◆伊井暇幻読本・南総里見八犬伝
「番外編 白き衣の女」自分でも執拗だと思うが、記紀の話題である。日本武尊に関して、言い足らない。今回もネタは彼の東征の話だ。
草薙剣の神助によって危難を免れた日本武尊は、更に東へと進んだ。相模に至る。此処から武尊は海路、上総を目指す。注意せねばならぬ事は、この時の上総が後に「安房」と呼ばれる地域を含んでいることだ。「安房」国成立に関しては、「あわあわアワー」で述べた。そして、景行五十三年の記述、景行が息子・日本武尊の足跡を辿って巡幸したときに立ち寄った場所こそ「淡水門」である。息子の面影を求め歩いた景行が立ち寄ったのだから、武尊の道程のうちだろう。
また、紀には、武尊が上総もしくは安房で転戦したとは書いていない。武尊は相模から何処だか分からぬが房総半島に渡り、そして北上して常陸や東北地方へと向かったのだ。ならば、上陸地から、さほど逡巡せずに北上したと考えるべきだろう。何故に如此ような道筋を採ったかは、分からない。ただ、一般に、昔は陸路より海路の方が、効率が良い場合があった。特に武装や食料を持ち運んでいるのだから、担いで歩くより船に載せた方が楽に決まっている。そして、此の場合、関東は敵地であるから、下手に彷徨くと危険だ。武尊の一軍が、武蔵に入らず房総半島を目指したのは、戦術として必要であったからだろう。何はともあれ、武尊は相模から海路、後に「安房」と呼ばれる地を目指した。
出発するに当たって、武尊は言わずもがなの悪態を吐いている。「なんだ、こんなチンケな海、ひとっ飛びだぜ」。チンケだろうとセコかろうと、海は海だ。海には海神がいる。馬鹿にされて、海神は怒った。が、差し当たっては何もせず、復讐の好機を窺った。そして、武尊の船が航路半ばに差し掛かったとき、即ち行くにも戻るにも岸から最大の距離となったときに、いきなり荒れ狂った。逆巻く波に翻弄される武尊の運命は、風前の灯火であった。
一人の女性が進み出た。武尊の愛妃、弟橘姫であった。弟橘姫は、怒り狂う海神を宥めに行こうとしたのだ。行くと言っても、生還は不可能である。人身御供、犠牲になったのだ。武尊の心中は如何であったろう。最愛の女性を、誰のせいでもない、自らの為に、自らの言の咎のために、失ったのだ。これほどの悲劇があろうか。
しかし、一軍の将たる武尊は、前進せねばならなかった。上総に上陸後、再び房総半島沿岸を巡って海路、陸奥へと向かった。因みに、このとき武尊は、子供騙しの戦術を採用している。大きな鏡を船に懸けて出航した。蝦夷たちは、船を遠目に見て、如何考えたかは知らないが、恐れて武尊に帰順した。伊勢神宮には三種神器の一たる鏡が安置されている。これは太陽を象徴しているとも言われている。まぁそうでなくとも、古代東アジアに於いて、鏡は権力の象徴であったらしい。遠目に見える程の鏡は、それこそ強大な力を象徴しているように感じられただろう。蝦夷が恐れたのも、無理からぬことだ。古事記は、太陽神の系譜を継ぐ者の証として、武尊は大鏡を掲げたとしている。「日高見」で引き返し、常陸を経て甲斐まで戻った。信濃、越両国を平定していないことに気付いた武尊は、武蔵、上野を転戦した。東から「碓日坂」に至った。「碓日嶺」に登った武尊は、東南を眺望して「吾嬬者耶」、三度嘆いた。弟橘姫を偲んだのだ。此処は単なる愁嘆場ではない。無敵であった武尊の転機となる。武尊は後に敗北を重ね、病に冒され、遂には故郷/都に帰り着くことなく野垂れ死ぬのだ。
武尊は峠を越えて信濃に侵入した。深山で白い鹿と出会った。山の神が武尊を苦しめようと、近付いたのだ。折しも空腹を覚えた武尊は、昼食を摂る。白鹿を怪しんだ武尊は、副食にしていた蒜(ニンニク)を弾いた。鹿の目に当たった。鹿は死んだ。突如として武尊は、方向の感覚を失った。行くことも帰ることもならず、迷った。其処に白い「狗」が現れた。武尊を導くような素振りを見せた。ついて行くと、美濃国、山の麓に出た。
