◆八犬伝の性◆

 

 前回は八郎の切腹に就いて述べた。八郎切腹の段は、逗留先の娘と姦し子まで成していたことが暴露される条でもある。今回は、此の場面から説き起こし、八郎と犬士たちの性をピーピングる。

 勿論、金碗八郎と濃萩の性交は、密通であって密通ではない。前近代に女性との密通が犯罪であるのは、女性の夫や父親に対する一種の窃盗であるからだった。独占権を有する夫や父の許諾なく、女性の肉体を使用したからこそ「犯罪」なんである。事後ではあるが、娘・濃萩の父・一作は黙認している。公的に問題となる犯罪としての密通ではない。単に、コッソリ姦った、との意味での密通に過ぎない。既婚女性の肉体を使用する場合には夫の面子の問題が生じるので夫が許可を与えること自体が困難なのだが、未婚女性を独占する父の場合は、適当と思える男に対し、娘の肉体を使用させることができる。八郎の場合は、父・一作が黙認した密通なので、公の問題は生じない。

 尚、源平魁躑躅なる劇作は、よくある身代わり首の話として、小萩なる女性が登場する。いや、実は小萩、美少年・平敦盛が化けて源氏の詮索から身を隠しているのだが、其処に源氏の侍が来て敦盛の乳房を弄ぼうとするって話がある(要約が不適切ではないか)。当然の如くに熊谷二郎直実が登場、小萩を匿っている上総(一作ではない)に娘の首を打って敦盛と偽れと唆す。騙された源氏の侍が帰った後、敦盛は直実にヤッてほしいと掻き諄く。直実の男っぽさに惚れたのだ。因みに漢字で書くと「殺ってほしい」。敦盛は、どうせ死ぬなら直実の手で、と思い詰めている。十分にセクシャルな場面だが、直実は断る。結局、一ノ谷で敦盛は直実に貫かれ「あぁん、死ぬぅ」(漢文では「我、死了」)とイッちゃうことになる(漢字で書くと「逝っちゃう」)。これが同じく劇作の一谷嫩軍記では、義経から敦盛を救うよう謎を掛けられた直実が、己の子・小次郎の首を打ち敦盛だと偽る。とにかく江戸人士は美少年・敦盛を助けたかったのであろう。犠牲となる桂子や小次郎の事なんか知ったこっちゃないんである。頼豪阿闍梨怪鼠伝でも偽首の話はあるし、抑も八犬伝で信乃の身代わりを房八が務めている。珍しい話ではない。源平魁躑躅で上総の娘として登場する小萩は、女性でなく美少年だった。ならば八犬伝の濃萩も女装子であったかといえば、大輔が生まれているので、恐らく真の女性であった。閑話休題。

 金碗八郎の濃萩に対する態度は筆者には難解だ。

 

     ◆

濃萩が許にわけ濡れて、結ぶは夢か霧の間を、千とせの秋と契りつゝ、枕の数もかさなれば、平ならぬ身となりけり、と婦が告るにこゝろ驚き、現色情は意外の悪事、と世話にもいふはわがうへなり、往方定めぬ旅の空、こゝ久恋の家ならねば、締も果ぬ妹と夫の、浮名を立て誠ある、人の女児に瑕痕ては、今さら親が許すとも、絶て合する面はなし、浅ましき所行してけり、と百遍悔、千遍悔ども、後悔其処に立ざれば、しのびしのびに濃萩には、堕胎せよと勧るのみ、別に思念はなまよみの、甲斐なき怠状一通を一作に遺しつゝ、さて関村を走り去り、

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 まず、濃萩の褥に潜り込み「結ぶは夢か霧の間を、千とせの秋と契りつゝ」だが、「夢中になって結合し永遠の結び付きだと誓い」と解すと、「枕の数もかさなれば、平ならぬ身となりけり、と婦が告るにこゝろ驚き」との接続が悪い。何故に驚く。何度も姦ったら子が生まれることもある。原因と結果の関係を、初めて知ったように驚くな。しかも「千とせの秋と」誓ったんだろ。

 「現色情は意外の悪事、と世話にもいふはわがうへなり」此処で初めて前段までの八郎が、性交が生殖活動であることを忘れ、即ち武士が和事を為すは偏に継嗣を望むゆえであることを忘れ情事に耽溺していたと判り、若者にありがちな失敗だと自ら捉えて、悪気はなかったのにと、女々しく言い訳しているようにしか聞こえぬ。「往方定めぬ旅の空、こゝ久恋の家ならねば、締も果ぬ妹と夫の、浮名を立て」しかも、放浪の身の上で添い遂げることが出来ない立場だと、実は元々判っていたにも拘わらず、「千とせの秋」を誓ったことが明らかになる。永遠の愛は、全く口から出任せ、濃萩の肉体に目が眩んで口走った虚言であったのだ。履行の意思のない約束で利益を得るを、詐欺と謂う。

