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■一冊で三度楽しい■

 仕官の懸かった剣術試合に故意と負けることは別に珍しいことではない。例えば、梅野下風らの彦山権現誓助剣や近松半二の伊賀越道中双六なんかでも採用されている。彦山権現誓助剣では腕の立つ百姓/六助が、仕官して母に孝養を尽くしたいから試合に勝たせてくれと頼む京極内匠{実は悪玉}に、負けてやる。伊賀越道中双六では、唐木政右衛門が義理の兄であり弟{妹と姉二人と婚姻}の和田志津馬の仇討ちに助太刀するため浪人の道を選ぶ。故意と仕官の懸かった試合に負ける{が事情は主催者の大名にバレている}。とにかく腕が立って義に厚い主人公系の善玉が、時々試合に故意と負けている。同時に試合相手の卑劣さや悪辣さを表現している。馬琴の小説比翼文でも、平井右内の義と、本所助太夫の卑劣さを同時に示すエピソードとして書かれている。しかし一方、同じく馬琴の六冊懸徳用草紙では、一捻りして、負けてやった方は義人だが、勝たせてもらった方は卑劣かもしれないけれども、必ずしも悪人ではないよう描かれている。ってぇか、途中は卑劣で狭量な人間として描かれているのだが、最後に人の親として已むなくエゴに走ったキャラクターとして、エクスキューズが添えられている。自らの実践してきた卑劣さ弱さを、三文小説やテレビ番組のストーリーに照らして、自ら許し卑劣な儘で善しとする、思想や宗教のバックボーンを抜き取られた現代人には、甚だ理解し易い作品となっている。いじめや富裕層の独りよがりが蔓延する現代ほど、八犬伝のように良質なジュブネイルが必要な時代もないだろう。

 六冊懸徳用草紙を読む。黄表紙/草双紙である。一般的な形式/五丁三冊であるが、【一冊で二度楽しい】を標榜しているから、倍の五丁六冊分だということで、「六冊懸徳用草紙」だ。此は全き事実であって、反論の余地は無い。
 何のことはない、上段は「五大力」と銘打ったシリアス・ストーリー、下段は「切落話」即ち互いに無関係な小咄の羅列となっている。よって実際に上下分割の二冊分なんである。「六冊懸徳用草紙」の標題は、伊達ではない。

 但し、注意を要すべきは、小咄同士は互いに無関係であるものの、それぞれは「五大力」各場面に対応している点である。上段で若い男女が恋仲になれば、下段で恋とかいっても根底に存するは性愛であるとの穿ちを語る、といった塩梅だ。上段のシリアス・ストーリーは一見、破綻なく流れているが、場面々々で一々立ち止まり、少しくズラした穿ちで、上段の大真面目な登場人物の抱く価値観を揶揄している。上段のシリアス・ストーリーが冗談としか思えなくなる。意地悪な茶化しと云える。馬琴は冒頭で、上段を読み終えてから下段に目を通すよう求めている。完全に世界を分断してこそ、二作分/六冊分だ。しかし人間、忘れろと云われたら却って執拗に憶えている動物だったりして、如何したって上下を関連づけてしまう。しかも下段小咄は、真上のシリアス・ストーリーに対応しているのだから、切り離せと云う方が無理だ。結果として、上下段が複合した【第三の作品】が浮かび上がってくる。上段を終え、下段を読み始めた時点で、【複合】が開始される。二作分六冊とは、上段の「五大力」物語そのものと、其れを悪茶化したモノと受け取っても可だろう。結局、二作分/六冊分乃至三作分/九冊分の内容を包含していることになる{→▼「六冊懸徳用草紙」要約}。
 此処では、上下段の複合により、如何な読みが可能であるか、やや意地悪い視点で試みる。まず、馬琴の要請に従って、上段「五大力」を掻い摘み紹介する。

 とある翻刻に拠ると、時代設定は「むかし足利家大尉たりしとき」だ。「大尉」は武官の四等官で三等階層である。従六位上相当官だから、八犬士ぐらいのものだ。犬士は六位でも昇殿を許されたので、特殊である。ちょっと通らない。「太尉」なら、まだしもだ。太尉は中国の軍部大臣である。やや無理があるけれども、征夷大将軍に当てたものと受け取れる。けれども本来、征夷大将軍は令外官であり、それだけだと実は余り偉くない。最強の武将としての認定だ。律令官制は、あくまで文官中心である。軍部大臣は、兵部卿だ。一方、武官の最高職は右近衛大将だったりする。だから鎌倉幕府とか室町幕府そして江戸幕府の将軍は、内大臣とか右大臣とかに任官して身分の高さを確保し、其の上で征夷大将軍の宣下を受ける。ところで、状態が悪く判読し難いものではあるけれども原本を見れば、なるほど「大尉」にも見えるが「大樹」にも見える。大樹とは、謙虚な将軍のことも指すが、日本に於いて征夷大将軍を意味する場合もある。また大尉/太尉は単なる官名であるが、「大樹」とすれば、末期となり有名無実化した室町将軍ではなく、まだ勢いが盛んだった頃の足利家をイメージできる。まぁ何連にせよ室町時代には違いない。閑話休題。

 まず、上段「五大力」物語の概略を掲げる。

     ◆
室町期、鎌倉に勝間源五兵衞という郷士が剣術を教えて暮らしを立てていた。先祖は鎌倉の管領/足利基氏の執権/畠山入道道誉の老臣、勝間将監であった。将監の弟の子孫/笹野三五兵衞も郷士として、剣術を教えている{場面A}。源五兵衞の母が病に伏せたとき、三五兵衞は伜の数馬を遣わし介抱の手伝いをさせ、時々金を贈る{場面C}。数馬と源五兵衞の妹/八ツ橋は、いつしか良い仲になる。源五兵衞の母は快方に向かい、数馬は家に帰る。関東管領上杉家は、源五兵衞と三五兵衞を試合させ勝った方を召し抱えることにする。三五兵衞は源五兵衞に、負けてくれるよう頼む。源五兵衞は明確な返事をしないが、心の中では負けてやるつもり。母の介抱に力を添えてくれた恩を返そうと考えている{場面D}。朽ちたアカザで木刀を作り試合に臨む。そもそもアカザは草なので、仙人の杖ぐらいにはなるかもしれないが、「木刀」としては心許ない。しかも、故意と「朽ちた」あかざを使っている。試合でバラバラになったため、源五兵衞は自ら負けと判定し、其の場を立ち去る{場面E}。
源五兵衛は母たちと酒を酌み交わし、憂さを晴らす{場面F}。試合に負けた源五兵衞であったが、此処で立場が逆転する。なんと云っても、大口の仕官であったから、少なくとも源五兵衞からすれば、三五兵衞に恩を売ったつもりになる。勿論、初めから恩着せがましい態度に出たわけではない。仕官した三五兵衞が富を独占し源五兵衞一家を無視するようになったからこそ、腹を立て、仕官の恩を持ち出したのだ。売り言葉に買い言葉、ではないが、三五兵衞の不義理が源五兵衞の態度を硬化させた。三五兵衛の祝宴に招かれたものの、源五兵衛は行かず、八ツ橋だけを遣いに出した。八ツ橋は数馬と再会、祝宴では三五兵衛に所望され三味線を弾き、愛の歌を交わす{場面I}。
母は八ツ橋に、三五兵衛は見下げ果てた心底なので、数馬との縁組みは諦めろと諭す{場面J}。元々妹/八ツ橋と三五兵衞の息子/数馬の仲を察していた源五兵衞は、人を立てて縁談を申し入れる{場面K}。源五兵衛の門人瀧山勘介は三五兵衛に、数馬と八ツ橋は既に深い仲だから、縁組みを許してほしいと願う{場面L}。しかし却って、離別状を添えて数馬と八ツ橋が交わした愛の起請文を突き返された。源五兵衞は激昂するも、予め誂えていた花嫁衣装を着せて八ツ橋を三五兵衞宅へ連れて行く{場面M}。三五兵衞は拒絶、奥へ籠もって出て来なくなる。堪りかねた源五兵衞は、刀を抜いて奥へと進もうとする。三五兵衞の弟子四人が一斉に立ち向かってくる。源五兵衛は瞬時に切り伏せる{場面N}。源五兵衞は、八ツ橋を刺し殺す。三五兵衞に向かって、母に力を添えた恩のため暫く命を助けておいてやると言い放ち、立ち去る。三五兵衞が飛び出し、倒れた八ツ橋を抱き上げ、語り掛ける。三五兵衞も数馬と八ツ橋の仲は知っていた。しかし占いによれば、二人が結ばれると二人とも剣難のため死ぬ、別れると何連か一人のみが死ぬ、已むなく源五兵衞と疎遠となり二人の仲を裂いたのだ、と打ち明ける{場面O}。
源五兵衞家は呪われていた。源五兵衞の先祖/将監は、矢口の渡に於ける新田義興暗殺に関わっていたのだ。将監自身は、暗殺に反対していた。ただ事件後、義興の差料であった名刀/五大力を手に入れた。種々の祟りがあるので手放したが、源五兵衞が取り戻した{場面B}。源五兵衛宅では器物が勝手に動き出すポルターガイスト現象が頻発する。源五兵衛は、無視する{場面G}。義興の亡霊が現れ五大力を返すよう求めたが、源五兵衞は拒んだ{場面H}。其れ故に、妹/八ツ橋の悲劇を引き寄せたのだ。
三五兵衞によって別荘に押し籠められていた数馬は、八ツ橋の横死を報される。絶望に落ち込み、八ツ橋の菩提を弔うよう三五兵衛に願う。藤沢上人が、「五大力」を解字する。「是五大力、一ヲ除き土ヲ添レバ五人切と為り更に四ノ口ヲ点スレハ、終に吾哭げき加ふ、因果始めて休んで、二ノ口ヲ加ルノ日、忽ち来ル吾賀び」{場面P}。源五兵衞が義人であるとの評判が立ち、大名たちは競って召し抱えようとする。源五兵衞は仕官こそ断るが、各家の指南は引き受け、謝礼で豊かになる{場面Q}。
     ◆

