■伊井暇幻読本・南総里見八犬伝・番外編「創業の詩」

 前回は、「谷填田孫走魚膾生羽翔。葛後干戈動中微子孫昌」のうち、前半の「谷填田孫走」までを話題とした。続きを書こう。「魚膾生羽翔」の通釈は、余りにも苦しくはないか。天智の号天命開別の「開別(ひらかすわけ)」を、魚を捌いて「魚膾」にしたって読むのは、如何にも突飛だ。よしや、読むとしても、天智に羽が生えて翔ぶことが、大友の大海人攻撃になるとは解せない。壬申乱に関わる「羽」の話題なら、大海人が吉野に籠もったとき、誰ともなく「(さっさと殺せばよいものを吉野に逃がすなんて)虎に羽を与えたようなものだ」と、近江朝の後難を予言した日本書紀の記述を思い出すぐらいだ。もしかしたら割り注作者は、「膾」に羽が生えたとの壬申乱関連挿話を知っていたのかもしれないが……。また、天智の諱が「葛城」だと言っておきながら、後半では、いきなり「葛とは藤原氏のことだ」とは、トンチンカンに過ぎるだろう。ただ、「中微」は、途中で一旦、勢力が衰えることを指すから、恵美押勝の乱で衰微しながらも復活し摂関を独占するまでに成り上がった藤原氏のことだと理解しようとした努力は認めたい。また後句割り注と関連付けるなら、此処等で孝謙女帝に登場して貰っても良かったのではないか。即ち、「中微」の字面から「紫微中台」を想起すれば、「葛後干戈動中微子孫昌」は、割り注解釈よりも時間を約めて、【葛城/天智天皇の亡き後、干戈が動いた/壬申乱が起こった。孝謙によって紫微中台に任じられた恵美押勝は他ならぬ孝謙に亡ぼされた(が孝謙は死んで天武王朝は消滅することになる)。此により一旦は藤原氏の後退/中微となったが、摂関の地位を後に独占し大いに繁昌する】とスンナリ読める。
 また、素直に解釈すれば前半、谷を埋めて治水し、開墾した田で孫が走り回る(経済的に豊かとなって余裕のある生活となる)、後半は対句である筈なので、やはり幸せな情景、「魚の膾は羽が生えて飛ぶようだ」と解し、上述の国家確立過程の結果として、豊かな国となった描写だと考えるべきではないか。褒め称え、次なる崩壊過程を強調するのだ。例えば、七歩歩く間に素晴らしい詩を賦した曹植(曹操の子)に、「七啓」がある。吉備真備が読まされた文選から当該箇所を引く(巻三十四「七類」)。
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鏡機子曰、芳菰精■(米に卑/稗)、霜蓄露葵、玄熊素膚、肥豢膿肌。蝉翼之割、剖纖析微、累如疊穀、離若散雪、輕随風飛、刀不轉切。山■(綴のツクリに鳥)斥■(晏に鳥)、殊翠之珍、寒芳苓之巣龜。膾西海之飛鱗、■(月に霍)江東之潛■(憚のツクリ上半分に鼈の下半分)、■(目のみぎに隹したに乃)漢南之鳴鶉。糅以芳酸、甘和既醇。玄冥適鹹、蓐收調辛、柴蘭丹椒、施和必節。滋味既殊、遺芳射越。
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 風が吹いたら桶屋が儲かる(迂遠な論理だとは筆者も自覚しているが、予言詩解釈なんて、んなもんだろぉ)……ぢゃなくって、風が吹いたら飛ぶほど薄く切った肉や、西海の飛び魚の膾が、御馳走の代表として描写されている。豚肉の薄切りは、「蝉翼(のように)」からして透明感があるので、薬味タップリの膾(マリネ)か生ハムか。飛び魚の膾は、カルパッチョか。やや酸味を利かしているに違いない。とにかく旨そうだ。……読者は不審に思うかもしれない。美味の描写で僧侶たる寶誌は、精進料理を例示するのではないか? 膾なんて生臭モノを引き合いに出すことはオカシイと。でも大丈夫、寶誌は生臭坊主であった。
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時有沙門釋寶誌者不知何許人、有於宋泰始中見之、出入鍾山、往來都邑、年已五六十矣。齊宋之交、稍顯靈跡、被髮徒跣、語黙不倫。或被錦袍、飲啖同於凡俗、恒以銅鏡剪刀鑷屬挂杖負之而■(ソウニョウに多)。或徴索酒肴、或累日不食、予言未兆、識他心智(「新校本南史」列傳卷七十六列傳第六十六隱逸下)
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 こんな寶誌でも天監十三年に死んだとき、金剛力士像が「(観音)菩薩がいなくなってしまった」(同上)と嘆いたってんだから、のんびりしたもんだ。どうも戒律を守らぬでも高僧は高僧であるらしい。こんな寶誌が書いた(ことにされた)野馬臺詩だから、次句以降、急激に混乱を増す。