 妊娠という慮外の結果に衝撃を受けて目が醒め頭も冷めて、漸く世話になった誠実な一作の娘を傷物にしてしまったことを自覚する。遅ぇんだよ、馬鹿なんぢゃないか。しかし八郎の証言しかないので不明ではあるが、どうも和姦みたいなので、濃萩を妻にして「千とせの秋と契」ったことを履行すれば、少なくとも履行を一作に申し出れば、まだしも責任の一半を遂げることになろう。「誠ある、人の女児に瑕痕ては、今さら親が許すとも、絶て合する面はなし、浅ましき所行してけり、と百遍悔、千遍悔ども、後悔其処に立ざれば、しのびしのびに濃萩には、堕胎せよと勧るのみ」。しかし八郎は、濃萩に堕胎を勧め、即ち八郎の行為の結果を抹消するよう求めた。此は、濃萩にとっても、八郎との行為の証拠、傷物になった証拠を抹消することでもある。

 此の時点で八郎には、何の目標もない。暗愚の君に容れられず出奔しただけだ。縁ある一作がいたから、上総国天羽郡関村に来ただけだろう。五年後に旧主が亡びた時点で初めて、八郎に山下定包討伐という目標が出来る。関村で農民となれば良いではないか。義の為に進むべき道は、まだない。結局、八郎には愛がなかったのだ。濃萩の肉体を玩具にしただけなのだ。武士は、或いは継嗣づくりのためにのみ性交する人間かもしれず、其処に愛情など必要ないかもしれない。武士ではないが、禹なんてセックス嫌いで、妻との性交も子づくり以外に目的はなかったともいう(子どもが出来たんだから、イッちゃってるくせに)。しかし八郎、生殖を目的としていない。子どもを望んでいなかったことから、ただ性欲のみで性交していることが判る。

 最大の問題は、「別に思念はなまよみの、甲斐なき怠状一通を一作に遺しつゝ、さて関村を走り去り」である。この一文は「怠状一通を一作に遺しつゝさて関村を走り去り」が本体である。これだけで文意が通る。そして怠状を修飾する「甲斐なき」は「何と云い募っても消えぬ罪だから実は意味がない」ほどの意味だ。この「甲斐」は「為すだけの意味」に置き換えられる語彙であり、山梨県のことでは決してない。決してないのだが、歌詠みでもある馬琴にとっては、「甲斐」といえば「なまよみ」なんだろう。万葉集にもある甲斐国の枕詞だ。当然、「なまよみ」も「怠状」に掛かる。掛からなければ国名でない「甲斐」に結び付ける意味がない。単なる下手っぴ文章となる。故に「なまよみ」は恐らく「生詠み」もしくは「生読み」を掛けている。推敲せず雑と書いた、ぐらいの意味を持たせている。怠状は謝罪文だから、余り捏ね繰り回して美文にすれば嘘っぽい場合もあろう。真情を作為なく一気呵成に吐き出すも、筆法であろう。生詠みも、或いは許される。実際、慌てて書き上げ、一作の家から一刻でも早く逃げ出したかったんだろう。しかし、「別に思念はなまよみの、甲斐なき怠状」なる言い回し自体が作為的、即ち嘘っぽい、即ち真の反省が見られない。巧すぎるのだ。八郎、お前、切腹してんだろ、はらわた飛び出てんだろ、痛くないのか、骨の髄まで御調子者なのか。案外、イーカゲンな奴だよな。俺もイーカゲンだけど。

 勿論、冗談だ。筆者も生殖と分離した性交を、したことがないわけでもない。しかし八郎は、玉梓を断罪した漢だ。性に対し、より厳しくても良かったのではないか。

 

 八郎は神余家から出奔し縁ある一作の家でウジウジしているうちムラムラしたのだ。ウジウジのムラムラだから、まぁあり得ることかな、と筆者は納得する。其処に妙齢の娘・濃萩がウロウロしていた。妙齢だからムンムンである。ウジウジのムラムラなのにウロウロとムンムンされたら、やはりハァハァだろう。そこでフンフンしたのである。ウジウジのムラムラにウロウロのムンムンだからハァハァのフンフンなのだ。意味が解らんな。此処で確認できることは、八郎は全裸に剥かれ義実に蟹の脂を塗りたくられて光明皇后に示現した権者の如く全身を舐め回されたかもしれないのだが、決して男一筋ではなく、若い女性とも性交可能であったことだ。

 

 また、此の時点で八郎が、正式な結婚に先立ち異性交遊をしていることは確認しておかねばならない。婚前交渉を行っているのは、此奴と網干左母二郎だけではないか。左母二郎は大塚村の少女も誑し込んでいたから、婚前交渉をしていたことが判る。前浜路に迫られた信乃には婚前交渉の危険が迫ったわけだが、貞操は守られた。婚前交渉は、一般論からすれば「淫奔」、ふしだらな行為であったと思われる。但し、此の場合でも、左母二郎を淫乱に性格づける軽い話題として言及されるに留まっており、深刻な評価とは思えない。

