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■姐さん女房■

 第七十二回に於いて、里見義成の嫡室は白前{つくものまえ}であった。ただ、義成五女の浜路、三女の鄙木は側女/盧橘{はなたちばな}の娘であった。八女のうち特に目立つ二人が、盧橘の娘であった点には注目して良い。
 盧橘は「井直秀が従弟なりける下河辺太郎為清の女児」であった。井丹三直秀は信乃の母/手束の父であるから、浜路姫は信乃の血縁者となる。為清が直秀の従弟/イトコなら八親等ほど離れている{イロト/弟なら信乃と浜路姫はイトコ同士の四親等}。一方、前浜路は、信乃の父/番作の姉の娘なので、従姉妹に当たる。但し浜路は養女なので、血縁は無い{黒白が井・下河辺の縁者であれば血縁者となる}。
 しかし、白前も盧橘も第七十二回にしか登場しない。第百九回で浜路姫の「母」は吾嬬前{あづまのまえ}になっている。其れは良い。筆者は早くから弟橘姫伝説が八犬伝に投げかけた影の存在を指摘してきた{「吾嬬者耶」など参照}。「吾嬬」は弟橘姫なので、「盧橘」は似たようなもんであり、改名したか、馬琴のケアレスミスだろうと思った。いや、馬琴の脳内で弟橘姫をモチーフとした女性を浜路姫の母親として設定する思考が、七十二回で「盧橘」と書かせ百九回以降で「吾嬬前」と書かせただけである。実在の人物ではないのだから、表現する所の者が同一である以上、深刻な錯誤ではない。イーカゲンな筆者は、「あぁやっぱり弟橘姫の関係者だったか」で素通りしていた。百九回・百十回で早くも白前の気配が消え、吾嬬前が浜路姫の母として登場、しかも夫人{おくがた}として後堂を支配しているかの如き態度を見せてはいた。実のところ、白前が死ぬか如何かして、盧橘が嫡室扱いとなったか、とボンヤリ思ったものだ。
 第百八十回下で義成は「我に八個の女児あり、其が中に妾腹なるも多かれど、其母或は産後に身故り或は短命なりければ、皆吾嬬が養ひにて年造になりにたり。有恁れば孰も嫡腹に異ならず」と、まるで吾嬬前が元から嫡室であったかのように発言した。白前なんて何処かに消えて飛んでってる。漸く、馬琴が重大な錯誤に陥った可能性に筆者も気付いた。此奴、白前の存在なんて全く忘れてんぢゃないか? が、七度探して人を疑え、馬琴に錯誤はないかもしれない。前述の如く、何かの事情で盧橘が嫡室扱いとなり、吾嬬前と呼び名を改めた可能性だって、なくはない。盧橘の実子は浜路姫と鄙木だけだったから、あと六人は別の女性が生んだ。「妾腹なるも多かれど」との記述に矛盾は生じない。なるほど、我等が馬琴が安易な間違いを犯す筈がない……と信じていたのだが、実は馬琴、篠斎の「八犬伝結局下編拙評」に対し間違いを認めていた。

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白の前ハ九十九里の例ニて五十子の方の対也作者是を忘れて九輯の二に吾嬬の前とす吾嬬ハ吉例なら祢とも橘姫義烈の余波なり作者暗記の失な連とも白の前ハ前君吾嬬の前ハ後君と見連ハさハかり疑ひなかるへしこの義ハ京なる平塚氏も咎て云々といひしかとそハ作者の苦界を知ら奴看官古ゝろな連ハさもあるへし都て大部の小説にはかゝる錯誤なきにあらす三国志演義に孫権の母呉夫人既に死して後に又出たり是を云々といふ者なるハ取るに足らす予か云死したる呉夫人ハ孫策孫権の母ニて後の呉夫人ハ叔母也と見連ハ何の仔細もなし評翁精細は海内壱人な連ともみつから筆を把らさる故に尚看官心にて是等の思ひ汲浅くやありけんあなかし
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 「九輯の二」は道節による定正討伐を述べる「二巻」ではなく、玉面嬢妙椿の暗躍を記す「中帙」第百九回・百十回を指していると思しい。此の時点で既に馬琴は、思いっ切り間違っていたのだ。第七十二回と百九回との間には三年ばかりのブランクがある。時は傷を癒してくれる最良の薬だが、時に重大な思考すら奪っていく。効く薬には副作用があるものだ。