武尊は尾張国に戻り、其処で尾張氏の女・宮簀媛の家に入り、結婚した。久しく逗留していたが、近江・肝吹山に荒ぶる神がいると聞いて、討伐に向かった。このとき武尊は、皇統の証・草薙剣を、宮簀媛のもとに置いて出る。山に入ると、道に大蛇が寝転んでいた。山の神であった。が、武尊は大蛇を山の神本人ではなく、単なる使だと侮り、跨いで行き過ぎようとした。一天俄に掻き曇り、「氷」が降りしきった。武尊は意識を失いかけた。ふらつく足を踏みしめて、漸く麓に出た。泉の清水を飲んで、やや持ち直した。が、武尊の肉体はこの時、病魔に冒されていた。宮簀媛のもとには帰らず、伊勢を経て、都に向かった。が、能褒野で死の床に就いた。武尊は父・景行に、別れの使者を送った。享年三十であった。
景行は能褒野に陵を築き、武尊を葬った。陵から白鳥が倭(ヤマト/大和)へと飛び去った。怪しみ墓を暴くと、遺体は消え、着衣だけが遺されていた。人々は白鳥を追った。白鳥は倭・琴弾原で翼を休めた。陵を築いた。すると白鳥は更に西へと向かい、河内・旧市邑に停まった。此処にも陵を築いた。白鳥は、もう西へは飛ばなかった。垂直に、天へと昇り、姿を消した。景行四十三年のことであった。
十年後、景行は亡き息子・武尊の足跡を辿ろうと思い立った。「神人」と景行自らが称えた程に、美しく逞しく世を蓋うばかりの気を漲らせた武尊が、最愛の者を喪った哀しみのうちに敗れ病に冒されて萎れ、野に惨めな躯を横たえるに至った道程を、辿ろうとしたのだ。前述した通り、景行は「淡水門」に至った。浜路を散策する景行の耳に奇妙な鳥の声が届いた。景行は、鳥の姿を見たく思った。寄せる波へと足を踏み入れた。「白蛤」を得た。此処を以て、記紀中最大の英雄・武尊に纏わる物語が終わる。
武尊の東征物語は、西征物語とは全く異質だ。西征物語は、より単純な構造で、それだけ、事実をより直接に伝えていると思われる。突拍子もない話、例えば武尊の女装など、俄には信じ難いが、理解不能ではない。しかし、東征は海神やら山神やら白鳥やら、かなり象徴的な話になっている。象徴とは、婉曲の一種だ。事実をこそ語らねばならぬ者が、女々しく筆を曲げ、何かを隠そうとする表現法だ。日本書紀は、何かを隠そうとしている。が、婉曲は、結局、事実を伝えてしまう。隠しつつ伝えようとする行為、それが婉曲なのだ。歪曲とは違う。
時として馬琴の眼差しは、優しい。満たされぬ者、望んで得られなかった者へ、深い共感を感じさせることがある。例えば、八犬伝より少し前に上梓された椿説・弓張月は、鎮西八郎為朝を主人公にした一大ピカレスク・ロマンだ。若くして日本随一の弓取りとなった為朝は、しかし初めて参加した戦闘、保元乱で敗軍に与した。父に従ったのである。捉えられた為朝は、二度と弓が引けぬよう、腕の腱を断ち切られ、絶海の孤島・八丈島へと流された。其の後、再起し反乱を企てたともいうが、確かな事は分からない。稲光のように激しく、そして一瞬だけ歴史に身を晒した男、悲運の英雄である。
椿説弓張月の筋立ては単純明快だ。生涯の途中で歴史から抹殺された一人の英雄が再起、行く先々で自由闊達に活躍し、何処へともなく去っていく。フラリと旧主の墓前に現れ、割腹して果てる。それは、通りすがりの暴れん坊、暴風雨の如き荒ぶる英雄、しかし史実では若くして自由を奪われた為朝に、再び自由を与えた物語に他ならない。志半ばで捕らえられた英雄を、If、せめて空想世界の中で、再び自由に飛翔させようとする行為であった。レイクイエム、鎮魂歌である。この営為を、江戸人士が好んだとされる、<判官贔屓>と一括りにして矮小化するは、甚だ容易だが、明らかに無意味だ。矮小化を図る矮小な心性の眼差しに向かって、傲然と睨み返すほどの力強さを、弓張月は持っている。とても魅力的な力強さを。付け加えれば、弓張月がダイナミックな印象の鎮魂歌とすれば、八犬伝は静謐なるレクイエムの雰囲気を湛えている。
