◆「鵺の退治法教えます」
ところで話は変わるが、鵺である。日本では「よくわからないもの」の喩えに使われる程、かなり有名な化物だ。が、有名な歴史物語(完全なフィクションではなく史実をもとにしたとされる平家物語や太平記など)には、出現例が少ない。ってぇか、歴史物語に出現しちゃイカンだろぉとも思うが、それでも登場していると言うべきか。まず存在し得ないと思われるモノが歴史物語に登場する場合、何かを象徴していると考えることが出来る。読本「怪鳥を射ること」で筆者は次の如く述べた。
因みに、馬琴の「燕石雑志」では、「近衛院の仁平の年間、内裡に怪鳥あり。源頼政朝臣勅を奉てこれを射たり。これは保元の乱おこらんとする象ともいはんか。後醍醐帝の建武元年亦内裡に怪鳥あり。隠岐二郎左衛門広有これを射る。かくて南北朝とわかれ給ひき」とあり、太平記「広有怪鳥を射る事」は広有の武勇顕彰の側面ではなく、怪鳥出現自体にも注目し此を射殺す事件そのものが、乱の兆しと見ているようだ。怪鳥ならぬ怪虎を射倒したは、広有の六世孫・広当ではなく、親兵衛であった。此の事件後に色々あって政元は殺され、戦国の世へと時代は雪崩込んでいく。同時に此は、八犬伝刊行時が、動乱の世界へと走り続けていたことの表現でもあるか。
要するに、怪鳥の出現は乱世への兆しを象徴するものだと馬琴も考えている。では、何故に怪鳥は、乱世の象徴たり得るか。太平記・広有が退治した怪鳥は、源三位頼政が射ち落とした鵺とは別物みたいなんだが、まぁ、太平記だって怪鳥と鵺とを同一視しているから、細かいことは考えない。怪鳥の総元締たる鵺に就き、源三位頼政の説話がある。史籍集覧版「参考源平盛衰記」である
(▼→)。
参考源平盛衰記に拠れば、まぁ若干の異同はあるものの、鵺とは概ね、【首が猿、胴が狸、四肢が虎、尾が蛇、声が鵺】となっている。読本の「虎、トラ、寅」で「狸は虎」だと申し上げた。馬琴も参考書にしていた「五行大義」の第二十四論三十六禽に書いてある。私も子どもの頃は、「なぜ十二支には猫年がないのだろう。こんなに可愛いのに……」と思ったものだが、寅/虎は猫類の代表として登場しているのだから、寅年こそ猫年と考えて差し支えない(いや、やっぱり差し支えはあるか)。論三十六禽は十二支を旦昼暮の三時に分けて考えるのだが、寅の三禽が虎豹狸である。八犬伝で虎にも擬すべき偽一角は山猫であり、馬琴は狸を執拗に「野猫」と言っている。「狸おやじ」で狸と風との関連に着目したし、同時に虎と風の関係にも言及した。五行大義論三十六禽は有用な文章なので、とりあえず寅の箇所を引こう(論三十六禽の全文についてはリンクのみ)。
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寅為虎豹狸者、三獣形類皆相似。寅為木位。木主■(クサカンムリに聚)林。寅又属艮。艮為山、虎之所処。集霊経云、寅為少陽、五色玄黄。寅又有生火。火主文章。三獣倶斑。竝有文也。上有箕宿。箕主風、虎嘯風起。易云、風従虎。家語云、三九二十七、七主星。星主虎。虎七月生。申衝寅。故虎在寅。狸豹以同類相従也。本生経云主木者、以寅有相木、正月方生也。
(▼→三十六禽全文)
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また、八犬伝でも引用されている論語(雍也第六)「子曰知者楽水、仁者楽山、知者動、仁者静、知者楽、仁者寿」であるが、此の一文、犬江親兵衛仁の妻が「静峯姫」である理由となっている(ってぇか、だからこそ逆に「静峯」に設定されたのだろうが)。論三十六禽には、虎の居場所は木気であるが故に山であり、仁は木徳である。また、寅は山である艮に属する、と書いている。親兵衛が寅童子(若しくは其れから連想される徳川家康)と関係があると、筆者は既に述べている。
