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■信乃と毛野の対称性■

 

 伏姫は、凛とした美少女である。彼女は、乙女らしくも雄々しい決意を固める。犬の妻になった以上は、死ぬしかない、と。役行者と思しき、牛に乗った奇童と逢った直後である{→▼}。

 

 愛する妻が散歩から帰ってくると八房は出迎えて、採ってきた獲物を捧げる。パタパタ尻尾を振っている。自分は肉食寄りの雑食なのに、菜食主義者の妻のため果物とか採ってきているのだ。果物を採るケダモノなんて絵になりゃしない。にも拘わらず八房は、芋を掘り、木登りが苦手なくせに果物を採ってきているのだ。全て伏姫の為である。「こんな筈じゃなかったのに」と八房を疎ましく思って目を逸らせる伏姫の乙女心も不自然ではないが、そんな未通女(おぼこ)な伏姫の薄情を知ってか知らずか、八房は、ただ一所懸命に尻尾を振っている。だが、伏姫は既に懐胎し、母となるべく変化しつつあった{→▼}。

 

 菩提心を発した八房に対し伏姫は、慈愛の片鱗ぐらいは見せている。但し此の直後、毅然とした英雄に立ち戻り、切腹して果てる。後に伏姫は、里見家のために闘う女神として現れるようになる。

 

 犬士の女性性に就いて考える。犬士は伏姫の子であるによって、資質を継承していると考えられるからだ。女装という際立った特徴がある以上、取り敢えずは信乃・毛野に就いて考える。筆者は以前から、両者の対称性を論じてきた。対称であるとは同じき平面上に在るなり何なり、共通する要素を必須とする。二人の場合は当然、女装犬士である点だ。信乃が深窓令嬢タイプなら、毛野は発展的なギャルである。信乃が身を縮め下唇を噛みしめて「…くっ」とか押し殺した呻きを発するならば、毛野は相手に跨って飛び跳ね喘ぐタイプだ……とは、筆者の妄想に過ぎないが、恐らく馬琴も、二人を対称的な位置に設定している。犬夷評判記および同稿料である。

 

     ◆

答「この段の批評はすべて作意と表裏なり。さりながら二編の附言にもいへるごとく最初の宿構は発端までにていまだ八犬士の事に及ばず。しかれども初篇の端像に八士のをさなだちを図せし時聊か思ふよしありて信乃と毛野をば女子に画せおきたるなり。その故は信乃を八犬士列伝の第一番に出さん為なり。八犬士の本伝詳ならずといへども軍記に載する所は皆丈夫なり。女武者は一人もなし。しからば八人悉く男にすとも難はなし。これを女子のやうに見せしは無益の趣向といはるゝはいまだ八士の興る所以をよく思はざる故なるべし。彼玉梓は毒婦なり。しかるも牡犬に生れかはれり。伏姫は賢女なり。その行状丈夫に勝れり。この因縁を趣向とせり。されば信乃は男子なれども仮に女子に扮せしはこれ伏姫は女子にして男子の気質あるを反覆せり。この故に信乃をもて列伝の第一とす。且出像には女子と見せて男子になしたるが作意なり。毛野が事はいまだ写出さず。故にこゝには分解しがたし。思はずや与四郎犬と信乃と同年に出生せしも手束がその子を祈りしときに伏姫の霊あらはれしもこれらの因果を示すのみ。初篇には八房ありて二編に亦与四郎あればちとうるさきやうなれども与四郎犬を出さざれば伏姫の神霊と●与四郎犬をかけて見ば信乃は女子にして女子にあらぬ事のこゝろは知らるべく亦与四郎は八房が後身と云はざれども其処にて暁り易かるべし。この犬の事に就ては猶種々の趣向あれどもこゝにて楽屋は見せがたし。{曲亭遺稿・犬夷評判記中編}