 人間、大事なことを忘れることはある。間違うこともある。一々イーワケするなぞ漢のすることではない。しかし、我等が馬琴は、グヂャグヂャ言い訳を重ねている。人様の間違いや勘違いには手厳しく非難の矛先を向けるクセに、仲々いぃ性格してるぢゃねぇか。
 まず馬琴は「咎て云々といひしかとそハ作者の苦界を知ら奴看官古ゝろな連ハさもあるへし」と言い返す。此は、登場人物が必ずしも理に合致せぬ行動を採ったことを指摘されたとき「登場人物なんて勝手に動き出すもんなんだよ。これだから稗史を書いたことない素人は…」と非難がましくイーワケするココロと同根である。
 続いて長編小説に錯誤はツキモノで、三国志演義で、死んだ筈の呉夫人が再登場することを挙げ、「取るに足らす予か云死したる呉夫人ハ孫策孫権の母ニて後の呉夫人ハ叔母也と見連ハ何の仔細もなし」。
 なるほど「呉夫人」ならば、「貴人の妻となった呉姓の女性」との意味しかないから、姉妹の見分けはつかない。入れ替わっていても「呉夫人」には変わりがない。以前から情報を共有し共に行動していたからこそ同一人物のような言動をとり周囲も同様に対応する、との説明がつく。白前と吾嬬前とはワケが違う。イーワケになっていないぞ、馬琴!

 白前が何者かと云えば、分からない。八犬伝には書かれていない。ただ、評答に「白の前ハ九十九里の例ニて五十子の方の対也」とある。則ち「白」が【百】を強く意識した語だと分かる。百を意識するからこそ、白が九十九となる。よって「白」が背後に隠す「百」が、「五十」と対となっている。若しくは、例えば百里の道は九十九里を以て半ばとす、との言い回しから、白/九十九が百の半ば/五十の対となる。何連にせよ、百を強く意識する「白」だからこそ、五十と対になるのだ。
 しかし、白前は、ただ七十二回、蜑崎照文の話中に登場するのみだ。白前は、側女の娘である浜路姫に深い愛情を注ぐ慈悲深い女性だが、義成の嫡妻というだけの登場人物だ。有り体に言えば、盧橘を側女として登場させるため嫡妻が必要になったから設定されただけだろう。馬琴としては、井直秀の親族に設定した盧橘こそ重要であって、白前は御座なりに付けた名としか思えない。白前は第七十二回でしか登場しない。盧橘も同回にしか登場しないが、百九回で白前に代わって、同じく弟橘姫義烈の余波と思しい嫡妻吾嬬前が登場した。馬琴にとって白前は、印象の薄い女性だったのだろう。存在自体を忘れちゃったのだ。
 且つ吾嬬前が「橘姫義烈の余波」であるなら、盧橘にこそ、白前に優越する重要性が与えられていることが明らかとなる。名詮自性の八犬伝世界に於いては、盧橘も「橘姫義烈の余波」であろう。そして橘姫義烈の余波であるからこそ、盧橘は鄙木と浜路姫を生む。鄙木/雛衣と前浜路が、夫もしくは許嫁を深く愛するがゆえ死に追い詰められていく。弟橘姫は、淡/安房の水門沖で入水した女性だ。夫/日本武尊が怒らせた海神を宥める為であった。夫を愛するがため死に追い遣られた弟橘姫義烈の余波が「盧橘」であり、其の二人の娘{の前身}は共に、夫もしくは許嫁を愛するが故、死に追い詰められていった。

 第百九回で【初めて】登場した吾嬬前は、浜路姫の「おん母君」であった。義成の夫人{おくがた}でもあった。側室であるようにも読めるが、第百八十回下に対する評答から、第百九回の段階で馬琴が、白前の存在を全く忘れ去っていたことが明らかなので、既に嫡室だけれども、後堂を支配する嫡室としてではなく、飽くまで浜路姫の母として、妙椿の暗躍に巻き込まれている。嫡室なら何度も取り替えがきくが、実母の予備はあり得ない。よって、理屈の上では、盧橘と吾嬬前は同一人物でなければならない。「作者暗記の失な連とも白の前ハ前君吾嬬の前ハ後君と見連ハさハかり疑ひなかるへし」。此は、いかにも苦しい言い訳だ。盧橘と吾嬬前は、同じく弟橘姫義烈の余波であり、{本質として}同一人物と見た方が良い。もし、白前と吾嬬前が姉妹となるならば、白前と盧橘は姉妹にならなければならない。しかし、第七十二回に、そんな記述はない。

 但し、盧橘が義成より二歳年上に設定されている点が、若干だけ気になる{盧橘は結城落城の嘉吉元年に当歳であった}。姐さん女房なんである。いやまぁ別に姐さん女房がイケナイなんて言う積もりはない。