……「黒き衣の神」に於いて、大国主を取り上げた。彼は偉大なる君主であったが、天孫の脅迫に屈し、全てを失った。が、彼は天孫の恐喝より先に、実は全てを失っていたかもしれない。彼には嘗て愛した少年がいた。少彦名命(スクナヒコナノミコト)だ。小さく美しく、彼が愛し、彼を愛した少彦名命は、賢く有能な少年だった。大国主の良き相談相手として、共に国家を経営した。少彦名命と共にあったとき、大国主は自信に満ち溢れ、国を大いに栄えさせた。其の少彦名命が、或る日、姿を消した。根国(/冥界)に行ったとも云う。愛する者を失った大国主の悲しみは、如何ばかりであったろうか。喪失感に襲われた彼の前に、天孫が現れ国土の譲渡を迫った。少彦名命を失った大国主にとって、国土は意味を失っていた。大国主が悦びを見い出したのは、国土の所有でもなければ、国を思い通りに動かす権力でもなかった。ただ、少彦名命と共に行為することこそが、彼にとっての悦びであった。其の行為の対象としてのみ、国土は意味をもっていたのだ。しかし、今や、少彦名命はいない。国土は、少彦名命と共に建設した国土は、彼を悲しみの海に沈める、過去の幻影に過ぎなかった。彼は、抵抗らしい抵抗を見せることなく、天孫に国を譲った。天照太神を唯一陵辱し得た暴神・素戔鳴尊の正統なる末裔・大国主が、為す術もなく、全土を譲り渡したのだ。
国土の放棄など彼には取るに足らなかったのだろう。少彦名命の失踪こそ、大国主最大の喪失であったのだ。抜け殻となった国土なぞ、天孫にでもくれてやれば良い。そして、彼は根国へと旅立ったとも云う。少彦名命を追っていったのだ。いや、もしかしたら彼は、失われた愛人を求め、今でも何処かを彷徨い歩いているかもしれない。疲れ果て、黒衣を纏って……。つくづく馬鹿な奴だ。ちょっと解る気もするけど。
求めて得られなかった者の想いが、交錯する。ふと思うことがある。馬琴が目指した「稗史」は、冷酷なる現実に虐待された者たちの生き様、それは殆ど我が国史の総体と言っても良かろうが、<書き換えられた歴史>だったかもしれない。満たされぬ儘に根国に追いやられた者たちを、救済する営みこそ、彼が目指した稗史ではなかったか。閑話休題。
さて、我らが悲劇の英雄・日本武尊は、上記の如く「白」と関わりが深い。信濃の山で神が化けた「白鹿」と遭遇、「白狗」に助けられた。死しては「白鳥」と化し、西方を目指した。飛び立ったときには、故郷である倭に向けて飛んだように書かれているが、実際には通り過ぎて河内まで行っている。河内は倭の西方に当たる。そして死後十年、武尊の足跡を追った父・景行は、淡水門、安房で「白蛤」を得た。「白」だらけである。
まず「白鹿」だが、これは武尊に仇為す者であった。山神が化けたモノだ。即ち、山神は、武尊に近付くために「白鹿」に化けた。武尊と「白」の親近性が想定できる。敵に近付くためには、敵に親しい者に化ける方が良い。武尊は蒜によって偶然にも山神を倒した。八犬伝でも、妖怪・八百比丘尼を相手にした里見家は蒜を用意した。魔除けになると信じて。蒜は、白い。そして、辛い。仇為す神を首尾良く倒した武尊であったが、道に迷ってしまった。山神を倒したにより、周囲の木立が配列を変えて見せたのかもしれない。其処に「白狗」が現れ、武尊を導いて、無事に麓まで送り届けた。白き者が助けてくれたのだ。が、色々あって、胆吹山の神の毒気に当てられた。今度は、大蛇であった。今度は白鹿と違って、悪役らしい格好だ。が、コレも山神の正体ではない。「至胆吹山々神化大蛇当道」、そう「化」けたのだ。信濃の山で現じた白鹿は、多分、武尊に近付くために、武尊と親近性ある姿を纏ったのだろう。ならば、今度も、そうかもしれない。武尊は、こう考えた。「是大蛇必荒神之使也既得殺主神其使者豈足求乎」。神の化けた大蛇を使だと思い込んだ武尊は、殺さなくても良いと考えた。だから、殺さなかった。即ち、別に殺しても良かった筈なのだ。敵対する神の使ならば、即ち、敵対する者だろう。しかし、武尊は大蛇を殺そうとせず、行き過ぎようとした。これは甚だ納得し難い。敵を、別に降伏してもない帰順の意を示そうともしない大蛇を、殺さずに行き過ぎようとしたのだ。武尊が、無視も殺さぬ男であったなら、或いは納得も出来よう。が、彼は、激すれば兄すら折って畳んで裏返し、放り出す荒くれ男だ。最もスムーズに理解される解答は、武尊は大蛇を殺したくなかったのだ。武尊は、蛇と親近性があったと考えられる。其の蛇の毒気で、武尊は病を得る。騙されたのだ。遂に死んで、「白鳥」となった。