 次に「五大力」物語と、下段小咄との対応関係を考える。

【場面A】
(下段)切落はなしの上の巻
 四五人集まり、去年、「嵯峨の釈迦の開帳」は豪勢に繁盛したが、開帳の年は、とんでもなく暑くなるけれども、如何したわけか。「しつたふう」は「釈迦は天竺の人だ、天竺は熱国だからお釈迦がござると暑ひのさ」「いぜんの男 ハテナ暑いことは熱国といふが、そして寒い国は何といふ」「しつたふう 寒い国は寒国さ」「ひとりの男 ひやつこいのは」「しつたふう 冷国といふは。ソレれいとは冷るとかくじやアねへか」「一人の男 待つせへよ。冷国が冷るのなら、その国の人は冬もふんどしなしたらう」

 難解な落ちの笑話だ。冷温の国なら冬場、褌どころか虎のパンツでも穿かねば間に合うまい。因みに筆者は学生時分から老齢の現在に至るまで、トランクスだ。其れは措き、冷温の国で冬に褌さえ穿かないとは、常識による推論の逆である。「常識による推論の逆」の展開、ギャップこそギャグであり、笑いの源泉だ。故にギャグとしての要件を満たしてはいるものの、だからと云って、其処へと繋がる論理の必然がなければならない。
 京都嵯峨・五台山清涼寺釈迦如来の出開帳は江戸で大人気だったわけだが、其の年は決まって暑い、と設定している。理由を考え合ううち、知ったかぶりの者が、釈迦は天竺国の人であり、天竺は暑い熱国だから、釈迦が来ると暑くなる、と断定する。有り得ないが、暑い国の人が来れば暑くなる、との法則が定義される。此の定義には可能性として、暑い人たちで構成するから暑い国となる、との論理が内包され得る。ゴータマさんを発熱機扱いしているのだ。ならば冷温の国は、冷温の人達が集まって構成しているからこそ、冷温なのである。冷温の人に褌を穿かせて温めることは、冷温人の生き方に反するであろう。あくまで冷温人は、冷温のままに置かねばならない。冬でも褌を剥ぎ取り冷温のまま置かねばならない。いやさ、冷温人には冷温こそが心地よい。だからこそ冷温の国に住んでいるのだ。暑がりでなければならない。冬でも褌を自ら剥ぎ取りフリフリになるこそ、冷温人なのだ。勿論、此の論理が誤りであろう事は、常識を以て類推できる。しかし、「暑い国で生まれ育った釈迦が来れば江戸も暑くなる」との論理を何となく読み飛ばすことにより黙認すれば、裏返した「冷温の国で生まれ育った人が来れば冷温になる」との規定を受け容れねばならぬ。冷温な国に生まれ育ったから、肉体そのものが冷温であり、冷温な場所でしか生きられない。人は土地柄に適応するし、適応しているからこそ其処に住み続けている。冷温に適応しているということは、極端な迄に暑がりであるとも想定し得る。実のところは冷温も高温も好きな人間だっているかもしれないのだが、単純な直線的思考を採れば、冷温が好きなら高温は嫌いに違いない、と思い込みがちなんである。
 結局、此の笑話は、「知ったかぶり」がテキトーな定義「暑い国の釈迦が来たから暑い」を断定したことに対し、其れを裏返して提示することで、間違いだと喝破している。「知ったかぶり」への揶揄が、笑い所だ。
 さて、問題は、何故に馬琴が此の笑話を、五大力を巡る物語冒頭部分に対置したかだ。単に「開帳」を、物語の「開幕」に対応させたと見ても可であろう。ただ笑話は、暑い国の人だから発熱するとか、時空を超えた釈迦の状態に対する「知ったかぶり」を揶揄している。五大力を巡る物語冒頭は、主人公である勝間源五兵衞の来歴を語っている。ならば下段笑話は物語冒頭に向かって、「講釈師、見てきたような嘘を言い」との揶揄を叩き付けているように思えてくる。系図とか由緒書、寺社縁起なんてものは、だいたいが言いたい放題、必ずしも同時代の複数史料に裏打ちされているものではない。尤もらしく、若しくは鹿爪らしく語られる勝間源五兵衞の来歴も、確実なものか分かったものではない。即ち馬琴は、自ら語った物語冒頭を、疑うように茶化している、と此処では読んでおく。

【場面B】
 ある浪人が寺へ碁を打ちに通っていた。段々取り入って、主取をして「一廉の知行にありつきます」と云って、支度に金が必要なので四五両拝借したいと申し込む。担保として「拙者が家重代の刀、正宗」を預けようとする。「武士の魂を預けおく上は少しも相違なしといふに」「和尚 かふりをふり、いや/\それを預かつては金をかすことはさておゐて、そつちから三百疋もとらねばなりませぬ」「らう人 それはまた何故でござる」「和尚 寺で魂をあづかると法事料がいります」

 勝間源五兵衞は、衣裳や雑具、恐らくは鎌倉管領「足利基氏」の執権「畠山入道道誉」の老臣「勝間将監」の子孫として受け継いだ価値ある物どもを売り払って得た五百両で、寺から五大力の名刀を買い戻した。本文では、寺の住持は口で渋りながらも、五百両の臨時収入を密かに喜んでいる。僧侶の俗物ぶりが強調されている。そもそも五大力が寺に奉納された理由は、祟りを為すので仏法の力で封じ込めることを期待した点にあろう。ならば本来、買い戻そうとする源五兵衞の申し出に、住持は全力で抵抗せねばならない。僧侶は、仏法による平安こそを追求すべき者だからだ。高僧ならば源五兵衞を諭し、徳を以て説得していたことだろう。其れは其れで物語として成立するが、話が断絶してしまう。住持が俗物らしさを見せ、五大力を源五兵衞に渡してしまうからこそ、八ツ橋の悲劇が生起するのだし、物語に一種のリアリティーを与える。善良な高僧なんて、庶民にとっては其れだけで嘘っぽい、若しくは、俗世に塗れた自分からは想像を絶するほど善良な存在であるが故に虚構だと思いたい心性が働くものだ。人は、思いたいように思う。高僧の善良な事跡より、其の高僧が実は俗物であったと暴露される方を、昏く卑しく悦ぶ。俗なる自分が、必ずしも特別な悪ではないと思い込みたがる。善良とされる者を、自分の地平にまで引き摺り降ろしたがる。何故ならば当然、心の底では善良なる者にこそ価値を認めているからだ。そうでなければ善良な者と出会っても、無視すれば良いだけの話である。価値を認めつつ、己に其の価値が無いことを自覚するが故に、価値ある者が眼前に実在することには耐えられない。極めて幼稚な心性であり、恐らくは幼稚なままでいるよう、メディアを動員して善良なる者の価値を貶めようとしてきた結果が現状なのであるが、其れは措き、とにかく、馬琴も其処等辺の呼吸を解っていて、住持の俗物ぶりを強調して見せた。【読者が信じ込みたがるレベルのリアリティー】を与えるためでもあろう。そもそも「リアリティー」とは実際に現象した事実を羅列すれば良いというものではない。人間の認知が培ってきた共通認識の範疇で、あり得べき事象の順列を提示するものに過ぎない。聖人君子なんて此の世に存在していて欲しくないからこそ人は、聖人君子なんて存在しないと信じ込んでいるし、真の聖人君子はヒケラかさないから顕れないため、聖人君子然とした者は概ね偽善者であろうけれども、事実は小説より奇なり、聖人君子が実際に存在していても驚くべきではない。
 そして下段笑話は、僧侶の俗物振りを強調して余りある。浪人も、清純ではない。どうやら初めから、纏まった金を寺から引き出すため住持と親しくなったような書きぶりだ。初対面で借金の申し入れは難しい。親しくなったところで、四・五両を無心する。担保とした「正宗」の真贋だって、判ったものではない。「仕官」の話も地の文ではなく、浪人の話中だけで語られる。よって浪人が語る、仕官の支度として金が入用だとの尤もらしい理由さえ、疑って掛かるべきなのだ。対して僧侶は、武士の魂を預かるなら、三百疋/銭三貫文/金三分が必要だと惚ける。何故なら既に当時の寺は、魂を預かる/埋葬して弔うことを生業にしていたからだ。名刹なら多くの寺領が与えられたが、都市にある凡百の寺にとって、所謂「葬式仏教」が生きる道であった。相手によって相場は変わるが、それでも浪人なら「三百疋」という「相場」が決まっている、【商業活動】なのである。浪人もシタタカといえるが、僧侶の俗物ぶりが一枚上手であった。
此の小咄は、「五大力」本文を更に強調しているが、笑話にするため過度なディフォルメを施すことで「リアリティー」を自ら破壊している。