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白龍游失水窘急寄胡城(白庚龍辰指孝謙天皇言彼女帝庚辰歳誕生也在位之日婬乱而無度寵弓削之道鏡太過矣故九族不親諸臣無朝遂失位不堪窘急而寄身於胡城中以自譲矣曽彼太上天皇孝謙改大臣曰大師初上皇僭幸藤原武智丸大臣第二子押勝而為大師居正一位藤原下添二字而賜姓云藤原恵美又幸法師道鏡号大師押勝寵衰於是欲廃上皇与謀作乱也)
 割り注に拠れば、白龍とは庚辰であり、庚辰の年に生まれた孝謙女帝を指すと云う。在位中、「婬乱」で弓削道鏡を寵愛し、自ら欲望を抑えることがない。大きな過失を生じる。このため近しい皇族さえ疎遠となり、廷臣も出仕しなくなる。責任を問われること厳しく、僻地へと逃亡せざるを得なくなって譲位する。上皇となった孝謙は、かつて「大臣」を「大師」と改めた。藤原武智丸の次男・押勝を大師とし、最高位の正一位に叙した。且つ、藤原の下に二字を加え、藤原恵美の姓を賜った。また、上皇が法師道鏡を寵愛するようになって疎まれた押勝は、上皇を廃そうと乱を起こした。

 本割り注にある、五行説を背景に当該語句を特定干支生まれの人物を指すと考えること自体は、説得力のあるものだ。が、どうも其の年代特定がハチャメチャになっている。まず庚辰は天平十二(七四〇)年、天武九(六八〇)年あたりだが、これでは孝謙女帝、十歳か七十歳ほどで即位したことになる。実際には、三十二三歳だった筈だ。数年の誤差なら、まだしも、ちょっとズレ過ぎである。養老二(七一八)年すなわち戊午(つちのえうま)に生まれたと考える方が、穏当だろう。また、恵美押勝の乱や道鏡事件に関する叙述も混乱しているようだ。このような混乱を無視しては、解釈が成り立たない、ってぇか、予言詩が説得力を以て世人の前に立ちはだかるためには、論理の整合性が求められる。五山とか東大寺の秘奥で囁かれるレベルではない。本稿の対称は、刊本なのだ。
 話は変わるが、「白龍游失水窘急寄胡城」、八犬伝好きが訓めば、「白龍游びて水を失い、窘めること急にして胡城に寄す」としたくなる。黄龍なら皇帝との解釈となろうが、白龍は八犬伝で冒頭の主人公・里見義実と関係が深い。「游」は故郷を離れることであり、別に現代語の意味での「遊ぶ」と限ったものではない(現在でも「遊学」との語彙があるが、これは「遊びが勉強だ」と酒色にウツツをぬかすことでは本来ない。故郷を離れて学問することだ)。故郷を離れ結城合戦に参加し、敗北して尾羽打ち枯らし(水を失い)安房へと渡る。君主の神余光弘を弑逆した山下定包を討とうとする(窘めること急にして)金碗八郎孝吉に擁立され、東条城・瀧田城に攻め寄せ攻略する。
 そうなると詩の冒頭「東海姫氏國」からして、ソソられる。里見家の支配領域は、馬琴によれば東海の浜(ほとり)だ。従来、「姫氏國」は、天照とか神功皇后とか何とか、女帝国の意と解されてもきたわけだが、だったら伏姫神が守護する国と訳したって、別に構わない。「百世代天工」だって、一王朝の百代が連続して親政統治する、王朝が想像を絶して存続するマジナイってぇか単なるレトリックだ。百代以上続く王朝って方が非常識なんである。よって「百世代天工」は、字面通りの意味ではなく、より象徴的な存在だろう。即ち政治的存在ではなく、宗教的な君主だ。そのような「象徴的」君主は、実は幻、陽炎、「野馬」であろう。百世なんて非現実的な数合わせを無視すれば、里見十代の文学的表現ととることが出来る。「右司為輔翼」も「右」は「すけ(輔)」に通じるから、金碗大輔孝徳に纏わる挿話を引き出す。「衡主建元功」は「衡主」を恵思大師/観音とすれば伏姫が心ならずも犬士を孕んで、里見家が強国となる礎を築いたこと。「初興治法事終成祭祖宗本枝周天壌君臣定始終」は、纏めて、国家体制が確立すること。「谷填田孫走魚膾生羽翔」は上記の如く、国が栄えること。これは八犬士集合以前の義実仁政を指す。「葛後干戈動中微子孫昌」は多少難解だが、「葛」は案外、八犬伝に関わりがある。まず葛飾行徳。小文吾の実家・古那屋がある。即ち、小文吾・信乃・現八・親兵衛(房八)おまけに大輔孝吉・丶大が勢揃いする八犬伝前半の大舞台の一つだ。また、村雨を手に入れた道節が(偽)関東管領を待ち伏せしたとき「葛石」に座っていた。葛西となれば、毛野の父・粟飯原胤度が謀反の疑いをかけられたとき関わる地域だ。まあ、毛野が華々しい仇討ちを敢行した対牛楼は、葛西まで見渡せた。此の時、毛野が書き付けた詩にも「葛」は在るが、其処迄は云わない。差し当たっては葛飾行徳に於ける四犬士集合の意として考えれば、以後、信乃ら犬士の苦難は続くが(中微)、後に子孫は恵まれることを示すか。