 一方、婚外交渉なら八犬伝に多く起こる。夏引と嗚呼善は夫以外に間夫がいる。於兎子は夫がありながら間男の巽と駆け落ちして所帯を持った。船虫は籠山逸東太を誑し込み、後に売春活動も行っている。亀篠は恐らく網干左二郎と密通した。妙椿は蟇田素藤の情婦みたいな位置にあり妻みたいなものだから、婚外交渉とまでも云えない。里見義成にも複数の妻がいた。

 抑も日本には、戦前まで公娼が存在した。いや戦後まで売春を国家が認めていたのである。近世江戸でも吉原があった。吉原遊女は幕府評定所で、偶にだが、評定衆の接待をしていた(お茶を出したりしていた)。売春は源頼朝が裁許した業界なんである。

 

 ついでに云うと以前、鎌倉時代に生きた里見冠者義成が頼朝から遊君別当に任じられたという東鏡の記述を紹介した。遊郭で権柄な侍客は、「ぎせいらしい」と呼ばれ嫌がられたが、此の語源は「義成」らしい。遊女支配の権限を与えられた里見「義成」のように偉そうだ、との内包だ(→▼洞房語園)。語源の真偽は措き、義成が遊君別当であった事実は、それなりに人口に膾炙していたのだろう。閑話休題。

 

 馬琴の黄表紙には遊郭を舞台にしたものもあり、読本でも善なる娘が親のため売春婦となり苦労する話がある。売春婦となっても病にかこつけ客を取らなかったりするんだが、善玉も売春婦になることがあるし、客を取る場合もある。馬琴作品では、売春自体を、【悪】だと決め付けることは出来ない。馬琴が悪役とするのは、業務外で複数の異性と同衾する者や、夫婦の枠外で既婚者が性交を為す場合だ。単に【裏切り】を詰るだけなのだ。信(まこと)の欠如をこそ、馬琴は責める。売春行為自体は容認しているようなのだ。売春業は主に、男の性欲余剰を処理する。即ち馬琴は、異性を求め渇仰する性そのものから、目を逸らしたり責めるたりする立場ではないのだ。

 

 ところで、本シリーズは幾度か、日本男色の祖ではないかと疑われている弘法大師空海に鶏姦の味を教えた者は文殊菩薩であるとの説を紹介してきた。文殊は「文殊師利菩薩」が正式名だが、「師利」を「尻」に換え、文殊は「尻菩薩」だというのだ。

 

 小文吾は毛野(旦開野)の姿を思い浮かべて呟く「さるにても旦開野は田楽傀儡に儔稀なる男魂あるのみならで」(第五十七回)。毛野は歌舞を以て馬加大記に囲われた筈だ。しかし小文吾の認識でも口絵挿絵でも、毛野/旦開野は「傀儡」である。口絵挿絵で毛野は人形を操ってはいるが、小文吾は毛野が人形を扱うところを見たのか? 彼女/彼が実演する当該本文では「女田楽」であるのに、何故だか毛野を「傀儡」と決め付けている。口絵でも毛野は女性形で且つ傀儡子である。本文で毛野は、あくまで「女田楽」として行動しているのだが、どうも馬琴は読者に【毛野は傀儡子】とのイメージを植え付けようといているようだ。いったい、「傀儡」とは何者か(→▼南嶺子・南嶺子評・画証録・只今御笑草)。

 中近世、傀儡には、極論すれば二種類あった。一つは人形遣いであり、文字通りだ。もう一つが放浪の遊女である。遊女といっても遊んでいるのではない。売春を業務とする移動労働者である。侠客・小文吾だからこそ、遊女・毛野に惚れてもサマになる。大角だったりしたら、遊女と同一場面に登場すること自体、思い付かない。毛野は、旅暮らしの遊女のイメージを淡く被せられている。遊女である以上、芸のみならず肉体も売り物だ。吉原や島原の格の高い遊女ならば拒否権もあろうが、傀儡子は放浪の遊女である。廓町という特殊な空間、曲輪主人の保護(監禁)下、文字通り、客に囲われる、即ち自分の縄張りで商売をする吉原遊女とは情況が違う。放浪し相手の縄張りに囲い込まれるのだから、客の支配度が非常に高い。テレビなら毛野に扮する美少女が「芸は売っても体は売らないよ」などと何処かで聞いたような台詞を云っても許されるだろうが、世の中それでは通らない。自由濫望が特質である馬加(まくわり)大記が毛野を犯らなかったとしたら、それこそ男色専門家とか病気なのかと心配してしまう。しかし大記は健康そうだし子もいるから女性/毛野との性交は可能だろう。可能なら当然、犯らねばならぬ。何故なら相手は絶世の美少女・毛野だからだ。因みに傀儡子を近世江戸で「山猫まわし」とも呼んだことに就いては、今は論じない。