【場面C】
(下段)むすめ
 「母親久しくぶら/\と患ひてゐれど、もとよりまわらぬ身代なれば年長た娘を毎朝薬取にやりしに、それからだん/\のうらくになつて、とう/\おなかゞ大きくなり二タ月三月は袖袂で隠せしかども、もはや五月からは隠し難く、これは毎日大飯をくつて腹の張たようにみせるがよいと娘三度の飯を八九杯づゝしてやるゆへ、おふくろ気の毒に思ひ、はゝおや 此子はばからしい、こなたの腹には宿無しても居るそうだ。むすめ 宿無しはいねえがの。ははおや そして何がいるのだ。むすめ てゝなし子がたつたひとり」。

 病を得た源五兵衞の母を介抱するため、笹野三五兵衞は息子の数馬を手伝いに遣わし折々金を贈った。源五兵衞宅に立ち入った数馬は、八ツ橋と深い仲になる。年頃の男女が一つ屋根の下で顔を突き合わせているのだから、そういうこともあろう。箱入り娘/八ツ橋にとって、母の病は、貴重な出会いの時を与えてくれたのだ。
 下段笑話は逆に、病を得た母の薬を毎朝、箱入り娘が取りに行く。豊かではないのだから、物見遊山などには出歩けない。確 固たる正当な事由がなければ、外出できない。母の薬を取りに行くという大義名分の下、娘は出歩き男をつくった。妊娠に至るが、父親が判然としない。少なくとも認知されていない。複数の男と交渉したようだ。年頃の娘を放置すれば乱れたことをするに決まっている、ぐらいの邪視とも思えるが、あながち由なきことではなかろう。笑話そのものとして惚けた味わいの秀作だが、明らかに五大力物語の八ツ橋を揶揄している。思い詰めた愛だとか純愛だとか云ってみたところで、「好色」であるには違いない。一見すれば価値のありそうな愛とやらも、斜めから見れば価値を剥奪できるのだ。此の【価値の剥奪】も「ギャップ」を産み出すものであり、笑話の常套である。即ち、下段笑話は、五大力物語に登場する愛の権化/八ツ橋を、俗な地平に引き摺り降ろして価値を剥奪する機能を担っている。

【場面D】
(下段)いろおとこ
 色男が或る娘を見初め、「とう/\手に入て互に深きなかとなりしが、所詮此世では添れぬ二人が仲なれば駈落して心中とでかけんと、ある夜しめし合せ、その支度をしたりしが、むすめ お前これまで言交したことを忘れはしなさるめへね。いろ男 そりやア言ずとしれたことさ。むすめ ふたりが最期はひぢが原、未来は一つ蓮じやぞ。いろ男 そりやアいわずとしれたことさ。むすめ しかしお前、私を騙して売てしもふこゝろじやアねへかへ。いろ男 そりやアいわずとしれた事だ」。

 此の笑話の趣旨は、ありがちな部類ではあるが、「云わぬが華」である。「云わぬが華」である本音/拐かした箱入り娘を苦界に売る、を口に出した迄の話だ。常識からすれば決して口に出さない邪な本音なのに、会話の流れの中で、「いわずとしれた事」と、つい口から出してしまう滑稽。云うに落ちず、語るに落ちた。
 五大力物語では、試合に負けるよう頼んできた三五兵衞に対し、源五兵衞は負ける覚悟を固めつつ、承諾を明言しない。以心伝心、源五兵衞にしてみれば、故意と負けるとは云いにくいけれども、真意が伝わったと思い込んでいる。「云わぬが華」である。しかし小説比翼文でも、同様の状況で、明言しなかったことから諍いが深刻化する。源五兵衞は何も明言しなかったのだから、三五兵衞を拘束するものは何もない。形式上は、約束の埒外で源五兵衞が勝手に真意が伝わったと思い込み勝手に負けただけのことだ。源五兵衞の言動は、武士らしい奥ゆかしさを表現しているものの、斜めから見れば、色男に騙される箱入り娘と同然に、誤解の上で恰好をつけているだけでもある。

【場面E】
(下段)けんじゆつ
 呉服屋の若い者が剣術の弟子入り。「師匠まづ流儀の型を使ひ分てみせ、これは表、これは裏、此てが冴れば大げさに斬申すと教ゆれば、ごふくや いかに私商売が呉服屋でも裏の表の大袈裟のとはおなぶりと存じますといふ。しせう 壁に指さし、あの通といふを、ごふくや よく/\みれば貼札を出してけんじゆつ掛値なし」。

 剣術の師範も、弟子入りした呉服屋の若い者も、大真面目だ。師匠は常時と同じ術語を使って説明する。若い者は、自分が呉服屋勤めなので師匠が故意と呉服屋で使う語彙を用いていると疑う。無知ゆえの勘違いである。師匠は、術語が常日頃使っているものであることを証明するため、張り紙を指し示した。若い者は漸く、師匠の言葉が悪巫山戯ではなく真性のものだと得心し、「けんじゆつ掛値なし{現銀掛け値なし}」と認める。全く別の分野であるのに、共通する用語のみ取り上げ最後まで押し通す。其処に笑いが生じる。明らかなギャップを無視して話を進めている。
 五大力物語の方は、剣術試合で源五兵衞が故意と負ける場面。源五兵衞と三五兵衞が仲違いする分岐点だ。武家社会に於いて、神聖視されていたと云ってよいほど尊重された剣術だし、物語では関東管領上杉家への仕官が懸かっている。
 笑話では、神聖視されていた剣術を、呉服屋商売に重ねて押し切った。しかも呉服屋商売は、「掛け値なし」の「正札」商売だ。五大力物語の剣術試合は、源五兵衞による八百長試合である。濃厚な義理人情、思い入れタップリの源五兵衞ではあるけれども、所詮は八百長試合に過ぎない、とも云える。義理人情を引っくるめた総体としての真実と、「掛け値なし」で表される客観的事実を、並べて提示する馬琴の表情は、余りに意地悪だ。しかし其の意地悪な提示に、読者は、やや昏い笑いで応えることだろう。

【場面F】
(下段)切通咄の中のまき
ものわすれ
 物覚えの悪い男が使いに行き、宛名を忘れ困っていると、向こうから婆が来る。「つかい もし/\わしがゆく所はどつちでござります。ばあさま こなたのゆくところが知るくらゐならわしもまごついてはいませぬ。つかい そんならお前も行先がしれませぬか。そしてお前はどふなさるつもりでございります。ばあ様 わしはこれから占を置いてみます」。