武尊は、金気の男だったのだ。白は金気の色である。因みに蒜のような「辛」さは、金気の味とされた。五味(酸・苦・甘・辛・塩辛)である。西は金気の方位であり、彼の霊/白鳥は、故郷の倭を行き過ぎ更に西へと飛んだのも、彼が金気なる者であったからだろう。だからこそ、白狗に助けられ、白鳥となったのだ。また、金生水、水気の生物、蛇とも親近性があったと思われる。故に、彼は水気の剣・天叢雲剣を与えられた。水気の剣は彼を、水扶金、救ってくれる頼もしいアイテムなのだ。実際、駿河で火克金、火によって殺されかけたとき、水克火、天叢雲剣は彼を救ってくれた。が、彼は剣を妾宅に置いたまま山神たちを討とうとした。水気の助けが得られない敵だったのだ。一度目の相手は、蒜、金気かもしれない食物によって倒せた。金克木、相手は木気だったかもしれない。水気の助けは必要なかった。そして胆吹山の神は、多分、水気の剣では倒せなかったかもしれない。私は、此の神は土気だと考えている。いや、純然たる日本書紀理解ではない。八犬伝を読む必要から、そう考えているだけだ。馬琴なら、そう考えたであろう、と思っているだけの話なのだ。そして、土生金、一見は親近性があるが、土抑金、抑とは凶、土は武尊にとって凶となるのだ(扶抑に就いては「虎、トラ、寅」参照)。武尊は、克されぬまでも敗れ苦しみ、そして麓の泉で「水」を飲んで、やや持ち直した。が、手遅れだった。
蛇足すれば、金気を象徴される白は、源氏の服色、里見家をも象徴し得る。白狗ならぬ白龍に導かれるに安房へ向かった里見義実は、山下柵左衛門を攻めるに当たって、白旗を押し立てて進んだ。しかし、後に、蟇田氏に苦しめられた。蟇田氏は元胆吹山の賊であり、「蟇」は土気を象徴する生物だ。また、水気の剣を持つ信乃は、蟇六に抑圧された。此等の点に就いては、後に詳述することになろう。
そして、最も重要かつ難解な問題は、「白蛤」である。上述の如く、此は明らかに、武尊と<関係がある>。が、武尊は安房で死んだのではない。伊勢で死んだ。しかも、伊勢から西へと飛び去った。が、思わせぶりに「白」なんだから、無関係とは思えない。武尊、安房/淡、海……そう、弟橘姫だ。武尊は「吾嬬」と呼んだ彼女は、まさに安房の沖で死んだ。此の「白蛤」を弟橘姫に比定せずにはいられない。彼女は、金気なる武尊に愛され、そして彼を愛した彼女は、如何やら金気であったようだ。しかも、蛤だ。貝は女性器の隠語とされたが、いや、其れは如何でも良いのだけれども、二枚貝である。二枚貝の殻は、どれでも同じ様に見えるけれども、違う貝の殻は、何故だかシックリとは合わない。それこそ千差万別、イーカゲンな形はしていないのだ。この事実を以て、二枚貝を、相思相愛の者達が、ピッタリと抱き合っている状態の隠喩と解して、何の悪いことやある。
望まぬ東征に赴き、まず最愛の者を失い、敗北し衰え死んだ武尊。まさに武尊を死に追いやった景行が、息子が最愛の女性と引き離された場所を望み、其処で「白蛤」を得た。十年の歳月も流れている。死んだ相手には、如何な悪逆非道な者も、少しは優しくなれるだろう。景行は、せめて夢想したかったのかもしれない。愛も武人としての名誉も、すべてを剥ぎ取られて死んだ息子が、せめて愛のみは取り戻したことを。目に浮かんだかもしれない、純白の衣を纏い、まさに現前にある海へ、身を躍らせる姫を。
八犬伝中、何度か、「七夕」の日、重大事件が起きる。金碗八郎の割腹、荒芽山に於ける音音・世四郎の神隠し等だ。七夕、それは、いつもは引き離されている愛する者同士が、<年に一度会える日>だ。が、此は同時に、<来年の此の日まで別れる日>でもある。離別と再会、濃厚なるロマティシズム、此は八犬伝でも、重要なモチーフとなっている。愛する者同士は、再会せねばならない。たとえ、互いに姿を変えていても。「吾嬬者耶」、この武尊の絶叫は馬琴の耳に届いたのだろうか。……お約束通り、制限行数である。それでは、またの機会「お狸様?」まで、御機嫌よう。
(お粗末様)