 今でこそ偉そうなオッサンである筆者にも、何故だか少年期はあったのであって、十五六歳の頃、二歳年上の女性に強く惹かれた記憶もある。屈めば三段腹となっちまうポッチャリさんではあったが、褐色の滑らかな肌、ふっくりとした頬、いつも笑みを湛えているかの如き陽気な光を放つ烏眼がちの瞳、肉付きは良いが華奢な骨格、百五十二センチ許りのコンパクトな肢体、やや高く明るい声……、見た目は甚だ幼く絶対に同学年だと信じていたけれども或る日、三年生だと知って驚愕した。なるほど見た目は幼くとも、確かに、そこはかとなく甘えたくなるような雰囲気があり、今にして思えば其れこそ【可愛らしい母親】イメージを彼女は体現していたのかもしれない。母なる存在に惹かれつつも、暴君の側面をも有つ母親の実存から逃避したい気持ちもあり、暴君ではない母親を求めるココロが、「可愛い母親」を欲したのだ。
 簡単に言えば、ガキだから甘えたくもあり、ガキだから偉そうにしたくもあり、自分なりに攪拌して得た結論が、「可愛い母親」であったのだろう。可愛い母親とは、言い換えれば、母親よりも自分に親{ちか}い母親である。義母・叔母・従姉・姉・義姉だ。古今東西、弱年青少年のロマンと云えようか{但し現在では違法行為となる場合もあるから注意が必要だ}。

 いや、十五六歳で二歳年上とは十数パーセントの差に過ぎない。一歳時に里見家へと流れ着いた盧橘は、「有此而八九年を歴る程に為清の母は身まかりぬ。盧橘が孤なるを大殿(義実をいふ)特に憐み給ひて後堂にて養し給ひしに、はや年来になる随に容止の美しく心操も怜悧かりき。この義をもつて召使はゞしかるべきものならんとて、義成朝臣に賜りけり」。
 後堂とは奥すなわち君主の私的生活領域である。幼い頃は嫡男もヨチヨチ歩き回る。十歳あたりで盧橘は、里見家後堂に引き取られた。其処では小学一年生ぐらいの義成が走り回っていた。二つ年上の女の子にとって、可愛いケダモノである。其処等でゴロゴロしている伏姫さえ、盧橘にとっては一つ年下の美少女に過ぎない。怜悧/オシャマな盧橘なら、特に義成に対しては、お母さんぶったであろうか。実のところ臣下であるから盧橘は甘えを受け止める側、義成は我が儘を言う側……と、なり易かろう。盧橘は、義成にとって、甘えの対象/理想的な母である。
 幼児期の記憶は、後を引く。「容止の美しく」なった頃とは、やはり十六女/イロツキもしくは其の少し前辺りであろう。数えで十四歳、現在の十三歳辺りで義成は、二つ年上の美少女/盧橘を、【自分専属の女性】とされた。匂やかな中学三年生女子が、小学生気分の抜けぬ一年生男子のもとに降臨したのである{いやまぁ昔のヒトは精神的成長が早かったとも云うが、そうだとしても、せいぜい高校三年生女子と一年生男子への平行移動に過ぎないだろうから、両者の内熟度合い差は矢張り甚だ大きい}。
 そうこうするうち、安西景連が攻めてきた。色々あって伏姫と五十子が死んだ。まだ数えで十六歳の義成は、母と姉を、ほぼ同時に喪った。目の前には、盧橘だけがいた。包み込まれるしかない。
 八年後には五番目の娘となる浜路姫が生まれている。最短でも十カ月前に鄙木が生まれていた筈だ。勿論それ以前に、静峯・城之戸が生まれていた{母が白前だとは確定できない}。

 とにかく盧橘は、二歳年上であり血統が違うことから、義成の擬似的尊属/義母・叔母・従姉・義姉として設定されていると思しい。でもまぁ「義母・叔母・従姉・義姉」と云ったところで、イメージ上は【母より自分に近い母】であるから、【叔母】に集約されよう。姉は所詮、母の子だ。