 自ら覚悟した八百長とはいえ、公然の場で敗れた源五兵衞は屈託する。酒で憂さを紛らわせる。則ち、憂さを忘れようとする。そして下段笑話の「ものわすれ」に繋がる。行き先を忘れるほどの粗忽者は多くないと信じたいが、そんな二人が街中で出くわした。しかも一人は、迷信深いことが御約束の老婆だ。老婆は占いで、自分の行き先を知ろうとする。行き先は占いではなく、記憶の裡にしかない筈だ。読者は、老婆の愚かさを笑い飛ばす。占いなぞで、真実が解ろう筈がないからだ。そして「占い」が後に、五大力物語でも大きな意味をもってくる。伏線である。

【場面G】
(下段)ばけ物屋敷
「ある日中つ腹な男、ばけ物屋敷へゆきて見届んと酒肴をとゝのへ宵から一人酒を飲で楽んでいると、ほどなく八ツの鐘がごん/\となるや否、そばなる戸障子畳はいふに及ず、行灯鍋釜箱小鉢にいたるまで残らずおどり出し、いろ/\の所作事をする。これは珍しい竹田機関をみた、なんでも夜が明たら此古どうぐをもつて帰り、両国のみせ物にだして金儲けをせんと、よの明るのを待つほどに、いつしか東がしら/\としらみて、見れば入り口に札を下て、御手つけ、三日ぎり」。

 子は怪力乱神を語らず。しかし一般に、人々は怪力乱神が大好きだ。稗史なんて、怪力乱神の宝庫である。五大力物語の源五兵衞は、義理人情に篤いものの、化け物なんて無視する。武人だから、武力で何でも解決できると思っているのかもしれない。源五兵衞が無視するからか、化け物は騒がなくなる。ちなみに化け物たちが騒いだ理由は、源五兵衞を恐れさせ五大力の名刀を手放すよう新田義興の亡霊が仕向けたことに求められよう。効果がないので、諦めたのだ。
 下段笑話は、源五兵衞と同じく化け物を恐れない男の話だ。しかし剛胆に化け物を圧倒する気力を見せたものの、実は何者かの掌上に在る。落ちは「御手つけ、三日ぎり」だ。古道具/化け物を見世物にして金儲けしようと考えた男に対し、古道具/化け物を売ってやると申し出ているのだ。手付けは、売り払い契約の仮スタートである。則ち、古道具/化け物を売る立場にある者が存在する。古道具/化け物を、売ったり貸したり出来るほど支配している黒幕が存在するのだ。即ち笑話は、五大力物語でも、小物化け物を支配し使役する黒幕/新田義興が存在していることを暗示する。

【場面H】
 「せんさく好キ 絵に描た幽霊をみれば皆腰から下がないが、なぜ知盛の幽霊ばかり足が描てあるだろう。ゑかき あれは海で打死した人たから、たこになりかゝつたゆへ幽霊でも足がある。せんさく好 そんなら八本ありそうなものだに、矢張二本あるはどういふわけだ。ゑかき そこがたこになりかゝつたところだ。せんさく好 待つせへよ、平家の大将はたしか蟹になつせ。ゑかき イヤ/\たこになつたに違へはねへ。せんさく好 たこになつたといふ証拠でもあるのか。ゑかき ソレひよどり越て皆一杯喰た報だ」。

 五大力物語本文では、新田義興の亡霊が登場した。此処でも源五兵衛は臆せず渡り合う。笑話は、皆が恐れる幽霊を、徹底的に茶化している。対象は、歌舞伎なんかで御馴染みの平知盛だ。源平合戦の最終局面で自軍の敗北を見届け、怒りを……いや、碇を抱いたままだったとか何とか、壇ノ浦の海へと没した。平家の総大将である。
 瀬戸内海・宇和海沿岸では、海に沈んだ平家の怨霊が、蟹になったとの伝承が残っている。四国産の筆者は、子どもの頃から聞かされた。なるほどヘイケガニなるものの背中には、怨みがましい人の表情を思わせるレリーフがある。ついでに言えば、四国には山間部に平家の落ち武者集落と呼ばれる場所が散在している。平家谷なんて名乗っている集落もあり、夏には素麺流しで賑わう。閑話休題。
 笑話では、幽霊には脚がないことが当然とされており、何故に{歌舞伎に登場する}知盛は二本脚なのかが話題となっている。そりゃぁ歌舞伎だからなんだが、いやさ、そもそも脚のない幽霊が一般化した契機は円山応挙の絵だと言われており、其れ以前、元禄期なんかの{書物挿絵の}幽霊は、額に三角巾を着けつつも自分の脚でシッカリと大地を踏み締めていたりする。幽霊は自立していたのだ。
 故に、幽霊に脚がないとか云っても、其れは単に見えていないか{応挙の絵でも無いというより霞んでいるだけだし}時代の流行かであって、真に脚がないと決め付けることは早計に過ぎるが、如何でも良い話なので、如何でも良い。
 笑話では、本来なら幽霊に脚はないのだが知盛に限って蛸に変化する過程にあり偶々二本まで脚が生えたところで姿を現したのだと云っている。すかさず、平家の怨念は蟹になった{との評判だった}ので、蛸ではなく蟹になる途中ではないかとの疑問が差し挟まれる。なるほど、蛸より蟹の方が適切かもしれない。もし蛸派を擁護するなら、蛸と云えば脚、蟹と云えば爪、特徴としてイメージされる部位が違うぐらいのことだ。しかし絵描きは、蛸説を頑なに主張し続ける。其の根拠が「ソレひよどり越て皆一杯喰った報だ」である。
 蛸の数え方は「杯」である。よって、源義経の計略に「一杯喰った」を、蛸を「一杯喰った」に変換し、其の祟りを重ね合わせて、知盛が蛸になったと云いたいのだろう。現代日本では、無知蒙昧なメディアは蛸を「匹」で数えたりもするが、正統に「杯」で数える者も残存している。但し現代では、蟹をも「杯・盃」で数えたりもするから、此の笑話が解りにくくなっている。しかし少なくとも馬琴は、本書を執筆した時点で、蟹ではなく蛸をこそ「杯」で数える筆法を採用していた。だからこそ、成立する笑話だろう。

【場面I】
(下段)上戸
 底抜けの上戸が馳走になり大いに酔った帰り道、酒問屋の前を通りかかり、酒の匂いに堪え難くなり、そっと酒蔵に入って鏡を抜いてガブガブ。番頭が見つけ酒盗人と騒ぐ。「上戸 ぜんざい/\我はこれこの蔵の内の酒を守る神なり。我きのふ水あげをした酒をきいてみて相場をよく売せんと思ふ也。汝誤つて我を疑ふことなかれ。ばんとふ それはありがたふぞんじます。しかしそれはあまり粗末な仕合、別におみきお供でも。上戸 イヤ/\おみきももふ飲ぬ。お供はなほ喰れぬ。ばんとふ そんなら何を供へませう。上戸 もし信心の心があらば、もふ此上は塩茶をいつぱい」。

 五大力物語では、三五兵衛の酒宴が開かれている。下段笑話は、大酒呑みを取り上げている。三五兵衛の酒宴は秩序だっているようだが、下段では酒呑みの意地汚さ・ダラシなさが表現されている。筆者も経験があるけれども、酒呑みなんてものは、実に意地汚い。最後の一滴まで啜り込む。酔えば、世の中のことなぞ如何でも良くなる。何処でも寝る。不思議と今まで生きている。そんなもんだ。三五兵衛の酒宴で御行儀よく並んでいる連中にも、ひと皮剥けばダラシない呑兵衛が紛れ込んでいないとも限らない。呑兵衛は、飽くまで呑み続ける。しかし限界はあって、挙げ句には、水を飲みたくなったり、空腹を感じたり、人によっては甘い物を欲しがる。下段笑話では、「塩茶」を所望している。宿酔いの妙薬だ。酒を狂水とも謂う。笑話の登場人物は、酒屋に入り込み、盗み酒に及ぶ。犯罪である。見咎められても開き直り、自分は酒の神だと宣う。嘘だと判りそうなものだが、酒屋の番頭は信じ込み、饗応しようとさえする。番頭の常識外れな対応が、笑いの源だ。対して呑兵衛が要求する物は、まことに慎ましやかな「塩茶」である。豪華な料理も美酒も、言い付け放題の状況なんだから、吹っ掛けないと損だろう。しかし宿酔い状態の男にとっては、「塩茶」が何よりの御馳走なのだ。欲がないといえば欲がないのだけれども、あくまで呑兵衛は、自分の生理にのみ従順なんである。