 馬琴の叙述から、売春を連想させる傀儡子として毛野が設定されている以上、大記と同衾した若しくは大記としては同衾の予定があったと解するが順当であり、そうでないとするならば、かなり特殊な文脈(大記はフケ専だったとか……)を想定せねばならないけれども、如斯き特殊な設定は記述されていない。毛野と大記の間にセクシャルな関係を想定せねば、馬琴に失礼だ。しかし勿論、毛野を愛する筆者個人の希望的観測としては、毛野は素股とかでバカな大記を適当にあしらったに違いない、と信じたい。そして後に気付いたバカ大記は叫ぶ。「す、スマッタ!」。東北地方などの人々は、スとシの区別が苦手なのだ(別に大記は東北人ではないが)。いや別に筆者にしてみれば、毛野が大記なんかに犯られていないことを願うのだが、馬琴の筆致が、とにかく毛野にセクシャルな雰囲気を纏わり付かせている。

 

 毛野は、八犬伝のストーリーに添えば、容色と歌舞の技を以て、馬加大記に近づいたと云える。しかし何故だか「傀儡」と呼ばれているから、遊女としての側面も有っている。毛野は仇討ちという目的遂行のため、性を使った。同じ女装犬士の信乃なら、単にイメージ上の話だが、蟇六を手なづけ都合良く事を運ぶためにでも、自ら進んで肉体を開いたりはしないだろう。一つ屋根の下で暮らしていたのだから、言い寄られる機会はあったかもしれないが、恐らく、少なくとも自ら蟇六を誘ったりはしていないと、筆者は信じている。

 

 まぁ上記は多少巫山戯て書いたが、不平等条約改正のため柄にもなくセクシャルなものどもを否定しきった明治のトンチンカンそのままに、馬琴を読まない方が良いと思う。八犬伝では亀篠、船虫、夏引、嗚呼善、妙椿……セクシャルな女性が頻出する。性交場面もある。何連も悪役としての所為ではあるが、否定すべき悪を描くためであってもセクシャルな場面自体は否定されていない。「半酔機嫌に春は来て、はや引容るゝ夜衾裏、甚麼なる夢をや結びけん、楚の襄王にあらねども、雨の箭頭に雲の盾、闘戦数刻更闌て、疲労果たる逸東太は、前後もしらず臥たりける」{第六十七回}は筆者お気に入りの場面だ。妻を呼ぶ牡鹿の鳴き声で縁連が人恋しくなる条から、此の冗談めかした性交場面まで、馬琴自身もスケベェだったに違いないと確信できる部分である。楚襄王は即ち楚頃襄王、秦や燕と戦った武威の王ではあるが当然、此処では宋玉「高唐賦」を、八犬伝読者は連想する。楚襄王の先代が夢で美女と交わった話だ。巫山雲雨、【かりそめの濃厚情事】である(→▼)。情緒を知らぬ西洋人なら、夢魔と呼ぶかもしれないが。

 

 性は実生活に於いて、性交に直結するものから直結はしないが淡くイメージさせるものまで、各種レベルで端倪すべからざる位置を占めている。八犬伝でも、性の側面を無視すれば当然、少なからざる部分に目を瞑ることになるだろう。

 

 此処で不要な突っ込みをすると、房八は(前の)力二郎・尺八より二歳ほど年上だから、本来なら妙真と音音も同年配だと考えがちだ。が、筆者は前に音音を丙午生まれと決め付けた。五十代で活躍している。再説になるが、文明十年、荒芽山で道節を迎えたときに五十二三歳であるから、数え年として応永三十三年か三十四年の生まれと想定でき、応永三十三年が丙午であって、彼女行動から推すべきは火気であるから、丙午の応永三十三年生まれだと断定したのだ。即ち、長禄三年に二十歳で討ち死にした尺八・力二郎を生んだとき、彼女は三十三四歳であった。

 

 ……要するに、御転婆・音音は三十二三歳になっても、火遊びをしていたのである。流石は火気の女だが、じゃじゃ馬ぶりも相当なものだ。流石は丙午の女である。夫の代四郎は「若気(わかげ)の至り」みたいなことを云っているが、三十代で若気もない。あるとすれば若気(にやけ/男色)だろうが、其れ故に、親兵衛が監禁されたとき、細川政元を激しく憎んだのか。……えぇっと、だから、アレだ、実は音音の年齢設定には無理があるのだが、其れは正しく彼女を丙午に設定したかった馬琴による苦肉の選択であっただろう、と云いたいだけだ。応永三十三年の次に丙午になるのは文明十八年、八犬伝の主要な物語は既に終わっている。午なら午で永享十年の戊午なら、文明十年段階で音音は数え年の四十一歳、十八歳で代四郎と火遊びしてしまい十九歳で尺八・力二郎を生むことになり極めて丁度良いのだが、敢えて応永三十三年を選択した所に、丙午に対する馬琴の強い拘りを感じる。

 

