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■虚実の交錯■

 筆者は以前から、信乃と馬琴の関係を論じてきた{「麗しき秋篠の人」など参照}。馬琴/真中家の出自を探求した玄同放言下集第十一地理「武蔵太田荘」に於いて、真中氏の祖先は井隼人/猪隼人となっている。真中氏と井氏は血縁関係にある。また、猪隼人は源頼政の家人で鵺退治にも関与したが、戦に敗れた主人の首級を持ち逃げした人物である。また、首級持ち逃げ伝説には下総住人・下河辺清恒を主人公とする系統もある。馬琴が祖先と目した猪/井直秀と下河辺清恒はダブる。信乃の母方の実家が井/猪家であったればこそ、国府台合戦に於いて霊猪六十五頭が信乃を助けにブヒブヒ現れたのだ。元より十二支に於いて、犬と猪は、お隣さん同士だ{「鵺の退治法教えます」参照}。

 復習しよう。八犬伝で井氏と下河辺氏は血縁関係にある。井直秀と下河辺為清は従兄弟同士であった。また、真中氏の祖先を猪/井隼人に比定した馬琴は、自分と井直秀を繋げようとしたと思しい。南関東大戦後、捕虜となった足利成氏を迎えに来た二人の頭人は、下河辺二郎行正と間中大内蔵直充であった。「間中」は真中であろう。真中家は馬琴の祖父の実家だ。既に馬琴の脳内設定では、真中/間中は井と血縁であるから、八犬伝に於いて実は下河辺・井/猪・間中/真中は親類同士なのだ{此を仮に「真中一族」とする}。よって真中一族は、手束と番作の婚姻により大塚/犬塚家と縁者となり、盧橘・義成の婚姻で里見家とも結び付く。則ち、信乃・浜路姫の婚姻により里見家と犬塚家が結ばれるが、両家を真ん中で繋いでいるのが、真中一族だ。

 八犬伝に登場する武蔵国郷士の大塚/犬塚家が、元は郷士だったという馬琴の血統を投影したものだとの論は以前からあった。要するに「郷士」繋がりが論拠であった。勿論、其れは其れで結構なのだが、筆者は更に一歩踏み込んで、井・下河辺・間中の真中一族こそ、馬琴が投影した自家イメージの中核であると考えてきたのである。浜路姫・信乃の婚姻により結果として大塚・犬塚家へも、馬琴の投影は広がるから、以前からの論を{結果として}否定する気はない。まぐれ当たりも、当たりのうちだ。

 八犬伝序盤、愛する良人を思い抜いた挙げ句、血の海に沈められた前浜路の一大悲劇は、愛する良人を思い抜いた挙げ句、淡/安房水門に沈められた弟橘姫義烈の余波であったと思しい。浜路が弟橘姫の余波ならば、其の良人である信乃は当然、日本武尊の余波でもある。水気の剣/天叢雲剣ならぬ村雨丸を携えている。

 桂窓の「八犬伝第九輯中帙 愚評」にある「村雨の太刀にハ落葉の太刀の反対あり」との評に対し馬琴は、「村雨落葉の事ハ付会の評也」と答えた。桂窓・黙老「八犬伝第九輯下帙中之中愚評」の「(小月形ノ刀ハコレ村雨丸ノ反対ナルヘシ月ニ雨ノトリアハセモ妙)」に対して馬琴は、「小月形ハ実村雨ハ虚也」と素っ気なく答えている。
 なるほど、落葉には、人を斬れば秋でもないのに辺りの木の葉が落ちる、との言い伝えがある。村雨は、振っただけで水がバシャバシャ迸り、篝火さえも消してしまう。小規模な火事なら、此れ一振で消し止める。一家に一台欲しいものだが、其れは措き、確かに、【常軌を逸した効果を見せる】点で、落葉・村雨は共通している。落葉は犬川家の名刀であり毛野父暗殺にも関わった。村雨は関東足利家の重宝であり信乃が携帯している。【対】として見たい気持ちは、解らぬでもない。八犬伝ファンは、とにかく出てくる物ども森羅万象、総てに馬琴の隠微が隠されているのではないかと鵜の目鷹の目、もしくは区々として読んでいるのだ{総ては思わせぶりな馬琴が悪い}。落葉ほど屹立したアイテムなら、何か深い意味が隠されているに違いないと、為にする議論に姦して我田引水、牽強付会のヲタク根性、丸出しで、取り敢えずカニカクと云ってみたいって気持ちも、解らぬでもない。
 しかし、落葉は村雨と対になる太刀ではない。人を斬っても周囲の葉は落ちなかったし{第七十九回}。抑も村雨なら消火器として実用できるが、葉が落ちたって何も得はない。ゲームのアイテムとしても役に立たない。意味がないのだ。
 ただ、人を斬るとき葉が落ちるとは則ち、扱う者の殺気が刃を通じて激しい波動となることを意味している、と理解すれば、名刀の資格は十分である。馬加郷武ごときの気では、葉が落ちなかっただけ、だとも読める。しかし犬士が揮っても、葉が落ちる描写はない。其れも其の筈、葉が落ちるなんてのが虚言だったのだ。落葉は実のところ当て字で、荘介の父/犬川則任が誤って切っ先部分を欠いたことに拠る。落刃を風流に言い換えた名称が落葉であろう。また、人を斬るとき秋でもないのに葉が落ちる、との表現は、言い換えると、秋でもないのに周囲を秋の状態にしてしまう、となる。秋は金気の季節であり、五常の義を配当する。義犬士/荘介は、秋の似合う男だ{いや別にフラレるのが似合うって意味では……}。せいぜい、其の程度の意味しか込められていまい。落葉は利剣ではあるが、【普通】の刀であって、村雨とは比較にならない。