【場面J】
(下段)ぢしつ
 「ある娘痔疾を患いて痛みたえがたく最早医者を呼んで容態を見せければ医者とつくりと様子をみて凡そ痔に五ぢとて出ぢいぼぢ走りぢなどあれど、それがし今しりご玉の様子をみるに、お腹は立られな、まつたくがさのわざでござる。むすめ 苦しき声音にてナニかさじやアねへ、かつぱのわざだ」。

 五大力物語で、八ツ橋と数馬が互いに愛の歌を熱唱している。後半では、母親が八ツ橋に数馬への愛を諦めるように言い聞かせている。そして下段笑話では、年頃の娘が「痔疾」に罹っている。容赦ない手酷い茶化しだ。「年頃の娘」が有する価値を、根こそぎ剥奪するかの如き凶悪さである。しかも「痔疾」の原因が「かさ/瘡:梅毒」なのだから、娘にとっては踏んだり蹴ったりだ。現代では「痔疾」に分類されず「扁平コンジローマ」とか何とか呼ぶそうなのだが、肛門辺りに出来る疣なんだから、痔みたいなもんだろう。花も恥じらう乙女が痔、しかも原因が梅毒/性病なのだから、穏やかではない。江戸期の笑話集には、避妊のためか狭隘さを愛したか、男女間のアナルコイトス描写もあるが、件の娘が如何な経緯・原因で、梅毒に罹り痔に似た症状を呈するに至ったか、詳らかではない。ただ一つだけ言えることは、機転が利く娘だということだ。医師に「がさ{/かさ}のわざ」だと断定され、言下に「かさじやアねへ、かつぱのわざだ」と反論した。瘡/梅毒→かさ→傘、傘から連想して合羽に転換し、合羽→河童まで行き着く。梅毒なら誰かとフシダラに性交渉をもったことになるが、河童なら妖怪による不可抗力の被害となろう。自らの価値が崩壊する程度を最小限に抑えようとするイーワケである。但し近代に於いては、尻子玉を付け狙うことからの連想か、タチ系の男色家/アナルコイトス愛好家を河童に喩える場合がある。馬琴時代なら兎も角、現代では此のイーワケは通用しない。

【場面K】
(下段)ゆかた
 「亭主壱分二朱にて浴衣を買てきて女房にみせ、これ見さつせへ、粋な縞だらう。女ほう 当時はやりの碁盤縞だね。てい主 うんにや、こりやア将棋盤縞だよ。女ほう 碁盤と将棋盤はどこで違ひますへ。てい主 値段で違ふのさ。女ほう そりやアどふいふわけでござります。てい主 銀三つで負かしてきた」。

 五大力物語では、源五兵衞が、用意していた花嫁衣装を八ツ橋に披露する。挿絵を見ると、八ツ橋は喜んでいる。質素倹約を旨とした近世庶民の女子にとって、美麗な花嫁衣装は一世一代の贅沢であっただろう。其れでなくとも武張った源五兵衞が主導する生活は、質素なものであっただろうし。
 時折、女性の下着を盗んだ容疑で逮捕された男がニュースに登場する。女性を誘拐するなら、まだしもだが、下着を盗んで何が嬉しいのか理解できない。自身で着るつもりだったのだろうか。そうでなければ、単なる布である。ゴミにしかならない。しかし人生を棒に振ってまで、使用済みの女性用下着を盗む者は後を絶たない。
 フェティシズムである。男は、単なる布で出来た下着を盗んでいるのではなく、下着に憑依した装着者の【何か】を奪い取り手元に置きたがるのだろう。体液や体臭が染み付いている場合もあるのだろう。しかし所詮は、女性自身ではなく、単なる布だ。フェティシズムである。花嫁衣装も一種のフェティシズムなんだが、だからといって、無価値だと断ずる気はない。女性用下着に対する欲望/女性自身への支配・統制欲とは違って、いや本質は同じだが、源五兵衞の妹に対する優しさやら何やら、一方的な支配・統制の方向ではない、一体化/同化を根底としたフェティシズムだからだ。源五兵衞は、八ツ橋に相談せぬまま花嫁衣装を誂えている。これなら妹に似合う、喜ぶだろうと思い遣って、誂えたのだ。現代娘の感覚なら願い下げだろうが、現在よりも人々が高密度に感覚を共有していたであろう前近代、源五兵衞の感覚も然程スットンキョーではなかったのだろう。挿絵に描かれた、八ツ橋の喜ぶ顔が、いじらしい。ただ同化が高濃度すぎて、後に悲劇へと行き着いてしまう。
 下段笑話は、流行の「碁盤縞」浴衣を買ってきた男が、「将棋縞」だと主張する。其の心は、「銀三つで負かしてきた」。より高価であったのだろうが、銀三つに値切った。当時の金銀相場を一両六十五匁程度、便宜上、六十四匁とすれば、一分二朱は銀二十四匁になるから、一個平均八匁の小粒銀三つで浴衣を買ったぐらいの話か。また「銀」は将棋の銀将と重ね合わせられている。だからこそ、「碁盤縞」ではなく「将棋縞」なのだ。
 しかし升目の数こそ違え、碁盤も将棋盤も、方眼である。模様としては同じだ。にも拘わらず何故だか現代でも、平安京みたいに直交している複数の道路を形容して、「碁盤目状」とは云え、「将棋盤目状」とは云わない。碁より品下ると云われているからか、単に語呂がよくないからか、将棋盤が引き合いに出されることは少ない。とか云いつつ、現代では「格子模様」とか「チェック柄」と云っている気もするが。
 当時流行していたのは、あくまで「碁盤縞」であって「将棋縞」ではない。しかし指し示す所の模様は同じだし、碁盤も将棋盤も方眼なのだから、別に不都合はない。実体として同一のものであっても、名称が変われば、纏わる物語が変わる。工芸品であるから、「花嫁衣装」そのものには本来、何の性格も付与されていない。ムクつけき変態女装者が袖を通しても、花嫁が着ても、物質としては同じだ。人間性に纏わる様々な虚構を排し、剥き出しの事実のみ露け出す【穿ち】も、前近代笑話の一類型である。

【場面L】
(下段)切落咄の下の巻
    客
「長尻の客を早く帰さんと小僧箒を逆さまに立ゝをき、もはや帰る時分なりとそつと覗いてみれば客は座敷にたわいなく寝ているゆへ、これは不思議と箒を立ゝおいた所へいつてみれば、いつか箒が横にどつさり」。

 五大力物語では、源五兵衞の使いが、八ツ橋と数馬との縁談を申し入れている。渋る三五兵衞に対し、数馬本人の意思を知りたいと粘る。長尻の客だ。
 下段笑話では、長尻の客に迷惑している小僧が、主人公である。主人でも客でもない、第三者の立場だ。第三者とは言え、全くの無関係ではなく、主客の関係が如何なっても知ったことではないけれども、客が居座れば迷惑する。ただでさえ不自由な奉公、客が居座ると仕事が増えるしルーティンワークは後回しになる。だからマヂナイで客を追い出そうとする。箒を立てておくと、客が早く帰るとの迷信があった。が、客は仲々帰らない。見れば、居座るどころか、寝ている。立てて置いた箒が倒れている。
 箒を立てれば「客が立つ」、箒が倒れると「客が寝る」。マヂナイは迷信であり、箒の状態と客とは無関係だ。無関係な筈だが、客を立たせるために立たせておいた箒が倒れたから客が寝てしまった、との逆転が笑いの源だ。客を早く帰そうという小僧の怠惰な目論見が、裏目に出たことこそを、読者は笑う。自分達は汗水流し苦労して地道に生きているのに、マヂナイなんかで途中を省略し甘い汁を吸おうとする怠惰・強欲を、庶民は許さない。村落共同体を出自とする此の感性は一見、ブルジョア道徳にも庶い。産業化を加速した背景でもあるが同時に、足を引っ張り合うだけの個人主義ではなく、共同体意識に基づくものであったから、後に市民革命を経ずして勃興するブルジョア階級も欧米の其れとは異質なものとなり、強固なナショナリズムを堅持することで、経済よりも政治を優先する奇妙な性格を持つに至って、近代日本の帝国主義が異彩を放つ原因になっている……なんて事は措いといて、「小僧」の視点から見れば、愛し合う八ツ橋と数馬との縁談成立に苦心する瀧山勘介は、迷惑な長尻の客に過ぎない。しかも縁組みに失敗しているのだから、寝ていたと同じである。既に五大力物語は悲劇へ転がり落ち始めている。此の段は、いきなり悲劇に突入しないための緩衝である。時間稼ぎだ。

