番外編「耐え難き郷愁」
 
       ―――海の記憶シリーズ3―――
 

  私が育った愛媛は、人口百五十万程、さほど大きな県ではない。しかし、海岸線が妙に長い。単純に言えば、三角形の、底辺を除く二辺プラス・アルファが、海岸線なのである。元より、三角形の二辺の和は、他の一辺より大であるから、県境の半分以上が、海に接しているってことになる。惟へば、伊予は、神代紀イザナギ・イザナミの国産み伝説に記す伊予二名州(イヨフタナジマ)に由来する。由緒正しい島なのだ。話のツイデに、お国自慢でもしようか。

 伊予には近世以前、水軍が跋扈していた。海賊である。最近は気取って「海族」とか言うが、個人的にはドッチでも良いと思っている。で、其の「海賊」が「乱」を起こしたこともある。地方官として伊予に下った藤原純友は、何時の間にやら海賊の首領となって、以前、勤めていた国庁を攻撃したりする。結局は討伐されるのだけれども、同時期、関東でも平将門が暴れ回った。<暴れたくなる時代>だったのかもしれない。勿論、純友が初めて海賊を組織したわけではない。元々いたのである。海に暮らす人々は、海さえあれば何処にでもいただろう。が、伊予は、長大な海岸線、豊富な漁業資源、暖かい気候など、海に生きる者にとっては、恵まれた環境にあった。そして、此の点は重要であろうが、面した海が瀬戸内海であった。瀬戸内海とは、関西方面と、九州・中国・四国を結ぶ、物資の輸送路である。輸送の警護を申し出て報酬を受け取ったり、逆に「海賊」として輸送船団を襲う<立場>にあった。外洋に暮らす海の民には、考えられない利得である。このため、村上・忽那(クツナ)などの水軍が、盤踞していた。また、中世初期には鎌倉の有力御家人となった河野一族も水軍を以て、勢力を張っていた。中世後期に土佐の長曽我部氏に滅ぼされ、戦国時代を生き抜くことは出来なかった。けども、中世前期には一族から時宗の祖である智真房一遍を輩出した、名族ではある。
 一遍、遊行聖である。彼は家を棄て刀を棄てて、一生を漂泊のうちに過ごした。近い時代には、四国に西行法師もおり、古代には佐伯の真魚(マオ)チャンこと弘法大師空海だってウロウロウロウロ歩き回った。彼の法名「空海」は、空と海が融け合う水平線を見つめるうち思い付いたモノだともいう。が、一遍ほど徹底して<漂泊>した高僧は、他にないのではないか。まぁ、寺も持たず、もしかしたら<教派/組織>となることすら否定したかもしれない遊行聖が、「高僧」になること自体、とっても奇妙な現象だったりする。何等、権威も勢力もない一個の宗教家が、諸人に崇められること自体、なかなか珍しい。なのに評価された一遍は、やはり傑出した宗教者だったのだろう。
 勿論、遊行の伝統は、一遍が始めたものではない。また、一遍を特徴付けるのは遊行だけではない。踊り念仏もある。熱狂し踊り狂い、阿弥陀仏の名号を連呼する。如何なものであったろうか。閑静な田園地帯に突如として沸き上がる南無阿弥陀仏の叫び、喧噪のうちに激しく体を揺する老若男女。過剰な運動と絶叫のために酸素が欠乏し、人々の意識は境界を喪う。其処に幻出すべきは、阿弥陀浄土か、それとも……。
 漂泊と、ひとときの熱狂。筆者は、其処に<水>を見る。たゆたい留まることなく流れる波は、時として荒れ狂い、泣き叫ぶ。彼の静かな漂泊の、しかし激しい生涯は、自ら海を標榜し表現した結果だったのかもしれない。間違いなく、彼は、海に生きる者の末裔である。
 八犬伝に於いても、水気の徳/智の玉を持つ毛野は、愛らしく仇っぽく、天然自然の媚びを以て幾多の男を魅了する。が、サラリと流れて漂泊、時に犬士中、最悪の暴虐さを垣間見せたりする。水ってのは、なかなかに怖いモノなのだ。
 海は、生命の源である。ところで、近代に於ける奇作、夢野久作のドグラ・マグラに、こんな理論が紹介されている。<記憶は遺伝する>。生命の始源は判然としないが、とにかく最近の話ではない。生命は、太古の昔から、<リレー>されてきた。生物の複雑な形態は、遺伝子という形で、時々姿を変えながらも、伝えられてきた。伝えられたのは、肉体の形質だけだったのか? 何故に、形質だけでなければならないのか? 記憶も、実は、遺伝する。
 ふと、思う。記憶もしくは精神が遺伝するならば、ソレは殆ど<生命のリレー>と言い換え得る。記憶は、人がヒトとなってから、始まるのではない。ヒトとなる以前、アメーバだか何かのときから、生命が発生した時点から続いている、とは証明も難しいが、否定も困難な論理だろう。
 いや、抑も、生命は環境が整ったときイキナリ<発生>したのか? 地球上の何かが何かの拍子に<生命>と呼ばれる現象を引き起こしたとするならば、約言すると、生命の材料は、地球だ。其の地球の記憶を、生命が、ヒトが受け継いでいないと、誰が決めた? 別に持っていたって良いではないか。少なくとも、私は困らない。地球/世界の創成、天地開闢の記憶を、本人、地球さんは持っているかもしれない。ならば、地球から生命を継承したヒトが、天地開闢以来の記憶を有していたとて、別に不都合はない。更に言えば、記憶とは、脳髄のみに在るのでもない。脳髄は、単なる<交換局>に過ぎない。本当の記憶は、細胞の一つ一つに秘められている……。勿論、冗談だ。本気で言ってるんじゃない。でも、本気で否定する気にもなれないでいる。……例えば、初めて来た場所なのに、何故だか懐かしい、居心地が良い、とは、如何な現象であろうか。いや、デジャヴの話をしているのではない。勿論、個体差はあろうが、或る範囲の温度、湿度が快適であったり、或る範囲の波長の音が気持ち良かったり……。そのようなことが、何故に起こるのか。解答は多分、ヒトが<そのように出来ているから>であろう。そう考えると、個人の経験を超えた過去に於ける環境が、個人の範疇を超えた<記憶>が、現在の個人の感覚に影響を与えているかもしれない、とは、全く蓋然性の無い、仮説ではない、筈だ。