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黄鶏代人食黒鼠食牛腸(黄鶏者指平氏之将門言黄己鶏酉将門己酉歳生矣大将門作乱而略東八箇國以称王是代人食之謂也黒鼠者謂乎相國清盛也黒水鼠子太政入道也壬子歳生矣無道而乱君臣之権而不奉祭祀食其肉也)
 黄鶏は、平将門だ。黄は土気の色たるに依って己(つちのと)、鶏は酉であるから、将門は己酉年生まれであったか。将門は大乱を起こし関東八カ国を攻略、王を称した。これが、「人に代わって食す」の意味だ。黒鼠は、平清盛を指す。黒は水気の色、鼠は子(ね)であるから、清盛は壬子(みずのえね)年の生まれか。清盛は無道にも天皇に優越して権力を振るった。国家としての天皇祭祀をしなかった。故に「その肉を食らう」と謂う。

 此処でも年代特定が、やや混乱している。己酉は寛平元年(八八九)で、これは、まぁ良い。将門の乱すなわち承平の乱は、承平五(九三五)年だから、数え年で四十七歳のとき起ったことになる。実は確たる生年は未詳で、乱は四十五歳当時だったとも伝えられているから、誤差は比較的少ない。壬子に就いては、延久四(一〇七二)年や長承元(一一三二)年があるが、これでは平治の乱(平治元年/一一五九)時、八十七歳だか二十七歳となる。やはり実際には、二十七歳に十歳ほど足した方が良いだろう。
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丹水流尽後(丹水喩天子徳沢安徳天皇以後王道衰微徳沢涸天下之政出於諸侯云々)
 丹水は、天子の徳沢を謂う。安徳天皇以後、王道は廃れ「徳沢」は涸れた。天下の政は、天皇ではなく、諸侯がリードするようになる。……しかし、せっかく将門・清盛と桓武平氏の【悪事】を論ったにも拘わらず、話を終えてしまうと勿体ないのではないか。「丹水」は赤い水、水は流れだから、赤の流れが尽きたと考えては、如何だろう。即ち、前句まで栄えた平氏、赤旗を用いた平氏が衰亡したと解釈しても、宜しかろう。
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天命在三公(言後鳥羽院朝源頼朝討平氏而有功天下之事無大小皆聴於頼朝朝臣三代登公小輔自是以後天下政幽不復于天子也)
 これは、後鳥羽院の時に、源頼朝が平氏を討った功績によって、天下の事は大小となく全て裁断するようになり、源家将軍が三代に亘って権を握ったことを指す。この後、天下の政は幽(くら)くなり、天皇に権力が戻ることはなくなる。

 前々句で清盛を相国と呼んでいた。漢の職名で、日本の太政大臣に当たる。三公とは同じく漢の職名で、相国の下に在って、土木建築を掌る司空、民政一般の司徒、そして軍事を統括する太尉を謂う。司空・司徒は、日本に当てるべき適当な律令官職がない。太尉は、律令では近衛大将ぐらいだろうが、征夷大将軍のイメージもある。前句の「丹水流尽後」と併せ、【平家去って征夷大将軍の幕府に権が移った】と考えれば、淀みなく読めるのではないか。
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百王流畢竭(百王以後必有申戌之歳人而威如四海乎)猿犬称英雄(猿犬云也)
 天皇百代以降に必ず申戌(さるいぬ)年生まれの人が、天下に威を張ることになる。この人たちを、英雄と称する。
 この句は、冒頭第二句の「百世、天工を代える」に、よく対応する。第二句は、天皇の支配を百代に限るとの宣言でもあるが、結果として此処で、「百王の流れは畢(お)わり竭(つく)した」と、第二句の宣言が成就することを述べている。この【天皇は百代限り】とも読める宣言は、室町期に政治利用されることになった。即ち、室町幕府三代・足利義満が、まさに百代(北朝計算で後円融)の時、天皇家の廃絶を目論んだ。さて前句までは天皇家の天命喪失・藤原氏の隆盛・平家の諸行無常と、中世世界に雪崩れ込む混乱を跡づけているように読める。が、此処からは妙に抽象的で、如何とも解釈できるようになる。申・戌年生まれの人物なんて、平均で六年に一度生まれている。注釈は「猿犬とは、猿犬のことだ」と、最低に無責任な言い方をしている。注釈者の念頭には執筆当時に権を握っていた特定人物が浮かんではいたであろうが、明らかには書かず読者の想像に任せている。筆禍を恐れてのことでもあろうし、謎めかし興味を惹く効果も狙ったかもしれない。とにかく、特定できぬ書き方が、此の「野馬臺詩」に【普遍性】を与えた。