【場面M】
(下段)ふもんごん
「無筆の親父息子に手紙を書せ、だん/\文言をこのむ。おやぢ 先日御相談仕候間いよ/\先方へも申遣し候あいだ大概承知と相みへ候間、此だん御しらせ申候間と、やみくもにあいだといふ文言を好むゆへ、むすこ きのどくに思ひ、それではあんまり文言に間がありすぎませう。おやぢ ぬからぬ顔で、急がぬ用事だから、いくら間があつても大事ない」。

 数馬本人の意思が知りたいと瀧山勘介に迫られた三五兵衞は、数馬に縁切状を無理に書かせ、八ツ橋と交わした愛の起請文に添え、勘介に渡す。起請文を放棄することは、契約の破棄を意味する。
 下段笑話は、息子に口述筆記させる無筆な親父の話だ。させるうち、文言に拘泥するようになる。無筆でも昔の人は、言い回しを知っていた。親父の口述は、「……であるから」「……なので」「……していたとき」などの意味で使う「間」を頻用するので、息子が指摘する。文言を考えながら漠然と口述するから、筆記で省略する無用な「間」を挟んでしまうのだ。親父は、「急がない用事だから『間』が入っても構わない」と惚ける。接続詞の「間」と、時間としての「間{/空白期間}」は別物だが、其れを混ぜ込ぜにして、話をはぐらかしている。【ズラし】による笑いだ。しかし実のところ、緊張感のないまま漠然と口述するような用事だからこそ無用な接続詞の「間」を挟んでいるとすれば、其の「間」は、空白期間としての「間」と一致している。

【場面N】
(下段)けんくわ
「酒の場にて大勢喧嘩を始め打ゝ叩いつ切ゝ張ゝの大騒ぎ、相手五人まで頭の鉢を割れければ近所手合出あい双方を引わけだん/\わたりをつけて詫びけれども頭の鉢を割れた五人中/\得心せず。裁人もぜひなく皆手を引たあとへ五銭籠を担ひだ男来かゝり双方へ口を添へければ鉢を割れた五人早速料見して事故なく済みければ初にかゝつた裁人あまりふしぎに思ひ後から口を添へた人の商売をきけば瀬戸物の焼継ぎ」。

 花嫁衣装を着せた八ツ橋を連れて三五兵衞宅に乗り込んだ源五兵衞は、縁談を断られて激昂、本望を遂げられぬなら死ねとばかりに八ツ橋を刺し殺し、三五兵衞の弟子を四人まで斬り殺す。源五兵衞にしてみれば、一度添い遂げようと決めた相手と結ばれぬなら他の誰とも愛し合うことはならず死ぬしかない、との発想らしい。其の瞬間は、八ツ橋も同意しただろう。生きていれば、数馬以外の善い男と巡り会い、気が変わったかも知れないが。弟子達は、とんだトバッチリだ。師匠を害せんとして進む源五兵衞に立ち向かうことは、弟子の義務ではある。弟子達は、三五兵衞の門人として源五兵衞に立ち向かい殺された。が、源五兵衞は弟子達を斬っただけで気が済んだのか、三五兵衞を見逃す。母の介抱に力を添えたから助ける、との捨て台詞を当初からの意思だとすれば、弟子達は完全に無駄死にだ。自分達が戦わず逃げても、三五兵衞は無事だった筈だからだ。対して「捨て台詞」は後付けの理屈に過ぎず、源五兵衞は当初、激昂して三五兵衞を殺そうとしていたが、弟子達を斬って【憂さが晴れる】と気が済んだなら、弟子達は自分の命と引き替えに師匠を守ったことになる。元より架空の存在である稗史の登場人物に、人権は認められない。生殺与奪は作者の思い通りであり、顧みられることはない。読者が感情移入する筈もない初出の弟子達が何人斬られようと、ストーリーの都合に過ぎず、深刻に受け止める必要はない。いざとなったら刀に物を云わせる武士、その武士として源五兵衞が殺人術に長けていることが分かればよい。
 下段笑話は、喧嘩で頭を割られ文句を言う人達を和解に応じさせた者の職業が、「瀬戸物の焼継」だったという落ちだ。喧嘩の和解で前提になる事といえば、被害の原状復帰である。人間の割れた頭と、割れた瀬戸物を、同値として扱っている点に笑いが生まれる。実際には仲介者として人格者だったり口巧者だったりしたからこそ、和解に成功したのだろうけれども、其れでは面白くも何ともない。「あぁそう、良かったね」{棒読み}で終わる。「瀬戸物の焼継」だから、頭を割られた人達を{巧く回復させ}納得させたのだろう、と落ちる。人の頭と瀬戸物を同列に論じられたら困るんだけれども、笑話もフィクションのうちであるから、目くじら立てることもない。笑って聞き流せば良いだけだ。
 五大力物語は深刻な悲劇/クライマックスを迎えた。八ツ橋は自らの恋心に殉じた恰好であるからアレだが、登場直後いきなり斬り殺された弟子達は不憫だ。とはいえ所詮はフィクション、瀬戸物を割れば弁償しなければならないが、架空の登場人物なぞ何人殺してもタダだ。人の頭と瀬戸物を同列に並べる下段笑話は、掌編のため書き入れが少なく殆ど理不尽に殺されるだけの弟子達の悲劇が、フィクションであることを思い出させる。

【場面O】
(下段)ぬす人
「亭主のるすに泥棒入りしを女房みつけ声をたてんとするところを盗人そばなる火入を投付しが、その火入女房の胸に当り、はつと言て目を回したところへ亭主立かへり盗人をとつて押へ、てい主 おのれよくも盗る物にことを欠て人の女房の命をとろうとしたな、これ人の命が質にもおかれるものか、ときめつくれば、ぬす人 それだから、まだぶちころしきりはしませぬ」。

 五大力物語では、源五兵衞に刺された八ツ橋を抱き上げ、三五兵衞が弁明する条だ。八ツ橋と数馬を引き離そうとしたのは、二人が結ばれると二人ともが横死するからだと云う。最悪の悲劇を回避するため、人の親として已むない選択であったと口説く。但し、数馬・八ツ橋の将来予見は、占いによるものであった。新田義興の亡霊が事実として現れる本書に於いて、占いは真実を語っていると判定し得る。
 下段笑話は、頓知話だ。盗人が其の家の女房に見つかり騒がれそうになったので、火入を投げ付けた。火入は、炭とか入れ上に鍋を載せ、膳上で保温するためのものだ。今でも飲み屋で、一人鍋を供するとき使う。大振りな猪口みたいなものだから、其れでは人を殺せない。ちょうど帰って来た亭主は、女房を殺そうとしたと決め付け、盗人を詰る。「人の命を質にもおかれるものか」。人の命を奪ったからといって、其の命を何処かで質に入れ金を得ることは出来ないぞ、則ち、盗むものがないからと云って人を殺したところで何の得もないぞ、と利害を超えた残虐な殺生を非難した。盗人は言い返す。「それだからまだぶちころしきりはしませぬ/だからこそ殺してはいない」。即ち、他に盗るものがないので、せめて女を「質」に入れ金を得ようとしたのだ。人身売買である。器量が良ければ遊郭へ、そうでもなければ何処かへ女中奉公させようとの魂胆だ。確かに殺したら金にならない、だから殺さずにおいて身売りさせようとしたのだ。
 上下段の接続は難解だが、現代の感覚なら、無理にでも八ツ橋殺害への非難だと解釈せねばならぬ。笑話の盗人さえ、身売りまでは考えるが、何の得にもならない殺害までは考えない。生きていれば売ることも可能だが、死ねば元も子もない。女性の人身売買の是非は措き、源五兵衞による八ツ橋殺害は、濃厚な個人の感情のみを原因としたものであり、合理性の欠片もなく、不条理なものに過ぎない。
 ただ、殺人を故意に回避した登場人物は盗人であり、回避は拉致して売り飛ばす為であった。女が売り飛ばされていたら、最悪の屈辱のうち不幸な人生を送ったのではないか。【生】を絶対化した近代以降は、其れでも生き延びることこそ善と定義している。しかし前近代には、不幸な【生】を回避する為の【死】も、あり得た。言い換えると、「殺さない」という選択肢は、或いは「殺す」より相手に不幸な結果をもたらす場合があり得る、との仮説が存在していた{死んだら比較して感想を訊くことは出来ず仮説に止まらざるを得ない}。小咄に登場する盗人を【悪】とすれば、五大力物語で妹を殺した源五兵衛を肯定している可能性が浮かび上がってくる。謂はば【現実主義】に立って、「五大力」を自ら悪茶化してきた馬琴が、理想的ロマンティストとしての馬脚を現した、と云うべきか。

