ筆誅を下すことが、稗史の使命と考えたか。
 白藤源太と八犬伝の山林房八を廻る二重の逆転、馬琴とは対立すべき勧懲全からざる白藤源太談の軽薄で安易なテレビドラマ性、評答での完全なる無視の態度、山東京伝・京山との感情的対立……状況証拠は、馬琴が白藤源太談/山東京伝・京山への優越感/蔑視を抱いていたことを仄めかせる。勿論それが八犬伝執筆に当たって第一義の目的になったと云いたいのではない。ただ、八犬伝屈指の大物悪玉/蟇田素藤の命名に当たり、ふと思い出した白藤源太を元にしたという馬琴の心裡深層に、山東京伝・京山への昏い敵愾心はなかったか。{お粗末様}

・・・蛇足・・・
 筆者は嘗て、蟇田素藤の命名に当たっては、蟇/蝦蟇が土性である点が関わっていると断じた。大塚「蟇」六が、水性の浜路・信乃のカップルを引き裂いたことに拠る。土剋水の理である。また、蟇田素藤の乱は、浜路姫への獣欲を原因としていた。本来ならば、信乃が対応すべき問題であった。にも拘わらず木性の親兵衛が出馬する理由は、親代わりである信乃との緊密な関係{水生木}に加え、土性の素藤を討伐し易い{木剋土}点にも求められる。
 馬琴は深い意味もなく白藤源太から蟇田素藤の名前を思いついたと主張してはいるけれども、「引田/疋田」から「蟇田」への置換を説明していない。本文で述べた如く、「白藤」から「素藤」は同義異音であるからキャラクターは継承されていても良いけれども、「引田/疋田」から「蟇田」は同音異義であるからキャラクターが変化し得る。元とは違った「蟇」なる語を選択した理由は、やはり信乃・浜路を苦しめた蟇六の存在、ひいては五行論に於ける相性を念頭に置いたものだと推察できる。{お粗末様}

・・・蛇足之二・・・

 評答には以下の如き興味深い箇所もある。

     ◆
【本文】
前略……猶又伏姫の奇験さま/\いはゆる神通広大
なれとも死生の事におきてハ神助といひ命数尽さるハ
といへり例の深意筆なるハいふ迄{占にシンニョウ}無しその神助とさ
し命数とさすところ高天原又二尊神なるへしされハ
文面にこそ奇験ハ書連子親玉神ハ又一段上にいます
て冥助幽契天命天数それ/\に令してせさセ給ふなる文
外深意ハもちろんなるへし伏姫神通広大なる本編の
一枚看板其奇霊をもて脚色にせらるゝ所もあるなれは
広大ハそのはす也されといかにも広大也加の死生の事こそあれ
それさへ時のさまによりてハすなハちそれかとおほしきまて
にて編中霊験大かた神女外ハ懐手してましますやう也
加の昨今の振袖神それに何でも自由自在前にもいへる普
通の如きたゝみよセのあるへくあらす是も又深意あらん歟
奇験はしめハ行者にあり伏姫神霊となりてよりハ奇
験すへてそれにありこれ行者伏姫に合するにて伏姫の
奇験すなはち行者の奇験に同し義実父祖の余
慶其身の徳にて家興るの天命ありて神仏そこに冥
助ありされは禍転して福となり奇厄の伏姫かへつて
【頭註朱筆】
はゝかりなからこの
細評ハ稗史の
稗史たる所以を
忘れられたるに
似たり八幡の
事を綴れハ八
幡の霊験を
いふへく諏方の
神徳を綴れハ
取方の神徳を
おみいふて他に
及ハぬか則稗
史の要也志かれハ
本編の伏姫神ハ
八十万の神徳
神威を兼用
と見ハ仔細な
かるへし
【本文】
奇霊の神女となり冤{/ウカンムリ}物変して良佐の種とな連りこれ
天数の神量り既に其家を護るの神女ことに尋常の
霊なりて賽弁天とも称すへく成し出し給へ連ハこれよ
里して八幡諏訪行者観音諸神諸仏それを助
けそれに合し令して種々の霊験あらセ里見の家
を興さセ給ふ志かれハ神女の奇験威力諸神諸仏の奇
験といふへし文外これらの深意ならん歟と見れハ昨今振
袖神ても神通広々大々ならでや……後略
【頭註朱筆】
後評ハ又一段
の弁也他評の
拙考によられしか
いとめてたし{八犬伝篠斎評九輯卯帙}
     ◆

 前半は、国学者らしく篠斎が、神の世界は高天原二神を最高位とし八十万だか八百万だか座す、といぅ世界観のもと、役行者と伏姫神以外の神が登場しないこと、特に伏姫神が登場してからは専ら彼女のみが神威を振るう点に不満を滲ませている。対して馬琴は、「憚り乍ら此の細評は稗史の稗史たる所以を忘れられたるに似たり。八幡の事を綴れば八幡の霊験を云うべく、諏訪の神徳を綴れば諏訪の神徳をのみ云うて、他に及ばぬが則ち稗史の要也。然れば本編の伏姫神は八十万の神徳神威を兼用と見ば、仔細なかるべし」と答えている。
 当然である。即ち、八犬伝に於いて伏姫神が神の万能なる代表であって、別に高天原二神が背後の黒幕ではないのだ。また、伏姫の正体が観音であることは八犬伝末尾の記述から明らかなのであって、観音が、総ての仏格もしくは神格の象徴として登場していることになる。伏姫の【正体】が文殊だとか弁天だとか何だとか、一対一対応で確定しようとする姦しい議論は、余りにトンチンカンな一神教論理を背景にしていると思しい。不毛である。パイパンは、毛野の如き美少女だけにしてもらおう。

 また、八犬伝ストーリーとは関係ないのだけれども、引用文前半で篠斎の読みが稗史の稗史たる所以を忘れたものであると指弾した馬琴であったが、実は篠斎、馬琴に批判された文章の続きで、「神女の奇験威力、諸神諸仏の奇験といふべし。文外これらの深意ならんか」と述べている。実は篠斎、伏姫を諸神諸仏の代表として描いた馬琴の意図を正確に読み取っていたのだ。馬琴は、自分が早とちりして貶したことを{ほんの少しだけ}後悔したに違いない。しかし馬琴、「ありゃ、ごめんごめん、貶しちゃって。はじめから解ってたんだね」とは云わない。あくまで偉そうに「後評は又一段の弁なり。他評の拙考によられしか。いとめでたし{後に続く評は、また一段と優れている。他の人の評に対する私の答えを参考にしたのだろうか。めでたいことである}」。前段も後段も篠斎が同時に寄せたものだから一連のものであって、前段が試行錯誤の痕跡、後段が結論と思われるのだが、馬琴は前段を貶した手前、後段を分離して褒めている。まったく以て馬琴は頑固親父である。{お粗末様}
  

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