 さて、里見家重代の名刀で親兵衛のものとなる小月形は「夜行に迷ぬ奇特あり」{第百六回}と、何だか微妙な特徴をもつ。夜道に迷わないとは、抑も何を意味しているのか。光るのか? しかし、そんな描写はない。伏姫授与の短刀と共に親兵衛が腰に帯びるが、だいたい親兵衛は仁犬士であり南関東大戦でも人を殺そうとはしない。小月形も帯びているだけで使わない。ただ苛子崎で海に落ちただけの「名刀」である{そういえば青海波も戦闘時に大穴に落ちただけの「名馬」であった}。
 いやまぁ京都での画虎退治に於いて、差し出された提灯を断り白川山へ独り向かった親兵衛は、真っ暗闇にも拘わらず談合谷へと迷わず進んだ。小月形の御蔭かとも思えるが、「黒白も別ぬ烏夜なれども、懐在る那仁字の霊玉は、車十五乗を照らすと聞えし唐山卞和が璧にも優れば、去向幾許り照すや非や、神の冥助に不知案内なる山路に入ても敢迷はず」{第百四十七回}とあって、どちらかと云えば仁玉の奇特が強調されている。

 評では小月形を村雨の「反対」と見て、月と雨の取り合わせが絶妙だと賞賛している。なるほど、雨の夜は風情豊かだ。雲の切れ間から月が見えれば秀逸である。花も欲しい。台湾偶像組合S.H.Eが歌う「我愛雨夜花」は名曲であるけれども、其れは措き、馬琴は小月形を実、村雨は虚だと答えた。即ち「反対」であることを認めている。

 刀を使おうとしない親兵衛がもつ小月形は、携えていれば夜道に迷わない奇特なアイテムだという。切れ味が良いとか消火器代わりになるとかではない。使わなくとも効果を発揮する。持っていれば良いのだ。しかし、犬士を導く者は伏姫であり霊玉であって、小月形を持たなくとも、夜道に迷うことはないだろう。小月形は、犬士にとって、何等有用な効果をもたらさない「名刀」である。
 しかし、「夜道に迷わない」を、より抽象的に受け取れば、何となく有り難い刀に思えてくる。夜とは、天に太陽がない状態を謂う。夜には、せいぜい月と星しかない。天に太陽がない状態/暗黒の乱世にあっても、人倫/道を踏み外さない心がけを生む、其れが月形の意味ではないか。天に太陽がない状態とは例えば、全国を実質的に統治する君主が不在であることを意味していよう。八犬伝の舞台になった時代も、そのような状態であった。
 月形は、二振一組の太刀である。大月形は前に「家督と共に昔年義成に譲与へたり」と義実が云っているから、里見家の【神器】に当たる。大名里見家当主の機能は、「籍曰、書足記姓名而已、剣一人敵不足学、学万人敵耳」{漢書巻第三十一陳勝項籍伝第一}ではないけれども、剣術刀法ではない。利剣を手にする必要はない。家督と共に与えられた神器/大月形は、暗黒の乱世にあっても集団を誤り無き方向へと導く心掛け、こそを象徴するものであったと思しい。