【場面P】
(下段)はんごんこう
「かねて深く言交せし女ふと患いてむなしくなりければ、男はあるにもあられず恋焦れ、せめていま一ど顔がみたく唐土の反魂香、近くは浅間が嶽の上るりを思ひ出し日ごろ取交したる文を集め火鉢の中へ打込めば、ばつときなくさい烟はたてど何にもでず。もふ出さうなものと火鉢の中をのぞひてみれば火の中でふす/\いぶつてゐるものがあるは、まさしく幽霊が出かゝつているに違ひなしと、火箸をもつて火鉢の底をかきまはしてみた所が宵にくべたさつま芋」。

 五大力物語では、八ツ橋の横死を聞いた数馬が悩み、体調を崩す。三五兵衞が八ツ橋の菩提を弔うと、「数馬も少し心よくぞなりにける」とある。八ツ橋の悲劇に悩み体調を崩したようにも読めるのだが、八ツ橋の菩提を弔うと好転しているので、祟られているようでもある。挿絵では、数馬が見守るなか、火鉢から八ツ橋の幽霊が立ち上{のぼ}っている。読者は、数馬が八ツ橋の幽霊に取り憑かれ彼岸に引き摺り込まれつつあるかと、心配したかもしれない。
 下段笑話では、挿絵に見合った「反魂香」の話題だ。死んだ愛人と交わした手紙を焼いて、反魂香代わりにしようとした男、何やら燻っているものを見つける。すわ愛人の幽霊が出るかと期待したが、燻っているのは、昨夜焼きかけた薩摩芋であった。濃厚な情念の場面から、薩摩芋という上品とは云えない食物の登場で、現実に引き戻される。下段笑話は、幽霊や占い、マヂナイなど超自然のモノどもを相対化し、徹底的に揶揄する。

【場面Q】
(下段)かけもの
「むつひ 正月掛けようと思つて掛物を買てきた。友だち どれ、なんだ、ひとつぱもよめねへ、こりやアなんといふ字だ。むつひ なんといふじだか俺もよめねへ。友だち とてものことに、よめるのをかつてくればいゝ。むつひ ばかをいふぜ、よめるとじきに直がしれて悪りひ」。

 五大力物語は後日談に入っている。源五兵衞が義人であるとの評判が立ち、大名家の指南役を幾つも引き受け豊かになった、と語る。
 下段笑話は、掛け軸に言寄せ、何を書いているのか即座に分かるようなら値が知れる、分からないからこそ良いのだ、と結ぶ。冗談……いや、上段に書いた五大力物語も、かなり粗略ではあるものの一応は、物語として成立している。個々の下段笑話も、それぞれは耳珍しくはない。また笑話は、個々独立して良いから、下段だけで笑話集として成立している。上段も下段も、それぞれ三冊十五丁の草紙として成立しており、タイトル通り、六冊分の徳用草紙となっている。馬琴は冒頭、上下段を同時並行して読むことを禁じている。上段を読み終わってから下段を読み始めるよう促す。一応は指示通りに読んだ読者も、下段笑話が上段の物語場面に無縁なものでないことは、すぐに気付く。上段の物語を茶化したり希薄化したりしている。濃厚な意思や情念で動いている物語の登場人物が、斜めから見るとトンチンカンで理不尽で滑稽なのだ。後に馬琴は、版型形式としては黄表紙の範疇ながら、滑稽味の全くない「小夜中山霄啼碑」なんてのも書いている。「信濃客人 浅草主人 俟待開帳話」序文では、以下の如く書いている。

     ◆
年々歳々腹相似たり。歳々年々脾腑同じからず。猫児三載はじめて弗狂{じやれず}。戯編十稔終に一変す。予筆墨をもて遊戯する者十有三五年。近曽自らその戯に倦。仮毫を簓にして天窓{心なし}を雷盆とゝもに割るとも。唐土の李卓吾。羅本中。覚世道人。施耐庵。さて又日本の紫家清女。降て西鶴。文流。近松。其爪先へも倚がたし。三十余年の非を知て。止様としても止させぬ。書肆の催促。無理往正毫が難の世の中じやナア
          享和三癸亥正月 曲亭馬琴誌
     ◆

 黄表紙作家から脱皮し、よりストーリー性の強い物語/稗史を世に出したい、との意思を感じさせる。
 しかし黄表紙作家としてキャリアを積んだ馬琴は、深刻な悲劇/五大力物語を書きながら、それぞれの場面を茶化し希薄化する目を同時に持てる作家でもあった。自分で創り上げた世界を、自分でブチ壊す。フィクションに没入しきることのなく、寧ろ相対化さえ為し得る感覚を持っていた。
 結局、「六冊懸徳用草紙」を上下段を併せた総体として見たとき、【よく解らないモノ】に仕上がっているとしか、現在の筆者には云えない。馬琴本人も、「よめるとじきに直がしれて悪りひ」と云っているから、自覚していたのだろう。

 ところで「五大力」物語が丸っきり建部綾足「西山物語」その儘であることに御気付きの読者も多いだろう。実のところ筆者は当初、タイトルに騙され「五大力恋緘」のパクリだろうと思って読み始めたのだが、当てが外れた。「五大力恋緘」は所謂「五大力」物の一つで最高形態だが、主人公の名が「勝間源五兵衛」、敵の名が「笹野三五兵衛」なんである。騙されない者は、神のみであろう。五大力モノとは、一七三七{元文二}年、大坂曾根崎新地の湯女菊野ら五人が薩摩藩士に斬殺された事件を基にした、一連の芝居だ。恋緘は並木五瓶の作で寛政年間、上方で大ヒットしたという。五瓶は江戸へ進出し、恋緘の舞台を江戸に移し替えた。但し、馬琴が採用している「勝間源兵衛」は上方版での役名だ。江戸版では「薩摩源兵衛」となる。尤も、勝間源兵衛なる名前自体、薩摩侍を意味する抽象名であり汎用されたものだ。其れだけならば、偶然の一致と云えなくもない。しかし「笹野三五兵衛」「五大力」といった他の語彙も重なるならば、馬琴の「五大力」も上方版恋緘の影響下に在ると断じて宜しかろう。
 そして例えば馬琴の「小説比翼文」では、やはり【仕官の懸かった試合で故意と負けて遣る】とのパーツが【義理に篤い武士なるキャラクター】を表現するため填め込まれている。比翼文では、「五大力」物語の名刀「五大力」に当たるものが夜光丸に替わっている。また試合で負けて遣る主人公/平井権八の父/右内は里見義弘の遺臣で、平井保昌を祖とする。保昌は古代の武人である。勿論、此れは、西山物語の基となった実際の事件/源太騒動に於ける主人公/下手人/渡辺源太が、古代の妖怪退治請負人/源頼光に仕えた四天王のうち渡辺綱の末裔だといわれたことに対応している。平井保昌も頼光四天王の一人だ。且つ、保昌の弟が同時代の大盗賊/袴垂だという伝承をも踏まえているだろう。ズラしである。即ち、同じく古代の英雄を祖先としてもち、片やキンタローと共に大江山酒呑童子を討った頼光四天王の子孫で義人、片や英雄ではあるものの弟が盗賊である平井保昌の子孫であるが故か本人は義人でありながらも息子/権八は放蕩無頼の道を転がり落ちる宿命を帯びている。更に云えば、馬琴は、五大力物語の主人公/勝間源五兵衛を新田義興暗殺に関わった祖先が分捕った名刀「五大力」に執着する人物として設定したけれども、基となった建部綾足「西山物語」に於いて主人公の大森七郎は楠正成を討った大森彦七の子孫で正成から分捕った佩刀に執着した。当然、此れも【ズラし】である。

