■伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「神話への逆流」七・七バランス7

 お約束通り野郎どもの話だ。前回は、謎めいた女性たち、玉梓・伏姫に就いて語った。彼女たちの対照性が、八犬伝の要諦だ。が、山下柵左衛門定包の存在を忘れてはならない。第一輯口絵で、伏姫と玉梓の間に関係があるならば、共に描かれている八房と山下定包の間にも何等かの関係がなければならない。八房は、玉梓の〈容器〉であろう。八房に玉梓が〈入っている〉が故に、八房を玉梓と呼ぶも可である。「道草」で論じた、「瓶」と「中身」の関係だ。瓶に入った酒を「酒」と呼ぶは可だが、「瓶」は「酒」ではない。瓶は酒に、〈形〉を与える物に過ぎない。容器たる八房そのものの肉体は、玉梓本人からすれば〈異物〉だ。第一輯口絵に世界を限定すれば、牡丹/痣によって共通せる定包と八房は同値であろう。謀反を起こした者は畜生道へ堕ちる。謀反を起こした定包は、畜生とならねばならぬ。ならば八房は、定包の転生ではなかったか。嘗て情を通じた定包と玉梓は、八房と怨霊として再会し一つとなった。言い換えれば、玉梓に〈犬の形〉を与えた物が、簒奪者・定包であったのだ。この与えられた「形」が、伏姫に、鼠でも猫でもない、犬なる子を孕ませる元となったのだ。更に言えば、犬が選択された理由は、前述、人と犬が対概念であったからだろう。また、定包が死に至った直接の原因は、岩熊鈍平・妻立戸五郎の謀反であって、里見の刃に倒れたのではない。二人の謀反は、戸五郎が玉梓に横恋慕したことを動因としている。定包のみに限れば、里見に深い怨みは無い筈だ。故に玉梓が浄化されたら八房は、(里見家に対しては)無に帰する。ただ伏姫と交感/交姦した玉梓の想いが、犬士として実ったことになる。
 第一輯口絵、伏姫・八房と見開いて金碗大輔孝徳が颯爽と登場している。丶大である。場面は、椿説弓張月前編第五回「白縫風流女兵を操る 為朝勇敢九州を伏す」だ。……あ、違うか。八犬伝に該当する場面は、無い。弓を執って右側頁の伏姫・八房を凝視している大輔を、二人の侍女が十手を持って屈み込み前後から挟撃している。姫を掠奪しようとする曲者と戦っている風情だ。芝居がかって格好いい。一枚ずつ見ても素晴らしいし、見開いて見ても流動感溢れる構図で破綻が無い。絵には馬琴の長兄・東岡舎羅文の作「正夢と起行鹿や照射山」が記されている。
 これは老荘思想の得意技、〈夢だと思っていた感覚が本当に夢だったのか、それとも目覚めている筈の現在の感覚が夢なのか〉とのドグラマグラだ。「列子」に載す説話をもとにしている。樵(きこり)が木を伐りに行き鹿を得た。樵は鹿を芭蕉葉で隠し帰ってきたが、自分では其れを夢だと思った。夢だから鹿は得られておらず、得られていないから失うこともない。樵は経緯を詞にして歌い歩いていた。歌を聞いた者が山に行き、芭蕉葉で隠した鹿を得た。樵は、得た筈の鹿が歌を聞いた者に奪われた夢を見て、取り返しに向かう……。無限に続く〈夢〉のループ、合わせ鏡の無間地獄だ。
 人は己の認識を超えた事象に対して、二通りの反応を示す。一つは思い悩み真理を求めて苦しみ悶える、もう一つは「まぁ良いや」と放っぽり出して事象を認識/支配することを諦める。前者は煩悩の犬かもしれない。後者は、より自由かもしれない。夢であれ現実であれ、死のうが生きようが、善だろうが悪だろうが、思考の起点を何処に置くかで変わってくる。如何でも良いのだ。仙人の境地かも知れない。字面ばかり見ていると八犬伝が「勧善懲悪」一辺倒に見えてくるかも知れないのだが、第一輯口絵、まさに物語全体の前提たる部分で、既に浮遊する立場を馬琴は表明している。あまり馬琴を、ナメない方が良い。彼は江戸の大変態なのだ。
 第百三十一回、里見義実は犬士らに金碗姓を嗣ぐよう命じる。犬士らは丶大/金碗大輔を「宿世の父」と表現し、欣然として受ける。が、独り丶大は「始より思ふよしある面色にて聞ざる像く黙然たり」と反応を示さない。何だか否定的なのだ。そして第百三十二回に及び、拒否の態度を明らかにするが、義成に説得されて結局は承ける。だいたい丶大、剛毅に見えるが、愛らしい毛野に誘惑されて、拒み続けていた「八百八人の計」に荷担する。案外、意志が弱いのだ。それとも、何処かの寺で修行したとき、稚児趣味を覚えたか? えぇっと、犬士らが金碗姓を襲うことに丶大が否定的な表情を見せる場面と、結局は説得されて賛成してしまう条とで、回を分けている所が秀逸だ。此を連続して読めば、ただ単に謙虚な丶大が一旦は拒んだものの、結局は受け容れてしまう、ぐらいの軽い話になってしまう。回を分けることで、否定的な表情を見せる丶大は独り真理に到達していることが読者に理解できるように仕組まれている。流石は江戸の大変態、一筋縄ではイカぬ。「思ふよしある面色にて聞ざる像く黙然たり」は、単なる謙譲が理由でないことを明示している。謙譲は性格的な反応に過ぎないから、考えるまでもなく拒否できる。何か思い当たる節があるからこそ、思い沈んでいたのだ。前に述べた通り、犬士たちは八房/玉梓犬士たちの子だ。八犬伝にはそう書いてあるし、疑問を持つ方はおられぬだろう。伏姫の息子とは言えても、丶大の息子では決してない。玉梓と定包、二人とも神余を簒奪した者であり、伏姫は里見家の嫡女だ。神余とも金碗とも無関係だ。霊的な縁のみによって犬士たちが金碗姓を嗣ぐことに、抵抗があったのではないか。