さて、筆者は「怪鳥を射ること」中で、馬琴が鵺を世が乱れる兆しと捕らえていると指摘した。仁を重視したと思われる八犬伝であるから、上記の論語の如く「仁者静……仁者寿」、則ち仁とは安定を愛すると解釈すべきだろう。逆に【乱れる】とは、安定が破綻することだ。【安定】とは中庸、全体の均衡がとれていることだから、鵺は【均衡が崩れ不安定になっている】ことを示す存在となる。では何故に、鵺は不安定を意味しているのか。
簡単な事だ。鵺は猿と虎と狸と蛇が合体した者だ。そして虎と狸は共に寅である。故に、鵺とは申と寅と巳の合となる。
此処で子午線を十二時六時で分けるラインとする。ならば申は八時、寅は二時、巳は五時方向だ。実は申・寅・巳は、九十度ずつズレている。此の三方の合力が、鵺なのだ。当然、ベクトルは五時方向に引っ張られている。中央に在るべき者が、五時方向へと偏っているのだ。此を、不安定と謂う。では、安定させるため、ベクトルを中央ゼロ地点に戻して均衡をとるためには、当然ながら十一時方向への力が必要だ。十一時方向とは即ち、亥である。猪だ。鵺で知られる源三位頼政の説話に、猪隼太が登場する。もう御解りだろう。鵺は亥と合し、初めて安定の中へと消滅するのだ。だいたい猪隼太は、鵺退治の条で頼政の股肱の臣として描かれているのに、渡辺唱なんかと違って、此処ぐらいでしか登場しない。則ち、猪隼太は、鵺退治説話を完成させる為にのみ、存在している人物と疑える。まぁ猪隼太は実在していたかもしれないのだが、少なくとも実際には重要人物だったとは考えにくい。上記の如く、他の場面では、重要人物として登場していないからだ。若し実在していたとしても、さほどの武士ではなく、単に鵺を消滅させる為にのみ、名前を理由に引っ張り出されたと考えねば、帳尻が合わないのだ。
更に亦、彼は参考源平盛衰記に拠れば「猪早太」の他に「猪一本佐野本作井伊藤本作伊井坏太八坂本作隼人如白本作■隼人下倣之」などとも表記される。そして此の猪隼太こそ、馬琴が自分の祖先と信じたがった人物だ。玄同放言下集第十一地理「武蔵太田荘」に於ける思い入れ一杯の馬琴の叙述は、
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武蔵国埼玉郡川口村は旧名太田の荘といひけり。……中略……余が通家、真中氏は彼郷の旧家にして、猪隼太が後なりといふ。その口碑に傳ふるよしを聞くに、高倉院の治承四年五月廿六日、宇治川の軍破れて、三位頼政入道父子、平等院にて自刃し給ひしとき、猪隼太は遠江にあり(老後本国へ退隠せしなるべし)。遙に義兵のよしを傳へ聞きて走せて京へ赴く折、三河路にて下河辺藤三郎が三位入道の首に倶して下総へと落ちて来つるに逢ひけり。こ丶にはじめて猪隼太は主家の凶音を聞きて遺恨に堪へざれどもすべなし、せめて和殿もろ共に主のおん首に倶し奉り墳墓せん処をも見果侍らんといふ。藤三郎聞きて、げに遠江はなほ都のかた近かり。誘給へと打ちつれ立ちて下総へ落ちて行けり。かくて頼政公の首を下総の猿島なる古河の里に埋葬つ丶隼太は其処にて頭顱を剃りまろめ、塚のほとりに菴を結びて亡君の菩提を吊ひぬ。是年八月、前武衛木曾冠者、東北に起りつ丶合戦年を累ねて平家は西海の波濤に沈没し、源氏一統の世となりにけれども、隼太入道は旧里へかへることを思はず。終に古河にて身まかりけり。隼太が妻子も其処に集合て子孫真中村(古河を去ること一里許にあり。今は間中に作るといふ。その故をしらず)にをり。これ真中氏の祖なり。是より十あまりの世を累ねし比、頼政卿の曾孫、左衛門の尉国綱ぬしの後たる武士某氏、武蔵国埼玉軍太田荘の地頭たるにより旧縁あればにや、真中氏も太田荘へ移住してけり。子孫今なほ彼処に在り。世村正たり。皆実子にてし嗣きぬといふ。この事、祖父(諱興吉字左仲法名浄頓宝暦十年庚辰十二月十九日下世年六十一)の物語なりとて、わが家の口碑に傳ふる所と吻合す。按ずるに猪隼太は右大臣藤原武智麻呂の後裔、遠江権守為憲が末葉、同国の住人、井氏の族たり。