 小説比翼文は、此りゃぁ復た、辻斬りの罪で一六七九{延宝七}年に刑死した平井権八の実話を基にした一連の芝居と、世界を同じうする。とは云え筆者は、馬琴の【基層】に芝居世界が在ると迄は云わない。ただ、芝居世界と接点を有っていると迄は云える。馬琴の為す情景描写には、極めて映像的/ピクチュアレスクな部分が多い。しかし全体としては故事来歴に拠る因縁やら心理描写の比重は大きい。一言で云ってしまえば、中国小説の筆法に、芝居から学んだ情景活写を加えている印象だ。そして用語に就いても、建部綾足「本朝水滸伝」が如き大和詞の文語調を排し、俗語を基本としつつ、当時はハイカラであったであろう漢語を鏤め、スパイスを十分に利かせたものとなっている。鯱張っているわけではないが、俗語でジャラジャラベチャベチャ緩慢に書いてはいない。漢語のスパイスによって緊張感が漂う。しかも其れが読むときの視覚と音の両面で備わっている。変な云い方になるが、まるで夏目漱石の文章を読んでいるような感覚である。云い換えれば、漱石の直系尊属が、馬琴なのだ。閑話休題。
 因みに、本朝水滸伝の文体に対し馬琴がケチを付けたと云ったが、建部綾足「西山物語」の書き態にケチを付けたのは、上田秋成であった。秋成も綾足と同じく上方で、源太騒動の報を同時代人として聞いた。兄が妹の恋人宅へ乗り込み、相手ではなく妹を斬首したのだから穏やかではない。被害者・加害者の人権なんざ糞喰らえ、刺激的な事件のニュースを次から次へと消費している現代人にとっても衝撃的なのだから、当時の人々が如何だけ驚いたか比較の仕様も無い程だ。綾足は事件後、短期間のうちに西山物語を書き上げた。書き上げたんだが、源太騒動の発端を、単なる若い男女の恋愛譚に止めず、【武人の執着】とした。簡単に云えば、楠正成の佩刀に対する執着と、大森七郎{/渡辺源太}の同じ刀に対する執着が敵対することを起点に据えている。敵対に依り、楠正成の呪いが大森七郎に及ぶ。其れは明言されないものの、八郎が聞いた「占い」により暗示されている。スピリチュアルな呪いは、スピリチュアルな占いによってのみ示される。武士が銭金に執着すれば軽蔑の対象となるが、刀への執着ならば許容される。いや、微笑ましいほどに【武士らしい】のだ。此の「らしさ」が、【一度愛したならば相手に殉じよ】といった武家女子道徳へと繋がっており、実際に殺害という最悪の形で妹に押し付けられた。貞女は二夫に見えず、である。但し、貧しい主人公/七郎が、妹のため花嫁衣装を調える場面を殊更に書き込むことで、単なる「押し付け」ではなく、深い愛情/兄妹間の一体感が根底に在るように見せ掛けている。妹の側も、いきなり訳も解らず殺されたというのではなく、兄と心を一つにして自らの愛に殉じたと推測させる書き方だ。主人公および妹の武家らしさがテーマであり、当然ながら綾足は此の点に感心したからこそ西山物語を書いたのだし、妹殺害で頂点に至る七郎の武家らしさを恋愛絡みで見え難くすることを嫌って、【刀への執着】を起点として捏造し、武士らしい義人が悲劇へ陥る動因として楠正成の呪いを設定したのである。本来なら非の打ち所ない武士が悲劇に陥るためには、当該武士の価値を貶めないような理由が必要なのだ。七郎の場合は、先祖が楠正成を討った、しかも本人が正成の佩刀に執着して返還しなかった、との尤もらしい理由が必要だった。
 上田秋成にしてみれば、如斯き西山物語の捏造部分が気になって仕方がなかったらしい。「なまさかしき人の西山物がたりと云事作りなしたるは、かへりてよき人をあやまついたづら文也。もろこしの演義小説、こゝのもの語ぶみ、其作れる人のさかし愚にて、世にとゞまると、やがての時あとなく亡ぶるにいちじるければ、云も更なりき。是もはやくにほろぶべき数にぞありける。さて、此まさし事おろそげにては書とゞむまじけれど、いつはりならぬかたり言して、後長くつたへよとぞ思ふ」{ますらを物語}。秋成は、齢六十を超え老人となっていた渡辺源太と出会って人柄に触れ、脚色を排して事件そのものを「ますらを物語」として書き残した。此処では、「渡辺源太」が実名で登場し、妹は「弟姫{妹の尊称}」となっている。幻想文学の達人である上田秋成が折角、渡辺綱の子孫だという噂もある人物の話題を書くのだから、楠正成はアレだが、酒呑童子の呪いとか何とか書けば良いのに、忠実に事件を撫ぞっただけなのだ。若しかしたら、当人と知り合ったから却って好きに書けなくなったのかもしれない。
 当然ながら秋成も綾足と同様に、渡辺源太に【純粋な武士らしさ】を見出して、著作に走った。綾足は、武士らしさを強調・純化して見せるため、楠正成まで引っ張り出した。秋成は、実際に武士らしい人間{但し農民}が存在したのだから其のものを写せば良く、脚色が却って当人らしさを冒涜すると感じたのかもしれない。とは云え、秋成は後年、春雨物語の一篇として「死首の咲顔」を書いた。ほぼ「ますらを物語」を上書きしたものだが、タイトルにあるが如く、「妹が首のゑみたるまゝにありしこそ」{「死首の咲首」}との重要な一文を付け加えた。実のところ源太騒動は、妹の不孝・放蕩などに対し母が制裁権を発動、源太が代行したとして、処理された。源太も母も無罪であった。即ち妹は私刑によって殺されたのである。現代と違って家庭内{/家中}の私刑が認められていた。だから妹が心底納得して殺されのではない疑惑も十分に残るのだが、其れでは話が美しくない。大坂の作家である秋成にとって、想定される読者は上方の人士であるから尚更に、武家道徳を女性に押し付けることへの抵抗感があったとしても、不自然ではない。武家社会の中核たる江戸と対抗する大坂の読者に読ませるためには、是が非でも嘘でも何でも兎に角、妹が納得づくで殺されなければ、主人公/元助の理不尽さが際立ってしまう。武士らしさを美化し強調するためには、死首に笑顔を湛えてもらわなければ困るわけだ。捏造によりテーマの中核を保護/強調する手法は、何のことはない、綾足と一般である。違うとすれば、程度の多寡に過ぎない。

 で、馬琴である。「六冊懸徳用草紙」の上段「五大力」物語は、西山物語を概ね精確に写したものであった。しかし各場面直下に悪茶化しする小咄を配し、其の濃密世界を徹底的に粉砕していた。ただ、勝間源五兵衛が妹/八ツ橋を斬る場面でのみ、女を殺さなかった盗人の悪意を強調する小咄を挙げ、八ツ橋斬殺を裏側から強く肯定している。結局、馬琴は、西山物語がテーマとしている【純粋な武士らしさ】のみ称賛、ストーリーそのものを全否定したがっているようなのだ。とは云え其れは、脚色を嫌い事実の忠実な模写に踏み止まろうとする秋成の指向と、同調するものとは限らない。寧ろスートーリーのリアリティー/真しやかさを徹底して捏造する方向だった可能性もある。秋成とは違って、突っ込み所の無い、より自然に読者が溶け込める虚構を指向していたのではないか。また、西山物語のストーリーを、ほぼ完璧に脱構築し貶め去りながら、【純粋な武士らしさ】のみには攻撃を加えなかった点は、其れを肯定する馬琴の思いの強さを示して余りある。但し、やはり黄表紙時代の馬琴は、ストーリー性の面で完成しているとは云い難い。本屋の要請だった可能性もあるが、既存の文楽や芝居脚本を繋ぎ合わせたりしているだけの印象が強い。其の中では読本最初期の高尾舩字文など、伽羅先代萩やら何やら何処かで聞いたような名前やストーリー部品が既視感を漂わせるものの自ら水滸伝の翻案だと宣言するものもあり、より整合性の高い中国小説への指向を感じさせるものもある。高尾舩字文も然り、一度は花火のように離散し其れが再び結集する【水滸伝型】物語は早くから馬琴の心を捕らえていた。イメージとしては、夢想世界の玉手箱を開き世界を虚構で埋め尽くし蓋を閉めれば世界が原状回復するとの、稗史作法そのものと重なる。とは云え、現世は勘違いやら不条理、世論操作や整合性のない理不尽で満ち溢れている。夢こそ現{うつつ}、現こそ夢。しかし「六冊懸徳用草紙」を刊行した享和二{一八〇二}年、まだ読本発表の立場を得ておらず、草双紙らしく悪茶化すことしか出来なかったのではないか。そうして見ると、「六冊懸徳用草紙」は、倫理というものを重視する馬琴の態度もしくは読本指向が強く表れた作品のように思えてくる。後に八犬伝として花開く馬琴一流の夢想世界は、彼の中に懐胎されつつも、まだ宿主を悩ませ藻掻き苦しませる漠としたものに過ぎなかったのだろう。{お粗末様}

 

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