 挿絵の話は楽しいので、もう少し続けよう。八犬伝も押し詰まった第百八十回下、犬士たちは里見の八姫と結婚することになる。八対八で適当に、紐を引っ張って当たった相手と配偶する。家畜か? ってぇか、個人の意思を全く考慮しない里見家の遣り様は、まことに許し難い。密かに想い合う番(つがい)があれば如何する積もりだ。それとも所詮は形式的な結婚であり、愛し合う者同士は愛し合えば良いとでも言うのだろうか。
 挿絵「翠簾を隔て八犬士赤縄を援」を見ると、犬士たちの表情が面白い。信乃は何か考えている様な表情で大角を見つめている。何時の間にか、デキてたのか此の二人? 道節は必要以上に厳めしい顔をしている。恐らく照れてるんだろう。親兵衛は真実(まめ)だっている。子供だから、結婚なるものを過剰に深刻視しているのか。そんな親兵衛の後ろで毛野が何故だかニコニコしている。まるで親兵衛の子供じみた考えを馬鹿にしているようだ。だいたい流浪の犬士・毛野が、家庭的な夫になるわけもない。小文吾の目を盗んでイケナイ事を重ねるに違いない。もとより妻は眼中にない。姫君との結婚を控えて妙にニコニコしている毛野を、小文吾は怨みがましく見つめている。そんな小文吾を横から不憫そうに見つめる荘介。苦労人らしく、優しいのだ。現八は、純情そうな無表情、若しかしたら目を潤ませているかもしれない。大角だけは背を向けており、顔が見えない。但し、信乃と見つめ合っているようだ。やはり此の二人、アヤシイ。毛野を見て悲しそうな表情をする小文吾に荘介が、優しい視線を投げかける理由は、信乃を大角に独占されているからなのか。
 丁を捲って挿絵「其二 八小姐天縁良対を得ぬる処」「得ぬる」と言っても、配偶が発表されていない段階だ。赤縄の先に、まだ各姫の名札が付いている。翠簾に向かって左側、静峯・竹・栞・小波が一群となっている。三人が中央線に向かって前列、後ろに小波が控える形だ。翠簾側に静峯が前屈みに座り、手甲に顎を載せて思案顔だ。最長老だから、「あのジャリ(親兵衛)だけは厭だな。ベッドで役に立たん」とでも考えているか。右隣の竹は翠簾を指差し、隣の栞に何か言っている。話しかけられた栞は、可笑しそうにクツクツ笑っている。竹に「現八もバカっぽいっけど、あの道節って、最低にバカよねぇ。絶対、イヤ。大角なら賢くて優しそうで、佳いよねぇ」とでも言われ、「そうねぇ」と答えているか。城之戸は老女と何か話し込んでいる。老女に「いやいや男は少々バカの方が宜しぅございます。大角は優しいけれど賢いので、此方がペースに乗せられます。信乃は閨房で能動的ではありませんから姫が疲れます。毛野に至っては姫より男にモテますから、姫が男を連れ込んでも寝取られてしまうでしょう。道節ほどになると困り者ですが、現八ぐらいのバカが丁度良いのです」などと教えられ、「勉強になるわぁ」と言っていそうだ。栞らの前列が、翠簾側から鄙木・弟・浜路だ。中央の弟は蹲って口元を袖で覆い、縄の先に付いている名札を見詰めている。一番年下、まだ中学三年生程度だから、配偶する相手が純粋に気になるのだろう。「小文吾みたいなデブに当たったら死んでやる!」ぐらい真剣に考えているかもしれない。浜路は悩んだ表情で、思い沈んでいる。そんな浜路を鄙木が、心細そうに見詰めている。何時の間にか、二人はデキていたのか。でも、大丈夫、やはり見つめ合う二人、大角・信乃と配偶したのだから、真実を告白し合って夫と妻を取り替えたら良い。偽装結婚だ。