平家物語(ぬえの段)源平盛衰記(三位入道の段)参考太平記(塩谷判官讒死の段)等に載する所、猪隼太(参考太平記)猪早太(平家物語)早太(盛衰記)とのみしるして実名傳はらず。家記には、守資、或は資直に作る。然るや否やをしらず。凡軍記に載せたるは、頼政怪鳥を射る一段のみ。宇治川の戦に、かの人の事見えざれば事迹の考ふべきものなし。……中略……松田一楽が武者物語(上巻)云、ふるき侍の物語に曰、源三位入道頼政、氏の平等院にて自害の時、郎等に向ひて曰、吾白骨を平等院にをさむべからず。頭陀に入れ汝首にかけて諸国を修行すべし。吾とどまらんとおもふ所にて瑞相あるべし。其所に白骨を納むべしと有りて、自害とげ給ふ。其ごとくかの郎等、白骨を首にかけ諸国をめぐる。こ丶に下総国古河といふ所に著きたり。とある芝原に頭陀をおろし、しばし休息して扨立ちあがり頭陀を取りて首にかけんとしけれども、づだあがらず。郎等ふしぎの思をなし、さらば爰に骨ををさめんと思ひ、在所の人をかたらひ、古河村の在所に白骨を納め、其所にかの郎等も庵をむすび、おこなひすまして、其所にて死にたりしとなり。今に於て古河に頼政塚あり。今は古河の城内になる彼塚のある所を頼政曲輪といふなり。この書小説に係ると雖も、かの家説と暗合せり。只その郎等の姓名を識さざるを遺憾とするのみ。(「麗しき秋篠の人」から再掲)
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猪隼人は、井丹三直秀を通じて八犬伝に涌き上がる。理念としては八犬士の随一は親兵衛仁かもしれないが、地の物語では、やはり一億人の恋人・信乃こそ随一の称号に相応しい。信乃の母方の祖父が井丹三であることは、やはり信乃が犬士の中で最重要人物であることを意味している。
そして、猪隼太は猪隼人でもあるが、隼人は、【犬】をも意味する場合がある。恐らく記紀に服属儀礼として、隼人が狗吠をして魔を払ったとの記述があるところぐらいから、そう言われるようになったのだろうけども。
此の辺りに、馬琴の心血を注いだ物語が、八猫伝でも八狐伝でもなく、「八犬伝」である理由が存するのではないか。馬琴の祖先を廻るファンタジー、「八犬伝」には如斯き意味も含まれているのではないか。
もう少し話を続けよう。此処で気になる事は、信乃の妻である。一億人の恋人が夫なのだから、女房の妬くほど亭主もてもせず、どころではなく、気が気でなかったろう……ではなくって、里見五の姫・浜路の血脈こそ問題だ。浜路姫は、井丹三の従兄弟・下河辺太郎為清が娘・盧橘と里見義成との間に出来た子だ。則ち浜路姫と信乃は親戚なのだが、此の点には目を瞑ろう。現行法規でも、結婚できるほどには親等が離れているんだし。
下河辺と云えば、一説に頼政を介錯し首を持ち逃げした人物とされる。馬琴は猪隼人を、頼政の首を持ち逃げした人物と信じている。猪隼人は井丹三とダブる人物だから、当然、下河辺藤三郎清恒ともダブる。ダブルにダブる従兄弟同士の井丹三と下河辺為清は、信乃・浜路の結合によって、一つになる。導き出されるのは、馬琴が自分の祖先だと信じたがった、猪隼人ってワケだ。此れ以上ないほど、異常に簡単な話である。別に百数十年の知己を待たずとも明らかな、八犬伝に於ける基本的な設定の一つだ。
ついでに言えば、古河に頼政の首を持ち逃げした伝承をもつ下総下河辺氏は、恐らく馬琴によって下河辺太郎為清として結城合戦に登場させられ、其の縁者であろう下河辺荘司行包は、足利成氏の老党として、里見家を攻めることに反対する。里見季基が成氏の父・持氏に殉じたことが理由だった。結局、足利成氏は関東管領家に従い、里見家を攻撃する。で、敗れ捕われ、漸く解放されたとき、頭人として古河から迎えに来た人物が、下河辺二郎行正と間中大内蔵直充であった。「間中」は「真中」に通じる。