 海辺で寝転びボンヤリしていると、何故だか、自分と外界との境界が無くなるような錯覚に陥る。根深い郷愁を感じる。何故か? ……強弁であるとは承知だが、海に郷愁を感じるのは、生命が、ヒトが、<海から来た>からかもしれない、と思う。

 一九九八年六月、千葉県の誕生寺を訪ねた。義実が付近で挙兵したとされる、此の日蓮宗の寺は、近代的なレストランなどを境内に擁しており、何やら奇妙な雰囲気ではあったが、古びた門は相応の風格を醸し出していた。……なんてコトは如何でも良いのだが、誕生寺から少し離れた駅までタクシーに乗った折、運転手さんと四方山話をするうち、以前から抱いていた疑問をぶつけてみた。
 「……変な話だけど、海の近くの人って、祖先が海から来たって話を伝えたりしてるけど、そんなコト、コッチらでは言いませんかねぇ」「ん? あ?、言うよ。昔、黒潮に乗って来たんだって言うなぁ」「へへぇ、夢があるじゃないですか。ドッから来たんですか。沖縄とか? もっと遠く?」「あ?、何処からっていうのはねぇ……。でも、けっこう信じている人多いみたいだよ。本気か如何かは知らないけど。話のネタに言うぐらいは。けど、はははっ、どんなもんかねぇ。何せ、昔話だからねぇ」「へえぇ、何か本にでも載ってるんですか、其の話」「う?ん、如何かなぁ。書いているかもしれないけど……そういえば、この前も、新聞に、そんな話が載ってたなぁ」
 実は、誕生寺に行く折、往路は徒歩だった。さほどの距離ではない。なのに、タクシーに乗ったのは、地元の人が、<祖先が黒潮に乗って来た>との話を聞いたことがあるか、確かめたかったのだ。文章の上では、千葉の人が黒潮伝説を有していることを知っていた。しかし、それが、人々の間で流布されているか、判断がつかなかった。南総に知人を持たぬ筆者は、こういうときに地元の人と会話する以外、確認の手段がなかったのだ。千円ばかりのタクシー代は、情報料として高くはなかった。
 二カ月後、筆者は再び、関東にいた。前回は夜行バスなどを乗り継いで行ったが、此の度は、自分で車を運転して行った。かなり複雑な行程を組んだため、交通機関の乗り継ぎが困難だったのだ。詳細は略するが、洲崎明神に参拝し海を眺めた後、三浦半島に向かった。日本武尊が頼朝が義実が渡った海を、反対側から眺めたかったのだ。江奈(胞衣?)湾に差し掛かったとき、磯辺に数人の年老いた漁師が雑談している光景を横目に見た。車を降り、話しかけた。
 「あのぉ、此処ら辺に、里見義実って人が来たって伝承が残ってませんか?」「誰だ、それ?」「いやぁ、昔の御殿様なんですけども。あぁ、じゃぁ、源頼朝は?」「知らん人だなぁ」「うん、聞いたことない」(ほんな、自信タップリに「知らん」って言わなくても良いじゃないか……)「えぇっと、ん?、じゃぁ、えぇっとぉ、洲崎って知ってますかぁ?」「洲崎って、千葉の洲崎か」「知ってるよ。若い頃は、毎日行った」「ほえ? 毎日?」「あぁ、アッチに海草を採りに行った」……中略……「大変ですね」「あぁ、大変だった。海草を採るのも、骨が折れる仕事でな。アッチに半日いて、ずっと採り続けてた」「あ、いや、採るっていうより、毎日、洲崎まで行くのが大変だなぁと。私も今日、洲崎から高速とか通って車で来ましたが、えれぇ大変でしたよ」「大変なもんか。風と潮さえ良ければ、スグだ、スグ」。
 愚にもつかぬ紀行文を書いたが、要するに、<南総には祖先が黒潮に乗ってきたとする伝承があり、現代に於いてさえ或る程度は流布している>こと、そして、<海に生きる者達の、海への親近感覚、もしくは陸上に棲む者との距離感の差>を伝えたかっただけだったりする。ごめんなさい、長々書いて。しかし、日曜歴史家のナライ、出来るだけ生に近い形で史資料にアクセスしたいし、紹介もしたいのだ。だから、史料の引用も長めになってしまう。イーワケである。