 一方で、妙真は文明十年、舵九郎に言い寄られている。房八は数え年で二十二であった。妙真は四十ソコソコ、文明十年現在で「四十あまり」であった。しかも、「齢は四十あまりといへども、根がその縹致の捷れしゆゑに、脂も脱ずみづみづし。久米の仙人に闕窺さしても、雲の歩板を踏外して忽地落ん女房盛りを」「おん身なりとて老ふたる檜垣の媼が姉にもあらず。齢は四十あまりといへども、根がその縹致の捷れしゆゑに、脂も脱ずみづみづし。久米の仙人に闕窺さしても、雲の歩板を踏外して忽地落ん女房盛りを、うたてや年来寡居の、枕寂しく不図せし事より、心ともなく惑ひ染て、何がし寺の色界和尚、或は連歌に香立花、手蹟美事に趣ある、鉛刀武士の浮浪人、一個も二個も密夫の、なしとはいはさず証拠あり」(第四十回)。年経れば我が黒髪も白河の水はぐむまで老いにけるかも。卒塔婆小町などと並んで老女ものとして名高い能「檜垣」、即ち年老いた女性の代表としての「檜垣」を持ち出し、また其の姉と対比しており(いたのか、姉が?)、ちょいと洒落っ気を感じさせる書きざまだ。妙真の若々しさ瑞々しさ、滑らかな膚が粘り着いてくるような雰囲気が漂っている。

 

 妙椿も登場したとき四十歳程度であった。如何やら馬琴、熟女好きだったらしい。尤も、八犬伝の当該箇所が刊行されているとき馬琴は五十代だから、相応なのかもしれない。但し、妙椿に就いては、叙述のうちに若返り、「且妙椿は、世人伝へて八百歳といふめれど、うち見は四十許なりしに、幾の程にか少やぎて、誰に見せても三十には、いまだ至らじと思ふべき、面影の艶々しきに、男女席を倶にして、夜も亦臥房を異にせず」(第百九回)と、三十手前の容貌になっている。年を取るごとに若い女性の方が良いと思うようになっているが、それでも青少年保護条例違反の年齢にまでは下がらず、三十手前で踏み止まっている。

 例えば、近世の随筆・梅の塵でも八百比丘尼は、結婚相手が死ぬごとに若返っている(→▼)。此は、「ピチピチの若い娘の肉体が好きっ!」と、「男のことを色々と理解してくれるワケ知り熟女が好きっ!」とのアンビバレンツを前提に、更に、肉体目当ての遊び相手には若い娘が良いが共に一家を経営するには自分と同格・同年輩の言葉がたきになる相手でなければならない、って虫の良いこと此の上ない性根が透けて見える。八百比丘尼は、とにかく、男どもに都合の良い存在として妄想されていたようだ。ま、此の場合の八百比丘尼は実存としての女性ではなく、元々男の都合良いように構築された虚構の人格だから、好きにイヂッて構わないのだ。

 

 考えてみれば、八犬伝に於いて性愛の対象として提示されている乙女は、安西景連に求められた伏姫と、網干左二郎と簸上宮六が目を付けた前の浜路、蟇田素藤が縁組みを申し込んだ後の浜路、三人だけではないか。しかも三人は「美しい」と云われるが、全く色気がない。伏姫に至っては、景連、面識があったか怪しい。噂だけで、伏姫に惹かれていたのではないか。まぁ太平記なんかでも源三位頼政は、逢ったことのない筈の菖蒲前に恋をしているので、イケナイとは云わないが。

 青く未発達な少女たちに対して、性的魅力を振り撒く熟女が目立つ。左二郎は亀篠と密談した後に挿絵で亀篠の衣裳を着ているので、読者には密通したことがバレバレだ。因みに亀篠は当時、弟の番作さんが四十五歳で切腹して八年が経っているので、五十代であった。流石に一億人の恋人・信乃の伯母である。音音だって五十を過ぎて代四郎と結婚し、頬を染めている。まだまだ現役だったのであろう。

 亀篠・音音ほどではないが、船虫は、文明十年現在で三十六七歳、「物のいひざま進止まで、よろづ男めきたるが、さりとて容貌の醜きにもあらず。頭髻は竪ざまに結束ね、櫛は横ざまに挿光らしたる、をりをり釵を抜出して額髪を掻く癖あり。男帯のふりたるを、腋下に結垂ても、前掛のみ綺羅やかなるに、単衣の袖も身幅も、いと広く長かるは、良人に貸て被せん為歟、迭代に被る歟なるべし」(第五十二回)と色気を振り撒いている。文明十一年、「この舩虫は歳もはや四十に近き欲落の花、さのみ見どころあるものならねど、然とて捨たる女人にあらず」(第六十七回)と縁連籠絡に成功。文明十四年、第七十六回では、庚申堂に吊され鞭打たれてSM三昧(第七十六回)。因みに酒顛二との婚姻は、美貌より盗人根性と武芸を見込まれてのことだった。しかし文明十五年、芝浜で売春婦となり客を殺して金品を巻き上げていたとき、美貌には磨きがかかっており、冷やかし客がいたほどだった。