 まぁ冗談を抜きにすれば、描かれた十六人の新郎新婦、概ね目出度くも重要なイベントらしい雰囲気を醸し出している。男の方が緊張気味、女性側は互いに会話で盛り上がっていそうだ。こういう時、女性の方が強いものだ。
 緊張し思い悩む風情で大角と見詰め合う信乃、両手を組み合わせて諦めたような思い切れないような切ない表情の浜路、そして其んな浜路を見返り何か訴えたい素振りを見せている鄙木。やはり此は、後に偽装結婚が実現しそう……ではなくて、此の四人は里見家のクジ引き配偶に於いて不安に充ち満ちていることが表現されている。既に心を特定の異性が占めているのだ。結果としてクジ引きは、偶然に引き当てたモノではなく、天の采配であったことが、後に説明される。浜路姫は前の浜路ゆえに、鄙木は雛衣ゆえに、それぞれ信乃・大角と配偶する。此の事情を視覚的に表現したものが、挿絵だ。信乃の場合は、前の浜路が憑依した浜路姫本人から、「おん身と月下に結れたる」と配偶を既に宣告されていた(第六十八回)。或いは浜路も、此の話を聞いていたかもしれない。互いに配偶すべきだと心密かに思っていた可能性がある。一方、鄙木・大角の関係に於いて、同様の描写は本文にない。無いんだが、第百八十回下の挿絵を見る限り、何等かの気持ちを互いに抱いていた可能性が、立ち上がってくる。
 若しくは、信乃・大角が顔を見合わせていた理由は、過去の経緯があるため、信乃は浜路姫以外との婚姻を、大角は此の段階では誰とも婚姻を、すべきではないと考えていたために、迷惑がっているだけだとも思える。雛衣は切腹に及び、ただ「こ丶ろを猜し給へかし。さらば」とだけ言った(第六十五回)。末期の言葉は「非命に終る幸なさも何憾むべき良人の為に功ありといはる丶事妻たるもの丶面目なり歓しや」(第六十六回)と微妙だ。大角側から都合良く読めば、大角の幸せが雛衣の幸せであり、君命によって配偶するならば雛衣に異論はない筈だ。が、それでは余りにも雛衣が不憫だ。其処で、浜路姫と同様、雛衣とダブる女性が登場しなければならなかった。即ち、本文では其れまで無関係であった筈の鄙木が何等かの感情を大角に対して抱いているかもしれぬことを挿絵にでも示せば、見えぬ何かが鄙木に働いていることとなり、其れを天もしくは雛衣の霊だとまで妄想すると、大角の再婚を許さざるをえなくなる。いや、馬琴は読者に大角の再婚を許すよう要請しているのであるから、其の様に読んで遣るべきだ。故に鄙木は、赤縄引きイベント迄に、大角に対し特別な感情を抱いていたと、筆者は解釈することにしよう。
 満たされざる者達が、満たされざる儘に命を失う。本人に対する救済は無い。が、彼等に感情移入した者は、彼等が実は姿を変えて救済されたと思いたがる。平均を割った理不尽なる不幸は、平均を超える報いで満たされなければならない。此の感情が、八犬伝の基底には絶えず流れている。此は馬琴の発明ではない。八犬伝に先立つこと千百年以上、記紀および其の周辺から、次の如き物語が構成できる。即ち、八幡神/応神伝承だ。応神天皇は、水底の姫と結ばれた。応神の天皇の母・神功皇后は妹を遣わし水底の宮から干満の玉を得て、朝鮮半島の侵略に成功した。応神の祖父・日本武尊は記紀最大の英雄であったが帝位を嗣ぐことなく、それどころか、東方・蝦夷侵略戦争に於いて侵略には半ば成功するものの自身も山野で野垂れ死に、愛する女性・弟橘姫を、自らの言の咎により水底へと沈めざるを得なかった。海の動き/干満を調節する為だ。
 干満を調節する為に水底へと逝った弟橘姫の精が、干満の玉となって、応神を胎内に蔵する神功に捧げられたのではないか。海を操り、西方・朝鮮半島の侵略で大勝利を果たした神功/応神伝承が、八幡神話のクライマックスだ。東方の蝦夷侵略が西方の熊襲鎮圧に裏返され朝鮮半島にまで拡大される日本武尊→応神の変換は、弟橘姫→神功・干満玉の変換と対応すべきだろう。此の、満たされざる者が満たされるに至る為の変換が、八犬伝の裏面の闇を流れている。