「犠牲の巫女」に於いて、浦島伝説の<竜宮城>として描かれた「蓬莱山」を紹介した。此の不思議な神山は、中国に起源がある。ちょっと史記から引用しよう。

 自威宣燕昭使人入海求蓬莱……此三神山者其伝在渤海中去人不遠患且至則船風引而去蓋嘗有至者諸僊人及不死之薬皆在焉其物禽獣尽白而黄金銀為宮闕未至望之如雲及到三神山反居水下臨之風輒引去終莫能至云世主莫不甘心焉及至秦始皇弁天下至海上則方士言之不可勝数始皇自以為至海上而恐不及矣使人乃斎童男女入海求之船交海中皆以風為曰未能至望見之焉其明年始皇復游海上至琅邪過恒山従上党帰後三年游碣石考入海方士上郡帰後五年始皇南至湘山遂登会稽並海上冀遇海中三神山之奇薬不得還至沙丘崩(史記・封禅書)
 斉人徐市等上書言海中有三神山名曰蓬莱方丈……僊人居之請得斎戒与童男女求之於是遣徐市発童男女数千人入海求僊人(秦始皇本紀二十八年)

 ……蓬莱は不思議な立地条件にある。「未至望之如雲(未だ至らずしてコレを望むに雲の如し)」、離れて見ると確かに海上の山なのだが、「及到三神山反居水下(到るに及べば三神山は反りて水下に居り)」行ってみると海中に在る。満干潮などで説明できる現象ではない。在るべき筈のない国、それが蓬莱だと知れる。仙人でもなければ辿り着くことが出来そうにない。因みに、始皇が蓬莱探索に送り出した人物、徐福の墓が和歌山県新宮市にある。御丁寧に近くには「蓬莱山」なる標高五十メートルの丘まである。「新宮」とは熊野新宮、速玉神社を意味する。