 若々しさ瑞々しさとは、肌艶を指す場合が多い。妙真への形容「脂も脱ずみづみづし」が端的に物語っている。船虫の場合も初登場時の「をりをり釵を抜出して額髪を掻く癖あり」が目を惹く。描写が細かく、船虫の体臭まで漂わせる程の、リアリティーを感じさせる。単なる記号ではなく、肉体を感じさせるのだ。頭を掻くとは痒いからだが、新陳代謝機能が激しいことを暗示し、肌艶の良さが期待できる。裁縫をしている女性が針で時折、髪を掻くが、あれは髪の脂を付けて布への通りを良くするためだという。後の行動からも、比較的発達した筋肉の持ち主と思われ、故に代謝機能は良さそうだ。汗ばんだ肌に後れ毛が似合う、ワイルドなフォクシーレディなんである。八犬伝当時、「代謝機能」が云々されたことはなかろうが、経験的に馬琴は何かを感得していたのではないか。まぁそうでなくても、女性が髪をいじる仕草は、仇っぽい。

 このほか、泡雪奈四郎と密通した木工作の妻・夏引は三十四五歳、石亀屋次団太の後妻で土丈二と密通した嗚呼善は年齢不詳ながら人妻であった。竹林巽の妻・於兎子も年齢不詳だが、元は巽と同じ豊後大友藩士の妻であった。駆け落ちしたのである。天岩餅九郎・朝時技太郎に挑まれた曳手・単節は、二十四歳から二十六歳といったところだが、後家もしくは母親であった。

 こうして見ると馬琴は、美少女より美熟女が好みだったと疑える。しかも船虫の描写などから、男っぽい美熟女への評価が高いことが解る。吉原より深川遊女を好むクチだったのだろう。閑話休題。

 

 結局、馬琴は性愛の存在を否定的には見ていない。曲亭(くるわ)にだって馬琴(まこと)はあるだろう(→▼雲萍雑志・洞房語園異本考異)。そんな見方があっても良い。少なくとも馬琴作品には、真情ある遊女や止むを得ない仕儀で遊女となった善玉女性が登場したりする。遊廓は亡八とも書くが、八犬伝では犬阪毛野が、売春婦としてのイメージが強い傀儡子として登場する。売春婦・毛野が侠客・小文吾と佳い雰囲気になる場面、毛野とか小文吾と思うからアレだが、やってることは単に、よくある濡れ場だ。小文吾は犬士の中で最も捌けているだろうが、それでも売春婦相手に結婚まで考えるんである。売春行為自体は問題ではなく、あくまで女性の資質、性格が重要なのだ。勿論、毛野の美貌が大きく影響してはいるだろうけれども……。但し、玉梓の例にある如く、性が人を堕落させる手段ともなり得ることは明示されている。それ故に、売春を事とすべき毛野が放埒に陥ることなく自律している様が小文吾を感動させる。性を肯定した上で、其の制御に価値を見出す態度だ。売春そのものが悪である現代では少々難解であるが、公娼の認められていた近世では、上記の如く複雑な性倫理も是であろう。

 

 しかし、奇妙なことに、八犬士は婚前、少なくとも女性とは性交しない。或いは小文吾なら登場前に遊郭なんかで遊んだかもしれない雰囲気があるし、美熟女・船虫に豊満な肉体を揉みしだかれ自若としている所から童貞君ではない世慣れた印象を放っているけれども、残念ながら八犬伝本文には、何も書いていない。小文吾は、信乃と現八に豊満で滑らかな白桃を差し出したり尺八好きだったりはするが、女性とは性交しないし遊郭にも行かないのだ。しかも側室を置かない。犬士は里見一族格で家老より上席だ。豊嶋の家老・犬山道策や千葉の家老・粟飯原首にも側室はいた。犬士の家格なら、側室を置いても許される筈なのだが、八人もいて誰一人、側室を置かない。子供が順調に生まれたこと、主君の姫を娶ったことによる遠慮かもしれない。此を近代ブルジョア道徳の先取りと理解するも可だし、人によっては犬士が女性より男が好きで他で欲求不満を解消していたと考えるかもしれない。しかし筆者は、別の考えをもっている。

 犬士が婚前に異性とは性交しない事実は、「富山は伏姫上の御事ありしより、女人の登る事を饒されず」{第百八十勝回下編大団円}からすれば当然だ。女神の領する山は古来、女人禁制である。別に珍しい話ではない。女神の擁護を受ける、伏姫に纏わり付かれている犬士は、【歩く女人禁制】なんである。妖艶な玉梓と夫婦になった伏姫は、ボーイズ・ラブは許していた可能性はあるけれども、犬士に人間の女性を寄せ付けなかったのだ。仏教寺院が女人禁制であるのは、性への否定もしくは【女嫌い】があった(稚児への性愛ならよかったのだが)。伏姫が祀られた富山は、神道からの女人禁制であっただろう。此の場合は、女嫌いを意味するのではなく、【女神による性の独占】を意味する。富山の女人禁制は、十分に性的である。即ち犬士に対して、母たる伏姫が、性の独占支配をしていることになる。犬士たちは、性を伏姫に握り取られているに過ぎない。変態的なまでにセクシャルだ。フェティッシュである。