 ただ人倫を踏み外さないため持っているだけで良い小月形を「実」、信乃・道節が揮うことによって物語を大きく動かしていった村雨を「虚」だと、馬琴は云った。
 村雨は八犬伝に於いてこそ大きな「実」を挙げる霊剣であるが、八犬伝自体が「虚」であるから、「虚」たらざるを得ない。抑も振っただけで水がバシャバシャ噴き出す刀なんて、あり得ない。比熱の関係で周囲の大気から発生した滴が表面に浮くことはあろうが、篝火や雑草火災を消すほどの水量は期待できない。ブラックホール並の密度で固めた氷ならば振る度に十分な量の水を供給できるかもしれないが、重くて携帯不能だろう。何連にせよ、水がバシャバシャ迸る刀なんて、「虚」でしかない。そして「虚」が大活躍するからこその、虚の世界、其れが稗史である。

 村雨が「虚」であることは当然として、小月形が「実」とは何か。しかも、稗史用語として村雨の「反対」であるから、同じ範疇で対になっていなければならない。更に、「虚」と「実」と、対になる側面が確定しているから、共通する側面が外になければならない。
 八犬伝に於いて、刀が権限と共に授与される場合がある。南関東大戦で、犬士は刀を授けられ防禦使に任命された。各方面の軍事指揮権を委ねられたと見て良い。大月形は家督と共に里見義成へと与えられた。大月形は小月形と一対の太刀であるが、家督は大月形でのみ継承が可能であることが判る。しかも「大」「小」の差別がある。考えられることは、共に人倫/道を踏み外さないことを象徴する太刀であるが、大月形が家督/最高度の里見家支配権を表現するならば、小月形は副次的支配権もしくは筆頭補弼権を意味していないか。此処で謂う「副次的支配権」とは例えば、家督を譲った後に里見義実が周囲から認められていたであろう、隠居/大御所として里見家を指導する権能である。義実は、大月形を義成に譲った後にも、小月は保持していた。
 実際には義実が隠居後にシャシャリ出て、云々することはない。義成の相談相手に徹している。後に犬士たちは、里見家外戚/一門として領地石高こそ倍するものの、家老/内政執行官にはならない。ただ最大の藩塀として安房を固める{というか安房九万石を各犬士が里見家と等分する}。
 ただ南関東大戦の例からして、有事再来すれば犬士が四家老に優越して各方面の指揮権を委ねられるだろう。領有石高は、少なくとも近世では、軍事動員義務と比例する。家老は参謀あたりの格だ{参謀総長は毛野}。
 里見家支配の正当性を象徴する大月形に、小月形は準ずる。里見家の家督/現実の最高支配権とパラレルに存在する副次的な支配権を象徴していると思しい。親兵衛にのみ与えられる理由は単に、其の時点で親兵衛しか里見家に見参していなかった点に求められよう。初出の犬士/信乃には、犬士たる要素が過剰なほど盛り込まれ詳細に亘って語られた。信乃が、伏姫・金碗大輔の満たされざる婚姻を表現するための重要犬士であったことも影響しているが、何と云っても生い立ち描写が詳しいため、読者の感情移入も激しくなる。信乃は特権的な犬士である。対する親兵衛も、幼かったため独り富山で伏姫に養育されたり、玉面嬢妙椿と戦ったり、京都で画虎を退治したり、と犬士を代表して行動する場合がある。親兵衛に与えられた「副次的支配権」は他犬士にも平等に与えられるが、煩雑を避けるため、親兵衛が独り代表して刀を授かったのであろう。