 其れが、執拗なまでの里見家と八幡神の絡み合いなどに表れているのだ。また、「侵略」は儒教から見て全く正当性がない為に里見家は決して行うべきではないから専守防衛に限られ朝鮮侵略が洲崎沖海戦に置換されると同時に干満の玉が風を操る甕襲の玉に置き換えられてはいるが、八幡神話を連想させるに十分だ。
 洲崎沖海戦(第百七十四回)の少し後(第百七十六回)で、御丁寧にも苫屋八郎景能と田税戸賀九郎逸時の遭難話が描かれている。京都で変態管領・細川政元に囲われていた親兵衛を取り返す為に蜑崎照文が派遣された。副使が景能と逸時であった。二人は対蟇田素藤戦で後れを取った為(そうでもないと思うが)親兵衛に詰られ辱められたから、親兵衛の為に働いて名誉を挽回せよとの選抜理由であった。が、海路途中で、暴風に見舞われた。占うと、壬癸生まれの人が乗っているからだと言われ、該当者を伝馬船に載せ替え、流し捨てることになる。景能・逸時とも該当した。伴五人・水夫六人と共に十三人が、嵐の海へ木っ端船で降ろされた。幾重にもなった衾に載せられ海に沈んだ弟橘姫とは趣を異にするが、海を鎮めるために特定の者が犠牲となることは、共通する。遭難して正使・照文らとはぐれ色々あって三浦に辿り着き城に潜り込んだだけなら、別に如斯き話は必要ない。ってぇか、単に遭難して流れ着いただけで十分であり、照文ともあろう者が、若しくは里見家中ともあろう者たちが、迷信に惑い仲間を犠牲にすること自体、不自然なのだ。八犬伝で不自然が起こるとき、裏の事情が働いていることが多い。此まで縷々述べてきた通りだ。二人の遭難、海への犠牲(いけにえ)譚が割り込んでいる以上、理由がなければならぬ。筆者は、此を上記の如き日本武尊→八幡転換を八犬伝に取り込んだ故と疑っている。ストレートな写しではないが、「日本ちゃちゃちゃ」シリーズで述べた如く洲崎沖海戦そのものに於ける密やかなる符丁がある以上、この程度でも弟橘姫を思い出させるには十分だ。
 また、八犬伝と天照神話との関係も筆者は論じてきた。犬士が持つ玉が、天地開闢の時に発した玉を役行者が加工したものであることは、第百九回、「天津八尺の勾瓊なりしを役小角が刻做て最多角数珠に作りしよりその数識の八箇の大玉には仁義礼智忠信孝悌の八字を分ちておのづからにその一字毎にある者なり」とあることから明らかであり、レベルは低いが陰性の玉/甕襲の玉と対照的に表現されていることから、伊勢神宮に秘蔵されていると真言神道の書「麗気記」に記す生玉/死玉の対照が思い出される。
          ◆
国狭槌尊(毘盧遮那仏)豊斟渟尊(盧舎那仏)此二神浮天跡地執応二神青黒二色宝珠也青色者衆生果報宝珠黒色者無明調伏宝珠三神神葉木国漂蕩状貌如鶏子漸々万々時一十々々時有化生之神乗浮経此浮経者葦葉今独●(月に古)金剛也此国者独股金剛上生成独●(月に古)成大日本州此玉人罰時構成許時下臥共時立之以本図可得意
……中略……
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊天照大神捧八坂瓊曲玉於大八州為本霊鏡火珠所成神也
……中略……
羸都鏡一面(天字五輪形豊受皇太神)
邊都鏡一面(地字円形外縁八咫形天照皇太神)
八握剣一柄(天村雲剣者草薙剣八葉形表)
生玉一(如意宝珠火珠)
死玉(如意宝珠水珠)
足玉一(文上字表)
道反玉(文下字表)
●(虫に也)比礼一枚(木綿本源白色中字表)
蜂比礼一枚(字表)
品物比礼一(宝冠)               (以上「天地麗気記」)
          ◆
 だ。正哉吾勝勝速日天忍穂耳、素盞鳴の正統なる子孫まで登場した。素盞鳴・日本武尊・八幡/応神、陰なる男達の神話が、太陽の玉に絡みついてきた。総体としては陰の極数・八で表現されつつも七・七/陽数のバランスを含み、且つ大いなる陰神・伏姫に太陽の玉を分かち与えられた犬士たち。豊饒なる物語が、記紀神話へと逆流する。如何やら神々の輪舞は、乱舞の様相を呈してきた。(お粗末様)
 
 

  
  
  

←PrevNext→
      犬の曠野表紙旧版・犬の曠野表紙