 「純陽」である。但し陽は独り立たず、故に、目に見えては女性と絡まぬときでも、女性らしきものに纏わり付かれていることを示すため、信乃には前浜路という結髪がいたし大角には雛衣なる妻がいた。いたけれども伏姫に握りと取られている信乃・大角の性は、前浜路・雛衣に向かって行使されることはない。行使されることはないけれども、危ういまでにニアミスるのは、伏姫の姪である後浜路・鄙木たちと結ばれる結末から遡って延長し虚花として登場しているからである。伏姫を遙かにスケールダウンしているものの恐らくは同気、多分は犬士の配偶者たる資質を伏姫から分与されているであろう里見八姫が、犬士と婚姻する。文字通り赤い紐で結ばれたことは、当然ながら配偶が予め定まっていることを示している。配偶が予め定まっているのだから、各人の気が既に予め絡み合っていたのであり、肉体の結合はないまでも、既に「陽は独り立たず」の状態ではない。犬士が伏姫に「擁護」されていたとの表現は即ち、伏姫に見守られていた、纏わり付かれていたということだろう。伏姫から犬士との配偶資質を分与されていたと思しき里見八姫が犬士と婚姻するのだから、結局は、一貫して伏姫に性の支配を受け続ける。そして伏姫から犬士の配偶者たる資質を分与されている者には、八姫の他に、前浜路・雛衣・沼藺がいる。第百八十回中編に於いて丶大は云う。

 

     ◆

犬阪犬塚は幼小き時より故ありて、倶に女装して名も亦信乃毛野なんど女子に似たるは、亦是陽中の陰也。且犬塚は浜路といふ結髪の少女あり。又犬村は雛衣といふ賢妻あり。則是、陽は独立ざるの義也。爾るに浜路雛衣、及犬江が母沼藺は、皆是良善心烈の婦人なるに非命に那身を殺せしは、果報虚きに似たれども、こも亦故あり。譬ば草木の花開て将に実を結まくする時に、必先虚花あり。

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 やや難解ではあるが、作中事実を思い合わせながら読めば、信乃・毛野が女性名を使い女装していたことは陰陽和合の理を示していると云う。飽くまで示しているだけだ。他六人には女装癖がない。此と同様に陰陽和合の理を示しているのが、信乃・前浜路の結髪関係、大角・雛衣の婚姻関係、そして親兵衛・沼藺の母子関係であった。もう一度確認しよう。「浜路雛衣、及犬江が母沼藺は、皆是良善心烈の婦人なるに非命に那身を殺せしは、果報虚きに似たれども、こも亦故あり。譬ば草木の花開て将に実を結まくする時に、必先虚花あり」。信乃・前浜路と大角・雛衣の配偶関係が親兵衛・沼藺の関係と同列に論じられており、且つ、前浜路・雛衣・沼藺は虚花であり、実花が登場しているのだ。前浜路が後浜路、雛衣が鄙木と対応していることは論を俟たぬ。ならば、沼藺は、やはり里見八姫の長女・静峯となって、暫くオアズケを喰うけども、親兵衛のムチムチを楽まねばならない。静峯は、沼藺である。

 

 ……信乃・毛野・大角・親兵衛の四人は陰陽和合の理を示すため、女性性を有したり女性と絡み合ったりする。残る荘助・現八・道節・小文吾は絡んでいない。それでも元気に生きている。則ち、飽くまで陰陽和合の理を示すためにのみ犬士は異性と絡み合うのであって、絡まねば「陽は独り立たず」の状態になるわけではない。何故なら既に伏姫の陰気が纏わりついているからだ。犬士は、現実に於いて異性と性交しない意味で「純陽」であり、気の次元では伏姫の陰気と絡み合っているが故に、常に陰と共に在る。同じく牝犬と交尾しない八房も「純陽」であるが、伏姫と気の次元で相姦……相感したし元々玉梓の怨念が憑依しているので、やはり陰と共に在る。また八という数字は、陰であり陽でもある。少陽である仁は、三を生数とし八を成数とする。八は陰の最大数ではあるが、少陽の数でもあるのだ。