 里見義成は【擬似的な叔母】と婚姻した。現在の晩婚実状からすれば、叔母が三十歳以上年嵩であることも当然視せねばなるまいが、二歳だけなら抑も「年上」との感覚も薄い。一年生と三年生との差に過ぎない。叔母でも全然オッケーだろう。
 自分を長らく世話してくれた叔母との婚姻……とくれば当然、日本人なら神武天皇を想起し奉らねばなるまい。国史/日本書紀に拠れば、彦波瀲武鵜葺草葺不合尊は玉依姫との間に神日本磐余彦尊/神武天皇を儲けた。実は彦波瀲武鵜葺草葺不合尊にとって、玉依姫は、母/豊玉姫の妹すなわち叔母であった。実は堪え性のない父が豊玉姫を怒らせてしまい、豊玉姫は実家の龍宮に帰ってしまっていたのだ。彦波瀲武鵜葺草葺不合尊は、幼い頃から面倒を見てくれた玉依姫と、何時の間にやら何だかイケナイ関係に陥っていたのだ。現行法では禁じられている。まぁ単に、特定の龍王と深い関係を結ぶことが、初代天皇の必要条件だったってだけだろうが。
 近親相姦ついでに道草を食えば、日本武尊は云う迄もなく景行天皇と播磨稲田大郎姫の息子だが、播磨稲田大郎姫は景行より五代前/孝霊天皇の孫だったりする。五代前と云えば殆ど【他人】だし其の孫だからって年上とは限らないが、イメージとしては叔母かもしれない{特に此の辺りの天皇は缺史八代も含むし額面通り実在していない可能性もあるので実際には叔母とか従姉妹であるかもしれない}。また、迂遠な事を云わずとも天照皇太神を祀る倭姫命は国史上、紛う方無き日本武尊の叔母である。倭姫命は東征に向かう日本武尊に神器/天叢雲剣を与えるほど、濃密な関係を結んでいた。父/景行天皇に疎外されたと思い込みニャァニャァ泣き付いてきた武尊を包み込み、且つ奮い立たせて送り出すパースペクティブ、国史上最高の「叔母」ではないか。元より武尊は、日本童男、一億人のペットなのだが、如斯く理想化された男と番{つが}う倭姫命も、実存というより、集団イメージとしての理想化された「叔母」であろう。神話上の英雄は、えてして幼稚な暴力性を有するので、愛人としては叔母あたりが相応かもしれない。馬琴んチも姐さん女房であった。

 本シリーズで縷々述べてきたように、八犬伝では母の二面性が大きな問題となっている。妙椿/玉面嬢は八房の乳母もしくは擬制母であるが、ならば八房の息子であり房八の息子である親兵衛は、妙椿の孫とならねばなるまい。妙椿と妙真は、母なる存在の善悪両面、例えば抑圧者と慈母という対照性を表している。伏姫の慈母であり犬士の祖母ともいえる五十子の名は、里見家と鋭く敵対する扇谷上杉定正の居城としても立ち現れる。
 馬琴にとって善悪は流動的なものであった。則ち馬琴の人間理解は、【混沌】だ。しかし商業的稗史叙述は善悪鮮明な方が解り易いため、技術上の必要から分離すべきであった。「古天地未剖、陰陽不分、渾沌如鷄子、溟A而含牙。及其清陽者、薄靡而爲天、重濁者、淹滯而爲地、精妙之合摶易、重濁之凝竭難」{日本書紀}である。物語の前提/スタート地点だ。

 斯くも八犬伝では【母】なる存在が重要なのだが、馬琴の脳内では、義成の妻となり浜路・鄙木の母となる女性は、とにかく「橘姫義烈の余波」でなければならなかった。嫡室か側女か、盧橘か吾嬬前か、なぞという微妙な点は、動もすれば取り違えてしまうほど、瑣末な事柄に過ぎなかった。
 抑も白前は出自さえ明らかにされていないが、盧橘は、結城合戦で足利春王・安王を奉じて戦った下河辺為清の娘であった。下河辺は、里見・大塚・井の三氏と轡を並べた戦友だ。白前の名称設定は、百を強く意識したものであり、五十子と対にするだけのものであった。
 結局、馬琴にとって、里見義成の妻として相応しい女性は、側女であれ嫡室であれ、弟橘姫の余波でなければならず、其れが故、第七十二回で嫡室であった白前が何時の間やら消え失せ、元は側女であった盧橘が、嫡室/吾嬬前として姿を現した。共に良人を愛するが故に死へと追い遣られた浜路・雛衣の後身である浜路姫・鄙木の母として設定された。
 満たされざる浜路・雛衣の婚姻が、満たされる形で成就することも、八犬伝の抜き難い重要テーマの一つであった。また、里見義実の安房入国、洲崎沖大海戦は、共に東京湾を横断する形で行われた。此の海域は、弟橘姫が入水した場所でもある。
 八犬伝終盤で最大のスペクタクル/洲崎沖大法会が行われた。百千万の光が西へと飛び去った。西方浄土か。しかし、光玉の一つは、先行する白鳥を追って行った……かもしれない。
 筆者は千九百九十八年十一月六日に「八犬伝の基層に横たわる白い影の正体を、今度こそ語ることが出来る……かもしれない」{「火にして水なる者}}と書いた。続く「日本ちゃちゃちゃっ」で白い影に、やや肉薄した。十二年近くを費やし、更に一歩近付いた、と信ずる。
 ただ、追い付いたところで、彼女のココロは武尊のものだ。満たされることはない。報われぬ追走を続ける筆者の、なんと滑稽なことか。{お粗末様}



   
   

  

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