 例えば、此んな冗談だって言える。即ち、猿とは甲申年(明治十七/一八八四)生まれの東条英機(統制派)や同年生まれの後藤文夫(岸信介など新官僚のリーダー)が結託し、国家総動員体制へと突っ走った。犬を丙戌年(明治十九/一八八六)とすれば日独伊三国同盟締結時の駐独大使・来栖三郎辺りだと言っても良いワケだ(但し来栖は恐らく偶々職務として駐独大使だったんであって、後に日米関係改善交渉にも携わる)。結果として確かに、日本は一旦、滅亡した。東条内閣および日独伊三国同盟成立は、共に【日本滅亡】への画期であった。……当然、此の様に結果から都合の良い事実のみを抽出することで、論理というものは本来、成り立つべきではない。正当性がない。が、論理には正当性と説得力の両面があり、実は一般に、正当性より説得力がモノを言う。語る者の立場や発散する暴力性に依り、糞詰まらぬ屁理屈が、罷り通る所以だ。亡国の道である。正に、此の【説得力のみ】の論理に依り、戦時体制は構築されたと言って良いんだから、上記の如き言葉遊びは、許されねばならぬだろう。また現在に引き付ければ、例えば、昭和十九(一九四四)年、甲申(きのえさる)年生まれの著名人には田中真紀子元外相がいる。……いや、別に何でもない。確かに彼女が「英雄」と称される世は途轍もない乱世だろうが、まぁそんな心配は、杞憂だろう(父親は戊午)。
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星流飛野外鐘鼓喧國中青丘与赤土茫々遂為空(星謂戻氏世以星喩庶民言万民遁逃國中唯有鼓■鼓の下に卑しい/之声而巳故云青丘与赤土茫々遂為空矣)
 星は戻氏を謂う。世に星は庶民の喩えとなっている。万民が住処を離れ逃げ回り、国中に軍鼓が轟いている。青い丘・緑のない土地ともに、見渡す限り使用可能な人工物は何もない。日本は滅びた。
 青丘は中国の南方に設定された仙境、赤土も南方の古国を指す場合もあるが、別に太平洋戦争で日本軍が南方を侵攻・占領したこととは、恐らく全く関係がない。この詩は、飽くまで日本の【滅亡】を予言するモノだ。調子の良い所で終わる筈がない。……が、恐らく此の詩は、真の滅亡を望んではいない。多分、社会もしくは自らの現状に不満を抱く者が、時の権力者に放った呪詛であろう。少なくとも、詩の解釈文は、そうであったに違いない。が、不満を抱く者が、不満の元凶を憎むとは、不満のない幸せな社会を、実は希求していることを示している。詩作者に擬せられた寶誌は、観音の生まれ変わりとも考えられていた。……また観音が登場した。観音が予言した以上、【滅亡】は必然かもしれない。だが同時に、救済の可能性も立ち現れる。観音は、大悲の菩薩である。滅亡することが分かっていても、人々を救済すべく苦心惨憺する存在が、観音だ。「青丘与赤土茫々遂為空」即ち「国破山河在」(杜甫「春望」)だが、それでも人類は残る。寧ろ、観音が「滅亡」を語り掛けてくることは、それ自体、救済の方便である筈だ。「国」は必ず滅びる。しかし人類は残る。滅びる者は「国家」に過ぎない。より精確に云えば、「姫氏」が滅びるだけだ。其の後に、新たな国を建てれば良い。創造の為の破壊、世直し、アンシャンレジュームのリセット、これが野馬臺詩の主張する者だ。
 野馬臺詩が主張する「聖徳太子の恵思大師後身説」は、同じ文脈で達磨尸解を語っていた。スピリテュアルなものの在り方を示す者だ。此の在り方は、一休・丶大尸解に繋がる。また観音を本体とする聖徳太子と恵思大師の繋がりも、八犬伝と無縁でなかろう。引いては、理想(例えば観音)を掲げ現実を呪詛する野馬臺詩の姿勢は、「怨/恨」を背景とした此の国の心裡史を浮かび上がらせているのではないか。其の深く暗い流れに、八犬伝も連なっているとしたら……。以上、唐突に八犬伝愛読者である筆者が、此の【滅亡の詩】を取り上げた所以である。(お粗末様)

 

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      犬の曠野表紙旧版・犬の曠野表紙