「頭人」とて古河から迎えに来たことは、二人のキャラ設定を規定する。二人は成氏を迎えに来るぐらいだから、関東公方足利家に於いて重要な地位に就いており、恐らくは、対里見戦争に従軍していなかった。下河辺二郎行正は多分、下河辺荘司行包の弟か息子って設定だろう。対里見戦争に反対したことが明文化されている荘司行包と、恐らくは従軍していなかった二郎行正&間中大内蔵直充。馬琴は「下河辺」と「間中/真中」に、里見へ弓を引かせたくなかったんだろう。引かせたくなかったが、猪隼人が関東まで頼政の首を持ち逃げしたと信じたい馬琴なら、下河辺は下総古河に縁がなければならず、間中/真中も同様だから、足利成氏側に属かせなくてはならなかったに違いない。尚、浜路姫の祖父・下河辺為清の親戚筋にも当たるのだろう。そして下河辺行正・行包は、【悪】側の家中にあっても【善】に与させる、または【悪】にベッタリ与していないことで、下河辺と間中/真中の【善】性を強調したかったか。ついでに云うと、両家が成氏側とはいえ、身分の高い設定となっているは、馬琴の希望が交じっているからだろうか。
話は、此処で終わらない。下総真間井で村雨……いや、表記は「驟雨」であったが、村雨に降られた成氏は、国府台城で雨宿りする。下河辺行正と間中直充も合流する。そして翌朝、付いて来た里見側の伴と別れることになる。別れ際に、信乃が成氏の部屋を訪れ、霊剣・村雨を返す。この後、信乃は他七犬士と京に上り、叙任の答礼を行う。其の帰途、井丹三の従僕の息子である息部局平から、大塚匠作・春王・安王の白骨化した首を渡される。金蓮寺に葬る。続いて信乃は、井丹三夫婦の墓に詣で、潰れた井を修復する。此の後は、【信乃物語】としては殆ど【後日談】となる。
犬士が一門城主級とされ里見の姫たちと配偶する、正木大全の物語が一応の終結を見る、ゝ大が富山の石窟に閉じ篭る、八玉を両眼とした四天王を国の四隅に埋める、伏姫が神となったことを確認する、樵が富山で謎の僧と出会い里見の徳が衰える警告を授かるが里見家に届けない、犬士は引退し富山に籠って仙人となる、再び関東は戦乱に巻き込まれ、里見家は十世にして滅亡する。
成氏が「真間井」で驟雨/村雨に遭う点には注目せねばならない。流石は一億人の恋人・信乃である。此処でも単に真間ではなく、真間井、オイドに関わる。ではなくって、井戸は水性の犬士・信乃と関係が深い。此が真間井ではなく真名井だったら、天照と須佐之男の子作り神話なんだが、まぁ措いといて、話を続けよう。場所が他でもない下総真間井なんだから、当然、信乃は伝説の美少女「手児奈」の境地に立たされる。既にベッタリ里見の股肱臣となっていた信乃は、成氏に肉体を求められても……いや、そうではなく、成氏のモノになるよう……日本語は難しいな、家臣になるよう懇願されたと云うべきか。里見と足利の双方から愛されちゃっているのである。しかし信乃は、手児奈とは違っていた。成氏の申し出を、キッパリ断る。手児奈の悲劇は、求愛してきた二人の一方だけを選ぶことができなかったことを原因としている。しかし信乃は既に里見の股肱臣すなわち股と肱の臣、Fuck&Jerk、挿入られ且つ擦りシゴかれるって意味なのか如何かは全く別として、とにかく既に里見義成と濃密な関係にある。選択の余地はない。成氏は順当に、フラれることになる。村雨だけを、叩き返されて。
さて、またまた話は変わるが、式亭三馬に、「早変胸機関」がある。此は、観念として相対するものが、実は表裏となっているって、風刺を利かせた滑稽本だ。まぁ特に珍しい発想ではないけれども、嫁も将来は姑になる(当時は嫁姑が支配・被支配、嗜虐被虐の関係にあるとの御約束があった)とか、幇間が裏では旦那をバカにしているとか、そういうのだ。また特筆すべきは、着せ替え人形(紙型)の付録や、相対する者への早変わりを視覚的に感じさせるため、頁を上下半分に切って捲れば挿絵が入れ替わるって工夫が盛り込まれている点である。ただ此の点は、特筆すべきではあるが、本稿には関係ない。相対するものを入れ替わらせる趣向だから、当然、男女の入れ替えも見せている。次回は、まず「早変胸機関」を見て、馬琴の言葉遊びについて、ちと考える。(お粗末様)