 補足する。信乃・前浜路は結髪関係、大角・雛衣は婚姻関係と同一直線上の互いに近しい状態にあり、【陰陽和合】の理を示していることに、文句はなかろう。しかし親兵衛・沼藺は母子関係である。此を「陰陽和合」といえば、MotherFucker、日本では母開(ぼかい・おやまき)、お前の母さん出臍とも云うが、とにかく国津罪である。国津罪だから若い皆さんに勧める積もりはないのだが、八犬伝では容認されているようなのだ。伏姫が息子である犬士たちの性を支配している。いや、それだけではなく沼藺は、親兵衛の母ではあるが、妻でもあるのだ。何故なら親兵衛は親兵衛本人でもあるが、房八でもあるからだ。夫婦が陰陽和合するのは当たり前であり、房八は性交が成功した証拠である親兵衛をもうけている。本来なら房八は犬士たるほどの資質・素性であるが、童貞好きの伏姫に選ばれることはなかった。親兵衛と沼藺との関係が、陰陽和合のうちに数えられていることは、取りも直さず、親兵衛と房八が重なっていることを示しているに外ならない。

 

 此処で脇道に逸れる。いや、大した話題ではない。恐らく馬琴時代の人なら、当たり前に解っていたことだ。易経を引く。巻九説卦である(→▼)。巽が風と関わることは、さて措き、沼藺に就いて最重要の部分は、以下の通りである。「乾、健也。坤、順也。震、動也。巽、入也。坎、陷也。離、麗也。艮、止也。兌、説也。(正義曰、……中略……艮止也、艮象山、山體靜止、故為止也)」「乾、為馬。坤、為牛。震、為龍。巽、為鶏。坎、為豕。離、為雉。艮、為狗。兌、為羊。(正義曰、……中略……艮為狗、艮為靜止、狗能善守、禁止外人、故為狗也……後略)」。

 八卦のうち艮は、「止」であり故に山である。何故ならば、山とは「静止」しているものだからだ。動かざること山の如し、である。艮は同時に「狗」でもある。何故ならば、狗は番犬として怪しい者を「静止」するものだからである。第百八十回下で里見義成は云う。「静峯が仁の妻たるは、語に所云仁は静也、仁者は山を楽むとあるに庶し」。「(智者動)仁者静」「仁者好山(智者楽水)」これは孔子の言葉だが、なるほど恐らく、静峯と親兵衛の配偶の理由は、義成の云う通りだろう。

 

 しかし、馬琴は、信乃・前浜路と大角・雛衣の配偶関係が、里見八姫との婚姻に於いて、信乃・後浜路と大角・鄙木に繋がっていると説明する条で、親兵衛・沼藺という母子関係を持ちだしている。ならば上記の如く、親兵衛・沼藺は母子の関係を超えてしまっており、此の事は親兵衛が房八と重なることで漸く理解できるようになる。親兵衛が房八ならば、沼藺は正当に親兵衛と配偶関係となる。ならば沼藺は、前浜路が後浜路と結び付き雛衣が鄙木となると同様に、静峯へと繋がっていかなければならない。周易では、山は静かである故に艮であり、艮は動物に配すれば狗だ。沼藺が「いぬ」の倒置であることは、八犬伝の中で明かされている。沼藺は狗だ。よって、狗なる沼藺は、「艮」を媒介に、「静かなる山」に通じる。静かなる山は、静峯であり、親兵衛と配偶するに至る。但し、親兵衛・沼藺の配偶/陰陽和合関係は、飽くまで親兵衛が房八と陰に重なっているとの密やかな事実に基づくものなので、アカラサマではなく、此の様に一捻りしたものとならざるを得ない。

 如斯きことは、易が(少なくとも読書人の)一般常識だった前近代に於いては、眼前の厳然たる事実として、議論の対象にもならなかったのではないか。

 また、如何でもよい話だが、八房には玉梓怨霊が憑依している。然るに依って、可憐な伏姫は、妖艶で恐らくは可成りの技巧派である絶世の美女・玉梓と、気の次元とはいえ姦したことになる。妖艶美女が甲斐甲斐しく食物を捧げ、清楚な美少女に奉仕する。伏姫は、純情ぶりそうなカマトトだろうから、マグロを決め込んだに違いない。五雑俎だったか酉陽雑俎だったか、男性同性交遊により子どもが産まれたとの話題があった。和漢三才図会にも引用されていたやに思う。馬琴の守備範囲だ。だったら女性同性交遊によって、子どもが産まれたって別に筆者は困らない。また、少なくとも毛野が男どもの性欲を処理する職業に就いていたことから、伏姫は犬士を男には開放しているが、女性を禁じている。自分は妖艶美女の玉梓と子まで成したというのに。此では、まるで伏姫は、ボーイズ・ラブ好きレズビアン(けっこう美人)に過ぎないではないか。……勿論、冗談である。それは冗談だが、馬琴は友人からの手紙で、女性同性愛者の存在を報されている。……いや、だから、そぉじゃなくって、筆者が云いたいのは、以下の通りだ。例えば十八世紀中盤には都市部で女性同士の緊密な連帯、【義姉妹】関係が見られるし、馬琴時代でも廓で遊女同士の姉妹分関係が見られたようだ(→▼)。傾城水滸伝が書かれ、受け入れられた背景であろう。(お粗末様)

 

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