 ふと思い出したが、近世前期、所謂、元禄時代に大阪の作家・井原西鶴が「好色一代男」を上梓した。源氏物語や伊勢物語などヰタ・セクスアリスの系譜を引くオハナシだが、源氏や伊勢に比べると庶民的といぅか何といぅか、とにかくノーテンキである。話は、主人公・世之介が子供の頃から好色の道を進み、といぅか好色道に堕ち、一生のうちに三千数百の女性を抱き、其の約五分の一の男性を姦し、多分は可成りの数の男に犯される。
 物語の構成は、まず(好色の)道に目覚め、若い頃は殺されそうになったり親に勘当されたりと、辛酸を嘗めつつ精進する。各種の好色を網羅していくのだ。大人となって、道を極めるが、父親が死んで勘当が解けたため、莫大な遺産を手にする。商家を継ぐのだが、それからは、到達した大通人の境地ってぇか最高の好色男として大尽遊びしまくりである。<理想的な好色>を、読者に披露する。八犬伝に引き付けて言えば、里見家および犬士たちが苦界に沈み(って苦界って……まぁ、良いか)、悪戦苦闘した挙げ句、確固たる立場となって、本性を十全に発揮する、みたいなもんだ。
 そして、八犬伝の結末は、よく解らない形になっている。優れた徳性と資質を持った。犬士たちは、堕落した主家を見放した。房総に君臨した里見家が、天命を失って、犬士たちに見放されたことを、意味するかもしれない。主家を見限った犬士らは、伏姫ゆかりの富山、既に仙境とでも謂うべきであろうが、仙境に籠もり遊ぶ。
 一方、好色一代男・世之介は、好色の理想を読者の前に実現して見せた挙げ句、フッと姿を消す。ありったけの性具を詰め込んだ船に仲間と乗り込み、「女護島」へと旅立つのだ。女護島とは、女性ばかりが住む国だ。好色一代男にとっては、それこそ<極楽浄土>であろう。物語の極大雑把な構成が、八犬伝と好色一代男で共通してる。いや、此の共通点を殊更に強調する気はなくって、(辛酸を嘗める苦闘の日々)→(成熟と環境の浄化による満足なる活躍の日々)→(環境の悪化)→(彼岸への逃避)ってぇ筋立てが、物語の一つの典型であるのだろうなぁ、ってだけなのだけどもね。そんで、好色一代男の目指した女護島が、一種の理想郷であることは、間違いない。道家だったら、「蓬莱」とでも呼ぶだろうか。
 譬えるならば、物語は<起伏>であるので、まぁ何でも良いが、正弦曲線とする。八犬伝その他の<典型的な物語>を<陽性>の方向へ幾分かズラしたものが、好色一代男だ、って印象があるのだ。此の平行移動により、例えば仙境「富山」が、好色の<理想郷>に置換される。「女護島」は、富山と同値なのだ。……やっぱり、伏姫は<遊女>なのか?
 好色一代男には、続編がある。好色二代男とも呼ばれる、諸艶大鑑だ。世之介の息子が主人公となり、既に先代が構築した好色の道を撫ぞって、京阪の高名な遊女らを網羅していく。一種の評判記形式のもので、ストーリーは平板、あんまり面白いとは思えない。が、冒頭に気になる情報を有しているので、一部引く。世之介に棄てられた子が、拾われて育ち、三十過ぎまで真面目に生きるが、正月、うたた寝するうち、世之介からの便りを受け取る。

前略……年浪の静に。舟を敷寝の小夜更けて。餝りおかせし蓬莱山の、北の洲崎の海老の髭に、唐織の金帯、一すじか丶つて、春の初風に飜ると見しは、心地のよき事大方ならず。千鶴万亀の祝ひ水、汲むと思へばはるかの沖より、目馴ぬ翅の飛び来つて、是は女護国に住む美面鳥なり、御身の父世之介、まれに彼地に渡り給ひ、女王と玉殿の御かたらひあさからず、二度かへし給はぬなり。されば親子の契りふかく、色道の秘伝、譲り給ふと一つの巻物、左の袂になげ入ると思へば。初夢覚めて曙の東山、霞もほのかに物もうの声……後略

 女護島から世之介の伝言を言付かって飛んできた美面鳥が登場する前段、正月を示す情景描写に、蓬莱山が選ばれている。此処で言う「蓬莱山」は飾り物の一種だが、八犬伝の挿し絵にも、何度か登場した筈だ。岩波文庫版(新版)に於いて、例えば、二巻口絵、鯛を捌こうとしている「荘客糠助」の傍らに、「大塚蟇六」が立っている。蟇六が手にしている物は、蓬莱山のようだ。縁起物なんである。
 飾り物の蓬莱山は、蓬莱山を表現している(あぁヤヤコシイ)。二つの洲崎に挟まれた湾を作り、中奧に山を置く。色々と目出度そうなモノを飾り付ける。如何やら、好色一代男ラスト場面で、世之介が目指し、到着したと思しき「女護島」は、蓬莱のイメージもあるようだ。其処で人は、不老不死となる。八犬伝ラストでは、犬士たちは、富山なる<仙境>に入り、そして、不老不死っぽくなって姿を消す。それでは、富山は「蓬莱」なのか?
 ……お約束通りに、行数が尽きた。続きは次の機会、「南に続く血脈」まで、お待ち頂きたい。

お粗末様。

  

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