 村雨も何等かの権限を象徴していることになる。云う迄もなく、関東足利家の継承権だろう。勿論、信乃には継承権がない。信乃は番作を通じ、関東足利家再興の折には継承者へ献上することを条件に、村雨を渡されたのみである。実際に関東足利家を継承した者は、足利成氏であった。信乃は村雨を献上しようとするが、蟇六の奸計に陥り、村雨を奪われてしまった。村雨は網干左母次郎の手に渡り、浜路を切り苛んで殺した。浜路の兄/道節が左母次郎を殺して村雨を奪った。其の後、信乃の手に戻る。南関東大戦後、漸く信乃は村雨を関東足利家の継承者/成氏に献上した。
 結城合戦で関東足利家が滅んでいれば、継承権も糞もない。村雨は大塚/犬塚家の所有に帰して良い。しかし信濃に隠れていた成氏が室町幕府の裁許を得て、関東足利家を再興した。犬塚家にも事情があって遅れ馳せとなったが、信乃が許我に赴き村雨を献上しようとした。が、偽物と擦り替えられていた。此の事件を、蟇六の奸計もしくは信乃の不幸としてのみ認知すれば、何の事やらワケが解らなくなる。
 八犬伝では何かが「盗まれた」場合、当事者の都合だけで事件が起こったとは限らないのだ。凶暴悍馬/青海波も赤鬼四郎もオメオメ盗まれた。しかし此等の事件は、厩番が油断していただけでなく目奴九郎の術が優れていたのでもなく、鬼四郎が夫婦喧嘩していたからでなく媼内が抜け目なかったわけでもなく、偏に伏姫神霊もしくは役行者の都合で起こった事件であった。ならば、長きに亘り油断しなかった信乃が意外なことに最後の最後で迂闊にも盗まれた不幸の背後にも、伏姫神霊もしくは役行者の影がチラつく。だいたい信乃がスンナリ関東足利家に仕官しちゃえば、八犬伝が続かない。
 成氏にもチャンスはあった。信乃の言を信じ、大塚蟇六家を捜索すれば……、まぁ既に道節の手に渡っていたけれども、犬山道節と名乗る男が村雨で扇谷上杉定正の影武者を斬った事件に行き着いたかもしれない。村雨を手に入れる手掛かりを掴めたことだろう。
しかし、成氏は信乃の言葉を丸っきり信じなかった。信乃という玉を手に入れ損ねたばかりではなく、現八さえも喪った。信乃なら智勇兼備の一武将として関東足利家を盛り立てたであろうし、オマケに夜の御愉しみまで付くかもしれない。
 有り体に言えば、村雨に象徴された「継承権」とは【継承の正当性】でもある。継承する正当性を有することが「継承権」だ。しかも村雨は、皇位継承に関わる天叢雲剣や龍王剣をモデルにしていると思しい。本来なら、龍に愛された里見家にこそ相応しい。

 元より関東足利家ほど巨大で格式の高い名家を継承するには、其れなりの【器量】が必要だ。暗黒の乱世を道を踏み外さずに進む智恵と倫理観も必要だろう。暗愚な成氏には、何連もなかった。此の欠格状態を顕したのが、成氏が信乃を疑うことで起こった芳流閣事件であったのだ。信乃の優れた人間性を見抜き信じ抜く、洞察力と器量があれば、事件は起こらなかった。言い換えれば、信乃を得ること其のものが関東足利家継承正当性の試金石となっていた。
 成氏は、南関東大戦後、信乃に村雨を渡された。しかし、成氏が関東足利家継承の正当性を獲得したわけではない。信乃の誠実さを証するための形式的な場面であった。成氏は八犬伝の中で持ち前の暗愚を目一杯表現している。既に村雨から「継承の正当性」を示す意味は抜かれている。だからこそ成氏は一旦、村雨を信乃に与えようとさえする。信乃に反論されて漸く、【形式的】に受け取る。次いで信乃/義士が、成氏/暗愚の君との絶縁を宣言する。本来ならば支配者/龍は関東足利家であったのだが、本質的支配正当性/信乃は、里見家を選んだ。形式上の支配正当性は、世襲により足利成氏に認められていたのだが、現実にも其れは広く肯定されることなく、形式上の支配正当性と本質的支配正当性の乖離が、関東を修羅の地獄に叩き込んだ。

 本来なら名家を継承する資格のない成氏が、継承してしまっている現実を、此の場面は強調する。又、同時に、本来なら里見家の支配正当性を象徴すべき龍王剣/村雨が、里見家ではなく関東足利家に伝わっている時点で、「天なり命なり」の達観を引き出す。しかも村雨により支配正当性を表現すべき関東足利家が、何故だか暗愚の御手本みたいな成氏に継承されている。現実に支配する権力の【虚ろ】さを、村雨は暗に語っている。

 実虚反対する小月形と村雨。前者は、暗黒の乱世でも迷わぬ心を象徴し、其の心を実践する犬士の手に握られた、実際にありそうな平凡な刀であった。後者は、関東足利家継承の正当性を象徴し水気を発する虚構の剣、しかも最後には足利成氏の虚ろな継承正当性を示すものとなった宝刀であった。元より稗史は虚の世界。虚実反対の太刀が表すは、何連が真{まこと}に、虚か実か。{お粗末様}


 

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