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この段の批評は愚意とうらうへなり。勿論曩にも申せし如く宿構は発端のミ作り設け八犬士のうへはつゆはかりも思儲あらず。志かれとも前編乃口絵ハ八士乃をさなたちを図セしとき聊か思ふよしありて信乃と毛野を女子に画せおきつ。そ乃故は信乃ハ偽女子ニして八士列伝の第一に出さん為也。八犬士乃本伝詳ならすといへとも世に伝る所ハミな丈夫也。女武者は一人もなし。しからは八人こと/\く男子にして難なし。これを仮女子にしたるは無益也と思ひ給ふはいまた八犬士乃起る所以をよく思ひ合せ給ハさる故なるべし。玉梓は淫婦也、後身ハいと猛き牡犬となれり。伏姫は孝義之賢女也、かたち女子といへとも心さま丈夫にまされり。こ乃縁因をもて八犬士を出すときは亦復かく乃ことくなるべし。信乃が男子にして女服を■に見/ひたる、伏姫女子にして丈夫乃気韵あるを表セり。こゝをもて信乃を列伝乃第一におけり。是さし絵ニ女子と見セて男子たるか新案也。この後乃毛野も又偽女子なるへし。これを信乃とは大にその趣をかゆるか又一趣向なり。これは近年よミ本の趣向になき所にして信乃を第一番に出し毛野を八人め乃末に出す。前後、男子にして女子たり、女子にして男子たり。この二士のかたちをもて母伏姫の志操を表セり。これを無用の趣向と見給ふは後々乃編まて見果給ハさる故なるべし。又信乃か列伝に与四郎犬を出セしは前にいふ因縁なり。発端に犬あり又八士列伝乃はしめに犬あり。ちとうるさきやうなれとこれか則趣向也。この与四郎犬を出さゝれは信乃を偽女子とセし意とほらず。又与四郎犬乃死骸を庭なる梅乃樹の下へ埋めしことなとふかくたくむことなれは也。与四郎犬ハ八房が後身といハすしてその後身なること後に志らる。志られとも終始後身なるよしをことわらず。見るものに云々ならんと推量さするのミ。発端ともに犬を三度出すか趣向也。犬に発り又犬に発りて又犬士に終る。是一部乃大意也とは思へとも作者もいまた志らさる処あり。末々の編を見尽しなハされは神ならて誰かその趣をつくす。つき只二編にして見る処批評のことわりなきふしもあらさる也。又訳して云小説と思へとも殊ニあやしき事を是はかゝる故かれ是志か/\の故とことわらぬかよし。水滸伝及その佗乃名作多くこの格なり。すべて作者乃体面ハかくれてあらハさゞるか小説者流の本意也。看官をして暁ら志めんとするを多とすべし。志かれとも当今拙作乃如キハかくれたるまゝにて体面を看破する人は稀ならんよしとハ趣向の疎なると筆の拙き咎なれは念とするをなし三枝園乃批評乃如きわか為の知音也。歓ふべし/\{犬夷評判記二編稿料早稲田大蔵版/句読点は筆者}

     ◆

 

 前半が出版された時点での「犬夷評判記」、後者が其の原稿段階である。前者で馬琴は、淫婦玉梓が猛々しい牡犬となって報いを受けたように書いてある。人間の女性から、犬の牡に転じた。そして初出の犬士・信乃が女装する理由として、伏姫が男に勝って心操高い孝義の賢女であったことを挙げている。男心をもった伏姫との関係を、男児が女装することで示しているのだ。また、此のことを明らかにするため、信乃には与四郎犬を添付したと云う。よく知られた話である。

 犬夷評判記に於いて馬琴は、毛野に就いて「毛野が事はいまだ写出さず。故にこゝには分解しがたし」と言及を避けている。職業作家としては、当然の態度だろう。しかし「稿料」すなわち原稿段階では、毛野に就いても最小限、口を滑らせている。信乃に就いては上記と同様であり且つ詳しい。そして信乃が初出の犬士であるに対して、此の段階では毛野が八人目、最後の犬士として設定されている。何故に最初と最後かといえば、「前後、男子にして女子たり女子にして男子たり。この二士のかたちをもて母伏姫の志操を表セり」であった。簡単に云えば、「前後」すなわち初出と最後の犬士に母/伏姫の【男子にして女子、女子にして男子】たる状態を分与している。

 

 初出の信乃が「男子にして女子」の部分を表現、最後の毛野が「女子にして男子」を体現する。信乃は男子だが女装する。これが信乃のキャラクターだ。ならば毛野は、【女子だが男装する】となるのか。台湾の偶像集団S.H.Eの陳嘉樺氏が筆者の最近フェヴァリットであるが其れは措き、毛野も女子だが男装しているだけなのか。しかし馬琴は稿料の中で、「{合類大節用集所載の}八犬士乃本伝詳ならすといへとも世に伝る所ハミな丈夫也。女武者は一人もなし。しからは八人こと/\く男子にして難なし。これを仮女子にしたる」と毛野も女装男子の如く書いている。結果としては確かに、毛野は小波姫と結婚し子どもを儲けるし八犬士は野郎ばっかり即ち「純陽」であるから、毛野も男子であることに疑いはない。にも拘わらず稿料で馬琴は「女子にして男子」と書いてある。且つ、「信乃とは大にその趣をかゆる」と宣言している。

 本シリーズで何度も書いてきたように、毛野は「高哉犬坂 勇且好謀 避冤在胎 変生剿仇」{第六輯口絵賛}、変生男子であった。【女子にして男子】となったんである。則ち毛野は、女子となるべきであったのに、男子に変性し、仇を討つため女装したが故に、表面上は信乃と同じく偽女子/女装男子となっているけれども、産まれる前すでに一捻りしているのだ。毛野は本質として女性であり、肉体レベルで【男装】しているに過ぎない。

 信乃と毛野を、初出と最後、対称的な場所に置こうとした馬琴の真意は、この対称性であろう。八犬伝に於いて、女性は水気だとされる。水気の犬士には毛野・信乃のほか小文吾もいるが、筆者は毛野のみを水兄/壬、信乃と小文吾を水弟/癸だと主張してきた。毛野の方が、より、お水だ。それだけ女性性が色濃いのであるが、元々女性として生まれるべき者であったとの口絵賛からすれば当たり前の話ではある。

 

 共に伏姫から女性性を色濃く受け継ぎながらも対称的な位置にある、美女・信乃と美少女・毛野。二人の織りなす軌跡は壮大な対称形を描いた後、やがて一つへと撚り合わさっていく。二人を追っていけば、きっと伏姫に会えるだろう。かなり複雑な軌跡となりそうだが、しばし御付き合いを願う。(お粗末様)

 

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